
一方、僕らはそれらの映像を見ているとき、自分たちがいま生きてその場に身を置く現実から目を逸らしているのだということを案外忘れていたりします。
つまり、本や雑誌、テレビやインターネットを通じて、常に写真や動画などの映像表現に身を晒している僕らは四六時中「心ここにあらず」の状態になっている自分に気づかずにいるのです。
映像が人々に与えたペスト級の衝撃とは?
イタリアの映画評論家であり映画史家であるジャン・ピエロ・ブルネッタは、レオナルド・ダ・ヴィンチからキルヒャーにはじまり、全景図(パノラマ)、透視図(ジオラマ)、幻灯(マジック・ランタン)、立体写真(ステレオスコープ)、覗きメガネ(コズモラマ)、光の箱(カメラ)などの光学的表現技術の普及を経て大きな変化を蒙った、ヨーロッパの民衆の“眼=思考”の変遷を考察した著作『ヨーロッパ視覚文化史』写真や映画が登場する以前の「マジック・ランタン」や「覗きからくり」などの視覚表現技術がヨーロッパの民衆に普及しはじめた頃から、人々はそれまで自分が生きている環境では決して見ることのなかった新たな世界を映像として目の当たりにするようになります。
生涯かけても決して出会うことのなかったイメージが様々な視覚表現技術により、簡単に自分たちの生活環境のなかに入り込んでくる状況が生まれたのです。

ブルネッタは先の記述に続けて、こうも述べています。
「しかし一方では、18世紀以来、かつて疫病の流行で明らかになったのと同等の勢力と徴候によって、映像の普及はヨーロッパに衝撃を与えたのである」と。
ブルネッタは、ペストに準えられるほどのどんな衝撃を、映像が人々に与えたといっているのでしょうか?
どんな映像もスクリーンに投影されるマジック・ランタン(幻灯)は、おなじ時期に日常生活を取り巻く空間を消し去り、新たな空間を創出した。そこには深遠さ、すなわち深く考慮すべき空間が欠如していたのである。ジャン・ピエロ・ブルネッタ『ヨーロッパ視覚文化史』
そう。映像が人々に与えた衝撃とは、生涯かけても手に入れられなかったイメージを身近にする一方で、冒頭にも述べたのと同じく、人々から自分自身が生きる日常生活の空間を奪ったということだったのです。
僕らは遠くのものが見えるようになることで、いまここから追い出されることになったのです。
つまり、自分がそこに存在しないところばかりを見てモノを言う傍観者的な立場に追いやられたわけです。
小さな箱の中の世界に顔をつっこんで
僕らの目は現実の光景から切り離され、暗箱(カメラ・オブスクーラ)のなんでも写し出せるけど、とても小さな空間に閉じ込められることになったのです。手のひらのなかのスマートフォンに写し出される膨大な情報に没頭しながら歩いていたために道を行き交う人々にぶつかったりする僕らの状況は、小さな箱のなかにびっくりするような映像が写し出される「覗きからくり」に顔をつっこんでいた時代の人々となんら変わることはないのです。

小さな箱のなかにびっくりする世界を再現してみせるという意味では、大航海時代にともなう形でヨーロッパの外のさまざまな土地から集められるようになった珍奇なものや、まだ魔術ともまやかしともつかなかった科学の産物である様々なからくりが所狭しと並べられたヴンダー・カンマー(驚異の部屋、のちに博物館に発展する蒐集部屋)と、視覚表現技術が閉じた空間に写し出す新世界はまったく同じ性格をもち、同じように人々をいまここから切り離していったと考えていいのだと思います。
そして、その流れが写真や映画といった表現にも連なっていく。
リュミエールの光もーヴンダー・カンマー(驚異の部屋)や現代博物館の進歩的な変形版としてー可視的世界を小さな箱の空間の中に閉じ込めることを望んでいた。一瞥するだけで都市の全景が隅々まで見渡せるようなパノラマの全方位的な展望(視覚世界)とは異なり、リミュエールの映画には舞台装置として、無数の局所的な展望で構成された世界があって、その複雑さと多元性を見せつけていた。つまり、リミュエールの発明によって、現実世界の多彩な展望がパノラマ的展望に取って代わったわけである。ジャン・ピエロ・ブルネッタ『ヨーロッパ視覚文化史』
人々は小さな箱のなかに首をつっこみ、小さな小屋のなかに閉じこもることで、遠くの景色まで見えるようになり、望みさえすれば、移動の時間も気にせずに中国からアメリカの景色にも目を向けることができるようになったのです。
地面から切り離されてバラバラな点になった場所
中国の景色から次の瞬間にはアメリカの景色に異動できる映像表現における旅は、ある意味では、駅と駅のあいだの土地をないものにする電車での旅、おなじように空港と空港のあいだの景色を存在しないものとする飛行機の旅をさらに暴力的に推し進めたものであるようにも思われます。電車や飛行機等の交通機関も出発地と目的地のあいだの空間を僕らから奪い取りますが、映像による空間の移動はそのあいだの土地だけでなく、僕らがいまいる場所まで奪い取り、ただバラバラになったスポットのイメージだけをもはやどこにも存在しない僕らに届けてくれることになります。
イメージと場所の関係に関しては、写真家であり批評家でもある港千尋さんは『芸術回帰論』
すべての通りに名前があり、建物に番号がついていることで、住所だけを聞いても目的の場所に辿り着ける欧米型の都市の住所の体系に対して、名前がついているのは主要な道路のみで路地に入れば名前もなく番地しかもたない日本型の住所では、具体的な目印となる建物や看板などを手掛かりにしなければ目的地に辿り着けないことを指摘するのです。
かといって、日本で暮らす僕らがいちいち目的地に辿り着くのに苦労したり、自分の家や職場への道順を教えるのにどうにもならないくらい苦労しているかというとそんなこともなく、港さんはその「苦労しない理由」をこんな風に解釈しています。
日本人は住所をイメージに変換して伝えることがうまいし、それに慣れているのではないかと思う。道路がどのような道路であるのか、角に何があり、そこを曲がると何が目に入るのかと、わたしたちはごく日常的に、道順を視覚化している。道順をイメージにして理解しているのである。港千尋『芸術回帰論』
通り名と建物番号という形の記号化により、その場所を知らなくても目的地の検索が可能な住所体系をもたない国の僕らは、出発地と目的地のあいだを消し去ることなく、あいだの道順のイメージを記憶しておくことで、道に迷わず目的地に移動することを実現しています。
それは電車や飛行機の旅が消し去ったあいだを大事にする旅であり、映像表現が編集によりいくらでも時間をかけずにある地点から別の地点に移動できるようにする方法とは正反対のものです。
でも、そんな僕らもだんだんと知らない場所を歩くとき、スマホのなかの地図を頼ることで、道順のイメージから遠ざかろうとしています。
僕らはまたしても、「いまここ」から遠ざかろうとしているのです。
いまを失った人たちの未来
「いまここ」を失ったということは場所としての「ここ」だけではなく、現在の時間である「いま」からも同時に切り離されたということです。自分がいない遠くの場所を映像で見ることができるようになったのと同じように、僕らは自分たちが生きてもいない過去まで映像として見ることができるようになりました。
多くの場合、写真は当初儀礼のなかにその場所を見つけ、儀礼の一部として機能してきた。今日でも卒業式、結婚式、葬式といった「節目」において写真の撮影は欠かせない。20世紀の歴史は、歴史そのものが写真によって記録され保存されるにいたるほど、質的にも量的にも膨大なイメージを生み出しながら、19世紀的な歴史学とはまったく異なる種類の「探求」を必要としている。港千尋『芸術回帰論』
過去の映像の蓄積が、個人の人生の歴史を、そして世界の歴史そのものを語ることに欠かせなくなったのが20世紀です。
そして、いまやその傾向はさらに進んで、Facebookをはじめとするソーシャルメディアのタイムラインには、その日食べたもの、訪れた場所、誰と何をしていたのかまで写真付きで記録されるようになりました。
もちろん、それがどんなに細かな単位で映像が残されるようになってきたとはいえ、実際に人々が生きる連続した時間とは異なる断続的で編集的な歴史がそこでは流れています。
さらには、その編集的な歴史的視点で描かれるタイムラインは過去からだけでなく、未来に向かっても線形的に伸びている形で描かれます。そして、ここでも「いま」は未来のために犠牲になる。未来への投資のために「いま」を捧げることで、未来をデザインしようという思想が20世紀から連なるプロジェクトでした。
ただ、その未来にむけて「いま」を負債にするやりかたは、ヨーロッパの経済危機にも代表されるように破綻しました。
「いまここ」を捨てない、新しい未来の作り方
そこでこれまでとは異なる方法で未来をつくりだそうとする活動がはじまっているのが現在の状況のように思うのです。それは各自が映像で満たされたクローズドな箱に閉じこもり、さまざまな幻想に溺れることで「いまここ」を見失うような従来的な生き方をやめることが前提とされています。
従来のように大衆として他の人と共通のイメージを共有していることを前提とするのではなく、むしろ、個々人がそれぞれ自分が生きる「いまここ」の多様なイメージを持ってオープンに集うことで、その異なる「いまここ」をぶつけあいながら、次の「いまここ」として未来を作っていくような方法だと思うのです。
フューチャーセンターにしろ、コミュニティデザインにしろ、根幹にあるのは、そうした非映像的で、それゆえに傍観者的にならずに誰もが「いまここ」に集う参加者としていられるような方法という点では根本は共通鵜しているように感じます。
映像を見ているとき、僕らは自分たちが生きている現実をみていません。
同様に、人が作った情報に触れているとき、僕らは自分たちを取り囲む現実からの情報をみずから遮断しているのだと思います。
いま必要なのは、そうした態度をあらため、みずからの目で、みずからの身体で、他の人々といっしょに「いまここ」に集い、いっしょに未来を作っていこうとする姿勢なのではないでしょうか?
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