働き方や社会的な価値に関する自分たちの頭のなかのイメージを変えていく

ちょっと出遅れましたが、リンダ・グラットンの『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図』を読みはじめました。

何人かの方が良い本だと書いているのをWeb上で見かけましたが、確かに良い本です。
これは読んだほうがいいです。
いや、読まないとこの先の人生やばいと感じます。

「漫然と迎える未来」と「主体的に築く未来」

サブタイトルに「孤独と貧困から自由になる働き方の未来図」なんてつけられていますが、この本は未来思考の手法であるシナリオプランニングを使ってベースとなるシナリオが複数描かれるのですが、その未来のシナリオは、孤独で貧困な人生が待ち受ける「漫然と迎える未来」と、自由で創造的な人生を迎えられる「主体的に築く未来」の2つの大きく分かれます。

シナリオプランニングは基本的に未来予測の方法ではなく、未来をシナリオとして描くことでリスクヘッジをする方法なので、この本でもようするに漠然と未来を迎えてしまって、孤独や貧困などのリスクに巻き込まれないよう、主体的に創造的な未来を築けるよう自分自身を変えていきましょうという方向で話が進むようです。

産業革命以来の働き方に関する大きな革命

そんな本であるわけですが、前提としては、いまは産業革命以来の働き方に関する大きな革命であるということです。

いま私たちの社会は、18世紀後半から19世紀前半にかけての世界の一部の国が工業化への歩みを始めたとき以来の大きな変化を経験している。
リンダ・グラットン『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図』

すべての仕事が職人仕事だった状況を、エンジニアリングと細分化した専門家たちを組織的に束ねたマネジメントによる仕事が中心となった最近にまで連なる状況に大きくシフトさせた産業革命。それと同様の変化がいま起きつつある。そう、言われて皆さんはピンと来ますか?



ピンと来ない?
産業革命の時代を生きた人たち自身にとってもそうだったようです。
その時代を実際に生きた人にとっては、今からみると革命的にみえる変化であっても、あくまで漸進的に感じられるもので誰も自分たちが革命の只中にいるとは気かなかったからです。
それが革命的な出来事であったと認識できるのは、いまの時点から振り返って変化の大きさを俯瞰的に眺められるからです。

働き方や社会的な価値に関する自分たちの頭のなかのイメージを変えていくこと

とはいえ、それがそれまでの働き方を無効にしてしまうような革命であったことには変わりありません。
さて、ここでもう一度質問。
皆さんはいまの変化を革新的だと感じられるでしょうか?

問題はそれを感じようと感じまいと、否応なく従来型の仕事の常識が通じなくなる変化がすでに進展しているということなのでしょう。

今日会社のほうのブログで、全米各地に公園を造ることで子供たちに遊び場を提供する団体カブーム!の話題を取り上げました。
作ったモノを提供するのではなく、いっしょに作りあげる機会を提供する - Think Social Blog

カブーム!という団体がやっているのは公園をつくることじゃなくて、公園をいっしょにつくる人たちのコミュニティをつくること。
ようは、モノとしての公園を与えるのではなく、人びと自身が必要とする公園についてその人たち自身に考えさせ、その人たち自身につくる機会を与えることで、人びとがともに生きるコミュニティを再生させているわけです。もちろん、自分たちでつくった公園なので愛着も信頼性も感じられ、ただ自治体などに勝手に作られる公園とは違って、きちんと使われる。

実際に公園を作っている様子を撮影した動画は以下。



カブーム!に関してはその活動を紹介した本『カブーム!――100万人が熱狂したコミュニティ再生プロジェクト』も出版されてばかりのようです。

こういう話を読んでもあらためて、
  1. 個人が自分の働き方を見直していくこと(会社組織に所属して朝から晩まで、就職から定年まで働くなど)
  2. そもそも社会的な価値があることって何かとかそれはどうやって提供するのかとか、といった面で新たな規範をつくっていく必要があるということ

を強く感じます。

この変化の気配をしっかり感じとって、自分たち自身の頭を変えていかないといけませんね。

 

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