どういう時に共感を感じるかというと、PodcastとかVideocastとかをイメージしたときです。
ブログは書けても、PodcastとかVideocastとかは自分じゃハードルが高いなって感じる。それは恥ずかしいとか、めんどくさいとか、何をPodcastやVideocastにしていいかわからないとかいうのとは、ちょっと違う。「恥ずかしい」を除いた部分はちょっとはあるんだけど、根本的なのは、自分がテレビとかラジオとかを見たり聴いたりしないからなんだと思います。YouTubeすら見ないから、そもそも動画系のコンテンツにリテラシーは結構低いんだろうなという気はします。
映画を見たり、音楽を聴いたりはするので、実は映像、音声全般に対するリテラシーが低いというよりは、映像、音声系のおしゃべりに対するリテラシーが特に低いんだろうなと自己分析します。
かといって、楽器が弾けるわけでもないし、映像作品をつくれるわけでもないので、おしゃべり系以外のものを発信するほうはやっぱり能力的に低い状態ではあります。
本を読んだり、文章を書いたり、提案資料を作ったり、メールでやりとりしたりという感じで、文章の読み書きに関してはリテラシー的に何の問題もなく、それでブログを書くのは平気なんですけどね。
そんなことを考えると、ブログを書けないっていう人の中には、僕のPodcastやVideocastの場合と同じように、普段、本を読まないし、文章を書くわけでもないし、文章でのおしゃべりっていうのはどうも苦手っていう人もいるんだろうなと想像できて共感もできるわけです。
何をいいたいかというと、想像力ってこういう風にして使うのかな、と。
この記事へのコメント
名無し
名無しの一般人の意見など求められて無いし時間の無駄