先日のキックオフでも、身体が覚えている記憶が触覚によって意識の上にも呼び覚まされるということが話題になった。
例えば、硯とおなじ素材を使った皿は見ているだけだと単なる黒い皿だったのだが、もってみると誰もが「あっ、硯だ」と感じたり、それと同時に墨汁のにおいを思い出したり。触覚的な記憶が触っただけで同素材の皿から硯の記憶を呼び覚まし、さらに墨汁のにおいを連想させるのだ。
この素材じゃコーヒーカップは作れないね、だって墨汁を飲んでる気分になりそうだからという話にみんなが納得。
あるいはまた、僕が金属のスプーンを口にいれるのが苦手だというと、なぜそうなのか?という話になり、「スプーンでいじめられたことがあるんですか?」などと言われつつ、結局、僕自身も気づいていなかった、子供の頃、病院で診察を受けた際の口に金属のへらのようなものを入れて、あーんと開けさせられたイヤな記憶が原因ではないかということになった。これは確かに僕自身も納得。スプーンを口に入れる際の不快さは、あの体験と同じなのだ。
こうした食器やスプーンは、食事をとるためのユーザーインターフェイスである。
その食事のためのインターフェイスが、この2つの例のように場合によっては食事をおいしく食べるための障害にもなりえるのだ。
そんなことを考えていて気づいたのが、ユーザーインターフェイスを用いる際の身体がとる姿勢や動作、さらにはそのような姿勢や動作をする際の気分が、インターフェイスのデザインと大きな関わりを持っているということだ。
すでに一般的な意味でのUIに関する考察は、今日、会社のほうのブログで「身体姿勢とユーザーインターフェイス」というエントリーも書いたが、ここでは食におけるUIと姿勢/動作/気分の関係について考えてみたい。
食事の姿勢や動作と食器の形
食事をするとき、日本人は茶碗や汁椀などを手に持つ。箸では汁物をすくう手立てがないから汁椀などは直接器に口につけて食べる。それゆえ、茶碗や汁椀は手に持ちやすいよう丸みをおびた形状であり、サイズも手に収まるサイズとなっている。他にも小さな器や取り皿などは直接器を手に取っていただく。もちろん、こうした器の形状や器を手にもって食事をするスタイルは、箸を使って食べるということと深くつながっているはずだ。さらに、これらの食器の形状やその使い方は、今のようにテーブルやかつての卓袱台のように、みんながひとつの卓を囲んで食事をとるようになる前の銘々膳を使って食事をしていた際のスタイルとも関係あるだろう。床に座り銘々膳を前にして食事をとる時の、卓面と口までの距離は今のテーブル面と口までの距離よりもはるかに広く、器を手に取って食べることが前提とされる。
この食事のスタイルは、皿は基本的に手に取らずに、フォークとナイフ、さらにはスプーンを用いて、食べ物のみをテーブルから口元に運ぶ西洋のスタイルとは異なる。今でこそ、日本でも西洋と同様に1つのテーブルを囲み、椅子に座って食べることが一般化しているが、銘々が自分専用の足付きの膳をもち、囲炉裏の近くに集まって食事をした時代とは、食事をするときの身体の姿勢も大きく異なっていたことだろう。低い銘々膳を前に床に座る場合は自然とある程度背が丸くなることはいなめない。
床座という日本文化に深く根付いた身体の姿勢が、食事をする際の動作や食のための道具の形状を決めたはずだ。
そうした姿勢で使うことを前提とした器をまったく異なる姿勢で用いれば食べにくさを感じることがある。例えば、立ち食い蕎麦は器の形状や大きさが手に合わないことがあるし、器を置くことができる台の高さも中途半端なことが多い。
どう使うかによって、何を素材として使うか、大きさは形状はどうするかがある程度は決まってくる。その制約となる条件を見つけることもデザインの一部であるはずだ。それが人を世界とつなぐインターフェイスのデザインであるのなら、デザインの対象が食器だろうと、インタラクティブシステムであろうと大きな違いはない。
腰をかがめて使う道具
こうした姿勢と道具の形の関係は何も食器に限ったことではない。背をかがめた形で農作業をはじめとする様々な作業を行う日本文化の特徴が、自然と道具の形も決めたことを明らかにした川田順造さんの『もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る』で紹介された様々な道具のことを思い出させる。座って使う蹴轆轤、腰をかがめて引いて使うノコギリ、鍬、船の櫂。
また、最近読んだ吉田桂二さんの『間取り百年―生活の知恵に学ぶ』には、明治以降、戦前までの東京の住宅の台所では、流しが座って使うタイプであったことを知り、興味深かった。システムキッチンという道具に慣れた僕らからすれば、食事の際の洗い物は立ってするのが当たり前のように思えるが、かつては「おばあさんは川に洗濯に」というのと同様、床に近い位置に据えられた流しで腰をかがめて洗い物をしたのだ。
囲炉裏とかまど
それはかまどが土間にあった時代から連なるスタイルだったのではないだろうか。井戸から水を汲み、そこで直接洗い物をしていたスタイルが、上水道が整った明治以降から昭和の戦前にいたるまで、作業の姿勢、動作、そして、作業に用いる道具の形を決定していたのだろう。
かまどが土間にあった時代の民家の形に関しては、宮本常一さんの『日本人の住まい―生きる場のかたちとその変遷』に詳しい。
この本は、家に最初は1つだけであった囲炉裏の火がかまどや火鉢などに分かれていったこと、囲炉裏の火が長い間、非常に大事にされ続けたのに対し、あとから分かれたかまどの神は仏教における三宝荒神と合一され名のとおり荒ぶる神として病を生じることもある両義的な神とされたのを伝えていておもしろい。
この分かれた囲炉裏とかまどにそれぞれ用いられた道具が鍋と釜だ。
囲炉裏の上に自在鈎で吊され、食物を煮るものとして、一方の釜はかまどの上で食物を蒸すものとして使われた。囲炉裏が板間に上がって床座の姿勢で使われたのに対して、かまどは土間に置かれたまま、お尻を浮かしてしゃがんだ姿勢で使われた。
ここでも道具に対する姿勢の違いが道具の形を別のものにしている。
また囲炉裏が四方から空気が入るので煙が少ないのに対し、かまどは三方を囲まれているので空気が不足し煙を多くだした。それがかまどが板間にあがれなかった理由だろう。明治になってエネルギーがガスに変わるまでかまどは土間に置かれ、居住の空間からは隔離されたのである。
身体の記憶
姿勢が道具の形を決め、道具の形が姿勢や動作に制約を与えるというのは当たり前のことかもしれない。だが、物の形を決めるのが人間である以上、それを単に当たり前といって済ませてしまうのはどうだろう。こうした姿勢や動作を含む身体性の面からモノの形を考えることは僕らが思っている以上に大事なことではないだろうか。それははじめに書いたように快/不快に直結するような意味で身体的記憶を形成するのだから。
身体的記憶は意識にはのぼりにくい。いちいち意識して動かなければいけないのだとしたら呼吸をすることも歩くこともままならないはずだから、それは身体のしくみとしては理にかなっている。問題はそれが普段意識にのぼらないからといって、モノのデザインをする人間がそれを無視してしまうことである。特にデジタルなモノのデザインはそうした点をないがしろにしがちなところがある。
しかし、より感情に結び付きやすい記憶は、触覚や嗅覚など、物理的接触をともなう記憶だと、よくいわれるように、そうした接触的記憶を軽視したモノづくりでは人に愛着を感じさせるデザインはむずかしいのではないだろうか。ぬくもり、肌触り、重さ、におい、使う際の姿勢が、それを使う際の気分とともに記憶され、そのモノ自体を心地好い記憶に結び付け、モノへの愛着を育む基盤となるのではないかと思う。
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この記事へのコメント
muchacha
ひろ
竪穴式住居で焚火を囲んで食事することと、
囲炉裏の上で鍋物をすること。
同じに見えます。
竪穴式住居をそのまま文明化させたら、
囲炉裏ができたんじゃないでしょうか
tanahashi
そのとおりですよ。
竪穴式住居の火が、そのまま囲炉裏になったと考えられているようですよ。