アキッレ・カスティリオーニのヴンダーカンマー
アブダクションについては、今日のところはこんな引用を。
帰納は経験を重ねる過程の中で規則(習慣)を形成し、アブダクションはたとえば種々の楽器の音からそれらの音そのものとはまったく違う調和的な音楽的情態を生み出すように、経験の諸要素を結合統一し、まったく新しい概念を生み出すのです。米盛裕二『アブダクション―仮説と発見の論理』
アブダクションは「まったく新しい概念を生み出す」。つまり、発想法に使えるよねー、と。
眠っている情報を動かす
基本的には、眠っている情報を動かして、情報本来がもつ「情報はひとりでいられない」というあたりを呼び覚ましてあげるのがポイントだと思ってます。あるカテゴリーの枠内に収まってしまっている情報、固定観念に縛られて身動きがとれなくなっている情報を、別の情報につなげてみることで、違う角度から情報がみえるようにする。つまり、情報をみる自分自身を変えるということ。で、情報を動かすというのはどうするかというと、
- 複数の情報を並べてみる
- 異なる情報をつなげてみる
- 図式化→文章化を交互にやるなどして、同じ情報群を別の見方で編集してみる
- もの化された情報はいじり倒してみる、自分でユーザーの気持ちになって遊んでみる
- 言い換えてみる、あるいは、あるものの普通とは異なる用途を考えてみる
なんていうあたりから、推論の形式としてのアブダクションが働き、目の前に提示されたものから、目の前にない別の何かが発想として生まれる機会を増やすことができるのではないか、と。
アナロジーを働かせるんですね。
「アナロジー化の良いところは、遠くの人々、他の時代、あるいは、現代のさまざまなコンテクストさえ、我々の世界の一部にしてくれる点」といったのはバーバラ・スタフォード。
ひらめきが起こりやすい状況をつくる
上に書いたのは、情報を動かすための作業レベルの話。じゃあ、その前にそういう作業を通じて、ひらめきが起こりやすい状況をつくっておくにはどうするか?- 蒐集する:
- いわゆるフィールドワークによる観察でも、自分でおもしろいと思ったものを蒐集してまわるということでもいいと思いますけど、とにかく自分の身のまわりに驚異の部屋(ブンダーカンマー)を作っておく。18世紀の博物学的姿勢で、とにかくジャンルにこだわらず自分の好奇心をくすぐるものや情報を収集して既存のカテゴリーなどに整理せずに一ヶ所に集めてしまっておく。
- イタリアの建築家でありデザイナーでもアキッレ・カスティリオーニもまさにそういうことをやってたらしい。このページの最初に載せた写真は、カスティリオーニが世界中から集めてきた、いろんなものを集めた蒐集棚。
- 集めても分類しちゃダメ。それだと既存の型に物事をあてはめてるだけで新しい発想は生まれてこない。世にいうフレームワーク思考というのは僕はその意味で最悪だと思っています。そんなものは情報蒐集の姿勢として邪道この上ない。だって、それって自分の型に無理やり情報やものをあてはめて「わかったつもり」になってるだけでしょ? フィールドワークでの出来事をそんな型にはめちゃったら現場にいく意味がないのといっしょです。
- そうではなく型そのものを生み出すためには、とりあえずはジャンルは無視していろんなものを蒐集してひとところにごっちゃにいれてしまうのがよい。コレクションがコネクションを誘因する。そんな環境をまずは作っておく。まずは型の外に出る準備が必要。
- モデル化する、シミュレーションする:
- そのあとどうするか。例えば、カスティリオーニが集めたものをどうしていたかというと、いじり倒して、そのものがどんな風にできてるかとか、どういう風に人びとが使うのかというのをシミュレーションしていたそうです。ものに眠っている知恵をそうやって引きずりだしたんですね。
- そういうシミュレーションも大事だし、とにかく集めたもの同士の似てるところがないか探してみたり、部屋に並べておもしろい光景を作ってみるとか、そういう遊びをやって、いろんなモデルを作ってみるといい。
- ものではなく情報の場合も基本はおなじ。適当に組み合わせてみて何かおもしろい配置が生まれないか探ってみるということをする。
- 編み上げる・マップ化する:
- そんなモデル化をしながら、なんとなく情報やものの地図を作ってみる。これはKJ法をやるのに近い。
- 前にフォトカードソートのワークショップをやったけど、フォトKJ法とか、ものKJ法とかはやってみる価値がありそうだな、と。
- そうやってマップ化する中で、地図上に空白があるのが見えてくる。そこにいま存在しないものの発想が生まれてくるかもしれないし、あるいは、地図上で隣接したもの同士の間に何かヒントが隠されているのが見つかるかもしれない。
- ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識/バーバラ・M・スタフォード
- グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ/バーバラ・M・スタフォード
- 発想法―創造性開発のために/川喜田二郎
- 知の編集工学/松岡正剛
というようなことを思っていて、なるほどIDEOのオフィスとかがものがいっぱいなのも理にかなっているなと思ってみたり。
逆に、蒐集はできても、モデル化やシミュレーション、マップ化などができないウェブ上のブックマークサービスはまだまだ改善の余地がありか? ブックマークした情報をマインドマップツールみたいに編集できるようになるといい? いや、それ以前にページ単位ではなく、気になる情報部分を単位化できる必要がある。そうでないとKJ法にならないですね。
あとは古代ギリシアの創作3原則であるアナロギア(類推)、ミメーシス(模倣)、パロディア(諧謔)というあたりも気になるところ。これはまだ読みはじめたばかりのガブリエル・タルドの『模倣の法則』なんかと関連付けて考えてみたい。あと模倣といえば物真似。となると、能-世阿弥も外せない。
そして、模倣もまたカスティリオーニの姿勢とつながってくる。
そうした歴史家まがいの作業が、カスティリオーニの場合、ただ頭だけではなく、むしろ子供がそうするようにひとつひとつの物に触れ、それをいじり、遊び、人が扱うその身振りを「模倣」するという太古からあるごく身体的な方法で実践されて行くのであった。カスティリオーニにとって知恵はいつも身振りに結び付いていた。多木陽介『アキッレ・カスティリオーニ 自由の探求としてのデザイン』
うーむ。このあたりを体系化してまとめると結構おもしろい話になりそう。
と、こんなまとまらないアイデア・レベルの話をなんとなくエントリー。このエントリー自体、ごっちゃにいろんなものを混ぜたヴンダーカンマー状態ですね。おいおいまとめます。
でも、発想力をいかにマネジメントするかって大事な問題だよね、というのがまずは今日のところのメッセージ。
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