そう。この本はKJ法の生みの親である川喜田二郎さんの著書。KJ法について、もう一度、頭のなかをちゃんと整理しておこうと思って読みました。
といっても、単にKJ法だけを紹介した本じゃありません。タイトル通り、発想法について書かれた本で、KJ法はそのなかで使うツールの一部です。で、発想法とは何かというと、こんな説明があります。
発想法という言葉は、英語でかりにそれをあてると、アブダクション(abduction)がよいと思う。川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』
- アブダクション(abduction、発想法)
- インダクション(induction、帰納法)
- デダクション(deduction、演繹法)
という3つの分類はアリストテレスによる論理学の方法の分類。帰納法と演繹法については知られていますし、その方法もギリシア以来発展してきていますが、アブダクション=発想法はそれに取り残されてきた形です。アブダクションという言葉もアリストテレス以来、忘れられていて、その名前がひさしぶりに登場したアメリカのプラグマティズムの祖として知られるチャールズ・パースが取り上げたからでした。
とはいえ、発想法については、いまひとつ体系化された方法がなかったわけです。それに1つの体系化された形を与えたのが、この本の著者・川喜田二郎さんです。
この本の初版は1967年に出版されていますから、ちょうどハーバート・A・サイモンが『システムの科学』第1版を書いたのとおなじ年というのが僕にはとても興味深かったです。というのも、この発想法。ほとんど僕が『ペルソナ作って、それからどうするの?』で紹介したようなユーザー中心のデザイン(以下、UCD)の前半部でやることとおなじなんですね。つまり、この発想法では何をしているかというと、問題発見=仮説創出をしてるわけです。
デザインの上流工程でも必要とされる創造的な発想を行っているんですね。そこでUCDにつながってくる。『システムの科学』もある意味ではUCDの元祖的なところがあるんですけど、一方、日本でもUCD的方法の元祖的なものがおなじ年に生まれているという偶然がすごいなと思うわけです。
発想法のプロセス
著者がこの本で紹介している発想法のプロセスをおおまかにまとめると次のようになります。- 問題提起と内部探検
- 外部探検(観察と記録)
- 情報の単位化と分類
- KJ法による情報の統合(図式化と文章化)
最初にどんな問題を解決するのかを内部で考えます。これを内部探索といっていますが、著者が専門とするのは民俗学の分野です。イノベーティブなもののデザインをするのでもそうですが、民俗学でも、最初の段階ではっきりとした問題はわかっていません。いや、最初に頭でだけ考えた問題をもって実際の現場に行ってしまうと、現実が偏った形で見えてしまうので、むしろ、それを嫌うのは民俗学でも、イノベーティブなもののデザインでもいっしょなんだと思います。
ただ、フィールドワークによる調査を行うにあたって、事前にメンバーの頭のなかにある仮説みたいなものをブレインストーミング的な方法で外部化しておくんですね。これは非常に納得できて、UCDの場合でもそうなんですが、最初に各自の頭にある先入観みたいなものを一度外部化して共有しておかないと、調査の前におなじスタート地点に立てないんですね。最初がブレていると、最後までそれが尾を引くので、これは大事です。
具体的に投影した諸要素を組み立てるのである。それらの諸要素は互いにどういう関係にあるかを表現してみる。問題に関係のあることを書きとめ、それを組み立ててみたときに、はじめて問題の構造がわかるのである。川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』
『ペルソナ作って、それからどうするの?』でも、調査を行う前にまず、わかることを整理して「わからないことは何か?」を抽出するように、と書いたのとおなじことで、それを前に「デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(c.問題の研究のためのデータ収集、分析)」で書いたように、問題の要素を構造化してみることで問題全体を理解しておくんですね。自分たち内部での問題構造を明確にしておくんです。それで分かっていることは何か、わからないことは何かが整理できた状態になります。
フィールドワーク=外部探検をはじめるのはそこからです。
現場に行って観察とインタビューを行うことで、「わからないこと」に関する情報を集める。著者が言っているのは、データ集めは問題に関連したことだけじゃなく、関連してそうなものも含めて集めることが大事だということ。はじめから確実に関連してると思うのものだけに範囲を狭めてしまうのでは、データ集めが単に自分の頭のなかにあるフレームワークにあてはめる作業になってしまうんですね。それでは、あとから新たな発想を生むようなデータは集まらない。
調査で単に自分が理解できるものだけを集めても仕方がないんです。調査を行うのは自分が新しいものに出会って変化するためです。その場で変化が起こらなくても、自分でうまく整理できない得体の知れないデータを収集しておくと、それをあとで分析したときに「あっ、そうか」という驚きをともなう発見につながるケースがあるんですね。そのためにも納得できるデータ集めではダメなんです。
図式化+文章化による発想
そうやって集めたデータをまずは単位化という作業で細かなデータに分解する作業とそれにインデックスをつける分類作業を行います。インデックスはそのデータがどんな種類のデータか、どこで収集したのか、誰が収集したのかなど、検索用のしるしをつける作業ですね。それを経てKJ法で単位化したデータを統合するんです。これはKJ法をやってみたことがある人なら誰でも知ってることだと思いますが、異なるデータを類比によってつなぎとめ、それを小さなデータの束からより大きなデータの集合へとまとめていく作業です。データ間に類似する要素を見つけ、類似によってグループ化したデータ群にラベルをつける。そして、そのラベルを元にまた別のデータ群やデータとの類似を見つけてグループ化する。著者はこれを圧縮化の作業と呼んでいます。
僕がこの本を読んでKJ法というものの理解が間違っていたと認識したのは、KJ法というのは、この圧縮化による図式化だけを呼ぶのではなくて、その後、図式化したものをベースに文章化する作業も含めて、そう呼ぶんだということです。
これはちょっとびっくりでした。実際、僕がやってるUCDでは、KJ法で統合したユーザーデータをペルソナとシナリオという形で文章化します。図式化したものを文章化する際に、図式化による理解の不十分なところが見つかったり、文章化によって新たな発見が得られることがあるんですが、著者は図式化+文章化によるKJ法でもそういうことが起こることを示唆しているんですね。
文章化は図解のもっている弱点を修正する力をもっている。もっと平たくいえば、その誤りを見破って、発見し、かつ修正の道を暗示する力をもっている。川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』
図式化は文章化の弱点を補って直観的な理解を助け、文章化は図式化の弱点を補ってデータ間の関係性のメカニズムを明らかにしてくれます。
ただ、UCDで図式化と文章化を交互に行って互いの弱点を補うのは、KJ法からペルソナ+シナリオをつくるときだけじゃないんです。ユーザー調査の結果を文章化したものを個別にワークモデル分析で図式化する際にも起こりますし、ペーパープロトタイプ的にUIをスケッチしたり画面遷移を考えるのといっしょに細かいインタラクションを記述したシナリオを書く作業を同時または交互に行うことがあるんですが、そこでも同じことが起きるんです。なので、最近ますます、この図式化+文章化って重要なんじゃないかと思っていたんですが、この本を読んでその思いを強くしました。
シナリオ作成とUIのスケッチを同時作業で行う
日本人の仕事の弱点
ところで、この本に日本人の仕事のやりかたの弱点として「情報処理を計画的にやらない」ということが書かれています。自分の頭のなかに体験的に積まれている範囲内で、カンを働かせてその雑然たる情報を統合的に処理する。このような人間的能力にかけては、日本人は世界でも稀な才能の持ち主であろう。しかしその範囲を超えた複雑な情報処理に直面すると、めんどうくさくてやろうとしない。あるいはどうしてよいのか放心状態にもなりかねない。川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』
「めんどうくさくてやろうとしない」「放心状態になる」。これはペルソナ作成のワークショップを行うなかで、僕がよく経験し、常に頭を悩ませている問題だったので、すごくよくわかります。たくさんのデータを前にすると、投げだしてしまうか、どうしていいかわからなくなってしまう人がすごく多いんですね。何でこんなことをさせられるのかと不機嫌になる人もいます。というか、この本が書かれた1967年当時からそうだったんですね。これはもう国民性なんでしょうか。そう思うと今後の仕事の考えてちょっと暗くなります。
ただですね、この本でも書かれているとおり、その何だかわからない作業の先にしか発想は生まれてこないんですね。普段、ひとりでは体験できない量の複雑な情報を前に、普段「カンを働かせて」やってるのと同じように「雑然たる情報を統合的に処理する」という作業を無理にでもやってみない限り、普段では出ない発想にたどり着くことはむずかしいと思います。
著者自身もKJ法をやっていて不安になることはあるそうです。僕自身、ユーザー調査をやってみて膨大な情報を前に、ここから意味あるペルソナやシナリオが生まれてくるのだろうかと不安になることはある。
でも、ちゃんとデータをKJ法を使って統合していけば、そこからは必ず発見があって、新たな発想につながるヒントが得られます。これは実際にやってみないと絶対にたどり着けないものです。めんどくさいからといって適当に並べて終わりにしたり、データ量に圧倒されて放心状態で手を付けなかったら、新たな発想なんてでてきません。とにかく現場で集めた生の情報を徹底的に整理してみることが大事です。
つなぐ技術としての発想法
と、そんな風に自分の普段やってることをあらためて整理させてもらった感じで読んだかいがありました。ペルソナを使ったゴールダイレクテッドデザインやIDEOのようなデザイン思考による発想法・商品開発法に興味をもっている方も読んでみるとよいかなと思いました。極論すればUCDもデザイン思考も理解しなくても、川喜田二郎さんの発想法があるじゃんってくらいです。1967年にこの本が出てたのに、それを忘れて活かせずに輸入品であるUCDやデザイン思考に夢中になってるってのもいかにも日本的ですよね。「この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、総合の方法である」と著者はいっています。
また、「はなればなれのものを結合して、新しい意味を創りだしてゆく方法論である」というのは、あのバーバラ・S・スタフォードが「自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジー(analogy)は、とめどない揺動を特徴とする情熱的なプロセスでもある。身体にしろ、感情にしろ、精神的なものであれ、知的なものであれ、何かが欠けているという知覚があって、その空隙を埋める近似の類比物への探索が始められる」と謳った『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』も彷彿させます。「国際的にも国内的にも、人間が、あるいは民族や国民が、はなればなれになってゆくような状況に対して、逆にそれを結合してゆく方法としてとりあげることができる」ものとして捉えるとき、つなぐ技術としての発想法はいまなお、そして今後ますます身につける必要があるものではないかと思うのです。
ちなみに僕もまだ読んでいませんが続編(『続・発想法』)もあります。
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