今日は雨が降っていた。
今日は2日おきのTwitterでの恒例行事を行って、Facebookのチェックを行ったり、各社ブログのチェックを行っていた。
Facebookでは今月かなりの動きがあったようだ。今月から登録し始めたミュージシャンが多かった。
クレイジーケンバンドの横山剣さんが今月からFacebookをはじめた。まだ、25人しか登録していないが、皆さんまだ気づかれていないのだろうか。私もコメントを書かせてもらったが、馬鹿まじめにとんちんかんなことを書いたので、どういう返しをされるか楽しみ(?)である。
日本人のミュージシャンやスポーツ選手は今年からFacebookに移行される方が多いようだ。
海外の方はかなり早い時期にFacebookを利用されていたので、私は完全後追いだった。ルディ サーゾやエリック ジョンソンと友人登録できた時期があったようだが、制限が超えてもう友人登録をすることができないようであった。残念である。
私のファンのミュージシャンはほとんどFacebookを利用しているし、ホームページより頻繁に更新している。
Twitterではコメントを返してくれない方でもFacebookだと返してくれる可能性はあるようだ。
Twitterでコメントを書いているけれど、Facebookは更新せず、ファンのコミュニティ状態になっている方もいるが、その方々も自分に対してどのように関心を持っているのか知りたいから登録しているのだろう。
今日は馬鹿みたいにミュージシャンのオフィシャルFacebookに登録したが皆さん結構更新しているのでTwitter状態になっている。
しかし、最新情報と動画をアップされるのでオフィシャルホームページより見ごたえがある。
Mixiコミュニティでギター関連のコミュニティに登録しているが、好きなギターメーカー、嫌いなギターメーカーについて、というトピックスが立てられていたが、どういうことを皆さんが書かれているのか覘いてみた。
まず、このトピはいらない、という人がいらっしゃった。トピックスを立てた方は、喧嘩をしないでください、と書かれていたが、そのことに対して、喧嘩に必ずなるだろう、という意見が書いてあった。顔が見えないネット社会だと好きなことを強気で発言できるからその方のご意見はごもっともである。
私は好き、嫌いでギターメーカーを考えたことはあまりない。というのも、購入してみなければ、やっぱり好きだなあ、とか、このメーカーのギターは好きではないなあ、とは感じられないと思う。
大体は好きなミュージシャンが使用しているから、かっこいい形のギターだったから、楽器屋さんで弾いてみたら音が良かったから、値段的にこのギターしか買えなかったから、などといったものだろう。
多くギターを購入して持っている人だったらいろいろと感じることができるだろうが、1本しかもっていなかったら、好きだろうが、嫌いだろうがそのギターで練習、演奏するしかない。
その人が気に入っているのなら、そんなギターは良くない。もっと良いギターを購入して弾いた方が良い、というのはごもっともの意見かもしれないが、本人が気に入っているのならその人の人生なのだからそれで良いのではないかと思う。
私は多くのギターを弾き比べたことがないので、極端な話なんでも良い。音が鳴ってくれれば、ネックが曲がっていようが、オクターブ調整ができていなくてもそれでとにかく弾く。自分の持ち物だったら調整してないと困るが、人のギターだったら自分で調整ができないのでとりあえずそのギターで弾く。その行為は自分がギターを所有していなかった時期が長かったからである。兄が持っているギターで練習するしかなかったからである。
だから、ネックが太いものから、シャーベルの薄いネックでスムーズに滑らせるものまで幅広いギターを弾いていた。
音やネックの握り、ネックのスケールの違いなど関係なしだった。あるもので弾くしかないのだから、ああだ、こうだ、言っても始まらない。とにかく、あるギターで練習するしかなかった。
自分のギターを購入して所有してからも同じでそのギター1本しか持っていないのでそのギターで練習するしかない。ストラトキャスターは弾きにくくないか。スキャロップの指板は弾きにくくないか、といわれるが、そのギターしかないのだから、弾きにくいも、弾きやすいもない。そのギターで練習するしかない。
潤沢に資金があったら数本のギターを購入するかもしれないが、個人的に一夫多妻制(この制度は皆平等に愛さなければいけない、という制度である。そのことは私には不可能である)は無理なので、気に入ったギターはあと1本か2本追加してお終いにするだろう。保管、メンテナンスが大変だから、十本、何十本、何百本も持つことは私には始めから無理である。
それより、なによりギターは弾いてあげないといけない。ギターを所有している意味がない。
幼馴染達と雑誌の裏にいつも広告が載っていた安いギター通販販売会社からカタログを取り寄せて、どれにしようか考えていた、小学生時代が懐かしい。あの頃は薄っぺらいカタログを見ては、このメーカー(有名ブランドの安いギター、ベースもカタログに掲載されていた)のギターを購入しよう。いや、俺はこの形がすきだ、とみんなで話し合ったものだ。
ジェネレーションを感じる話だが、ハリーやトムソン、といった名前のブランドのギターを購入して今でも所有している人は何人いるのだろうか。いまだに所有して現役で使用している方こそすばらしいと思う。
あのギターはすべてセットで3万円以下で購入できた。造りは良くないだろう。付属のアンプも良くないだろう。でも、そのギターしか購入できなかったら、そのギターで練習するしかなかったと思う。弾きやすい、弾きにくいなんて考えていられない。音がしょぼくても仕方がない。練習するしかない。
今はそのような通販ギターを購入しなくても少しまともなギターを購入する手段はいくらでもある。良い時代になった。
何百万のギターを所有していても、ギターケースに入れっぱなしのギターより、擦り傷がついていて中古で売っても金にならないギターだったとしても、所有している方が毎日練習して使用しているギターの方がギターは喜んでいると思う。
結局、好き嫌いなどは問題ではなく、その人が気に入っていて、毎日ギターを弾いて練習をしていたらそれで良いと思う。それがその人の人生なのだから、他人がとやかくいうことはできない。
今日ははっきりしない天気だった。
昨日に続き、Black Sabbath の Heaven And Hell を聴いた後に、DIOのアルバムでロニー ジェイムス ディオ ファンがなかったことにしたい時期のアルバム Angry Machines を聴いた。この時期はロブ ハルフォードにしても当時の支流だったダークで重いサウンドに奔っていたが、私はこの頃のアルバムも聴く。
はっきりしない天気の時にはダークな曲も良いが、カラっとしたサウンドの曲も良いのではないか、と思い、何かないかなあ、と探そうとしたときに目に飛び込んできたのはEric Johnsonの最新アルバムだった。
このアルバムは日本盤が発売されていないので彼のレーベルから発売されているアメリカ盤を購入した。何処を切ってもエリック ジョンソン節なのでかなり気にいっている。
エリック ジョンソンは日本では過小評価されているが、彼のギターテクニックは言うまでもないが、作曲能力とアレンジ能力、そして、あの独特の歌声はすばらしいと思う。
私はエリック ジョンソンのステージを大阪で観ているが、すばらしかった。激しいアクションはまったくないが、落ち着いた佇まいで演奏はワイルドに弾く時もあり、ささやくようなトーンで弾く時もあり、といった感じで独特の世界観が漂うステージだった。
途中演奏前にエフェクターのトラブルで中断したときがあったがすぐに彼自身で対処して再び演奏をした。
ステージでジミ ヘンドリックの曲、リトルウイングだったか、エンジェルを演奏したが、どちらの曲を演奏したかは忘れてしまったが彼流の解釈で演奏していた。彼の歌声がとても曲に合っていたことを覚えている。
エリック ジョンソンはエフェクターを多く使用している。彼はすべての機材にこだわっていて、エフェクターの9Vバッテリー(乾電池)のブランドも1社のものだけしか使用しない。また、確か、アンプを置く木台を特別に持参してくる、と聞いたように思う。ステージに直に置かなかったはずだ。
今は違うが、当時はストラトキャスターはすべてオールドでそれ以外は使用しなかった。
彼の使用しているピックはJAZZだが現在販売されているJAZZでは気に入らないらしく、以前に製造されていたタイプのJAZZを使用していた。彼のモデルのJAZZピックが販売された。当時のJAZZピックから型取りをしたピックなのだそうだ。私は違いがそれほど感じなかったが、彼のモデルのピックは使用しやすかった。
私はピック集めが趣味でもあり、しっくりくるピックを探していたので試しにこのピックで弾いてみたことがある。とても小さいティアドロップ型ピックなのだが、意外に先端に集中してピッキングすることができる不思議なピックで、空ピッキングをすることはまったくなかった。ただ、今はHERCOのナイロンピックを使用していてしっくりきているので彼のモデルのJAZZピックは使用していない。
私はアンプ直のギタートーンが好きだといつも書いている。あまり多くのエフェクターを使用しているギターサウンドが好きではないのだが、エリック ジョンソンのギタートーンは不思議に何度聴いても魅力的で聴いていて飽きない。
私は自分だけしか出すことができない自分自身のトーンを求めているので、エリック ジョンソンのトーンを出したいと思わないが、彼が弾くトーンは美しい。彼が多くのエフェクターを使わなくても彼独特のあのトーンを出すことができると思う。
彼がなぜ日本で過小評価されているのかは彼の血液に混ざっているテキサスのサウンドが日本人にあまり馴染まないのではないかと思っている。
スティーヴ レイヴォーンもテキサス出身だったが、ブルーズでも独特のブルーズを演奏している。エリック ジョンソンもブルースフィーリングのある曲を最近は弾くことが多いが、独特のスタイルである。
泥臭くはないものだが、だからといってさらりとしたものでもない。なんと表現してよいかわからないがそんなブルースを弾く。その感覚があまり好まれないのかもしれない。
また、ロックといってよいのか何のジャンルに入るのかわからない、という考えの方が意外に多いのかもしれない。私は、エリック ジョンソン、という音楽だと思って聴いているが、ジャンルわけをして聴く人にとってはとてもわかりにくいのかもしれない。
ステージを観て思ったが、ステージでもあの彼の独特の歌声で歌いながら変わらないギター演奏をしていたことに驚いた。完璧主義者の彼にしたら当たり前なのかもしれないが、とても驚き、あらためて彼のファンになった。
トミー ボーリンと似ている、とTAK米持さんが言っていたが、私もそのことをとても感じた。演奏スタイルは違うが、独特の歌声で歌い、個性的なギター演奏をするスタイルは同じである。
絶好調のボーリンのステージは観ることはできなかったがエリック ジョンソンのステージを観る事ができたのはとてもラッキーだった。チケットを私の分だけ取ってくれていたのだが、短期留学から帰国したその当日にフォーエバーヤングKrdちゃんがすぐに問い合わせて当日にチケットを取って一緒に観に行ったステージは今では良い思い出だ。とても、スリリングで1~2時間後には会場に行っていた。若さがあったからできたことである。
私はジミー ペイジ、ジェフ べック、イングヴェイ、AC/DC等を逃さずいずれステージを観たい、と思っていたがその夢はかなった。ロニー ジェイムス ディオのステージが観れなかったことはとても残念である。来日するロックミュージシャンに関しては、例えば、ボンゾのいないLed Zeppelin(なので正確にはZEPではないのだが)が来日したり、ジミー ペイジ、グラハム ボネットが来日したら別だが、観たいステージを観たのでほとんど後悔はない。観たかったミュージシャンの中にエリック ジョンソンも入っているので、後悔はない。
エリック ジョンソンが日本に再び来日することは今後は難しいのかもしれない。しかし、彼のステージを再び観てみたいと思う。日本で観る事ができないのなら、アメリカで観てみたと思うぐらいに彼のステージを再び観てみたいと思っているのである。
ペイガン音楽について詳しくは知らない。ただ、民族音楽であることは私は少しは理解していた。ただ、詳しい歴史を調べていないので知ったようなことは話せないのでそのことは触れないでおく。
まぼろしペイガンズのファーストアルバムは民族音楽、プログレッシヴロック等と言われているのかもしれないし、ペイガン音楽ということに重点を置くと難しく考えてしまう。私にはその考えで聴くこと、知ったようなことを書くことには限界がある。
このアルバムは不思議なアルバムでイージーリスニングをすることができる。演奏していることはとても高度なテクニックを駆使している。しかし、そのことを意識せずに聴くと、すんなりと聴くことができる。テクニックがどうだ、こうだ、と聴く人より、楽器を演奏しない人のほうがこのアルバムを楽しむことができると思う。
1曲目 Johnny's Wedding である。まず始めにパーカッションの音に気持ちよさを感じた。CDラジカセではこの音の響きを感じることができないだろう。ベースになる音の上を弦楽器が飛び回っている。途中でテンポアップするがその時は盛り上がるように弦楽器が高度なテクニックを使って演奏しているが、これも意識をして聴かなかったら感じないかもしれない。その感じ方ができる不思議な曲である。
2曲目 Oyster Bay である。この曲はオリジナル曲である。作曲、作詞は、Chihiro S. である。曲の始まりの部分で弦楽器1本だけがフラメンコギターの始まりのように少し焦らした感じで始まる。鍵盤楽器が時間の流れをゆったりと進めているが、弦楽器はとても温度差、時間の流れが違うように感じる。弾きまくっている。ヴォーカルはChihiro S.だが、彼が歌っているときは時間の流れはすべて同じでゆったりとしているが、歌い終えると、再び鍵盤楽器の時間と弦楽器の時間が同じ時を刻んでいないように感じるので不思議な感じがする。私はこの曲を聴いてある作曲家の名前が思い浮かんだ。その作曲家の名前はシューベルトである。
シューベルトは歌曲を多く残しているが、Chihiro S.のヴォーカルとバックの流れているタイム感がシューベルトの曲のタイム感にとても似ているように感じた。とても、離れているように感じるかもしれないが、そのように感じる方もいらっしゃると思う。
3曲目 Palastinalied である。この曲は同じフレーズがいったりきたりしているのだが、間の時間は縦横無尽な演奏をしている。時間の流れはゆったりしているのだが、弦楽器がそれぞれバラバラのようなことをしているようで、中間地点という言い方があっているのかどうかわからないが重なる部分があるのでその部分に近づくと聴いていてスリリングである。
4曲目 Black Corridor である。この曲はオリジナル曲である。作曲は、Chihiro S. である。この曲はパーカッションと弦楽器がユニゾンになる部分が何度も続くので聴いていて気持ちがよい。弦楽器は高度なテクニックで演奏しているが、それぞれの楽器がいったり、きたりしているフレーズの時間を共有しながら演奏している。ユニゾンになる部分が聴いて気持ちがよいので好きな曲である。難解な曲である、と聴くと、どうしても理解しようとするが、先に触れたようにイージーリスニングとして聴くと時間の流れがスムーズに進むことができる。意識して聴くと高度な演奏をしていることがわかるが、意識しなければイージーリスニングできるから不思議な曲である。
5曲目 The River Song である。この曲は Donovanのカヴァーである。だが、そのことは重要ではない。パーカッションとヴォーカリスト1人で始まり、ギターと鍵盤楽器が入り、もう1人のヴォーカルが入り、最後に女性コーラスが入ると幻想的な雰囲気の音楽になる。朴訥とした語りのように弦楽器1本の演奏が続き、鍵盤楽器が入り、他の楽器とパーカッションが後に続く演奏である。その後に再びヴォーカルが入るという展開である。Led Zeppelinの曲 Nobady's Fault But Mine、Kashmirの壮大な雰囲気がした。
6曲目 Intermede である。この曲は Messiaenのカヴァーである。この曲はすべての楽器の時間の流れが同じなことと、すべての楽器がテクニカルな演奏を繰り広げている。高速ではないが、決して遅いわけではなく、緊張感が続く演奏である。スウィープピッキングを聴くことができるし、スウィープピッキングでハーモニックを出している。たとえば、ギターでスウィープピッキングの練習をしている人がいたとして、練習をすることに挫折しかけていて、この演奏を聴いたら、もう少し練習をしてみようか、と思わせる演奏である。とても、テクニカルな演奏である。
すべての演奏を聴いて思ったが、あまり難しくこのアルバムを聴こうと思わないほうがよいと思う。プログレッシヴロックファンならいかに危なげなくテクニカルな演奏を聴けるかに重点を置くだろうが、それは重要なことではない。先に触れたようにイージーリスニングとして聴くこともできるからである。
クラッシックファンも、クラブ音楽ファンも楽しむことができる音楽だろう。マイルスのアルバムで例えるなら オン ザ コーナー である。あのアルバムはジャズではない。ジャンルで例えるほど陳腐なことはない。あのアルバムはマイルスの世界である。それ以外のジャンルで表すことは無駄である。
時間の流れがゆったりしているのだが、その中身は詰まっている曲が多く収録されている。しかし、この演奏は音符の数をいかに多く詰め込むかに重点を置いてはいない。マイナスの音楽である。
プラスでいかに多くの音を増やすかではなく、マイナスで考えて、必要最低限の音符の数で演奏しているのである。そのことを気づかずに聴いていたらこのアルバムのよさを一生感じることができない。
彼らはどのように思っているのかわからないが、私はそのように感じた。
このアルバムはエレクトリック楽器で演奏したらかなりアグレッシブでスリリングな演奏をさらに感じることができるだろう。しかし、アコースティック楽器で演奏しているだけで十分にスリリングさとアグレッシブさを感じることができる。
このアルバムはまぼろしペイガンズのファーストアルバムである。このアルバムに興味がある方に言いたいが、難しく考えずに大音量で聴くことを薦める。大音量で聴かなければこのアルバムのよさがわからない。
次回作が早くも楽しみである。
今日も1日中、雨だった。
今日はプレゼントしていただいたDVDを観た。
Jazz、フュージョンのフェスティバルの映像である。
年代は80年代である。グループが凄いミュージシャン達が集まったグループばかりだった。
故人になってしまった人も多い。先日亡くなった、コーネル デュプリー、トニー ウィリアムス、ハイラム ブロック達である。
そして、今日の御題の主である巨星、マイルス デイヴィスも出演していた。
ブロックは楽しそうにステップを踏みながらステージ上を動きまわりながら演奏していた。彼が亡くなる前に東京JAZZに出演していたが、その時の体系は太ってしまっていたが、若い頃はガリガリというより筋肉質なやせた体系だった。いつも本当に楽しそうに演奏している姿が印象的だったがこの当時は若さあふれる楽しそうな弾けかただった。
マーカス ミラーは当時から相変わらずの音を出していた。いつもと変わらない演奏をしていた。それぞれのパートに長い時間をかけて見せ場を作ってあげている点は今と変わらない。
スティーヴ ガッドの演奏を聴いているとやっぱり、ポンタさんとの共通点があった。自爆自伝でポンタさんがガッドと仲良しだったこと、スティーヴの代わりにスティーヴのフリをして彼の仕事をこなして収録した演奏があることなどが書かれている。
演奏は当たり前だが違うのだが、言葉では表現し難いがもって行き方が同じで、極めなければいけないところで、彼らは共通の極め方をしている。聴いていて気持ちのいいドラミングである。
ハービー ハンコック、ウェイン ショーター、スタンリー クラーク、オマ ハキムのグループはハンコックの名曲 クァンタロープ アイランド をアレンジを変えて演奏していた。本来はゆったりした曲だが、速いテンポで演奏していた。ハンコックはアコースティックピアノを弾いていた。
お互いが楽しそうに相手の出かたをうかがいながら笑いながら演奏しているのが印象的だった。初めて聴くアレンジだったので驚いたと同時に、かっこいい、と思った。
ハンコックだけが鍵盤を叩いて演奏し、お決まりのフレーズを弾いたところで、メンバーが続く、といった演奏だった。クラークとハキムが弾きボトムラインを作ると、ショーターがブローし始めた。この雰囲気が"Cool"である。このグループもハンコックがそれぞれのミュージシャンに見せ場を長い時間を作ってあげる、といういつものやり方なので、この面子で悪いわけがない。
ショーターがブローを終えるとハンコックも演奏をやめて、クラークのソロになるのだが、彼のいつものスラップを使ったリックなのだが、だんだん盛り上がってくる。彼も演奏していて盛り上がってきて右足をドラムを置いているステップに載せてリズムを取りながら右指を高速でスラップしながら、左手は4弦すべて押さえて、ギターのカッティングのように演奏する。とても、かっこいい。オーディエンスも盛り上がっているが、演奏しているクラークとハキムの2人は一番盛り上がっている。
クラークが演奏を終えるとショーターが笑いながら、クラークを迎え入れる。ハンコックは、笑顔で握手を求めているが、その横ではハキムがドラムを叩きまくっている。
この映像を編集した当時はライヴ映像で過剰な演出編集されているライヴVTRが多いが、この映像もそのようなシーンもあるが、ハンコックが握手を求めるシーンは今のライヴVTRで編集するときにはカットされているだろう。映画監督がライヴ映像を撮ったものは過去に多くある。代表的なのがウッドストックだと思う。
ふいに1人のオーディエンスに注目して、表情が変わっていくさまを撮っているが、ああいう映像を見ると見る側からしても当時の雰囲気がわかってうれしく感じる。今のライヴVTRは平面でとらえられているものが多いので臨場感が伝わらないし、当時の雰囲気や匂いがしない。お金の問題でカメラの台数が制限されているので仕方がないのかもしれないが。ZEPの2枚組のライヴDVDを見ていても当時の映像の編集の仕方がかっこいいので実際にステージを観に行っている雰囲気になる。
ハンコックが握手をクラークに求める姿は一瞬の時間の出来事だが、かっこいいシーンである。あのシーンは入れてあるのとないのとではまったく違ったものになる。
メンバーの中で一番若手だと思うハキムが叩きまくっているが、オーディエンスと一体になって盛り上がっている。楽しそうな雰囲気である。
アル ディ メオラ&ラリー カールトンは スペイン を演奏していたが白熱のバトルではあるが、お互いに間合いを取っているので、喧嘩バトルではない。お互いに尊重し合っている。
デイヴィッド サンボーングループ、チック コリア、マイケル ブレッカー、コーネル デュプリーが参加しているスティーヴ ガッドのグループ、スタンリー クラーク&ラリー グラハム等のすべてを見ても楽しそうに演奏している。お互いに緊張感を持っているはずだが、緊張感を感じない。楽しそうに演奏している。オーディエンスも楽しそうである。
しかし、マイルスのグループは違う。オーディエンスは大喜びで盛り上がっているが。ステージ上のミュージシャンは緊張感を感じる。ヘマをするとマイルスから罵倒されるからなのかもしれないが、ところどころで、マイルスが指で指示をしたり、メンバーに話しかけている。笑顔は一切ない。職人の世界である。
親方と弟子の関係である。マイルスは大きいフレームのサングラスをしていて、腰を曲げて、トランペットを股に挟むように演奏するので時折ずれ、サングラスが落ちそうになるので指で何度も直す。その姿、時間も緊張感が漂っている。
サングラスをはずして、握りながらブローする時があったが眼は眼光鋭い。
サックス奏者に言葉で指示を出してソロを演奏させる。マイルスはキーボードに向かい時折、鍵盤を叩く。ソロにまったく無関心のように振り向かない。キーボードの鍵盤だけしか見ていない。口はガムをかんでいるのか動かしているが。まったく興味がないようなそぶりだが、音に集中しているので、下手な音を出したら、いつでも怒鳴るような表情に見える。
まったくバンドメンバーはうれしそうではない。自分の仕事に集中している職人のようである。サックス奏者がだんだん盛り上がってブローするとオーディエンスが盛り上がる。オーディエンスは皆、笑顔である。ステージ上と比べると異常な感じがする。温度が違う。とても温度差を感じる。
真夏に行われているステージだが、ステージ上はエアコン、というより冷凍庫の中にいるように気温が低いように感じるようでもあるし、冷や汗が流れているようにも感じる。
マイルスは興味がないように時折鍵盤を叩く。
ドラムスに演奏を終了するにようにもって行くよう指示を出す。そして、トランペットを一吹きして演奏を終了した。
オーディエンスは笑顔で拍手しているが、ステージ上は相変わらず緊張感が漂っている。マイルスはにこりともしない。
いつの時代もそうだがマイルスはいつも他のメンバーのソロに興味がないような態度に見える。自分の仕事を黙ってこなしてくれればいいだけだ、と思っているのかもしれない。自分の演奏にも自分の仕事をこなしたまでだ、と思っているのかもしれない。
教えてもらうのではなく、見て盗め、というような職人の世界のようである。最近はそれでは職人が育たないから、という理由で教えるケースがどの分野でも増えているが、今でも、何も教えない、という考え方の親方はどの世界でもいらっしゃる。
マイルスも、俺が言ったとおりにただこなすのではなく、もっと上の演奏をしろ、と求めていたのだと思う。ミュージシャンは皆そのことをわかっているから、緊張感が漂っているのだと思う。
他のグループとの違いがあらためて浮き彫りになった。マイルス門下生は皆いろいろなステージで大活躍しているが、マイルスのバンドにいたときのような緊張感が続く演奏をステージ上でしていない。
マイルスのバンドに参加できたことは名誉なことでそれぞれのミュージシャンはプライドを持ってステージの上に立つ。
だが、認められたことをいつまでも喜んではいられない。ステージでヘマができないからである。どのバンドでもヘマは当たり前だができないが、マイルスのバンドでヘマをすると、ステージ上で罵倒される。オーディエンスの前で罵倒されるのだから、公開処刑である。たとえ今までの人生の中で自分の演奏に自信満々の人間だったとしても、マイルスに罵倒されれば1発でそのような自信も吹っ飛んでしまう。
職人の世界の話である。あの国宝級の建物を修復したいと思い、門をくぐったとしても、親方は経験豊富で、修羅場を潜り抜けて、今の地位がある方である。夢や希望だけで仕事はできない。少しでも手を抜いたり、親方が求める基準に達していなかったら大きい雷が落ちる。怒鳴られる。手だけではなく、足も飛んでくるかもしれない。
職人の世界を知っている方だったら私が言っている意味がわかると思う。ぼろ糞にけなされ、人格否定されるぐらいに怒鳴られる。職人の世界は厳しい。
ディスクワークの方でもヘマをすれば怒鳴られる。でも、工具や手が飛んでくることはない。
マイルスの晩年の映像だが相変わらず厳しい眼でメンバーを見ているように感じることができる。こちらまで緊張してくる。
マイルスに認められてメンバーに参加するように要請されても腕のよい職人になる努力がみられなかったすぐにクビになる。マイルスはメンバーをよく代えたが、そのミュージシャンの腕が悪いからではなく、彼が求める音楽に合うミュージシャンを探すために代えるだけだった。
マイルスのバンドに参加する前はほとんどのミュージシャンが世間では無名だった。しかし、のちに皆、大活躍したのは腕のよい職人になったからだと思う。