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先日靖国神社の遊就館で開かれている大東亜戦争開戦70年展を見学してきました
先日靖国神社を参拝した際、靖国神社の敷地の中にある遊就館で開かれていた大東亜戦争開戦70年展を
見学してきました。
正直に言うと、実は自分は遊就館の中には参拝したあとに、休憩とお土産を買うのに毎回立ち寄っていますが
常設展は見学したことがなく、今回の企画展の案内を見て初めて見学することになりました。

左が遊就館の入り口の写真です。右がポスターです。

左は常設展のチケットの購買機です。人がいないときに撮りたかったのですが、老若男女問わず
ひっきりなしに人がチケットを買うために並んでいたため若い方がチケットを買っていましたが
撮りました。右は常設店の入り口のゲートです。
常設展の入場料は、大人800円、大学生500円、中学高校生が300円小学生が無料と、
平均的な料金なのではないかと思います。
常設展は、写真撮影が禁止されていたため、写真を撮ることはできませんでした。

左は常設展の2回入り口からみたゼロ戦の写真です。いつもと違う角度から見たゼロ戦の存在の大きさを
改めて実感しました。右は、常設展入り口で上映されていたドキュメント映画です。
午前10時から一時間毎に上映されていたのですが、残念ながら全部は
見ることができませんでした…
常設展を途中まで観た感想なのですが、常設展はとても充実した内容で、全部を観て回るにはおそらく半日ほど
かかるのではないかと思いました…そういう意味では、いい意味で期待を裏切ってくれました。
観る側の視点に立ってよく考えられた展示構成に、映像なども織り交ぜて、わかりやすく
日本全体の歴史の歩みを解説してくれていました。
また、論拠となるべき貴重な史料も惜しげもなく公開されていて、正直入場料が
こんなに安くていいのかな、と感じてしまいました…
時間に追われ、不本意ながら常設展の見学を途中で切り上げ、急いで出口に向かうと、そこで
今回の目当てである大東亜戦争開戦70年展が行われていました。

企画展の入り口の写真です。中は撮影禁止のため、写真を撮ることができませんでした。
企画展の入場料は、一般が300円、大学生が200円、高校・中学生が100円と
とても良心的な料金でした。また、常設展のチケットを持っている方は
無料で観る事ができるとのことでした。
企画展では、大東亜戦争に関する貴重な史料が展示されており、個人的には英霊の方々の
遺品や遺書などの貴重な史料を目の当たりにすることができ、企画してくださった
方々に対し本当に感謝してもしきれないと思いました…
遊就館をでて、外の休憩所にたちよると、面白いお土産が売っていました。

左が休憩所の全体の写真です。中ではうどんなどの軽食が楽しめるほかに、お土産やさんもあります。
右が、その珍しいお土産で、自民党の安部総裁をイメージしたお饅頭が売られていましたw
現在の首相を差し置いて、すごい人気なのだなと改めて思いましたw
靖国神社に参拝するようになってから3年目にして、初めて観た常設展と企画展。
正直もっと早くに観る事ができていればと、常設展を途中で切り上げてしまった悔しさもあり
帰りの電車ではずっと後悔していました。
常設展はものすごいボリュームで、貴重な史料や解説パネルも見逃すことができないため、
個人的には半日でも足りないのではと思いましたが、今度は十分な時間を見つけて
また観にいければ、と思いました。
大東亜戦争開戦70年展は、12月9日(日)まで行われているとのことなので、
まだ見ていない方や、これから見ようという方はできるだけ早めに行かれた方が
良いと思います。
絶対にもう一度観ておきたいと思うはずですから…
見学してきました。
正直に言うと、実は自分は遊就館の中には参拝したあとに、休憩とお土産を買うのに毎回立ち寄っていますが
常設展は見学したことがなく、今回の企画展の案内を見て初めて見学することになりました。


左が遊就館の入り口の写真です。右がポスターです。


左は常設展のチケットの購買機です。人がいないときに撮りたかったのですが、老若男女問わず
ひっきりなしに人がチケットを買うために並んでいたため若い方がチケットを買っていましたが
撮りました。右は常設店の入り口のゲートです。
常設展の入場料は、大人800円、大学生500円、中学高校生が300円小学生が無料と、
平均的な料金なのではないかと思います。
常設展は、写真撮影が禁止されていたため、写真を撮ることはできませんでした。


左は常設展の2回入り口からみたゼロ戦の写真です。いつもと違う角度から見たゼロ戦の存在の大きさを
改めて実感しました。右は、常設展入り口で上映されていたドキュメント映画です。
午前10時から一時間毎に上映されていたのですが、残念ながら全部は
見ることができませんでした…
常設展を途中まで観た感想なのですが、常設展はとても充実した内容で、全部を観て回るにはおそらく半日ほど
かかるのではないかと思いました…そういう意味では、いい意味で期待を裏切ってくれました。
観る側の視点に立ってよく考えられた展示構成に、映像なども織り交ぜて、わかりやすく
日本全体の歴史の歩みを解説してくれていました。
また、論拠となるべき貴重な史料も惜しげもなく公開されていて、正直入場料が
こんなに安くていいのかな、と感じてしまいました…
時間に追われ、不本意ながら常設展の見学を途中で切り上げ、急いで出口に向かうと、そこで
今回の目当てである大東亜戦争開戦70年展が行われていました。

企画展の入り口の写真です。中は撮影禁止のため、写真を撮ることができませんでした。
企画展の入場料は、一般が300円、大学生が200円、高校・中学生が100円と
とても良心的な料金でした。また、常設展のチケットを持っている方は
無料で観る事ができるとのことでした。
企画展では、大東亜戦争に関する貴重な史料が展示されており、個人的には英霊の方々の
遺品や遺書などの貴重な史料を目の当たりにすることができ、企画してくださった
方々に対し本当に感謝してもしきれないと思いました…
遊就館をでて、外の休憩所にたちよると、面白いお土産が売っていました。


左が休憩所の全体の写真です。中ではうどんなどの軽食が楽しめるほかに、お土産やさんもあります。
右が、その珍しいお土産で、自民党の安部総裁をイメージしたお饅頭が売られていましたw
現在の首相を差し置いて、すごい人気なのだなと改めて思いましたw
靖国神社に参拝するようになってから3年目にして、初めて観た常設展と企画展。
正直もっと早くに観る事ができていればと、常設展を途中で切り上げてしまった悔しさもあり
帰りの電車ではずっと後悔していました。
常設展はものすごいボリュームで、貴重な史料や解説パネルも見逃すことができないため、
個人的には半日でも足りないのではと思いましたが、今度は十分な時間を見つけて
また観にいければ、と思いました。
大東亜戦争開戦70年展は、12月9日(日)まで行われているとのことなので、
まだ見ていない方や、これから見ようという方はできるだけ早めに行かれた方が
良いと思います。
絶対にもう一度観ておきたいと思うはずですから…
先日広島の広島平和記念資料館に行ってきました
先日、広島市に行ってきたのですが、時間に余裕があったので、平和記念公園に行ってきました。
その際、公園内にある平和記念資料館に見学に行ってきました。

平和記念公園正面の写真です。小学生くらいの子供たちが教師らしい大人の話を熱心に聞いていました。
嵐の中の母子像という題がつけられた彫刻で、核兵器廃絶への努力を表した彫刻などだそうです。
この公園はかなりの広さがあり、敷地内には国際会議場などの施設やいくつかの彫刻が
置かれていました。
全部見学するのは、時間的に余裕がなければ難しそうだなと思いました…

資料館東館の入り口の写真です。多くの資料を展示・保管しているにもかかわらず
入場料が50円と信じられない安さでした。
これだけ入場料が低いとだれもが気軽に見学することができて、
多くの人に展示を見てもらうことができ、大変参考になる
と思いました。

中は原爆ドームを模した展示が中心に置かれており、ここがどういう資料館であるのか
強く意識させられました。
資料館はかなり広く、本館と東館に分かれており、一つ一つ観ていたら時間がなくなってしまい、
本館の見学を途中で帰らざるをえませんでした。
展示されていた資料については、写真撮影も禁止されておらず、紹介したい資料がたくさんあるのですが、
やはり直接観ていただいた方が参考になるのではないかと思い(館内は暗くてきれいな写真が撮れなかったこともあります)、ここでは紹介しません。
ただ、やはり個人的には、いくつかのパネル展示がどうしても気になりましたので紹介します。

まず、東館にあったパネル展示なのですが、強制徴用のことをいわゆる強制連行であると
書かれていますが、この解釈だと当時の日本人全員が強制連行されたことになります。
そもそも朝鮮人に対する強制徴用は学徒動員よりもずっと後の話で、
それまでは免除されていました。
さすが植民地にされた国の人々ですね。扱いが違います。
参考画像:
閣議決定 「半島人労務者ノ移入ニ関スル件ヲ定ム」昭和19年8月8日(ウィキペディア)
え…昭和19年って終戦の1年前なんですけど。パネル展示の写真には
1943年って書いてあるのですが、このダムで働いていた朝鮮人は
本当に強制徴用されたのでしょうか…?
そもそも軍需用のダムって…
…次に、こちらのパネル展示です。

まず、こちらでは強制的・半強制的と記述が変わっていますが、非常に無難な記述だと思いますが、
資料館としての見解が知りたいです。
もっとも、当時は日本人でさえ、小さな学生から女学生でさえ強制的に働かされていました。
同じ国民としてそれよりも後に徴用が始まったというだけでも当時の日本政府が
どれだけ朝鮮人を特別扱いしていたかわかると思いますが。
問題は、生き残った人々の多くは帰ったという記述ですが、当たり前といえば当たり前なのですが、
「在日」被爆者とやらを名乗る朝鮮人がいます。
関連記事:
「在日朝鮮・韓国人のうち徴用として来たのは245人」との政府見解…政府答弁書、確認できず(2011.7.1 11:27 産経新聞)
>政府見解は、34年7月11日付の外務省発表集第10号「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」で示されたもの
>当時登録されていた在日朝鮮人約61万人について調査した結果、「現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、事実に反する」と明言している
<在日社会>韓国人被爆者・海外から被爆者手帳の申請可能に(東洋経済日報)
>韓国原爆被害者協会の調査によると広島・長崎での韓国人被爆者は約7万人、そのうち約4万人が被爆で亡くなり、2万3000人が祖国に帰り、約7000人が日本に残った
まさに政府見解と一致していますが、いったいなぜ彼らは祖国へ帰らなかったのか、
理由を聞いてみたいものです。それと、人数の水増しがひどすぎます。
嘘つきである朝鮮人に対する保証を今すぐ打ち切るべきです。
朴の歩んだ歳月を通して在日被爆者問題を考える(西日本新聞)
>防空ごうに逃げ込もうとすると、刀を抜いた日本人将校がすごい形相で走ってきた。「あっちに行け!朝鮮人。たたっ切るぞ」
朝鮮人が関東大震災の混乱に乗じて暴動を起こそうとしたことを考えれば、当時の状況から考えて
理解できなくもない行動ではないかと思いますが、この話が作り話でなく本当だとしたら
非常に残念な出来事だったと思います。
ところでなぜ祖国へ帰らなかったのでしょうか?せっかく名前も朝鮮名にしたというのに。
朝鮮人として生きるのならば祖国へ帰るのが筋ではないでしょうか。
資料館を出て、公園内をまわってみようと思い、まずは早速原爆死没者慰霊碑へと向かいました。

こちらは平和公園内にある原爆死没者慰霊碑の写真です。
自分が訪れた際、ちょうど白人の子供たちが見学していましたが、彼らを誰がどのような理由でこのような場所に
つれてきたのか理解できませんでした…
まだ何もわからない子供なのに、このような場所に連れてこさせられて、
どのような感情を抱いたのでしょうか…

それよりも、原爆ドームをバックににこやかに笑って記念写真を撮っている団体客がいることに驚きました。
外国人でさえこの原爆ドームに対しては沈痛な面持ちで向き合うというのに、
よりにもよって日本人がこのようなことをしていては平和ぼけどころでは
ないと思います…写真を撮っている自分も大概ではありますが…

韓国人原爆犠牲者慰霊碑です。当時は皆日本人であったはずです。またその他の外国人も被曝していたはずです。
朝鮮人、それも韓国人だけ特別扱いなのか…
更に碑文がすごいことが書かれています…
以下広島県のHPより引用します
建立の目的
強制労働等により広島で被爆した同胞の慰霊と、再び原爆の惨事を繰り返さないことを願うため。
碑文(裏面)日本語訳
「悠久な歴史を通じて、わが韓民族は他民族のものをむさぼろうとしなかったし、他民族を侵略しようとはしませんでした。(中略)
しかし、5千年の長い民族の歴史を通じて、ここにまつった2万余位の霊が受けたような、悲しくも痛ましいことはかつてありませんでした。
韓民族が国のない悲しみを骨の髄まで味わったものが、この太平洋戦争を通してであり、その中でも頂点をなしたのが原爆投下の悲劇でありました。・・・」
ここまで引用終わり
?突っ込みどころが多すぎてもはやどこから突っ込めばいいのかわかりません。
ここまで蒙昧無知で自画自賛な碑文を建ててしまい、恥ずかしくないのでしょうか・・・
平和資料館は一部のパネル展示に書かれている記述がおかしいかったのですが、なぜ原爆が投下されたのかなどを
パネル展示などを通じてわかりやすく解説されており、当時の貴重な資料なども合わせて展示されており
非常に見応えのある資料館だったと思います。
また、平和公園にある彫刻なども、一部の建造物を除いて、平和の象徴としてこれからも
大切にしていくべきだと思いました。
また機会があれば是非訪れてみたいと思いました。今度はゆっくりと観て回りたいです・・・
関連記事:
被爆者382名には基金の支給ゼロ!なぜなら彼らは北朝鮮に住んでいるから…(2010年6月15日 シネマトゥデイ)
>李さんは「戦後65年を迎え、韓国在住の在韓被爆者には被爆者基金として40億円が外務省から支給されているが、現在北朝鮮に住む382名の在朝被爆者には、何の補償もない」と熱く語る
他国に頼らない。これが国家として当然のあるべき姿だと思いますが。後、補償の請求は
アメリカにお願いします。なんで被害者の日本が金をだす必要があるのでしょうか…
その際、公園内にある平和記念資料館に見学に行ってきました。

平和記念公園正面の写真です。小学生くらいの子供たちが教師らしい大人の話を熱心に聞いていました。
嵐の中の母子像という題がつけられた彫刻で、核兵器廃絶への努力を表した彫刻などだそうです。
この公園はかなりの広さがあり、敷地内には国際会議場などの施設やいくつかの彫刻が
置かれていました。
全部見学するのは、時間的に余裕がなければ難しそうだなと思いました…

資料館東館の入り口の写真です。多くの資料を展示・保管しているにもかかわらず
入場料が50円と信じられない安さでした。
これだけ入場料が低いとだれもが気軽に見学することができて、
多くの人に展示を見てもらうことができ、大変参考になる
と思いました。

中は原爆ドームを模した展示が中心に置かれており、ここがどういう資料館であるのか
強く意識させられました。
資料館はかなり広く、本館と東館に分かれており、一つ一つ観ていたら時間がなくなってしまい、
本館の見学を途中で帰らざるをえませんでした。
展示されていた資料については、写真撮影も禁止されておらず、紹介したい資料がたくさんあるのですが、
やはり直接観ていただいた方が参考になるのではないかと思い(館内は暗くてきれいな写真が撮れなかったこともあります)、ここでは紹介しません。
ただ、やはり個人的には、いくつかのパネル展示がどうしても気になりましたので紹介します。

まず、東館にあったパネル展示なのですが、強制徴用のことをいわゆる強制連行であると
書かれていますが、この解釈だと当時の日本人全員が強制連行されたことになります。
そもそも朝鮮人に対する強制徴用は学徒動員よりもずっと後の話で、
それまでは免除されていました。
さすが植民地にされた国の人々ですね。扱いが違います。
参考画像:
閣議決定 「半島人労務者ノ移入ニ関スル件ヲ定ム」昭和19年8月8日(ウィキペディア)
え…昭和19年って終戦の1年前なんですけど。パネル展示の写真には
1943年って書いてあるのですが、このダムで働いていた朝鮮人は
本当に強制徴用されたのでしょうか…?
そもそも軍需用のダムって…
…次に、こちらのパネル展示です。

まず、こちらでは強制的・半強制的と記述が変わっていますが、非常に無難な記述だと思いますが、
資料館としての見解が知りたいです。
もっとも、当時は日本人でさえ、小さな学生から女学生でさえ強制的に働かされていました。
同じ国民としてそれよりも後に徴用が始まったというだけでも当時の日本政府が
どれだけ朝鮮人を特別扱いしていたかわかると思いますが。
問題は、生き残った人々の多くは帰ったという記述ですが、当たり前といえば当たり前なのですが、
「在日」被爆者とやらを名乗る朝鮮人がいます。
関連記事:
「在日朝鮮・韓国人のうち徴用として来たのは245人」との政府見解…政府答弁書、確認できず(2011.7.1 11:27 産経新聞)
>政府見解は、34年7月11日付の外務省発表集第10号「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」で示されたもの
>当時登録されていた在日朝鮮人約61万人について調査した結果、「現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、事実に反する」と明言している
<在日社会>韓国人被爆者・海外から被爆者手帳の申請可能に(東洋経済日報)
>韓国原爆被害者協会の調査によると広島・長崎での韓国人被爆者は約7万人、そのうち約4万人が被爆で亡くなり、2万3000人が祖国に帰り、約7000人が日本に残った
まさに政府見解と一致していますが、いったいなぜ彼らは祖国へ帰らなかったのか、
理由を聞いてみたいものです。それと、人数の水増しがひどすぎます。
嘘つきである朝鮮人に対する保証を今すぐ打ち切るべきです。
朴の歩んだ歳月を通して在日被爆者問題を考える(西日本新聞)
>防空ごうに逃げ込もうとすると、刀を抜いた日本人将校がすごい形相で走ってきた。「あっちに行け!朝鮮人。たたっ切るぞ」
朝鮮人が関東大震災の混乱に乗じて暴動を起こそうとしたことを考えれば、当時の状況から考えて
理解できなくもない行動ではないかと思いますが、この話が作り話でなく本当だとしたら
非常に残念な出来事だったと思います。
ところでなぜ祖国へ帰らなかったのでしょうか?せっかく名前も朝鮮名にしたというのに。
朝鮮人として生きるのならば祖国へ帰るのが筋ではないでしょうか。
資料館を出て、公園内をまわってみようと思い、まずは早速原爆死没者慰霊碑へと向かいました。

こちらは平和公園内にある原爆死没者慰霊碑の写真です。
自分が訪れた際、ちょうど白人の子供たちが見学していましたが、彼らを誰がどのような理由でこのような場所に
つれてきたのか理解できませんでした…
まだ何もわからない子供なのに、このような場所に連れてこさせられて、
どのような感情を抱いたのでしょうか…

それよりも、原爆ドームをバックににこやかに笑って記念写真を撮っている団体客がいることに驚きました。
外国人でさえこの原爆ドームに対しては沈痛な面持ちで向き合うというのに、
よりにもよって日本人がこのようなことをしていては平和ぼけどころでは
ないと思います…写真を撮っている自分も大概ではありますが…

韓国人原爆犠牲者慰霊碑です。当時は皆日本人であったはずです。またその他の外国人も被曝していたはずです。
朝鮮人、それも韓国人だけ特別扱いなのか…
更に碑文がすごいことが書かれています…
以下広島県のHPより引用します
建立の目的
強制労働等により広島で被爆した同胞の慰霊と、再び原爆の惨事を繰り返さないことを願うため。
碑文(裏面)日本語訳
「悠久な歴史を通じて、わが韓民族は他民族のものをむさぼろうとしなかったし、他民族を侵略しようとはしませんでした。(中略)
しかし、5千年の長い民族の歴史を通じて、ここにまつった2万余位の霊が受けたような、悲しくも痛ましいことはかつてありませんでした。
韓民族が国のない悲しみを骨の髄まで味わったものが、この太平洋戦争を通してであり、その中でも頂点をなしたのが原爆投下の悲劇でありました。・・・」
ここまで引用終わり
?突っ込みどころが多すぎてもはやどこから突っ込めばいいのかわかりません。
ここまで蒙昧無知で自画自賛な碑文を建ててしまい、恥ずかしくないのでしょうか・・・
平和資料館は一部のパネル展示に書かれている記述がおかしいかったのですが、なぜ原爆が投下されたのかなどを
パネル展示などを通じてわかりやすく解説されており、当時の貴重な資料なども合わせて展示されており
非常に見応えのある資料館だったと思います。
また、平和公園にある彫刻なども、一部の建造物を除いて、平和の象徴としてこれからも
大切にしていくべきだと思いました。
また機会があれば是非訪れてみたいと思いました。今度はゆっくりと観て回りたいです・・・
関連記事:
被爆者382名には基金の支給ゼロ!なぜなら彼らは北朝鮮に住んでいるから…(2010年6月15日 シネマトゥデイ)
>李さんは「戦後65年を迎え、韓国在住の在韓被爆者には被爆者基金として40億円が外務省から支給されているが、現在北朝鮮に住む382名の在朝被爆者には、何の補償もない」と熱く語る
他国に頼らない。これが国家として当然のあるべき姿だと思いますが。後、補償の請求は
アメリカにお願いします。なんで被害者の日本が金をだす必要があるのでしょうか…
千葉県立中央博物館の大昆虫展に行ってきましたw
大昆虫展公式サイト
今日は千葉県立中央博物館で開かれた、大昆虫展に行ってきました。
なかなか時間がとれず来れませんでしたが、やっと来ることができましたw








今日で最終日だったからかわかりませんが、ものすごく混んでいました。
主に昆虫の標本が種類ごとに展示されていて、普段自分が知っている昆虫と同じ種類の昆虫が
たくさん展示されていて、とても勉強になりました。
また、会場内では設問がいくつか用意されていて、それらに正解すると、昆虫カードがもらえるwという
ことだったため、自分も参戦してみました。
しかし、答えあわせをしてみると、ほとんど間違っていました。
…ただ、この賞品がでる問題を回答することで、それぞれの昆虫に共通する特徴を学ぶことができました。これはとても大きかったです。
それ以後標本を見ながら、ああ、なるほど確かに共通した特徴があるな、と感心しながら
見て回りました。
設問(賞品つき)によって昆虫に対する理解を深める。
この作戦は誰が考えたのかわからないですが、すごいな、と思いました。
おかげで今日一日昆虫博士になったような気分になれましたw
昆虫カードが手に入らなかったのは残念でしたが、とても有意義な一日だと思いました。
また時間があるときにゆっくり来て見たいと思いました。
関連サイト:
千葉県立中央博物館
中央博物館の公式サイトです。
大昆虫展は今日で終了ですが、常設展もとても充実していて楽しめると思います。
小中学生は無料なので、ぜひ利用されてはいかがでしょうか。
四街道市教育委員会に行ってみました

こんな感じで資料が展示されています。どれも安いですね。
ここで売られている四街道市の文化財という本は、巻数も多く、全部に眼を通すのは大変ですが
今では風化して読めない石造物なども、当時の状態のものを写真つきで紹介しています。
ですのでかなり参考になると思います。
あと、教育委員会で配布されている資料です。↓



どれも写真つきでわかりやすいものばかりです。これらが無料なんてすごいですね。

これは山梨の川戸で発掘された大がめのようです。こんなところに展示されていたとは。
その他にも昔の四街道駅の模型とか、和良比の堀込砦の模型などが展示されていました。
興味がある方はぜひ訪れてみるといいと思います。
余談ですが、消費者センターも同じ建物内にありました。
↓他の人気ブログへのリンクです。


日野市郷土資料館の写真
他の市の郷土資料館
最近機会があって八王子の方に行ってきました。
その際、時間に余裕があったので日野市に立ち寄ってみましたw
日野市といえば、日野宿、新撰組で有名とのことですが
今回はあえて日野市郷土資料館に行ってきました。
事前に地図で確認していたのですぐわかると思いきや
地元の住民の方に聞いても知らないとの答えばかり。
あちこちうろうろした挙句日野市図書館に行ってみることにしました。そこで条例を調べたら住所が載っていたので図書館の人に聞いたら
市で配っている地図を渡されました。それによると自分がうろうろしたあたり
にあるではないですか。ここまでに2時間も消費してしまいました。
もう一度いってみると(地図を見ながら)、確かにありました。
しかし地元住民に知られていないって悲しいですね。
驚いたのは廃校のなかに郷土資料館があったことです。
他に公民館もかねていました。学校丸ごと再利用とは恐れ入りました。
これでは誰もわからないはずです!?
日野市は新住民が多い町ので昔ながらの家はほとんどありませんでした。
そのような新しい住民の方にも知ってもらえなければ意味がないと思われます。
しかし、内容はとても充実していて貴重な資料も展示してありすごいと思いました。
四街道市も新たに建てなくとも、空き教室などを利用して資料の保管・展示を行えば
いいのではないかと思われます。
もちろん、新しく建てるほうがずっといいですけど。
四街道だって日野市に負けないくらい歴史があるんですから。
明治天皇が訪れたことがあることを知っている人はかなり高齢の方も
知らない人が多いですから、四街道の歴史の周知のために必要だと思われます。
テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済