「令和」の違和感
「令和」の違和感について、2点ほどブログに書きこのこしておきたい。最初に言っておくと、この新元号をくさす意図はないので、ご安心をというか、ご期待に添えずというか。
なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか
まず第一点目に、なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか? 自分も当初疑問に思ったし、ネットでも疑問の声があるわりに、解答がないので、解答を書いておこうと思った。では解答。
「令」の字に「りょう」という読みはありません
というのは、ブログっぽい釣り風味なんで、正確に言い直そう。
「令」の字に常用漢字表では「りょう」という読みはありません
そう。ないのだ。
日本の政治制度の基本となった「大宝律令」は、「たいほうりつりょう」。これは、小学生でもそう学ぶと思うので、「令」は「りょう」という読みがあるのは知っている人が多い。
しかも、万葉集の時代、奈良時代の漢字は、呉音で読むことが多い。余談だがブログをおやすみしている間、古典文法の参考書のようなものを執筆していたが(初稿はできたが出版予定なし)、そこで説明したが、日本で使う漢字には、音読みが原理的に3つある。呉音、漢音、唐音である(強いていうとさらにある)。基本的にこれが古い順になる。で、「令」だが、呉音だと「りょう」、漢音だと「れい」になる。唐音はなさそう。
呉音は日本に仏教が伝わったころの用語に多い。平安時代以降は、漢音が増えてくる。
ここでちょっとしたクイズ。
「食堂」はなんと読み、その音は呉音か漢音か?
答えは、普通は「しょくどう」と読む。「しょく」は漢音である。この読み方は、現代的な食堂ができた明治時代以降の読み方だ。お寺で食事をするところは、「じきどう」である。「しょくどう」と「じきどう」の見分け方は、後者には仏像がある、はず。
で、「堂」は、呉音か漢音かというと、呉音。唐音では「トウ」だが、わかりやすい熟語はない。
つまり、「しょくどう」は、漢音と呉音を混ぜている。混ぜが起きるのは、呉音と漢音という意識が日本人に薄れてできた熟語だからだろう。実は、「令和」もその混ぜでできている。「和」を「わ」と読ませるのは、呉音である。
話を戻すと、常用漢字表というのは、「1 この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。2 この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」というものなので、公用文書に適用される。だから、常用漢字表に「令」で「りょう」の読みがそもそもないのだから、「りょうわ」というのは、元号としてはありえないのであった。
万葉集では「令」はなんと読んでいたか?
「令和」の読みが「れいわ」しかない(正確には「和」は「お」の読みがある)として、当時はなんと読んでいたか? だが、「令和」の出典は万葉集だが、万葉集にはべたに「令和」という言葉はないんで、わからない。では、万葉集時代、「令」を「りょう」と読んでいたか「れい」と読んでいたか?
時代的には、「りょう」と読んでいたと思われるが、今回の新元号の由来となったのは、これ。
于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
これを、菅官房長官のように、次のように読み下すことが多い。
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
つまり、問題は、「令月」を、「れいげつ」と読んだか、「りょうげつ」と読んだかだが、いや、呉音なら「正月(しょうがつ)」のように、「りょうがつ」である。
これについて私はわからないが、同時代の漢詩集『懐風藻』の押韻構造から、当時詩文に呉音が使われていることが伺われるので、万葉集のこの部分も読み下すときは、呉音で「りょうがつ」ではなかったかと思う。あるいは、下しはなく白文で読むとしても呉音でなかったか。
もっとも、「令月」という言葉は、「れいげつ」として普及してくるし、どうやら、「文選読み」と呼ばれる「文選(もんぜん)」ですら平安時代には「ぶんせん」であったようなので、平安初期には「れいげつ」が定着していのではないか。
なんで外国人は「令和」の意味を取り違えるのか?
新元号「令和」は国際的にも注目されたが、その意味にはけっこう間違いがあった。「令」を"order"のようにする類である。たぶん、字引を引いただけか、記者の知り合いの日本人に日本文化の素養がなかったか、といったものだろうが、そもそもわかりづらいのは、この疑問である。
「令和」の意味って何?
これが「令和」という元号への、私の違和感の2番目でもあるのだが、たいていの漢字二文字熟語は、読み下せるのである。「勉強」なら、「強いて勉める」である。
で、結果的に困ったことに、「令和」は、普通に読み下せてしまうのである。読み下すと、「和令む(わせしむ)」となり、意味は、「和にさせる」ということになる。隠された主語は、元号の手前、天皇だから、「天皇が国民を和合させる」ということになる。
つまり、「令和」というのは、読み下して意味をとってはいけないよということだ。
じゃあ、この元号の意味はなんだということだが、「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」という他はない。あえて現代語にするなら、「旧暦の2月は、生命エネルギーがよく風もおだやか」ということになる。
元号というのは、読み下せないものだ
まあ、「で、結局、なんだ?」としか言いようがないが、とはいえ、元号というのは、そういうものだ。読み下せせないのである。
考えてみれば、他の元号もそうであった。
「明治」は、『易経』の「聖南面而聴天下、嚮明而治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮むかいて治む)からなので、「明(めい)にむかいて治む」と簡略化できる。大正は、『易経彖傳』「大享以正天之道也(大いに亨りて以て正しきは天の道なり)」で、「大いに正しき」と簡略化できる。昭和は『書経・尭典』「九族既睦平章百姓。百姓昭明協和萬邦(九族既に睦まじくして百姓を平章す。 百姓昭明にして、萬邦を協和す)」で、「昭明にして和す」と簡略化できる。平成は『書経・大禹謨』「地平天成(地平(たいら)ぎ天成る)」でそのまま簡便だ。
同様に簡略化すれば、「令和」は、「令月、風和ぐ」となるだろう。
と書いてみて、「令和」は、「令月、風和ぐ」でけっこう違和感ないなと気がつく。
「令和」という元号は、つい読み下せてしまうから、おっとどっこい、間違える。これが「令和」の最初の違和感だったのだろう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
素晴らしい!
投稿: | 2019.04.04 01:01