[書評] トランプ (ワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、その他)
興味深く、ある書籍を読んだ後、そのことをこのブログに書くことを、なんとなくではあるがためらう機会が増えてきてしまったようにも思う。そうだなあ。特に理由はない。そうした一冊として、ワシントン・ポスト取材班とマイケル・クラニッシュ、その他による『トランプ』(参照)がある。10月10日に出版されすぐに読み、読後、奇妙な感慨があった。ドナルド・トランプという人をこうして、自伝以外からきちんとジャーナリズムを通して眺めて見ると、なかなかに味わいの深い奇妙な人物である。本書はその陰影をまずこう述べている。
ドナルド・トランプは称賛であれ批判であれ、注目されるのは良いことだと考えている。自分のイメージがそのままブランド・イメージになるため、自分そのものがブランドイメージだという信念で生きていきた。私たちは、トランプも他の人同様、噂やブランド通りではないという考えの下で取材にあたった。そしてその通りだったと確信した。次期大統領になるかもしれないトランプは、口にする単純明快な言葉より、はるかに複雑な男だった。
この時点で、ドナルド・トランプは「次期大統領になるかもしれない」人物ではあるにせよ、本当に米国大統領になると予想した人は、おそらくその支持者以外はいなかっただろう。なぜならその予想の理路というものが存在しないからだ。いや、そうでもない。ブラック・スワンのように見える出来事でも振り返ってみれば、そこに必然のような理路が見えてくる。本書もそうした理路から読み直せる。
そしてこの必然ということは、この人物が世界で最大の権力を持つ人間になったということだ。その意味は、米国の深い影響下にある私たち日本人にとっても、彼をこれから深く理解しなければならないということであり、その理解とは、彼が「口にする単純明快な言葉より、はるかに複雑な男だった」という事実に向き合うことである。
単純に言えば、本書は、日本人の必読書になったのである。今日、この日から。
本書は、客観的な取材に基づくドナルド・トランプの評伝と言える。私のように1980年代から彼のことをメディアを通して知っていた人にしてみれば、さまざまにメディアを通して語られたネタ話の裏側が手に取るようで面白い。彼が日本の銀行との関連があったことの、いわば秘史に近い話も頷ける。有名な「お前は首だ」という決めセリフの割に、彼は自分の従業員を首にしたがらない性格だというのも面白い。
いろいろな逸話もきれいにまとまっている。たとえば、トランプはビル・クリントンの後釜狙いで民主党と協調し、その頃はヒラリー・クリントンとも、懇意とは言えないまでも、支援金を仲立ちに親しい間柄だったことなど。
だが評伝として見れば、彼という人格がどのように形成されてきたのかという核の部分が微妙に見えてこないもどかしさがある。そしてそのことに対する奇妙な執着が取材班と著者のマイケルに基調音のように意識されている。それが本書にある種文学的な陰影を与えている。例えば、トランプという人物の表面的な人生には母というものがなぜか不在である。そしてそれに関連するのか、美女との結婚を繰り返し、性的に優越であることを見せかけている。だが、その背後にもビジネスの思惑がある。
そうして見るなら、彼はただ抑えることができない乾きのように生涯をビジネスに投入している人物である。仕事中毒である。読後、そのことが心に残る。もしかすると、これこそが「資本主義の精神」といったものではないかとも思える。
他方ビジネスマンであると同時に彼はショーマンというのか、トーク芸人でもある。先日、ダナ・カーヴィのトークを見てそのなかのトランプの物まねもが面白かったが、そこにもしトランプ自身がいたら、カーヴィに劣らぬ面白さを展開しただろう。カーヴィはオバマ大統領もおちょくれる芸人ではあるが、基本は知性に依存している分だけに弱い。トランプはそこを見事に吹っ切っている強さがある。そう、トランプは、知性というものの弱さをよく知っている人間である。今回の大統領選でも、隠れトランプ派の息づかいを彼はきちんと知っていた。
彼の根底にあるものは何だろうか? 本書から見えるのは、なんのイデオロギーもない人である。ただ注目を浴びたい人にも見える。だが、微妙に米国への素朴な愛国心も浮かび上がってくる。リンカーンのような大統領を素朴に尊敬し、彼なりに現在の米国は間違っていると思ってもいる。「アメリカを再び偉大な国にする」という彼の商標もショーマンのビジネス向けである。
その他のことして本書読後、今回の選挙戦を通じてメラニア夫人に関心を持つようになった。彼女は、旧ユーゴスラビアの、平凡なコンクリート集合団地で育った。まさに社会主義そのものの鬱屈した子ども時代を過ごした。そこを出ることができたのはファッション・モデルとしての道が偶然開けたからだった。モデル業をしていたニューヨークでも質素に暮らし貯金をしていたという。トランプと結婚して子どもができてようやく米国市民権を得た。そうした背景から当然、英語も得意とは言えない。反面、母語のスロベニア語の他、セルビア語が話せる。モデル業の関連で、フランス語、ドイツ語も話せるらしい。モデル時代の社交経験も加え、実は彼女は、ファースト・レディとしてとても有能な人かもしれない。
トランプ大統領はどのような米国大統領になるだろうか。たぶん、全世界の人々をがっかりさせるようになるだろうと思うが、そういう私は今日の日の彼を予想できなかった。
マイク・ペンス副大統領候補の選択も予想外だった。彼はいわゆる正当派の共和党的な人物であり、こうした人をきちんと選び出したのは、本書によれば彼が信頼できる家族だったらしい。彼が大統領となっても信頼できる有能な側近がいたら、損得をビジネス的に見るとしても、それなりに国家運営ができるかもしれない。
それでも、トランプ大統領という存在は私には気が重い。彼が直前にテレビに出したプロパガンダは多くの憎しみに満ちている。そこには民主党の大統領候補であったサンダースの呪いのようなものさえ感じられる。憎しみから生まれるものは、ろくなものがない。
そしてこの映像メッセージは、率直に言えば、危険な陰謀論だと私は思う。
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