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2015.11.17

[書評] イスラム国(著・アブドルバーリ・アトワーン、監修・中田考、翻訳・春日雄宇)

 日本ではこの夏に翻訳された本だが、原著の出版から遅れたわけでもない。扱っているのは表題通り「イスラム国」である。この表題が選ばれている理由も同書の初めに書かれている。全体として、比較的最近までの範囲で、イスラム国を知る上で重要となる基礎的な情報がバランスよくまとまっている好著である。

cover
イスラーム国
 なにより、この種類の本にありがちな、西側社会への偏向あるいはその裏側の憎悪といった情感的な色合いが引き寄せる文脈からはエレガントに脱していることは、沈着な本書の文体からもわかるだろう。陰謀論的な記述もない。池上彰ならもっと手際よくまとめたかもしれないとも思えるかもしれないが、日本人向けのわかりやすさから抜け落ちそうな微妙なディテールに含蓄深い陰影がある。
 イスラム国をめぐる現状の混乱の、元凶とまではいえないが、大きな要因には、米国の中近東戦略と、フランスの中近東戦略がある。西側として見ると二国とも同一のように見えるが、フランスが問題を悪化させたのはむしろリビア問題の対処であり、その点も本書では簡素に描かれている。また、米国の失策については、日本の思想・知性の空気では十把一からげに子ブッシュ大統領の失政とされるが、本書はそうした浅薄な構図より、より根深い問題と、ブッシュ政権以降になって生じた新事態について公平に言及している。
 日本語で読める情報がないわけでもないが、イラクにおいて、マリキ政権時代の混乱がイスラム国の直接的な温床となった背景についても同書はわかりやすい。個人的には、同書を読んでやや意外でもあったのは、バース党として近代主義のように思われていたイラクの元フセイン大統領だが、政権末期には実質、スンニ派的なイスラム原理主義への傾倒があったことだ。そこにもイスラム国の思想背景があると見るのは興味深かった。
 他、イスラム国をめぐる混乱の背景にオバマ政権時代になってからの米国とサウジの確執が関与していることも理解しやすい。そしてこの問題を扱うにあたって、同書では背景となるサウジが抱える本質的な矛盾についてはかなりのページを割いている。この分野に関心を持つ人にはとりわけ目新しい情報も視点もないかようだが、イスラム国を語るときにサウジが重要な意味を持つことは確認したほうがよいだろう。混みいった話題にもなりがちだが、サウジの引き起こす問題には当然、イランも関係している。ノーベル平和賞の手前もあって、イランの非核化をなんとか功績としたいオバマ大統領の焦りや、この間の米国でのエネルギー事情の変化もこれに関連している。ただ、こうした点については同書には言及はあまりない。
 やや些細な点ではあるが、同書を読みながら、米オバマ大統領がシリア介入のレッドラインの件で、どたばたとした醜態を露わにしたことについては、同書の最終的な問題指摘でもある、イスラム国による化学兵器の使用の可能性が関連している。いやすでに、「可能性」といったものではないという指摘も最近になってなぜかぽつぽつと出てくるが、この件については、ロシアをはさんでアサド政権と米国の間で微妙な連携があった。陰謀論を望むわけではないが、そこにはなにか秘史があるようにも思われるが、同書ではヒントは見つからなかった。
 イスラム国とテロの関連では、日本ではつい、その残虐性が注視される。だが、その「テロの恐怖」という焦点化が自体もたらす問題性について本書は冷静な対応ともなるものとして、「恐怖のマネジメント」という考えを提示している。イスラム国の残虐性は、戦略上演出されたものであるということだ。これに関連する考察もそれなりにページが割かれていて興味深い。この点については私としては、納得する面がある反面、それほど一貫した整合はないのかもしれないとの疑念も残る。
 総じて、日本の精神風土にあってまともにイスラム国を論じるのであれば、一読しておいてよい良書である。逆にいえば、この水準に達しない議論は、けっこうどうでもいいのではないかという、その水準を明確に示しているようにも思われた。
 
 

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