[書評] トンデモ地方議員の問題(相川俊英)
ポリタスの特集企画『「統一地方選2015」私たちの選択』が始まった(参照)、と昨日思った。そして、私の主張も近く公開されると思う、と昨日この原稿を書き始めたものの、なんか虚脱して放置していて今朝を迎えたら、すでポリタスに上がっていた(参照)。なので、今回の統一地方選挙について、私の主張をここで繰り返すこともないかとも思った。
トンデモ地方議員 の問題 (携書134) |
当然、同書に含まれる内容と同じ項目だが、ポリタス掲載のほうがやや詳しい。同書では「選ぶべき地方議員の四つのポイント」もあるが、基調はポリタス掲載に織り込まれているように受け取った。
その同書であるが、まず書籍として面白い。紹介にある「号泣会見、セクハラ、謎の政務活動費…地方議員のあきれた実体が次々と明らかになってきた」という部分はコメディのように面白い。だが、これを面白がっていいのだろうかというあたりで、なんとも、もにょ~んとした残尿感のようなものに襲われる。
地方議会の喜劇悲劇は、誰にとっても他人事ではない。日本の市民それぞれの足下の地方議会の実態の大半はこれなのだ。面白いといって笑うにしても自虐の演技もクソもない現状である。
そういうわけで、まず笑える部分の話を「第一章 いまどき&ありがちな地方議員」に振った後、同書も、地方議会の仕組みと事例研究に入っていく。こう言い方もなんだが、新社会人になる人は、偉そうなブロガーの社会人説教なんかをリツリートするより、まず、この「第二章 地方議員のホントの仕事と裏の仕事」の実態を知っておくといい。地域に生きて、普通におっさん・おばさん化してくると、こういう議員「先生」の実態に遭遇することになるものだ。あと、この二章では特に、「議長職争い」のところでブラックジョークのような世界があるのも知っておくといいだろう。
「第三章 学芸会&八百長「議会」」はジャーナリスティックな章題だが、ようするに、大半の地方議会は、学芸会であり八百長であるということ。まずもって議会の体をなしていない。議会として行政の監視機能すらない。続く「第四章 トンデモ議会とよりよい議会」は特に章分けもなくつながっていると読んでもいいだろう。
議会からの政策形成 議会基本条例で実現する 市民参加型政策サイクル |
「第六章 選ぶべき議員と選んではいけない議員」は、一部がポリタスに重なっているがこの間の問題意識としては示唆深い。ただ、改めて読み返してみると、この部分は地方議会が抱える問題という点でそれほどの比重はないかもしれないという印象もある。というのは、どうすればいい?という問いに、民主主義なのでよい議員を選びましょう、というのはその通りだが、実際にはあまり意味をなさない現状がある。
そういう問題提起と解決の枠組みをどう受け止めるかだが、本書では、「第五章 地方議員のお財布事情」と「第七章 私案「議会&議員定数&議員報酬」が重視されている。私の視点から言い換えれば、どういう機構にすれば地方自治体が合理的に「経営」できるかということになるだろう。このあたりについては、各種模索されていて、一件良案に思えるのが実際にはうまく言っていない事例などが興味深い。とはいえ、同書で示される私案もうまくいかないのではないかという、印象的だが、懸念も浮かぶ。
じゃあ、どうすればいいのか? という問題は残るのだが、ようするにこれを「経営」という視点で見ると、私はやはり一種の危機管理のなかで捉えるべきではないかと思う。ようするに私がポリタスに寄稿した話題に戻ってしまうが、消滅可能性自治体を上手に危機管理していく仕組みが必要になる。そして、この問題は該当の自治体が注目されがちなのだが、すでに触れたが、重要なのは、消滅可能性自治体を受け入れる側の地方都市のありかたになる。
あえてもう一歩踏み出していうなら、まだ余裕のある地方都市が自分たちの経済圏を拡大してうまくやっていこうとすると、さらに消滅可能性自治体との格差が広がってしまう。それも一種の自然過程ではあるのだろうが、想定される悲惨な事態はできるだけ減らしたいものだ。
あと話がちゃぶ台返しのそもそも論に近くなるが、「地方」という言葉の含みが、地方創生でもそうだが、東京を他方の極に対比させがちだなのに、とうの東京は超高齢化というとんでもない問題を抱えている。東京もまた地方としての大きな課題がある。ただ、今回の統一地方選挙に東京がないせいもあって、あまり浮かんではこない。
ざっと言えば、国と地方(中都市圏と消滅可能性自治体)と東京という三極の構造のなかでどう利害を調整していくかという課題にはなるだろう。
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コメント
国会議員と市議会議員が不要で、単純に県議会議員だけにして、県議会議員の中から代表二人が、衆参一人ずつ兼任でいいんじゃないかな。つまり、県議会議員が猛烈に働けってことです。死ぬほど働いていれば、ボランティアでも、個人献金でも集まってくるでしょう。それに、一人一票の公平も不要です。信頼が高ければ。
日本が悪くなってるのは、兼業農家、兼業議員、実質兼業公務員(フリーターを兼業してるみたいな)。ちんたら働いている人たちが、実質所得が異常に高いことです。
今回、うちの議員にも、リストラを主張した維新も通ったし、共産党はもともと地方では専業議員で忙しいみたいだし、公明も必死に仕事してないと支持団体から認めてもらえないしで、根強かったのと、それなりに、若返ってもいるので、少しずつだけど、進歩していると思う。
あと期待するのは、勤勉な庶民達が、働くのやめーたってなることかなぁ。とりあえず、投票に関しては、どんどん勤勉さはなくなるだろうけど。とにかく、庶民より働いてない人たちに退場してもらわないと!
投稿: | 2015.04.13 11:36