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2013.12.02

[書評]外国語の学習法(ポール・ピンズラー)

 先日、ピンズラー方式のフランス語学習のフェーズ2を終え、ちょっと気分に一段落付けるつもりで、ピンズラー方式の外国語学習法を開発した、ポール・ピンズラー自身による「外国語の学習法」(参照・英語版)を読んでみた。

cover
How to Learn
a Foreign Language
Paul Pimsleur Ph.D.
 実はフェーズ4まで終えたら読んでみようかなと思ってはいた。が、自分はそこまでできるんだろうかという不安と、ここでもう一度、ピンズラー方式によるフランス語学習の動機向上になればいいかなという思いもあった。読んだのは原書のキンドル版「How to Learn a Foreign Language」(参照)である。ハードカバーでも160ページほどの小冊子でもあり、平易な英語で書かれているので読みやすい。
 読み始めたら、止まらない。面白い。語学学習法についての書籍はこれまでもそれなりに読んできたし、なんどか書いてもいるが大学・大学院時代、英語や外国語の学習法についての理論なども学んできたが、それらに比べても、ピンズラーが断トツにすごいと思った。
 こう言っていいのかわからないが、ポール・ピンズラー自身の肉声というか、人柄というか、人間らしさがとてもよく出ている。しかも類書にありがちなうさんくさい誇張や偽装した科学性みたいなものが、存外に少ない(理論は当然古くさいが)。この本、そもそもピンズラー方式教材のパンフレットじゃないかと思っていたのだった。もちろん、そういう側面もある。だが、それほどでもない。むしろ、これ知らないで外国語学ぶのは遠回りだなあと思えたほどだった。
 ピンズラー方式について勘違いしていたな、ということもあった。私は、ピンズラー方式というのは、けっこう古くさい語学学習法だと思っていた。いや、それが間違いだというほどでもない。なにせポール・ピンズラーは1927年生まれ。私の死んだ父親と一歳違いくらいである(自分の父親の世代だったか)。
 当然、戦争の時代を経験した人だし、教授法(メソッド)としては古い面もあって当然。本書も、ピンズラー方式の50周年記念として再版されたものだった。半世紀前の語学学習法が、現代より優れているわけはないと思い込んでいた。
 だが、この復刻は今年の10月。長く忘れられて、ようやく今年になって、ピンズラーが再発見されたという意味合いもありそうだ。改訂にあたってはその面も配慮されている。
 ピンズラーは不運な人でもあった。早世だったのである。48歳で。1976年のことだ。まだ50歳にもなっていなかったし、初版の序からもわかるが、本書も彼が生前出版したものではなかった。ピンズラーは博士号を持っていることからわかるように論文も共著もあるが、単著はこれ一冊のようだ。
 編者には、ピンズラーがフランスで客死して数年後、未亡人から原稿を渡されたとある。それ以上のことはよくわからない。
 冒頭読み出すと、話は面白いのだが、書き込みが足りないという印象の話題もある。私の印象にすぎないが、本書はまだ草稿段階だったのではないだろうか。ただ、逆に彼の思い入れの部分は、ほとばしるように書かれている。
 ピンズラー方式の確立は、50周年ということからわかるように、50年前である。当たり前だが、最初の語学教材がそのころ出来た。それは、私はピンズラー自身が一番親しんでいた外国語であるフランス語だろうと思っていたが、違っていた。ギリシア語だった。
 本書を読んでいて、ああと溜息をついてしまったのだが、ピンズラーがこのメソッドを確立した背景には、例のスプートニク・ショックがあった。この話は以前もちょっとしたと思うし長くなるので割愛するが、私が生まれた年、ソ連が人工衛星を米国に先んじて打ち上げたことで、米国はショックを受け、教育の大改革が進められた。ピンズラーもその改革の先端にいたのだった。
 そこでピンズラーは、もっとも優れた外国学習法を科学的に提出してみせなければならなくなった。彼は、米国人が馴染んでいない種類の外国語が向いているだろうと考えた。選んだのはギリシア語である。現代ギリシア語。
 彼自身もその時点でそれほど現代ギリシア語に堪能だったというわけでもなさそうだし、この新教材の開発は、彼の妻ビバリーと一緒になされたようだ。ビバリーは被験者の意味合いもあったのだろう。1962年に夫妻は半年ほどギリシャで暮らして、教材を翌年に完成させた。ピンズラー方式の誕生である。音声テープだけで自習できる語学教材の誕生である。翌年、フランス語。さらに1966年にスペイン語。その翌年にドイツ語。さらにアフリカのトウィ語の教材を1971年に作った。そこで彼の人生は終わってしまった。
 知らなかったのだが、その後に続くのは、1982年のヘブライ語だった。10年のブランクがある。ピンズラーの死によってピンズラー方式は事実上、終息していたに等しかった時代があったのだろう。ビバリーの尽力はあるにせよ、他に誰が、これに息を吹き込んだのかは、この書籍からはよくわからない。
 1984年にロシア語ができる。ロシア語については、本書にも彼の思い入れが書かれている。どうやら祖先にロシア人がいるらしく、また彼自身のメンタリーティにスラビックなものも感じていたらしかった。
 教材史のその後は、1990年と飛び、そこからは毎年新しい教材が作成されるようになった。意外だったのが日本語教材が出来たのは1995年のことだった。つまり、ピンズラー方式で日本語を学ぶ人は1995年まではいなかったことになる。
 1990年以降の変化はESL教材にも現れている。ESLというのは、基本、米国に移民した外国人向けに英語を教える教材である。1991年にスペイン語、1994年に日本語ができている。現在、ユーキャンとかで販売されている、日本人向けピンズラー方式の英語教材はこれであろうか? いずれにせよ、その後も増えている。なお、ESLはピンズラー方式以外にもいろいろあり、まあ、私は思うのだけど、日本人も英語を学ぶならESL教材を使ったほうがよいと思う。
 本書の内容に目を向けると、まず考えさせられるのが、易しい外国語と難しい外国語という区分の議論である。当たり前といえば当たり前なのだが、こういう議論を学問的なフレームワークで見るのは初めてだった。結論から言えば、米国人にとって一番修得しやすい外国語はフランス語である。次にドイツ語。特にフランス語の場合は、語学が向上するにつれ知的用語の共通性が生きてくる。意外なのは、仏独に次ぐのがインドネシア語だった。これはわかるなと思った。
 バリ島に半月ほど知人とメード付きコテージを借りて過ごしたことがある。メードさんやお世話してくれる現地の人とたどたどしく英語で会話するのだが、彼らも善意なのか。暇もあるんだろうし、一種のエンタイメントでもあるのだろうが、インドネシア語を教えてくれるのである。ふーんと思って付き合っていて、ついでに通りの本屋でインドネシア語の入門書と字引を買ってきた。
 特にすることないときは、それを読んだりしたのだが、旅の終わりのころは、なんか自分が簡単なインドネシア語会話をしていた。それからしばらく日本に戻っても、インターネットのIRCでマレーシアの人とかとインドネシア語と英語まじりでチャットしていたことがある。現在ではすっかりインドネシア語は忘れてしまったが、なんとも不思議な体験だった。
 不思議でない分もある。知人(米人)も似たようにその間、インドネシア語ある程度修得してしまったが、いわく、この言語文法がないよ、と。英語をそのまま置き変えれば通じる。実際、そうだった。気になって、現地の人の発話も聞いていると、どうも文法は不安定に聞こえる。理由はたぶん、インドネシア語が彼らの母語ではなく、彼らも外国語として使っているからだろう。そういうクレオール的な使い方が定着しているようだった。さらにその後のことだが、どのようにインドネシア語が構成されたかも知ってうなずけた。もっとも、テレビニュースや大学で利用されているインドネシア語はもっと洗練されているだろうと思う。
 ピンズラーは本書で、米国人にとって難しい外国語を四つのグループに分けるのだが、その最難関グループにいるのが日本語である。他に中国語と韓国語。あはは、仲良しである。あとアラビア語。逆に言えば、日本人にとって学びやすいのは、韓国語や中国語という議論も成り立ちそうだ。いずれにせよ、日本人が英語を学ぶのは難しくて当然なのだろう。
 他には標題どおり「外国語の学習法」の原理もいくつか出てくる。外国語を発音、文法、語彙という三つにわけて、それぞれに議論している。ピンズラーは、この区分で一番難しいのは語彙だとしている。厳密に読むと、語彙といより、語用と言ったほうがいいかもしれないし、実質文法も含んでいる。
 発音の学習では、ピンズラー方式の面目躍如なのだが、文字を見せるなということが徹底されている。読みながら気がついたのだが、米国人がフランス語の文章を見ると、発音が修得できなくなってしまうのだろう。フランス語が堪能だったピンズラー自身もその母音の習得には苦労した話もある。話がずっこけるが、米人向けフランス語学習教材をいくつか買って見ると、特に観光向けのフレーズ集では、米人向けの「ふりがな」がふってある。これが実に異様で醜い。これは見ちゃだめだと思う。まず、発音ができてからでないと文字は見るべきもんじゃないな。また、文字を書かなければ素早い応答ができるし、その分、語学学習が濃くなる。もっとも、これは彼も指摘しているけど、ごく初期の段階のことではあるけど。
 文法については、例文主義という感じで議論されている。これもうなずける。さらに語彙との関連では、一種フレーズ主義とでもいえそうな視点か出てくる。このあたりは、実際にピンズラー方式で学んでいると、しごくなるほどと了解する。
 本書の圧巻は、外国語語彙の学習法である。ピンズラー自身、語学の本質をそこに見ていたようだ。彼は「有機的学習」と名付けているが、文法や語彙を、それが活用される有機的(生物的)な状況のなかで、教え・学べ、としている。
 簡単なようだがここがキモだな。具体例としてわかりやすいは、動詞の活用法など表のようにして教えるのはやめなさい、というあたりだ。動詞の活用が必要なシーンの会話やフレーズのなかでなんども練習させろというのである。
 他にもいろいろ思うことがあったので語学に関心ある人は読んでみるといいと思う。もっとも、そんなことは知っていたとか言いそうではあるなあ、語学好きな人の性向として。よくわからないが、日本で語学が得意な人は偏屈な人が多いような印象がある。というか、そういう人には、ピンズラー方式は向かないだろうな。
 ピンズラー方式で学び、またその背景の理論なりを知ると、これは自分が語学ができない理由も自分なりによくわかった。もっと早期に対応できたらよかったが、実質このメソッドが応用できるようになったのは、10年くらい前から。
 そして、このメソッドが実際に日本人の英語教育などに応用されるということもなさそうだ。というのも、日本の英語教育など、「日本」を冠する日本の知的分野は、今後もどれもなんの進歩もなさそうに思えるからだ。
 
 

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コメント

語学学習って、その国のメンタリティーと自国のメンタリティーの違いに気がつくための学習じゃないかな。オレは、色彩からとかから学んだけど。

でね、日本人が本当に学んだ方がいいのは、中国語であったりハングルなんじゃないかな。ハングルなんか、本当かどうかしらないけど、漢字だと国民が使えないから、表音文字ですぐ覚えられるようにしたと。つまり、反知性であり、意外に反儒教でもあるわけで、そうなれば、日本とは、衝突することばかりだよね。だって、知性と儒教で外交しようとしてるんだから。実際、ずっと韓国ドラマばかり見ていると、英語より簡単で、ま、英語も本来は反知性だとは思うけど、で、表音文字の方を覚えてしまったら、もっと理解できそうな感じもする。

でね、日本は、極端に別れない珍しい国だという自覚があった方がいいんじゃないかな、過激派の右翼にしても左翼にしても、実は大差がない。全体的にも、権力イコール神みたいなところがある。こういう国はもう日本だけなんじゃないかな。神託すぎる、笑。無宗教なのに・・・。ま、それでも、反知性、反儒教になっていくんだろうね、知性が無能すぎるので。そもそも、知性が政治しちゃぁダメでしょ。知性は隠者であってこそ光るのにね。それに、インターネットが知性だなんていってるの日本だけでしょ!

投稿: | 2013.12.02 19:59

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