« 多文化主義は完全に失敗したとメルケル独首相 | トップページ | 米国金融緩和がもたらすヌルい戦争 »

2010.10.23

40年ぶりの天文台

 東京三鷹にある天文台が年に一回公開日を設けているので行ってみた。中学二年生のときに行ってから、もう一度行ってみたいとずっと思っていた。いつでも行けると安易な気持ちでだらだらと時が過ぎ、気がつくと40年近い日が流れてしまった。今日行ってみると、少年の日に見た、大きな望遠鏡を納めたドームが、今はもう実際の観測には使われていないけど、そのままにあって感激した。


三鷹・星と宇宙の日

 中学生のころ私は部活で陸上と物理をやっていた。私が入部する前もそのクラブが物理クラブだったのかよくわからない。先輩たちは全員天文系で天文クラブという雰囲気だったからだ。その関係で13歳だったか14歳だったと思う。三鷹の天文台を見に行ったのだった。閑散とした野原と雑木林の奥に、絵に描いたような天文台のドームがあって印象深く心に残った。


大赤道儀室

 武蔵野の雑木林のなかに今もそれはある。屋根のドーム直径は15m。高さは19.5mもある鉄筋コンクリートの二階建て。いかにも古典的な天文台という外観だ。正式には大赤道儀室と呼ばれている。
 完成したのは大正15年(1926年)というから、私の父が生まれた年だ。当時はドームを建築する技術が日本にはなく、船大工が木をたわめて作った。
 ドームに納まる全長10m、レンズ口径65cmとして日本最大口径を誇る屈曲望遠鏡は、1997年までは使われていた。現在ではドームの木が朽ちて開閉もままならない。そのまま朽ちていくのは惜しい建造物でもあるし、日本の天文史そのものでもあることから、2001年に天文台歴史館として公開され、2002年に国登録有形文化財となった。この建物は平日でも見学することができる。


屈曲望遠鏡

 今回、行きたいと思ったのは通称「アインシュタイン塔」の内部に入れるということもあった。通称と言うのは、ドイツのポツダムに本家のアインシュタイン塔があるからである。
 ポツダムにある塔は現在ではドイツ表現主義の歴史建造物として有名だが、元来は、アインシュタインの一般相対性理論の検証のために、重力波から出る電磁波の赤方偏移について太陽観測を行うことが目的だった。しかし、想定された偏移は太陽表面の対流・乱流によるドップラー効果のスペクトルの域内にあり観測が難しく、逆に太陽表面の対流・乱流が早々に主要な研究対象に変わった。第2次世界大戦で損傷したが修復し現在でも実際に天文学研究に活用されている。


ポツダムのアインシュタイン塔

 三鷹にある5階建ての通称「アインシュタイン塔」だが、本家のポツダムの研究と同じ仕組みで、かつ同じ志向をしていたことからこの通称がついた。本家のような表現主義の建築ではないが、そびえ立つスクラッチタイルの塔には独自の美がある。正式名は太陽塔望遠鏡である。


太陽塔望遠鏡

 当初の研究の要となる分光器室を据えた地下部分の建物は、大赤道儀室と同じく、大正15年(1926年)に完成した。そもそもこれらの重要部分は、ドイツに対して第1次世界大戦の戦勝国としての日本国への賠償金代わりの物納であったようだ。塔の望遠鏡部分の建造は遅れ、昭和5年(1930年)となった。
 本家同様、当初の目的であるアインシュタインの一般相対性理論の実証はできなかったが、戦後も改修され太陽フレアの研究などで利用されていた。
 だが昭和40年代になるとドイツ製の配電盤のヒューズなども入手できなくなり、活用も減り、私が中学生のころはにはすでに電源も供給されず倉庫と狸の住処となっていったらしい。当時、外観も見ることはできなかった。


配電盤

 1999年に登録有形文化財となり、2000年から外観の公開はされ、内部の公開を目指した。2010年8月3日、第24回天文教育研究会参加者に公開された。このときは塔まで公開されたが、今日の一般公開では安全上の理由で地下のみとなった。
 内部に入ると、タイムスリップでもしたようなある種異様な感覚にとらわれた。鉄人28号を研究していた金田博士がそこに居ても不思議ではない。あるいはリアルなスペランクス(Spelunx)の世界のようにも思えた。その空間自体が、独自なアートな空間となっており、ここで音楽会でもやったらすごいのではないか。
 地下の展示物には理科年表のバックナンバーが年代順にずらっと並んでいた。私が物理クラブにいたとき、いつもひもといていたそれもあった。人生の時間にまたも直面したような感慨があった。


太陽塔望遠鏡地下

 その他の展示も、もちろんいろいろと面白かった、熱心に説明してくれる科学おじさんや科学青年のかたとの話からは、科学が本来もつわくわくするような夢と情熱が感じられた。私は思うのだけど、平和教育というのは平和の理念や悲惨な写真を見せつけることより、科学のわくわくする夢を語れる青年を育てることではないだろうか。
 昼食は食堂でカツカレーを食った。学食や病院や裁判所で食った、あの懐かしい味がした。


食堂の醤油とソース


|

« 多文化主義は完全に失敗したとメルケル独首相 | トップページ | 米国金融緩和がもたらすヌルい戦争 »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

> 鉄人28号を研究していた金田博士が

すみません、敷島博士ではないでしょうか?
操縦してた少年が金田正太郎でした。

投稿: アップルくん | 2010.10.23 19:44

「科学のわくわくする夢を語れる青年を育てることではないだろうか。」

 いや全くそのとーりですねえ。お金のためとか名誉のためとか社会に貢献するためとかよりも何よりも、そのワクワクが原点ではないのでしょうか。世界を知りたい!ものごとの根元を知りたい!という青年には、その世界を壊すようなまねはできないと思います。多分ね。

投稿: 玉虫 | 2010.10.23 23:07

宇宙兄弟は読みましたか?
おススメです。

投稿: rabi | 2010.10.24 00:58

ポツダムのアインシュタイン塔は、ドルナッハのゲーテアヌムになんとなく似てますね。

ドイツ人の美意識は基本的に似ているのかな。

投稿: enneagram | 2010.10.24 08:33

漠然とアインシュタインに憧れていて、何となく物理の道に進みました。

http://sekihin.jugem.jp/?eid=2075
自分のブログで恐縮してしまいますが、後半にアインシュタインと坪井忠二先生のことなどを紹介しております。興味のある方はご笑覧くだされ。

投稿: ピンちゃん | 2010.10.25 14:23

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 40年ぶりの天文台:

»  極東ブログ「40年ぶりの天文台」の話に触発されて [godmotherの料理レシピ日記]
 この休みに所用で実家に帰っていたので、三鷹の天文台に寄り道できたらどんなに良かったかと思いました(参照)。せっかくの機会なので調べてみると、木製の古ぼけたドームにはカール・ツァイス社製の天体望遠鏡が... [続きを読む]

受信: 2010.10.25 04:40

« 多文化主義は完全に失敗したとメルケル独首相 | トップページ | 米国金融緩和がもたらすヌルい戦争 »