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2007.05.23

[書評]嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)

 この手のトンデモ本を読むのもなんだなあと思いつつ、酔狂の部類でいいかとも思いつつ、それでも「嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)」(参照)は、購入前にブログでの書評とかもあまりないとかざっくり調べた。っていうか、アルファーブロガーに献本しないと書評の出ない時代になるかもかもかも(なわけないです)。

cover
嘘だらけの
ヨーロッパ製世界史
 この手の本はアマゾンの素人評もハズレが多いし、偶然だと思うが私も書店でなんとなく見かけなかったが、まあいいやと思って別の本の購入に合わせてアマゾンで購入。結論から言うと、ちょっと微妙なところはあるにせよ、良書でした。
 岸田秀という癖のある著者に拘泥せず、普通に歴史に関心ある人は買って読んで損はない。という理由を述べておくと、マーティン・バナール(参照)の、あのめんどくさくかつ膨大な「黒いアテネ」の二巻分、つまり、一巻目の「ブラック・アテナ 1―古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ (1)」(参照)と、二巻目の「黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ」(参照上参照下)はもとより、その批判についての簡易なサマリー本になっているからだ。特に、なにかと目がつく、バナール破れたりみたいな批判の類型についても、岸田は丹念にまとめているので、論争の全体構造がわかりやすい。
 問題点はある。岸田のまとめでいいのかというと、その判定がしづらい。原書や批判論文を原文で読めよというのが正解だが、現実のところそこまでするのは、日本では院生とかその類だろう。また、岸田はバナールとバナール批判の双方にコメントをしているがそのあたりは、あってしかるべきだろうが、その評価も難しいには難しい。ただ、概ね、岸田の読みが存外に自己視点を外して冷ややかに見ている面で良いのと、その冷ややかさを一気にはずして妄想じゃね?の部分のコントラストが激しく困惑する。
 別の言い方をすると、各論点のサマリーとコメントに留めておけばいいのに、彼にとっては関心や関係性があるのだろうが、普通の知識人には関係のない話が諸処にぐちゃぐちゃと脈絡なく書き込まれてこれが辟易とするにはする。特に、黒人の一部がアルビノ(白子)となって白人が発生した説については、事実上本書と関係ないので、そのあたりは笑ってスルーして読むといいだろう。
 とはいえ、岸田の思い入れの側からこの本を読むと、特に、近代日本史の関連で読むと、実に奇妙な味わいのある本ではある。率直にいうと、ある種の狂気のようなどろっとした迫力があってかなり気持ち悪い。ただ、この部分に本書の真価があるという評価もあってもいいのかもしれない。私は率直に言うと、その部分については触れたくない。それとかなり率直に言うと、本書は高校生とかあるいは現代では大学生か、そのレベルのお子様に読ませるにはかなり危険な本だと思う。岸田はある経緯を経てああいう知的怪物になったのだが、その怪物性だけを若い知性に移植しがちな強さが本書にはある。
 話を戻して、バナール説だが、黒いアテネという言葉が示すように、古代ギリシア文明はエジプトの黒人による文化だ、それを近代西洋が無理に近代西洋幻想に結合してしまったという話で、単純にわかるように、それって実証論なのか、イデオロギーないしイデオロギー批判なのか、という奇妙なねじれのようなものがある。困ったことに、このねじれこそが問題の核心だという点だ。
 ぐちゃぐちゃ言ったが、バナール説については、普通の知識人なら知っておくべきなので、それがチートシート的に読めるという程度で本書は読んでおいていいと思う。繰り返すが、岸田の理解でバナールの論争とかに突っ込むのはだめだめ。

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コメント

人類のご先祖のおサルさんは皮膚が黒かったかなあ。
じゃあ、白熊君は、黒熊君に追われて北極に逃げたとか。
単に太陽光線適応のためのメラニン色素の多寡ってな気がするけれど。アマゾンの原住民もマレー人も、オーストラリアのアボリジニも肌は黒めだし。

投稿: 佐藤秀 | 2007.05.23 23:09

初めまして。アマゾンで2番目に素人評を書いた者です。

私は、《不思議なのは、この本が、大きな書店に行っても精神分析のコーナーにはあるが、世界史のコーナーには置いてないことです。》と書きました。

>偶然だと思うが私も書店でなんとなく見かけなかったが、…

とのこと。私の場合、finalvent氏がよく行くという新宿の有隣堂でのことで、もしかしたら同じ棚を見ていたのかなと、おもしろく思いました。

実は、“finalventの日記”の方では、別の名前で出没していたもの者なので、今からカミングアウトしてきます。 

投稿: SeaMount | 2007.05.24 19:20

その点岸田本は安いし、議論の進展が見られてお得そうですね。黒いアテナ(翻訳本)を買った身としては素直にそう思います。

さて、バナール説において黒人というのはあまり強調されません。どちらかというと、アフリカ(エジプト)とメソポタミアやフェニキア(アジア)の影響という形で表現されています。サハラ以北のアフリカをホワイトアフリカと呼び慣わすように、エジプト文明の主役はニグロと言いたいわけではないのです。
では何故黒人という表現が出てくるのかといえば、がちがちの白人至上主義者にとって、中東のアラブのような人々もエジプト人も有色人種=非アジア人だから黒人、という名指しが起きちゃったからですね。
困った話です。

ただ、移住の歴史に関して言えば、別に闘争とか差別の歴史とか仰々しいことを言わなくても、人間なんてふらふらして別の土地に移り住んでいくものじゃないか、定住するのは大変だぜという西田正規みたいな考え方の方がいいと思うんですけど。

投稿: nabeso | 2007.05.24 21:51

失礼しました。2コ上で、「新宿の有隣堂」としましたが、ジュンク堂と間違えました。ルミネ2の有隣堂は、便利だったのですが、短期間でつぶれましたね。

投稿: SeaMount | 2007.05.24 22:34

一元論が完璧なものだと信ずる処から、ありゃ嘘だになる。
「はじめからウチは二元論ですよ」なら、涼しい顔での組み立てもOKなのよ。裏で舌出していてもね。
お話もトンデモも情報は情報、自分のあたまを使うこと。ほんとはコーコーなんかで検証しようもない知識を入れることはスペースの無駄。
ウチらは検証手段の限られてる分野には甘いのね。日刊紙の見出しでこれだったらどうかと考えてみてね。

投稿: わすれた | 2007.05.27 22:33

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