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2006.02.22

ハイパーグラフィア

 ハイパーグラフィア(Hypergraphia)の話をブログ「Passion For The Future」のエントリ「書きたがる脳 言語と創造性の科学」(参照)で見かけた。同エントリは、「The Midnight Disease: The Drive to Write, Writer's Block, and the Creative Brain」(参照)の邦訳書の書評的な話から切り出されたもので、ハイパーグラフィアは文章を書かずにはいられない精神の病気だという流れであった。


ハイパーグラフィア(書かずにいられない病)とライターズ・ブロック(書きたくても書けない病)について、自ら両方の症状を経験した医師でもある著者が、脳科学と精神医学の視点で言語と創造性の科学に迫る。

 ハイパーグラフィアというタームは、そのジャーゴンが The Midnight Disease (深夜の病)という語感から私は洒落だろうなと思っていた。つまり、精神医学的には認知されていないと思っていた。なので、ちょっとこの機会にあらためて調べてみる、と微妙といった感じであった。
 ちなみに、MedicienNet.COMのハイパーグラフィアの定義を見ると、まず書かずにいられない強迫があるのだが、それはもうトイレットペーパーでもなんでいいから書くという感じであり、研究史から関連する脳機能についての簡単なコメントがあった。

Temporal lobe epilepsy is associated with hypergraphia. This association has been known at least as early as 1974 (Waxman SG, Geschwind N. Hypergraphia in temporal lobe epilepsy. Neurology. 1974;24:629-36). A number of prolific writer may have had temporal lobe epilepsy, including Byron, Dante, Dostoevsky, Moliere, Petrarch, Poe, and Tennyson.

 精神活動の脳機能への還元というのは米国の精神研究の大きな潮流だが、この研究については昨今のfMRIとか使う流れのものではなくペンフィールドとかそのあたりの頃のものかなという印象を持つ。とはいえ、先の書籍は二〇〇四年の刊行なので現在の流れで論じられているのかもしれない。
 広義にハイパーグラフィアということで私が思い浮かぶ人間は二人いる。バートランド・ラッセルとカール・マルクスだ。ラッセルについては昔書簡集を見て、一日なんども手紙を書いているもの変だし膨大な手紙だなと思ったからだ。しかし、今考えてみると、現代人のメールも似たようなものかもしれない。マルクスについては資本論の原典を見たときの印象だ。この人は生まれた時代が違っていたらその祖先のようにタルムードでも書いたのではないかと思った。と同時に、エンゲルスの編集した資本論とはなんだろうという深い疑問を私に残した。まあ、その話はこのエントリではふくらませない。
 私はこの極東ブログを毎日書いている。ブログはログ(日誌)でもあるから一日一エントリを書く決意でいる。その決意についてはたぶん今年の五月くらいにもう一度書くつもりでいる。ようは自分の意志の形を見たいということでもある。
 決意というのは、当然、ちょっと無理があるなという含みあり、新鋭アルファーブロガー、hankakueisuu氏がブログ「真性引き篭もり」のエントリ「一日一回の更新を怠らないブロガーを僕は信じない事にしている。そして僕は更新という作業を行う事を止めようと考えるに至った。」(参照)でいみじくも指摘していることは正鵠を射ているのだろう。

即ち、仮にブログを書いている人間というものが存在していたならば、一日にたった1つのエントリーを投稿したくらいで、ブログを書くという人間の根源的欲求が収まるはずがないのである。であるからして、1日に1つのエントリーが毎日毎日行われるようなもところには実質魂が無いのである。

 その通りと私は私について頷くのだが、もうちょっとある。私は、昔読んだ吉本隆明の教えを実践しているのだ。正確な言葉ではないが、こういうものだった……およそ物を書くなら魚屋が魚を売るように八百屋が野菜を売るようにそれが生きるための避けがたい作業であることを身体に叩き込ませるように書け……。
 書くことの魔から逃れることは可能ではないかもしれないが、根源的欲求とか実質的魂などとうのもは紛う方無き糞である。魚屋は魚を売るのが好きだが、その好きというのは、趣味でやっているのではない。趣味の延長で楽々やっているかたもいるかもしれない。それでも、その行為が生きることと同値するようなありかたで実践している。吉本隆明はそのようにものを書けと言ったのだった。大学の先生が給料をもらっている片手間に知的な事を書くのではなく……という含みもあった。
 吉本隆明のこの教えにはもう一つの側面があった。二十五時に書け、と。大衆としての生活の一日を終えて、深夜、まさにミッドナイトに睡眠を削って書けというものだった。振り返ると私はずっとそうしてきたようにも思うが、四十歳半ばを過ぎて身体管理と仕事もあってそれなりのスケジュール的にこなしているようになった。
 が、天は見逃さず。昨晩、作業場に戻ったのは二三時半も回ったところだった。取り置きのエントリもないことにしているので、あとはマジで二十五時かと呻いた。

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コメント

庶民に売るように書くというのがポイントで、
売れるならなんでも書くということでもあるし、
極東ブログは、かなり難しいことを書いているとおもうけど。

投稿: noneco | 2006.02.23 19:52

 はじめまして。
 神戸学院大学の山鳥重氏の講演を聞いたことがありますが、Hypergraphia あるいは Hyperlaliaは、非言語優位半球(右利きなら右半球)損傷の起こった時に起こりやすいとか。
 病的レベルではなく健常レベルでのHypergraphia があるとすれば、右脳の損傷というよりは、左脳の生理的超越が背景にあるのでは。

投稿: desk | 2006.02.24 01:57

「ブログ千日行」は、並大抵ではない茨の道でございます。ゆっくり休まれてください。

投稿: Hiro-san@ヒロさん日記 | 2006.02.25 05:33

この本はご存知ですか?
http://www.planetcomics.jp/index.php?itemid=851

投稿: pecopeco | 2008.06.07 16:26

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