スターリンの葬送狂騒曲
The Death of Stalin
2017 フランス/イギリス/ベルギー/カナダ 107分
スターリンの死からベリヤの失脚まで。監督はイタリア系スコットランド人のアーマンド・イアヌッチ。アーマンド・イアヌッチといえばTVのコメディシリーズ『Veep/ヴィープ』が有名だが、『Veep/ヴィープ』の(やや度を越した)政治的な皮の薄さがスターリン時代の状況にそのまま転化したものが今作『スターリンの死』だということになると思う。つまりアメリカ初の女性副大統領にしてもスターリンとその周辺にしても単にコメディのためのネタであり、そのコメディは一見したところ政治的な味付けがあるように見えても正体は政治的でも、まして歴史的でもない。この映画の作り手は手にしたネタを面白おかしく見せようとしているだけで、これがさしあたりこの半世紀の出来事であるという認識はあっても、その期間における人類史に対して同時代的な責任を感じていない、と言えばおそらく言い過ぎになるのかもしれないが、その責任の欠如が対象としている時代と向き合う真摯さを失わしめているのは間違いないと考える。対象とすべき存在は記号化されたボケとツッコミのようなものではなく、不気味なほど複雑なものであったはずであるにもかかわらず、つまらないと思ったのか、手にあまると思ったのか(前者であろうと推定している)そこをきれいにスルーしている。はっきり言って不真面目な上に頭が悪い。ほぼ同じ題材を扱っていても、同時代のエピソードをそのまま再現すれば客観的にはコメディになるはずだという認識にもとづいた1983年のイギリス製コメディ『クレムリンの赤いバラ』のほうがはるかにまじめだし、そしてはるかに頭がいいし、それを言えば「スターリンの隠し子」を扱った1996年のオーストラリア映画『革命の子供たち』もかなり頭がいい。そして時代に対して少しでも関心があったならば、やはりほぼ同じ素材を扱ったアンドレイ・コンチャロフスキーの『インナーサークル』を見て、その時代のその場所には人間の手にはあまるほど何か得体の知れない厳かなものがあった(と記憶する人々が実在する)ことを学習しておくべきであった。
スティーヴ・ブシェミのフルシチョフには残念ながら感心しなかった。そもそもフルシチョフに向いているひとではないと思う。サイモン・ラッセル・ビール(『ターザン:REBORN』で武器商人をやっていたひと)のベリヤも同様で、ベリヤとしては声も気配も太すぎる。わたしとしてはボブ・ホスキンスの一人二役というのが好ましかったような気がするが、あいにくとすでに亡くなっている。スターリンの葬儀のシーンはそれなりのスケールがあって見ごたえがあったが、ルビヤンカやグラーグ、NKVDのいわゆる青帽のふるまいや夜間逮捕などに関する一連の描写は「正しくない」。ネタにしているだけだから、しかたなかろう、とは思う。
Tetsuya Sato
2018年8月7日火曜日
2017年9月15日金曜日
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
Trumbo
2015年 アメリカ 124分
監督:ジェイ・ローチ
ダルトン・トランボが赤狩りでハリウッドから排除され、偽名で活動を続けて『スパルタカス』『栄光への脱出』で復帰の足掛かりをつかみ、名誉が回復されるまで。
ジェイ・ローチの演出はいまひとつ芸が足りないが、ブライアン・クランストンが面白いのでさしあたり見ていて飽きるということはない。ブライアン・クランストンを見る映画であろう。ジョン・ウェイン役のデヴィッド・ジェームズ・エリオットがまったくジョン・ウェインに似ていないのは確信犯なのだろうか。カーク・ダグラス役のディーン・オゴーマン、オットー・プレミンジャー役のクリスチャン・ベルケルがモデルになった本人の適切なパロディになっているのとなにやら対照的である。地味ではあるがトランボ夫人を演じたダイアン・レインが非常にいい感じであった。
Tetsuya Sato
Trumbo
2015年 アメリカ 124分
監督:ジェイ・ローチ
ダルトン・トランボが赤狩りでハリウッドから排除され、偽名で活動を続けて『スパルタカス』『栄光への脱出』で復帰の足掛かりをつかみ、名誉が回復されるまで。
ジェイ・ローチの演出はいまひとつ芸が足りないが、ブライアン・クランストンが面白いのでさしあたり見ていて飽きるということはない。ブライアン・クランストンを見る映画であろう。ジョン・ウェイン役のデヴィッド・ジェームズ・エリオットがまったくジョン・ウェインに似ていないのは確信犯なのだろうか。カーク・ダグラス役のディーン・オゴーマン、オットー・プレミンジャー役のクリスチャン・ベルケルがモデルになった本人の適切なパロディになっているのとなにやら対照的である。地味ではあるがトランボ夫人を演じたダイアン・レインが非常にいい感じであった。
2017年9月11日月曜日
ダンケルク
ダンケルク
Dunkirk
2017年 イギリス/オランダ/フランス/アメリカ 106分
監督:クリストファー・ノーラン
1940年5月、撤退する連合軍はダンケルクでドイツ軍の包囲を受けて退路を失い、これに対して軍艦、輸送船、民間の小型船舶を動員した脱出作戦が決行されておよそ35万人が脱出に成功する。
いわゆるダンケルクの戦いの映画化だが、ドイツ軍は「敵」という一語で抽象化され、イギリス軍に向かって発砲するドイツ軍兵士は最後まで姿を見せず、メッサーシュミットやハインケルの乗員も撃墜されても脱出しない。抽象化された「敵」が一瞬でも人間の姿を得るのは好ましくないからである。映画はダンケルクの浜に取り残されたイギリス軍兵士が体験する一週間と、政府に徴用されてその兵士たちを救出に向かうヨットの船上における一日、撤退援護に出撃したスピットファイア三機編隊の一時間という異なる三つの時間枠を時系列を前後させながら同一線上に配置して状況を立体的に描くという手法を採用し、これは見事に成功している。クリストファー・ノーランの話法としては『メメント』に近接しているが、はるかに洗練されていると思う。そしてこの三軸構造が時間の経過にしたがって接続の密度を高くしていって、そこにかかるハンス・ジマーの禁欲的な音楽が否応なく緊張を高めていく。映像と音、カットの切り返しの巧みさ、そして心地よさは半端ではない。しかし終盤にいたって燃料を失ったスピットファイアが延々と滑空を続けていくとこちらの不安がなぜか次第に大きくなり、そこにチャーチルの演説がかかってくると、それまでにおこなわれた抽象化の努力はいったいなんだったのかと首をかしげることになる。この瞬間、「状況」としてのダンケルクが「イギリスのトラウマ」としてのダンケルクに変貌するのである。戦意高揚映画じゃあるまいし。というような欠点はあるし、イギリス海軍の駆逐艦の役で出演しているフランス海軍の駆逐艦はどう見てもシルエットが違うとか、あまりにも小舟ばかりだとか、妙なところもあるものの、たいへん立派な映画であることに間違いはない。
Tetsuya Sato
Dunkirk
2017年 イギリス/オランダ/フランス/アメリカ 106分
監督:クリストファー・ノーラン
1940年5月、撤退する連合軍はダンケルクでドイツ軍の包囲を受けて退路を失い、これに対して軍艦、輸送船、民間の小型船舶を動員した脱出作戦が決行されておよそ35万人が脱出に成功する。
いわゆるダンケルクの戦いの映画化だが、ドイツ軍は「敵」という一語で抽象化され、イギリス軍に向かって発砲するドイツ軍兵士は最後まで姿を見せず、メッサーシュミットやハインケルの乗員も撃墜されても脱出しない。抽象化された「敵」が一瞬でも人間の姿を得るのは好ましくないからである。映画はダンケルクの浜に取り残されたイギリス軍兵士が体験する一週間と、政府に徴用されてその兵士たちを救出に向かうヨットの船上における一日、撤退援護に出撃したスピットファイア三機編隊の一時間という異なる三つの時間枠を時系列を前後させながら同一線上に配置して状況を立体的に描くという手法を採用し、これは見事に成功している。クリストファー・ノーランの話法としては『メメント』に近接しているが、はるかに洗練されていると思う。そしてこの三軸構造が時間の経過にしたがって接続の密度を高くしていって、そこにかかるハンス・ジマーの禁欲的な音楽が否応なく緊張を高めていく。映像と音、カットの切り返しの巧みさ、そして心地よさは半端ではない。しかし終盤にいたって燃料を失ったスピットファイアが延々と滑空を続けていくとこちらの不安がなぜか次第に大きくなり、そこにチャーチルの演説がかかってくると、それまでにおこなわれた抽象化の努力はいったいなんだったのかと首をかしげることになる。この瞬間、「状況」としてのダンケルクが「イギリスのトラウマ」としてのダンケルクに変貌するのである。戦意高揚映画じゃあるまいし。というような欠点はあるし、イギリス海軍の駆逐艦の役で出演しているフランス海軍の駆逐艦はどう見てもシルエットが違うとか、あまりにも小舟ばかりだとか、妙なところもあるものの、たいへん立派な映画であることに間違いはない。
2017年6月27日火曜日
1898: スペイン領フィリピン最後の日
1898: スペイン領フィリピン最後の日
1898. Los ultimos de Filipinas
2016年 オーストラリア/アメリカ 139分
監督:サルバドール・カルボ
1898年、マニラからおよそ200キロ離れたバレルで守備隊がタガログ人武装勢力の襲撃にあって全滅した、ということで新兵ばかりで構成された新たな部隊が送り込まれるものの、スペイン人部隊はタガログ人の数に圧倒されてバレルの中心にある教会に後退、ここを要塞化して籠城を始め、そうするあいだに米西戦争でスペインが敗北、フィリピンは2000万ドルでアメリカに売り渡され、しかしバレルでスペイン軍を指揮するモレナス大尉はフィリピン独立派との戦争は終わった、というタガログ人の主張もフィリピンはすでにスペイン領ではないので撤退せよ、というスペイン軍の命令もマニラで発行された新聞もことごとく欺瞞であると言って退けてあくまでも籠城を続けるので、包囲されて補給を絶たれたスペイン軍部隊では水腫型の脚気が蔓延して死者が続出、タガログ人部隊の襲撃や山砲による砲撃に耐えながら、おそらくはおのれの無能を訂正する機会を失ったまま一年近く無意味にがんばる。
Netflixで鑑賞。映画ではバレルのスペイン人部隊が50人、包囲するタガログ人部隊も数百人程度という感じで描かれ、舞台になるバレルもほとんど小村という感じになっているが、実際の状況はもっと大規模だったらしい。とはいえ、攻守双方でそれなりにキャラクターが立っているし、特にスペイン側の精神崩壊ぶりがなかなかの表現になっていて見ごたえがある。
Tetsuya Sato
1898. Los ultimos de Filipinas
2016年 オーストラリア/アメリカ 139分
監督:サルバドール・カルボ
1898年、マニラからおよそ200キロ離れたバレルで守備隊がタガログ人武装勢力の襲撃にあって全滅した、ということで新兵ばかりで構成された新たな部隊が送り込まれるものの、スペイン人部隊はタガログ人の数に圧倒されてバレルの中心にある教会に後退、ここを要塞化して籠城を始め、そうするあいだに米西戦争でスペインが敗北、フィリピンは2000万ドルでアメリカに売り渡され、しかしバレルでスペイン軍を指揮するモレナス大尉はフィリピン独立派との戦争は終わった、というタガログ人の主張もフィリピンはすでにスペイン領ではないので撤退せよ、というスペイン軍の命令もマニラで発行された新聞もことごとく欺瞞であると言って退けてあくまでも籠城を続けるので、包囲されて補給を絶たれたスペイン軍部隊では水腫型の脚気が蔓延して死者が続出、タガログ人部隊の襲撃や山砲による砲撃に耐えながら、おそらくはおのれの無能を訂正する機会を失ったまま一年近く無意味にがんばる。
Netflixで鑑賞。映画ではバレルのスペイン人部隊が50人、包囲するタガログ人部隊も数百人程度という感じで描かれ、舞台になるバレルもほとんど小村という感じになっているが、実際の状況はもっと大規模だったらしい。とはいえ、攻守双方でそれなりにキャラクターが立っているし、特にスペイン側の精神崩壊ぶりがなかなかの表現になっていて見ごたえがある。
Tetsuya Sato
2017年4月3日月曜日
ベン・ハー(2016)
ベン・ハー
Ben-Hur
2016年 アメリカ 141分
監督:ティムール・ベクマンベトフ
ユダヤの豪族の息子ジュダ・ベン・ハーと汚名を着て孤児となったローマ人メッサラはユダヤの地でともに暮らして義兄弟の契りを交わしていたが、自らがハー家の食客であり、無一文であることを恥じたメッサラはベン・ハーの妹ティルザに求婚する資格を得るためにローマに戻ると軍団兵士となって各地を転戦、名誉を得て第十軍団に属する指揮官となってユダヤに戻ってベン・ハーをはじめとするハー家の人々の歓迎を受けるが、ポンティウス・ピラトがエルサレム市内を行軍した折、ハー家から弓矢が放たれたことから状況は一変、メッサラは自らの立場を守るためにハー家の人々の捕縛を命じ、ジュダ・ベン・ハーはガレー船奴隷となって復讐と憎悪を糧に五年を生き延び、イオニア海における海戦で船が沈むと鎖から逃れて脱出を果たし、海岸にたどり着いたところで族長イルデリムに救われ、イルデリムはそもそも馬術に秀でていたベン・ハーを所有する戦車の騎手に採用し、エルサレムを訪れると相手に断れない条件でピラトを誘ってユダヤの代表選手にベン・ハーを使う同意を得るとベン・ハーを相手に戦車競技の指南にかかり、ベン・ハーは競技場でローマ代表選手のメッサラと対決する。
ウィリアム・ワイラーの1959版が原作の精神に対する誠実な映画化であったとすれば、ティムール・ベクマンベトフによるこの2016年版は原作は馬術競技をするために用意された都合の良い薄皮である。開巻、戦車レースが始まるところがまず映し出されていったい何が起こっているのかと驚いていると時間は八年前にいきなり戻り、ベン・ハーとメッサラが仲良く馬を走らせている。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。話が進んでベン・ハーがエスターとの関係を進め、一頭の馬に仲良くまたがって街中に出る場面がある。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。なにしろカジュアルにデザインされているので登場人物もとにかく軽い。イエスもその辺に住んでいて、大工の仕事をしながらそれらしい言葉をかけてくる。これに対してローマ人は軍装が微妙に重たくなり、ふるまいは類型化を超えてナチのように描かれており、ゼロテ党はほぼレジスタンスに位置付けられている。プロットは終盤のレースのために集約されて余計な要素は切り落とされ、筋書だけを追っている限りではこれは『ベン・ハー』ではなくて『ベン・ハー』によく似たなにかにしか見えてこない。だからメッサラの野心も最後には愛の前にくじけることになるのである。で、だから面白くないかというとそういうことは決してなくて、全体に軽量化はされているもののふつうに見ていればそれなりに面白いし、海戦の場面では漕ぎ手座からその様子が見えるだけ、という演出が効果的に使われているし、なにしろベクマンベトフだから、ということになるのかもしれないが、馬の扱いが非常にうまく、戦車レースのシーンはちょっとない見物になっている(ピットインしないのが不思議なくらいモダンだけど)。いやあ、いいんじゃないですか、というのが素朴な感想である。
Tetsuya Sato
Ben-Hur
2016年 アメリカ 141分
監督:ティムール・ベクマンベトフ
ユダヤの豪族の息子ジュダ・ベン・ハーと汚名を着て孤児となったローマ人メッサラはユダヤの地でともに暮らして義兄弟の契りを交わしていたが、自らがハー家の食客であり、無一文であることを恥じたメッサラはベン・ハーの妹ティルザに求婚する資格を得るためにローマに戻ると軍団兵士となって各地を転戦、名誉を得て第十軍団に属する指揮官となってユダヤに戻ってベン・ハーをはじめとするハー家の人々の歓迎を受けるが、ポンティウス・ピラトがエルサレム市内を行軍した折、ハー家から弓矢が放たれたことから状況は一変、メッサラは自らの立場を守るためにハー家の人々の捕縛を命じ、ジュダ・ベン・ハーはガレー船奴隷となって復讐と憎悪を糧に五年を生き延び、イオニア海における海戦で船が沈むと鎖から逃れて脱出を果たし、海岸にたどり着いたところで族長イルデリムに救われ、イルデリムはそもそも馬術に秀でていたベン・ハーを所有する戦車の騎手に採用し、エルサレムを訪れると相手に断れない条件でピラトを誘ってユダヤの代表選手にベン・ハーを使う同意を得るとベン・ハーを相手に戦車競技の指南にかかり、ベン・ハーは競技場でローマ代表選手のメッサラと対決する。
ウィリアム・ワイラーの1959版が原作の精神に対する誠実な映画化であったとすれば、ティムール・ベクマンベトフによるこの2016年版は原作は馬術競技をするために用意された都合の良い薄皮である。開巻、戦車レースが始まるところがまず映し出されていったい何が起こっているのかと驚いていると時間は八年前にいきなり戻り、ベン・ハーとメッサラが仲良く馬を走らせている。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。話が進んでベン・ハーがエスターとの関係を進め、一頭の馬に仲良くまたがって街中に出る場面がある。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。なにしろカジュアルにデザインされているので登場人物もとにかく軽い。イエスもその辺に住んでいて、大工の仕事をしながらそれらしい言葉をかけてくる。これに対してローマ人は軍装が微妙に重たくなり、ふるまいは類型化を超えてナチのように描かれており、ゼロテ党はほぼレジスタンスに位置付けられている。プロットは終盤のレースのために集約されて余計な要素は切り落とされ、筋書だけを追っている限りではこれは『ベン・ハー』ではなくて『ベン・ハー』によく似たなにかにしか見えてこない。だからメッサラの野心も最後には愛の前にくじけることになるのである。で、だから面白くないかというとそういうことは決してなくて、全体に軽量化はされているもののふつうに見ていればそれなりに面白いし、海戦の場面では漕ぎ手座からその様子が見えるだけ、という演出が効果的に使われているし、なにしろベクマンベトフだから、ということになるのかもしれないが、馬の扱いが非常にうまく、戦車レースのシーンはちょっとない見物になっている(ピットインしないのが不思議なくらいモダンだけど)。いやあ、いいんじゃないですか、というのが素朴な感想である。
2016年1月18日月曜日
提督の艦隊
提督の艦隊
Michiel de Ruyter
2015年 オランダ 105分
監督:ロエル・レイネ
チャールズ2世のイギリスがオランダの海上交通路封鎖をたくらんで第二次英蘭戦争が始まり、オランダの首相となったヨハン・デ・ウィットはミヒール・デ・ロイテルを提督に任命、信号旗を大幅に拡充したミヒール・デ・ロイテルは英国艦隊に対して単縦陣と包囲陣を併用して勝利を収め、さらにテムズ川をさかのぼってチャタムに攻め入り、英国艦隊に焼き討ちをかけ、この結果、ブレダの和約が結ばれるが、ルイ14世がオランダ侵攻を計画するとチャールズ2世はドーヴァーの密約を交わして英国艦隊をオランダに送り、フランスがオランダの国土に侵攻するとオランダ国内ではヨハン・デ・ウィットに対する不満が強まり、デ・ウィット兄弟は虐殺されてオラニエ公ウィレム3世が政権を取り、引き続き提督を命じられたミヒール・デ・ロイテルは攻め寄せる英仏連合の艦隊に罠をしかけ、喫水の深いフランス艦はオランダ沿岸で次々と座礁、チャールズ2世はメアリ・スチュワートをウィレム3世に嫁がせ、ミヒール・デ・ロイテルは地中海に派遣されてフランスとの戦いで戦死する。
開巻、デン・ハーグの海岸に集まった市民が沖で展開するシェヴェニンゲンの海戦を望見するところで目を奪われた。格別に予算がかかった映画ではないし、おそらくは復元ガレオン船一隻にCGで山ほども船を足して、被弾すると派手に木っ端が飛ぶ割には壊れている気配がないし、ハイスピードショットの頻度の高さも気になるものの、17世紀当時の艦隊戦を描こうという明確な目的に沿って絵が作られていて、船の細部の描写も含めて、そこのところは無条件に楽しいし、つまり見たまんまだったということなのか、人物がふつうにオランダ絵画しているあたりも面白い。序盤で戦死するトロンプ提督がルトガー・ハウアー、チャールズ2世がチャールズ・ダンス。なにしろチャールズ・ダンスなので、このチャールズ2世も見ごたえがあった。
Tetsuya Sato
Michiel de Ruyter
2015年 オランダ 105分
監督:ロエル・レイネ
チャールズ2世のイギリスがオランダの海上交通路封鎖をたくらんで第二次英蘭戦争が始まり、オランダの首相となったヨハン・デ・ウィットはミヒール・デ・ロイテルを提督に任命、信号旗を大幅に拡充したミヒール・デ・ロイテルは英国艦隊に対して単縦陣と包囲陣を併用して勝利を収め、さらにテムズ川をさかのぼってチャタムに攻め入り、英国艦隊に焼き討ちをかけ、この結果、ブレダの和約が結ばれるが、ルイ14世がオランダ侵攻を計画するとチャールズ2世はドーヴァーの密約を交わして英国艦隊をオランダに送り、フランスがオランダの国土に侵攻するとオランダ国内ではヨハン・デ・ウィットに対する不満が強まり、デ・ウィット兄弟は虐殺されてオラニエ公ウィレム3世が政権を取り、引き続き提督を命じられたミヒール・デ・ロイテルは攻め寄せる英仏連合の艦隊に罠をしかけ、喫水の深いフランス艦はオランダ沿岸で次々と座礁、チャールズ2世はメアリ・スチュワートをウィレム3世に嫁がせ、ミヒール・デ・ロイテルは地中海に派遣されてフランスとの戦いで戦死する。
開巻、デン・ハーグの海岸に集まった市民が沖で展開するシェヴェニンゲンの海戦を望見するところで目を奪われた。格別に予算がかかった映画ではないし、おそらくは復元ガレオン船一隻にCGで山ほども船を足して、被弾すると派手に木っ端が飛ぶ割には壊れている気配がないし、ハイスピードショットの頻度の高さも気になるものの、17世紀当時の艦隊戦を描こうという明確な目的に沿って絵が作られていて、船の細部の描写も含めて、そこのところは無条件に楽しいし、つまり見たまんまだったということなのか、人物がふつうにオランダ絵画しているあたりも面白い。序盤で戦死するトロンプ提督がルトガー・ハウアー、チャールズ2世がチャールズ・ダンス。なにしろチャールズ・ダンスなので、このチャールズ2世も見ごたえがあった。
2016年1月17日日曜日
ブリッジ・オブ・スパイ
ブリッジ・オブ・スパイ
Bridge of Spies
2015年 アメリカ/ドイツ/インド 142分
監督:スティーヴン・スピルバーグ
1957年、ニューヨークの弁護士事務所でパートナーをしているジェームズ・ドノヴァンはFBIに逮捕されたルドルフ・アベルの国選弁護人を引き受けるが、ルドルフ・アベルの容疑がソ連のスパイで、小学校では核兵器の威力を子供たちに説明してduck & coverなどとやっている時代なので、敵のスパイの弁護をしたということでジェームズ・ドノヴァンは全米から批判を受けることになるが、法理念に忠実なジェームズ・ドノヴァンはまずFBIの過失を発見して証拠の有効性に疑念をはさみ、被告が法的に適性に処理されていないと主張するものの、結論ありきで裁判を進める判事によってこの主張を退けられ、陪審はルドルフ・アベルに有罪を認め、ジェームズ・ドノヴァンは判事の家を訪れてルドルフ・アベルはアメリカの交渉カードであると説得し、判事はジェームズ・ドノヴァンの言葉に理を認めると電気椅子を求める全米の期待に反してルドルフ・アベルに30年の禁固刑を宣告し、ジェームズ・ドノヴァンの家には銃弾が撃ち込まれることになるが、1960年、いわゆるU-2撃墜事件が発生し、フランシス・ゲイリー・パワーズがスパイ容疑で告発を受けて有罪宣告を受けたことから、1962年、ジェームズ・ドノヴァンはCIAから要請を受けてパワーズとアベルの交換交渉をすることになり、西ベルリンの廃屋同然の拠点を与えられてヒルトンに宿泊するCIA職員の指示を受け、壁ができあがったばかりの東ベルリンを単身で訪れると不良グループにコートを奪われ、風邪を引いた状態でソ連大使館で交渉を開始、パワーズに加えて前年に東ベルリンで逮捕されたイェールの学生フレデリック・プライアーの返還も要求すると、ソ連側はプライアーの一件は管轄が違うと主張して東ドイツ側の代表を紹介し、主権国家としてアメリカの承認を求める東ドイツはソ連とは違うことを言い、CIAはCIAでプライアーなど自業自得だから知らないと言い、それでもジェームズ・ドノヴァンは信念にしたがって要求を通し、パワーズとプライアーは開放され、ソ連はルドルフ・アベルを取り戻し、東ドイツは面目を保つ。
ジェームズ・ドノヴァンがトム・ハンクス、ルドルフ・イヴァノヴィチ・アベルがマーク・ライランス。一見して人柄があふれるトム・ハンクスのジェームズ・ドノヴァンもたいへんなものだが、ほとんど表情のないマーク・ライランスの演技がまたすごい。50年代末から60年代初頭のアメリカ、東西ベルリンが精密に再現され、特に東ベルリンのファンタジーっぷりがなんだか『ワン、ツー、スリー』みたいでなかなかに楽しい(しかもそれを映画で見ているだけのこちらはその場に自分がいないことを喜べる)。コーエン兄弟による脚本がよくまとまっているのか、映画の方向性は明瞭で、ヤヌス・カミンスキの撮影はほとんど神がかりと言ってもよく、スピルバーグの演出は2時間半近いこの作品を一気に見せる。すばらしい映画だと思う。ところで大仕事を終えて帰宅したドノヴァン弁護士を迎えた家族がテレビの前で食べていたのはいわゆるテレビディナーだったのではあるまいか。一瞬しか映らなかったので自信はないが。
Tetsuya Sato
Bridge of Spies
2015年 アメリカ/ドイツ/インド 142分
監督:スティーヴン・スピルバーグ
1957年、ニューヨークの弁護士事務所でパートナーをしているジェームズ・ドノヴァンはFBIに逮捕されたルドルフ・アベルの国選弁護人を引き受けるが、ルドルフ・アベルの容疑がソ連のスパイで、小学校では核兵器の威力を子供たちに説明してduck & coverなどとやっている時代なので、敵のスパイの弁護をしたということでジェームズ・ドノヴァンは全米から批判を受けることになるが、法理念に忠実なジェームズ・ドノヴァンはまずFBIの過失を発見して証拠の有効性に疑念をはさみ、被告が法的に適性に処理されていないと主張するものの、結論ありきで裁判を進める判事によってこの主張を退けられ、陪審はルドルフ・アベルに有罪を認め、ジェームズ・ドノヴァンは判事の家を訪れてルドルフ・アベルはアメリカの交渉カードであると説得し、判事はジェームズ・ドノヴァンの言葉に理を認めると電気椅子を求める全米の期待に反してルドルフ・アベルに30年の禁固刑を宣告し、ジェームズ・ドノヴァンの家には銃弾が撃ち込まれることになるが、1960年、いわゆるU-2撃墜事件が発生し、フランシス・ゲイリー・パワーズがスパイ容疑で告発を受けて有罪宣告を受けたことから、1962年、ジェームズ・ドノヴァンはCIAから要請を受けてパワーズとアベルの交換交渉をすることになり、西ベルリンの廃屋同然の拠点を与えられてヒルトンに宿泊するCIA職員の指示を受け、壁ができあがったばかりの東ベルリンを単身で訪れると不良グループにコートを奪われ、風邪を引いた状態でソ連大使館で交渉を開始、パワーズに加えて前年に東ベルリンで逮捕されたイェールの学生フレデリック・プライアーの返還も要求すると、ソ連側はプライアーの一件は管轄が違うと主張して東ドイツ側の代表を紹介し、主権国家としてアメリカの承認を求める東ドイツはソ連とは違うことを言い、CIAはCIAでプライアーなど自業自得だから知らないと言い、それでもジェームズ・ドノヴァンは信念にしたがって要求を通し、パワーズとプライアーは開放され、ソ連はルドルフ・アベルを取り戻し、東ドイツは面目を保つ。
ジェームズ・ドノヴァンがトム・ハンクス、ルドルフ・イヴァノヴィチ・アベルがマーク・ライランス。一見して人柄があふれるトム・ハンクスのジェームズ・ドノヴァンもたいへんなものだが、ほとんど表情のないマーク・ライランスの演技がまたすごい。50年代末から60年代初頭のアメリカ、東西ベルリンが精密に再現され、特に東ベルリンのファンタジーっぷりがなんだか『ワン、ツー、スリー』みたいでなかなかに楽しい(しかもそれを映画で見ているだけのこちらはその場に自分がいないことを喜べる)。コーエン兄弟による脚本がよくまとまっているのか、映画の方向性は明瞭で、ヤヌス・カミンスキの撮影はほとんど神がかりと言ってもよく、スピルバーグの演出は2時間半近いこの作品を一気に見せる。すばらしい映画だと思う。ところで大仕事を終えて帰宅したドノヴァン弁護士を迎えた家族がテレビの前で食べていたのはいわゆるテレビディナーだったのではあるまいか。一瞬しか映らなかったので自信はないが。
Tetsuya Sato
2015年10月15日木曜日
タイム・ハンターズ 19世紀の海賊と謎の古文書
タイム・ハンターズ 19世紀の海賊と謎の古文書
Fort Ross
2013年 ロシア 100分
監督:ユーリー・モロズ
モスクワのテレビ局でニュース番組の記者をしているドミトゥリは露米会社の取材を命じられてカメラマンのフィムカとともにサンフランシスコを訪れ、そこでロシア系アメリカ人で音響担当のマルゴと合流してフォート・ロスを取材するが、ドミトゥリの携帯にはモスクワ時間矯正会社が勝手にインストールしたアプリが仕込まれていて、たまたまそれを操作するといきなり19世紀初頭のフォート・ロスに放り込まれ、驚いて現代に戻ってくると衣装を整え、フィムカ、マルゴ及びスクーター一台とともに再び19世紀初頭の西海岸へ飛び込むものの、そこで出会った海賊にマルゴと携帯を奪われるので、ロシア人が暴れているというスペイン人総督の苦情に応じて出動した露米会社所属の海軍兵士たちと協力して海賊と戦う。
露米会社という素材自体はきわめて珍しいし、19世紀初頭のロシア海軍の制服その他の装備なども珍しいが、タイムトラベルの部分はあきらかに余計であろう。視覚的にはいちおうの努力が見えるものの、だらだらとしていて締りがない。
Tetsuya Sato
Fort Ross
2013年 ロシア 100分
監督:ユーリー・モロズ
モスクワのテレビ局でニュース番組の記者をしているドミトゥリは露米会社の取材を命じられてカメラマンのフィムカとともにサンフランシスコを訪れ、そこでロシア系アメリカ人で音響担当のマルゴと合流してフォート・ロスを取材するが、ドミトゥリの携帯にはモスクワ時間矯正会社が勝手にインストールしたアプリが仕込まれていて、たまたまそれを操作するといきなり19世紀初頭のフォート・ロスに放り込まれ、驚いて現代に戻ってくると衣装を整え、フィムカ、マルゴ及びスクーター一台とともに再び19世紀初頭の西海岸へ飛び込むものの、そこで出会った海賊にマルゴと携帯を奪われるので、ロシア人が暴れているというスペイン人総督の苦情に応じて出動した露米会社所属の海軍兵士たちと協力して海賊と戦う。
露米会社という素材自体はきわめて珍しいし、19世紀初頭のロシア海軍の制服その他の装備なども珍しいが、タイムトラベルの部分はあきらかに余計であろう。視覚的にはいちおうの努力が見えるものの、だらだらとしていて締りがない。
Tetsuya Sato
2015年9月14日月曜日
歩兵は攻撃する
歩兵は攻撃する
Infanterie greift an
エルヴィン・ロンメル, 1937
浜野喬士・訳
作品社
エルヴィン・ロンメルによる第一次大戦従軍手記。ヴュルテンベルク第六歩兵連隊の少尉として1914年から1915年までアルゴンヌで戦い、昇進して中尉になると新たに創設されたヴュルテンベルク山岳歩兵大隊に配属となって1916年からカルパチア山中でルーマニア軍と戦い、1917年からはイタリア戦線でイタリア軍と戦う。つまり第一次大戦で一般的に想起される西部戦線の泥沼的な状況はほとんど経験しておらず、アルゴンヌにいた時期もまだ森がある。ルーマニア戦線に移ってからは一貫して山岳戦で、どうかすると高低差が300メートル以上もある戦場をひたすらに登ったり下りたり、寒さに震えたり暑さに焼かれたり、空腹に苦しんだりしながら、ただもうひたすらに偵察をして地図を読んで、敵の配置を観察して自軍に優位な地点を探し、作戦を考え、兵を配置し、疲労の極限と戦っている。当時のドイツ軍の運用がいまひとつわからないのだが、少なくとも山岳戦ではかなり臨機応変と言うべきなのか(あるいは下級将校の損耗率が高いせいか)、小隊長クラスがふつうに中隊を指揮しているし、ロンメル本人が「ロンメル隊」と呼ぶ部隊も状況によって数個中隊から砲兵隊を含む連隊規模にまで変化し、一貫して機動戦が展開され、エミリオ・ルッスが『戦場の一年』で描いたような膠着した状況は出現しない。ロンメルは自身で経験した一連の戦闘の立体的に、わかりやすく記述し、作戦が終了するごとに考察を加えて戦術上のポイントを指摘している。そして全体をとおして感じるのは、このひとは最初から電撃戦をやっていて、機会があれば危険を冒しても突出していた、ということである。こういう指揮官に戦車を与えて平地や砂漠を進撃させたら、それはもうどこまでもいってしまうであろう、ということである。戦場における部隊運用についての噛み砕いた記述が興味深く、非常に面白い。
Tetsuya Sato
Infanterie greift an
エルヴィン・ロンメル, 1937
浜野喬士・訳
作品社
エルヴィン・ロンメルによる第一次大戦従軍手記。ヴュルテンベルク第六歩兵連隊の少尉として1914年から1915年までアルゴンヌで戦い、昇進して中尉になると新たに創設されたヴュルテンベルク山岳歩兵大隊に配属となって1916年からカルパチア山中でルーマニア軍と戦い、1917年からはイタリア戦線でイタリア軍と戦う。つまり第一次大戦で一般的に想起される西部戦線の泥沼的な状況はほとんど経験しておらず、アルゴンヌにいた時期もまだ森がある。ルーマニア戦線に移ってからは一貫して山岳戦で、どうかすると高低差が300メートル以上もある戦場をひたすらに登ったり下りたり、寒さに震えたり暑さに焼かれたり、空腹に苦しんだりしながら、ただもうひたすらに偵察をして地図を読んで、敵の配置を観察して自軍に優位な地点を探し、作戦を考え、兵を配置し、疲労の極限と戦っている。当時のドイツ軍の運用がいまひとつわからないのだが、少なくとも山岳戦ではかなり臨機応変と言うべきなのか(あるいは下級将校の損耗率が高いせいか)、小隊長クラスがふつうに中隊を指揮しているし、ロンメル本人が「ロンメル隊」と呼ぶ部隊も状況によって数個中隊から砲兵隊を含む連隊規模にまで変化し、一貫して機動戦が展開され、エミリオ・ルッスが『戦場の一年』で描いたような膠着した状況は出現しない。ロンメルは自身で経験した一連の戦闘の立体的に、わかりやすく記述し、作戦が終了するごとに考察を加えて戦術上のポイントを指摘している。そして全体をとおして感じるのは、このひとは最初から電撃戦をやっていて、機会があれば危険を冒しても突出していた、ということである。こういう指揮官に戦車を与えて平地や砂漠を進撃させたら、それはもうどこまでもいってしまうであろう、ということである。戦場における部隊運用についての噛み砕いた記述が興味深く、非常に面白い。
Tetsuya Sato
2015年9月11日金曜日
ワルシャワ、二つの顔を持つ男
ワルシャワ、二つの顔を持つ男
Jack Strong
2014年 ポーランド 107分
監督:ヴワディスワフ・パシコフスキ
ポーランド軍将校でワルシャワ条約機構で働くリシャルド・ククリンスキはプラハの春に対する介入シナリオをソ連のために作成したことで自分の心がソ連の醜い仮面をかぶっていると感じるようになり、1970年の造船所労働者の政治蜂起に対して軍が実力で介入したことでポーランド軍もまたソ連の犬であるという不快な事実を思い知らされ、愛国者としての感情からボンのアメリカ大使館に手紙を送ってアメリカの諜報機関と接触するとCIAの協力者となってソ連及びワルシャワ条約機構の最高機密(つまり、ポーランドの、ではない)をまったくの無償で提供するという、言わば英雄的行為を続けてカーター大統領から外国の軍人としては初めて銀星勲章を授与されたりするものの、なにしろ提供している情報がブレジネフですら知らない極秘の戦争計画だったりするものだからソ連もスパイがいることに気がついて、ブレジネフですら知らない極秘の戦争計画を立案した将軍は怒り狂ってスメルシュ(ククリンスキのお友達)を叱咤し、ポーランドの対諜報組織(ククリンスキの勤務先)もついに内偵を始めるので、1981年、ククリンスキは家族とともにポーランドからの脱出を試みる。
実話の映画化で、原題の『ジャック・ストロング』はCIAがククリンスキに与えたコードネーム。監督はアンジェイ・ワイダの『カティンの森』の脚本を担当したヴワディスワフ・パシコフスキ。演出自体に格別の冴えはないものの、構成には工夫があるし、当時の状況をポーランド軍高級将校の視点から丹念に再現するという目論見は達成されていて、クライマックスの脱出ではそれなりにサスペンスも盛り上がり、ワルシャワ市内での地味なカーチェイスも悪くない。
Tetsuya Sato
Jack Strong
2014年 ポーランド 107分
監督:ヴワディスワフ・パシコフスキ
ポーランド軍将校でワルシャワ条約機構で働くリシャルド・ククリンスキはプラハの春に対する介入シナリオをソ連のために作成したことで自分の心がソ連の醜い仮面をかぶっていると感じるようになり、1970年の造船所労働者の政治蜂起に対して軍が実力で介入したことでポーランド軍もまたソ連の犬であるという不快な事実を思い知らされ、愛国者としての感情からボンのアメリカ大使館に手紙を送ってアメリカの諜報機関と接触するとCIAの協力者となってソ連及びワルシャワ条約機構の最高機密(つまり、ポーランドの、ではない)をまったくの無償で提供するという、言わば英雄的行為を続けてカーター大統領から外国の軍人としては初めて銀星勲章を授与されたりするものの、なにしろ提供している情報がブレジネフですら知らない極秘の戦争計画だったりするものだからソ連もスパイがいることに気がついて、ブレジネフですら知らない極秘の戦争計画を立案した将軍は怒り狂ってスメルシュ(ククリンスキのお友達)を叱咤し、ポーランドの対諜報組織(ククリンスキの勤務先)もついに内偵を始めるので、1981年、ククリンスキは家族とともにポーランドからの脱出を試みる。
実話の映画化で、原題の『ジャック・ストロング』はCIAがククリンスキに与えたコードネーム。監督はアンジェイ・ワイダの『カティンの森』の脚本を担当したヴワディスワフ・パシコフスキ。演出自体に格別の冴えはないものの、構成には工夫があるし、当時の状況をポーランド軍高級将校の視点から丹念に再現するという目論見は達成されていて、クライマックスの脱出ではそれなりにサスペンスも盛り上がり、ワルシャワ市内での地味なカーチェイスも悪くない。
Tetsuya Sato
2015年9月3日木曜日
ラビリンス
ラビリンス
Labyrinth
2012年 ドイツ/イギリス/南アフリカ/チェコ 196分 TV
監督:クリストファー・スミス
2012年、ラングドックの発掘現場を訪れていた教師アリス・ターナーはたまたまもぐり込んだ洞窟の奥で白骨化した死体と指輪を発見、過去を幻視して失神して、気がつくと警察が呼ばれる騒ぎになっていて、見つけたはずの指輪が行方不明になっているということで弁護士を称する男からひどく無礼な扱いを受け、この弁護士の無礼な態度には地元の若い刑事も強く反発し、アリス・ターナーの友人で発掘現場で働いていたシーラの友人でもあるこの刑事はアリス・ターナーにマリ・セシルの連絡先を渡し、いつの間にかシーラが行方不明になっているということでシーラの行方を探してマリ・セシルの家を訪れたところ、マリ・セシルの男友達であるところのウィル・フランクリンと出会い、アリス・ターナーはシーラの行方について手がかりを得られないまま、ラングドックを訪れたそもそもの目的である遺産相続の手続きのために弁護士を訪れて自分が叔母から家を譲られたことを知り、その家を訪れるとカタリ派に関する本がテーブルに置かれ、オードリックと名乗る謎の人物からアリス・ターナーに宛てた手紙があり、誘拐されたシーラは監禁されて拷問を受け、マリ・セシルは信徒に囲まれて異教の祭司を務め、観光のつもりなのかなんなのか、カルカソンヌをうろうろしていたアリス・ターナーはようやく重たい腰を上げてオードリックに会いに出かけて、歴史学者であると自称するオードリックからひどくもったいぶった説明を受け、そうしているうちにマリ・セシルを罠にかけようとする男がマリ・セシルに返り討ちにされ、マリ・セシルの秘密を暴こうとしたウィルはマリ・セシルの捕虜となり、オードリックの案内で再び洞窟を訪れたアリス・ターナーはそこで聖杯の秘密を知る、という話の一方で、1209年、アルビジョア十字軍の接近に脅えるカルカソンヌで子爵レモン・ロジェ・トランカヴェルの代官を務める(とおぼしき)ペルティエの次女アレイスは父親から秘密を明かされて聖杯に関する三冊の本のうちの一冊を預かることになり、種違いということで父親の愛を得られずに憎しみを募らせ、妹の夫ギーを寝取っている長女オリアンヌは父親と妹の会話をひそかに聞いて妹から本を奪い取り、さらにユダヤ人シメオンを襲って二冊目の本を奪い取り、妹の推理をたどって三冊目の本のありかに気がつくとカルカソンヌの薬剤師エスカモンデに襲いかかり、この重責を担えるのはおまえだけだと父親に言われて重責を担うことになったアレイスは重責を担うにはあまりの間抜けぶりをさらしながら姉が怪しいということに気がついてきて、シモン・ド・モンフォール率いる十字軍がいよいよ接近するとアレイスの夫ギーはアレイスの愛に気がついてトランカヴェルとともに出撃し、トレビュシェットを破壊するために出撃したはずが、トレビュシェットは無視して敵を殺しまくり、だから次の場面でもトレビュシェットは健在で火の玉をカルカソンヌに投げ込んでくるので市民は悲鳴を上げて逃げ惑い、開城を要求するシモン・ド・モンフォールを追い返したトランカヴェルはシモン・ド・モンフォールとの交渉におもむいてギーとともに罠にかかり、同行したオリアンヌは自分を売りつけた上で妹を売り、カルカソンヌが落ちて市民が追放されるとアレイスは姉の目を逃れて聖杯の先導者ハリフを訪ね、察するところそれから5年以上が経過してアレイスが娘とともに出かけているとハリフの家が襲撃に遭い、モンセギュールに逃れて暮らしているとそこにも十字軍が現われてモンセギュールは陥落(ということは1244年?)、混乱の中、モンセギュールを脱出したアレイスは娘をさらったオリアンヌの前に現われ、斬りかかる十字軍兵士の前にギーが飛び出し、オリアンヌは娘を人質に洞窟へ入ってアレイスを脅し、そこへ再びギーが飛び出し、そこまでほとんど役に立っていなかったエスカモンデの孫サーシャがアレイスの遺志を継ぐことになる。
ケイト・モス『ラビリンス』を原作とするミニシリーズで、製作はリドリー・スコットとトニー・スコット。ジョン・ハートが出ている、アルビジョア十字軍がそこそこの規模で登場する、トレビュシェットも出てくる、ということで鑑賞したが、さほど面白くもない話を196分かけてちんたらちんたらと流すだけで、はっきり言って退屈であった。13世紀初頭の衣装やカルカソンヌの城塞などの雰囲気はそれなりに再現されているが、当時のスカートをはいた若い娘がジーンズをはいているのと同じように歩いていてはやはり興ざめする。中身は相当に頭の悪い「歴史ロマンス」で、謎が謎を呼ぶ一方、最後までたいした謎は出てこない上に登場人物がやたらと多い一方、片っ端から殺すのでなぜ出てくるのかわからない。
Tetsuya Sato
Labyrinth
2012年 ドイツ/イギリス/南アフリカ/チェコ 196分 TV
監督:クリストファー・スミス
2012年、ラングドックの発掘現場を訪れていた教師アリス・ターナーはたまたまもぐり込んだ洞窟の奥で白骨化した死体と指輪を発見、過去を幻視して失神して、気がつくと警察が呼ばれる騒ぎになっていて、見つけたはずの指輪が行方不明になっているということで弁護士を称する男からひどく無礼な扱いを受け、この弁護士の無礼な態度には地元の若い刑事も強く反発し、アリス・ターナーの友人で発掘現場で働いていたシーラの友人でもあるこの刑事はアリス・ターナーにマリ・セシルの連絡先を渡し、いつの間にかシーラが行方不明になっているということでシーラの行方を探してマリ・セシルの家を訪れたところ、マリ・セシルの男友達であるところのウィル・フランクリンと出会い、アリス・ターナーはシーラの行方について手がかりを得られないまま、ラングドックを訪れたそもそもの目的である遺産相続の手続きのために弁護士を訪れて自分が叔母から家を譲られたことを知り、その家を訪れるとカタリ派に関する本がテーブルに置かれ、オードリックと名乗る謎の人物からアリス・ターナーに宛てた手紙があり、誘拐されたシーラは監禁されて拷問を受け、マリ・セシルは信徒に囲まれて異教の祭司を務め、観光のつもりなのかなんなのか、カルカソンヌをうろうろしていたアリス・ターナーはようやく重たい腰を上げてオードリックに会いに出かけて、歴史学者であると自称するオードリックからひどくもったいぶった説明を受け、そうしているうちにマリ・セシルを罠にかけようとする男がマリ・セシルに返り討ちにされ、マリ・セシルの秘密を暴こうとしたウィルはマリ・セシルの捕虜となり、オードリックの案内で再び洞窟を訪れたアリス・ターナーはそこで聖杯の秘密を知る、という話の一方で、1209年、アルビジョア十字軍の接近に脅えるカルカソンヌで子爵レモン・ロジェ・トランカヴェルの代官を務める(とおぼしき)ペルティエの次女アレイスは父親から秘密を明かされて聖杯に関する三冊の本のうちの一冊を預かることになり、種違いということで父親の愛を得られずに憎しみを募らせ、妹の夫ギーを寝取っている長女オリアンヌは父親と妹の会話をひそかに聞いて妹から本を奪い取り、さらにユダヤ人シメオンを襲って二冊目の本を奪い取り、妹の推理をたどって三冊目の本のありかに気がつくとカルカソンヌの薬剤師エスカモンデに襲いかかり、この重責を担えるのはおまえだけだと父親に言われて重責を担うことになったアレイスは重責を担うにはあまりの間抜けぶりをさらしながら姉が怪しいということに気がついてきて、シモン・ド・モンフォール率いる十字軍がいよいよ接近するとアレイスの夫ギーはアレイスの愛に気がついてトランカヴェルとともに出撃し、トレビュシェットを破壊するために出撃したはずが、トレビュシェットは無視して敵を殺しまくり、だから次の場面でもトレビュシェットは健在で火の玉をカルカソンヌに投げ込んでくるので市民は悲鳴を上げて逃げ惑い、開城を要求するシモン・ド・モンフォールを追い返したトランカヴェルはシモン・ド・モンフォールとの交渉におもむいてギーとともに罠にかかり、同行したオリアンヌは自分を売りつけた上で妹を売り、カルカソンヌが落ちて市民が追放されるとアレイスは姉の目を逃れて聖杯の先導者ハリフを訪ね、察するところそれから5年以上が経過してアレイスが娘とともに出かけているとハリフの家が襲撃に遭い、モンセギュールに逃れて暮らしているとそこにも十字軍が現われてモンセギュールは陥落(ということは1244年?)、混乱の中、モンセギュールを脱出したアレイスは娘をさらったオリアンヌの前に現われ、斬りかかる十字軍兵士の前にギーが飛び出し、オリアンヌは娘を人質に洞窟へ入ってアレイスを脅し、そこへ再びギーが飛び出し、そこまでほとんど役に立っていなかったエスカモンデの孫サーシャがアレイスの遺志を継ぐことになる。
ケイト・モス『ラビリンス』を原作とするミニシリーズで、製作はリドリー・スコットとトニー・スコット。ジョン・ハートが出ている、アルビジョア十字軍がそこそこの規模で登場する、トレビュシェットも出てくる、ということで鑑賞したが、さほど面白くもない話を196分かけてちんたらちんたらと流すだけで、はっきり言って退屈であった。13世紀初頭の衣装やカルカソンヌの城塞などの雰囲気はそれなりに再現されているが、当時のスカートをはいた若い娘がジーンズをはいているのと同じように歩いていてはやはり興ざめする。中身は相当に頭の悪い「歴史ロマンス」で、謎が謎を呼ぶ一方、最後までたいした謎は出てこない上に登場人物がやたらと多い一方、片っ端から殺すのでなぜ出てくるのかわからない。
Tetsuya Sato
2015年7月25日土曜日
アイアンクラッド ブラッド・ウォー
アイアンクラッド ブラッド・ウォー
Ironclad: Battle for Blood
2013年 イギリス/セルビア 108分
監督:ジョナサン・イングリッシュ
ロチェスター城の戦いから五年後、イングランドの混乱に乗じてスコットランドの諸侯がイングランドに侵入し、というか、なんとなく一族郎党でぞろぞろと現われたスコットランド人がとある城に攻めかかるので、城主の嫡男ヒューバートは城を脱出してキングストンを訪れて歴戦の勇士である従兄ガイに援軍を求めるが、歴戦の結果、虚無的になっていたガイはヒューバートに金を要求し、さらに三人を傭兵仲間に加えるとヒューバートとともに城に戻ってスコットランド人と戦う。
序盤の展開は速いし、13世紀イングランドのウェザリングぶりもそれなりに楽しいし、血糊の量もけっこうなものだが、一作目に比べるとキャストに魅力がないし、寄せ手の規模がなんだかよくわからないし、動機も微妙にあいまいだし、戦闘シーンも長い割にはまとまりがないし、隙間を埋めるためなのか、余計なロマンスが盛り込まれていてこれがまた面白くない。
Tetsuya Sato
Ironclad: Battle for Blood
2013年 イギリス/セルビア 108分
監督:ジョナサン・イングリッシュ
ロチェスター城の戦いから五年後、イングランドの混乱に乗じてスコットランドの諸侯がイングランドに侵入し、というか、なんとなく一族郎党でぞろぞろと現われたスコットランド人がとある城に攻めかかるので、城主の嫡男ヒューバートは城を脱出してキングストンを訪れて歴戦の勇士である従兄ガイに援軍を求めるが、歴戦の結果、虚無的になっていたガイはヒューバートに金を要求し、さらに三人を傭兵仲間に加えるとヒューバートとともに城に戻ってスコットランド人と戦う。
序盤の展開は速いし、13世紀イングランドのウェザリングぶりもそれなりに楽しいし、血糊の量もけっこうなものだが、一作目に比べるとキャストに魅力がないし、寄せ手の規模がなんだかよくわからないし、動機も微妙にあいまいだし、戦闘シーンも長い割にはまとまりがないし、隙間を埋めるためなのか、余計なロマンスが盛り込まれていてこれがまた面白くない。
Tetsuya Sato
2015年5月25日月曜日
ドラキュラZERO
ドラキュラZERO
Dracula Untold
2014年 アメリカ 120分
監督:ゲイリー・ショア
イェニチェリだった時代に蛮勇を発揮して串刺し公と呼ばれたヴラド公はトランシルヴァニアに戻って領主となって平和に国を治めていたが、オスマン帝国は年貢に加えて少年千人とヴラド公の息子インゲラスを差し出すように要求し、ヴラド公はインゲラスを引き取りに現われたオスマンの兵士たちを殺戮したあと、牙の山に登って魔物から力を受け取って城に戻り、城を攻囲するオスマンの兵士千人を殺戮、領民には修道院への避難を指示し、攻囲軍壊滅の知らせを受け取ったオスマンのメフメト二世は十万の兵を向ける。
ヴラド公がルーク・エヴァンス、メフメト二世がドミニク・クーパー、牙の山の魔物がチャールズ・ダンス。オスマンの軍勢は『神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃』よりもよほどにお金がかかっている。序盤の設定が微妙に奇妙で抵抗を感じたものの、それなりにアイデアが入っていて、それなりに面白い。チャールズ・ダンスはかっこいいと思う。
Tetsuya Sato
Dracula Untold
2014年 アメリカ 120分
監督:ゲイリー・ショア
イェニチェリだった時代に蛮勇を発揮して串刺し公と呼ばれたヴラド公はトランシルヴァニアに戻って領主となって平和に国を治めていたが、オスマン帝国は年貢に加えて少年千人とヴラド公の息子インゲラスを差し出すように要求し、ヴラド公はインゲラスを引き取りに現われたオスマンの兵士たちを殺戮したあと、牙の山に登って魔物から力を受け取って城に戻り、城を攻囲するオスマンの兵士千人を殺戮、領民には修道院への避難を指示し、攻囲軍壊滅の知らせを受け取ったオスマンのメフメト二世は十万の兵を向ける。
ヴラド公がルーク・エヴァンス、メフメト二世がドミニク・クーパー、牙の山の魔物がチャールズ・ダンス。オスマンの軍勢は『神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃』よりもよほどにお金がかかっている。序盤の設定が微妙に奇妙で抵抗を感じたものの、それなりにアイデアが入っていて、それなりに面白い。チャールズ・ダンスはかっこいいと思う。
Tetsuya Sato
2015年5月17日日曜日
アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ
アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ
Bathory
2008年 スロヴァキア/ハンガリー/チェコ/イギリス/フランス 135分
監督:ジュラジ・ジャクビスコ
1575年、トランシルヴァニアのエリザベート・バートリはハンガリー貴族フェレンツと結婚、フェレンツがオスマントルコとの戦争で出征するあいだにミラノ出身の画家と出会って関係を持ち、1604年、夫が亡くなるとハンガリー副王トゥルゾーがエリザベートの財産をねらって陰謀を画策、大量殺人の容疑を捏造する、というような内容で、ミラノの画家がなぜかカラヴァッジョだったり、カトリックの密偵があれやこれや秘密兵器を使ったりとか、妙な要素が盛り込まれていて、エリザベート・バートリ本人については恋もするし苦悩もするふつうのご婦人だったということになっているけれど、当時のハンガリーの、そもそも血の気が多い上にあっちにはオスマントルコ、こっちにはハプスブルク、手元でも内輪もめ、というややこしい状況のなかでふつうでいるのはかなり難しかったのではないかという気がしないでもない。アンナ・フリエルはヒロインを熱演しているが、そういうわけでリアルな人物には見えてこない。時代考証は寄せ集めだが、雰囲気を出そうとがんばっているし、オスマントルコとの微妙に素人くさい戦闘シーンもそれらしくて決して悪くないものの、だれ場が目立つ。
Tetsuya Sato
Bathory
2008年 スロヴァキア/ハンガリー/チェコ/イギリス/フランス 135分
監督:ジュラジ・ジャクビスコ
1575年、トランシルヴァニアのエリザベート・バートリはハンガリー貴族フェレンツと結婚、フェレンツがオスマントルコとの戦争で出征するあいだにミラノ出身の画家と出会って関係を持ち、1604年、夫が亡くなるとハンガリー副王トゥルゾーがエリザベートの財産をねらって陰謀を画策、大量殺人の容疑を捏造する、というような内容で、ミラノの画家がなぜかカラヴァッジョだったり、カトリックの密偵があれやこれや秘密兵器を使ったりとか、妙な要素が盛り込まれていて、エリザベート・バートリ本人については恋もするし苦悩もするふつうのご婦人だったということになっているけれど、当時のハンガリーの、そもそも血の気が多い上にあっちにはオスマントルコ、こっちにはハプスブルク、手元でも内輪もめ、というややこしい状況のなかでふつうでいるのはかなり難しかったのではないかという気がしないでもない。アンナ・フリエルはヒロインを熱演しているが、そういうわけでリアルな人物には見えてこない。時代考証は寄せ集めだが、雰囲気を出そうとがんばっているし、オスマントルコとの微妙に素人くさい戦闘シーンもそれらしくて決して悪くないものの、だれ場が目立つ。
Tetsuya Sato
2015年1月28日水曜日
パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間
パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間
Parkland
2013年 アメリカ 93分
監督:ピーター・ランデズマン
1963年11月、ダラスでケネディが暗殺される直前からその後の数日間を背景に、パレードを撮影していてたまたま事件をカメラに収めたエイブラハム・ザプルーダー、ケネディが運び込まれた病院の医師や看護婦、目の前で大統領を殺されて動揺を隠せないシークレット・サービス、失態の気配に気がついてうろたえるFBI、リー・ハーヴェイ・オズワルドの家族などの動静を慎重に描き込んでいく。
エイブラハム・ザプルーダーがポール・ジアマッティ、シークレット・サービスのダラス支局長がビリー・ボブ・ソーントン、パークランド記念病院の医師がザック・エフロン、病院で臨終の祈りをしたヒューバー神父がジャッキー・アール・ヘイリー。淡々としたタッチではあるが映像は十分な緊張感を備えているし、手持ちカメラを多用した構成も巧みで、言葉数を増やすよりも表情や動作の細部を捉えることで確実に効果を上げている。見ごたえがあった。
Tetsuya Sato
Parkland
2013年 アメリカ 93分
監督:ピーター・ランデズマン
1963年11月、ダラスでケネディが暗殺される直前からその後の数日間を背景に、パレードを撮影していてたまたま事件をカメラに収めたエイブラハム・ザプルーダー、ケネディが運び込まれた病院の医師や看護婦、目の前で大統領を殺されて動揺を隠せないシークレット・サービス、失態の気配に気がついてうろたえるFBI、リー・ハーヴェイ・オズワルドの家族などの動静を慎重に描き込んでいく。
エイブラハム・ザプルーダーがポール・ジアマッティ、シークレット・サービスのダラス支局長がビリー・ボブ・ソーントン、パークランド記念病院の医師がザック・エフロン、病院で臨終の祈りをしたヒューバー神父がジャッキー・アール・ヘイリー。淡々としたタッチではあるが映像は十分な緊張感を備えているし、手持ちカメラを多用した構成も巧みで、言葉数を増やすよりも表情や動作の細部を捉えることで確実に効果を上げている。見ごたえがあった。
Tetsuya Sato
2015年1月26日月曜日
神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃
神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃
11 settembre 1683
2012年 イタリア/ポーランド 120分
監督:レンツォ・マルチネリ
神の啓示を受けた修道士マルコがウィーンを訪れてレオポルト一世にオスマントルコの脅威を説くが、レオポルト一世が話を真に受けないで状況を放置しているうちにカラ・ムスタファが率いる30万の軍勢が現われてウィーンに向けて攻撃を開始、レオポルト一世は手勢の15000に加えて選帝侯からの増援若干でウィーンを守るが多勢に無勢で苦戦していると、そこへポーランド王ヤン・ソヴェスキが援軍を率いて到着、オスマントルコの軍勢はポーランド軍に側面を突かれて壊滅する。
1683年のウィーン攻囲という非常に珍しい材料を扱っているが、相当な低予算で、ほぼ全編にわたって安っぽい。特にCGの安さが目立ち、これはほぼ80年代の水準であろう。その水準のCGで作ったものをあれこれ合成して、砲撃の爆炎や火口の火やあれやこれやの煙をかぶせて画面によくわからない汚しを入れて、兵士が倒れるといちいちスローモーションという手法はいかがなものか。安いだけではなくて、センスも悪い。脚本がそもそも寝ぼけていたのか、一貫した反ムスリムぶりを除けばプロットはとんちんかんで、修道士マルコ役のF・マーレイ・エイブラハムも重々しい表情でなにやらとんちんかんなことをやっている。面白いのはオスマントルコに合流するクリム汗の軍勢とか、そのクリム汗が突撃してくるところに撒菱を撒くところとか、ポーランドの有翼重騎兵の突撃とか、そのくらい。
Tetsuya Sato
11 settembre 1683
2012年 イタリア/ポーランド 120分
監督:レンツォ・マルチネリ
神の啓示を受けた修道士マルコがウィーンを訪れてレオポルト一世にオスマントルコの脅威を説くが、レオポルト一世が話を真に受けないで状況を放置しているうちにカラ・ムスタファが率いる30万の軍勢が現われてウィーンに向けて攻撃を開始、レオポルト一世は手勢の15000に加えて選帝侯からの増援若干でウィーンを守るが多勢に無勢で苦戦していると、そこへポーランド王ヤン・ソヴェスキが援軍を率いて到着、オスマントルコの軍勢はポーランド軍に側面を突かれて壊滅する。
1683年のウィーン攻囲という非常に珍しい材料を扱っているが、相当な低予算で、ほぼ全編にわたって安っぽい。特にCGの安さが目立ち、これはほぼ80年代の水準であろう。その水準のCGで作ったものをあれこれ合成して、砲撃の爆炎や火口の火やあれやこれやの煙をかぶせて画面によくわからない汚しを入れて、兵士が倒れるといちいちスローモーションという手法はいかがなものか。安いだけではなくて、センスも悪い。脚本がそもそも寝ぼけていたのか、一貫した反ムスリムぶりを除けばプロットはとんちんかんで、修道士マルコ役のF・マーレイ・エイブラハムも重々しい表情でなにやらとんちんかんなことをやっている。面白いのはオスマントルコに合流するクリム汗の軍勢とか、そのクリム汗が突撃してくるところに撒菱を撒くところとか、ポーランドの有翼重騎兵の突撃とか、そのくらい。
Tetsuya Sato
2015年1月13日火曜日
フルスタリョフ、車を!
フルスタリョフ、車を!
Khrustalyov, mashinu!
1998年 フランス/ロシア 142分
監督:アレクセイ・ゲルマン
1953年2月、軍医のクレンスキー少将はスウェーデン人記者と名乗る人物の訪問を受けて身辺に不穏な気配を感じ取り、ある晩、確証を得ると妻子を捨てて失踪し、荒廃した様子で戻ってきて、目を離したすきにまた失踪する。
映画は凍てついた夜の路上で始まり、光が漏れる窓の中はあきらかに換気が悪い状態で、そこに異様な密度で詰め込まれた人々はどうやら頭がのぼせ上っているようで、うろうろと動きまわって勝手な行動を取り、勝手なことを口にして、気がつけばなにかを振りまわし、目の前にいる誰かを罵倒し、画面の外ではいつもなにかが壊れている。暴力的で不潔で猥雑な空間に動物のモンタージュが投げ込まれ、その圧縮された光景はなにやら非常にファンタジックではあるものの、中盤以降に展開する光景(特に無頼漢の行動になんの脚色もないあたり)との対照で考えると、基本にあるのはリアリズムなのだと納得する。これは1953年2月のロシアという歴史的に特異な瞬間を網羅的に視点を配して総括しようという試みであろう。ディテールの積み上げがすごいし、しかもけっこうな大作である。
いちいち罪を問うのではなく、そこにあったものをただ示すという点でアンドレイ・コチャロフスキーの『インナー・サークル』に似ているが、これに比べるとコンチャロフスキーの作品はきわめて上品ということになるのかもしれない。アレクセイ・ゲルマンの作品を見るのはこれが初めてだが、視覚、音響面での構成は『動くな、死ね、甦れ!』を思わせた。NKVDの偽装トラックや、有名な「ロシアのシャンパン」護送車など、興味深い車両が登場する。
Tetsuya Sato
Khrustalyov, mashinu!
1998年 フランス/ロシア 142分
監督:アレクセイ・ゲルマン
1953年2月、軍医のクレンスキー少将はスウェーデン人記者と名乗る人物の訪問を受けて身辺に不穏な気配を感じ取り、ある晩、確証を得ると妻子を捨てて失踪し、荒廃した様子で戻ってきて、目を離したすきにまた失踪する。
映画は凍てついた夜の路上で始まり、光が漏れる窓の中はあきらかに換気が悪い状態で、そこに異様な密度で詰め込まれた人々はどうやら頭がのぼせ上っているようで、うろうろと動きまわって勝手な行動を取り、勝手なことを口にして、気がつけばなにかを振りまわし、目の前にいる誰かを罵倒し、画面の外ではいつもなにかが壊れている。暴力的で不潔で猥雑な空間に動物のモンタージュが投げ込まれ、その圧縮された光景はなにやら非常にファンタジックではあるものの、中盤以降に展開する光景(特に無頼漢の行動になんの脚色もないあたり)との対照で考えると、基本にあるのはリアリズムなのだと納得する。これは1953年2月のロシアという歴史的に特異な瞬間を網羅的に視点を配して総括しようという試みであろう。ディテールの積み上げがすごいし、しかもけっこうな大作である。
いちいち罪を問うのではなく、そこにあったものをただ示すという点でアンドレイ・コチャロフスキーの『インナー・サークル』に似ているが、これに比べるとコンチャロフスキーの作品はきわめて上品ということになるのかもしれない。アレクセイ・ゲルマンの作品を見るのはこれが初めてだが、視覚、音響面での構成は『動くな、死ね、甦れ!』を思わせた。NKVDの偽装トラックや、有名な「ロシアのシャンパン」護送車など、興味深い車両が登場する。
Tetsuya Sato
2015年1月5日月曜日
大いなる勝利のために メキシコ革命1926
大いなる勝利のために メキシコ革命1926
Cristiada
2012年 メキシコ 122分
監督:ディーン・ライト
1926年、メキシコの大統領で無神論者のプルタルコ・エリアス・カリェスは1917年の反教会的な憲法をさらに強化したカリェス法を制定して聖職者の追放、教会財産の没収などを始め、野党の「信仰の自由を守る国民同盟」(LNDLR)はこれに街頭デモ、署名運動などで穏健に抵抗するが、効果がないのを知って不買運動を始めるとこれがどうやらメキシコの経済を圧迫することになり、反発したカリェス政権は教会への弾圧を強めて聖職者や信徒を殺害、LNDLRは武力闘争に切り替えて退役した将軍エンリケ・ゴロスティエータを指揮官に招き、ゴロスティエータはカトリックの武装集団数千を指揮して政府軍に打撃を与え、どうしてもボリシェビキのように見える大統領がアメリカの石油利権を損なっていることに気がついたアメリカ政府は1927年、ドワイト・モローを大使としてメキシコに送り、モローはカリェスに友好的な態度を求めてメキシコとローマの橋渡しを務め、1929年、メキシコ政府とカトリック教会のあいだで和解が成立する、という、いわゆるクリステロ戦争の最初から最後まで。
ゴロスティエータがアンディ・ガルシア、高齢の司祭がピーター・オトゥール、モロー大使がブルース・グリーンウッドとけっこう豪華なキャストで、人物を配置しながらただエピソードをつないでいるだけのかなり愚直な作りではあるものの、素材の希少性があって興味深い内容に仕上がっている。戦闘シーンは全体に小規模ではあるものの、列車襲撃、待ち伏せ、包囲戦など、それなりのバリエーションがある。ただ、クリステロの兵士がほぼ百発百中なのに対して政府軍の兵士はもっぱら撃たれて倒れるだけ、という役回りで、メキシコ政府軍(というか、たぶん正確には兵士の制服を着ている農村労働者)の損耗率の異常な高さはメキシコ革命を扱った映画全般に共通する傾向だけど、実際のところがどうだったのかは少々気になるところではある。なお、DVDリリースタイトルは『グレートグローリー 大いなる勝利のために』。
Tetsuya Sato
Cristiada
2012年 メキシコ 122分
監督:ディーン・ライト
1926年、メキシコの大統領で無神論者のプルタルコ・エリアス・カリェスは1917年の反教会的な憲法をさらに強化したカリェス法を制定して聖職者の追放、教会財産の没収などを始め、野党の「信仰の自由を守る国民同盟」(LNDLR)はこれに街頭デモ、署名運動などで穏健に抵抗するが、効果がないのを知って不買運動を始めるとこれがどうやらメキシコの経済を圧迫することになり、反発したカリェス政権は教会への弾圧を強めて聖職者や信徒を殺害、LNDLRは武力闘争に切り替えて退役した将軍エンリケ・ゴロスティエータを指揮官に招き、ゴロスティエータはカトリックの武装集団数千を指揮して政府軍に打撃を与え、どうしてもボリシェビキのように見える大統領がアメリカの石油利権を損なっていることに気がついたアメリカ政府は1927年、ドワイト・モローを大使としてメキシコに送り、モローはカリェスに友好的な態度を求めてメキシコとローマの橋渡しを務め、1929年、メキシコ政府とカトリック教会のあいだで和解が成立する、という、いわゆるクリステロ戦争の最初から最後まで。
ゴロスティエータがアンディ・ガルシア、高齢の司祭がピーター・オトゥール、モロー大使がブルース・グリーンウッドとけっこう豪華なキャストで、人物を配置しながらただエピソードをつないでいるだけのかなり愚直な作りではあるものの、素材の希少性があって興味深い内容に仕上がっている。戦闘シーンは全体に小規模ではあるものの、列車襲撃、待ち伏せ、包囲戦など、それなりのバリエーションがある。ただ、クリステロの兵士がほぼ百発百中なのに対して政府軍の兵士はもっぱら撃たれて倒れるだけ、という役回りで、メキシコ政府軍(というか、たぶん正確には兵士の制服を着ている農村労働者)の損耗率の異常な高さはメキシコ革命を扱った映画全般に共通する傾向だけど、実際のところがどうだったのかは少々気になるところではある。なお、DVDリリースタイトルは『グレートグローリー 大いなる勝利のために』。
Tetsuya Sato
2014年12月25日木曜日
ミヒャエル・コールハース
ミヒャエル・コールハース
Michael Kohlhaas
2013年 フランス/ドイツ 122分
監督:アルノー・ドゥ・パリエール
馬商人ミシェル・コラースは売り物の馬を引いて市へ向かっていたが、途中で男爵の通行止めに出会って黒馬二頭を担保に取られ、引き取りにいくと馬はひどい状態になっていて、しかも馬の世話をするために置いていった雇い人は怪我を負っている、という有様だったので、ミシェル・コラースは男爵を相手に損害賠償の訴訟を起こすが、男爵が縁故を使って訴訟が棄却されるように仕組むので、ミシェル・コラースは王妃への直訴を考え、夫に代わって直訴におもむいた妻が負傷して死ぬと、ミシェル・コラースは男たちを集めて男爵の城に襲撃を加え、男爵が逃亡するとミシェル・コラースの一党は数をふくらませながら近隣に圧力を加えるので、聖職者がやって来て説教をして、王妃がとりなしをして訴訟が前に進み始めるとミシェル・コラースは配下を解散して家に戻り、裁判はミシェル・コラースの訴えを認める一方でミシェル・コラースの罪も認め、ミシェル・コラースは賠償を受けたのちに打ち首にされる。
クライスト『ミヒャエル・コールハース』の映画化で、DVDのタイトルは『バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い』。プロットはほぼ原作のままだが舞台はピレネー近辺のおそらくスペイン側に設定されていて(ダイアログはフランス語)、即興的なカメラと編集は一定のスタイルを保ってはいるが、相当な低予算なので、馬にまたがった少人数がもっぱら山の中をうろついている。ドイツ的な「現状」から引き離されたことで素材ややや正体不明になり、ルターの代わりに登場する聖職者はなんとなくルターが言いそうなことを言うものの、言うだけでなにもしないのでうざいだけだと言えなくもない。マッツ・ミケルセンのコールハースはさすがに見栄えがするし、出てくる馬はどれもこれも立派だし、それがいかにも標高の高そうな場所を移動する場面もなかなかの絵にはなっている。ただ、では面白いかと言えばやや微妙だと言わざるを得ないし、カメラがなにかというと娘役のメリュジーヌ・マヤンスに向きたがるのは意図があってというよりは、おそらく監督の雑念であろう。
Tetsuya Sato
Michael Kohlhaas
2013年 フランス/ドイツ 122分
監督:アルノー・ドゥ・パリエール
馬商人ミシェル・コラースは売り物の馬を引いて市へ向かっていたが、途中で男爵の通行止めに出会って黒馬二頭を担保に取られ、引き取りにいくと馬はひどい状態になっていて、しかも馬の世話をするために置いていった雇い人は怪我を負っている、という有様だったので、ミシェル・コラースは男爵を相手に損害賠償の訴訟を起こすが、男爵が縁故を使って訴訟が棄却されるように仕組むので、ミシェル・コラースは王妃への直訴を考え、夫に代わって直訴におもむいた妻が負傷して死ぬと、ミシェル・コラースは男たちを集めて男爵の城に襲撃を加え、男爵が逃亡するとミシェル・コラースの一党は数をふくらませながら近隣に圧力を加えるので、聖職者がやって来て説教をして、王妃がとりなしをして訴訟が前に進み始めるとミシェル・コラースは配下を解散して家に戻り、裁判はミシェル・コラースの訴えを認める一方でミシェル・コラースの罪も認め、ミシェル・コラースは賠償を受けたのちに打ち首にされる。
クライスト『ミヒャエル・コールハース』の映画化で、DVDのタイトルは『バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い』。プロットはほぼ原作のままだが舞台はピレネー近辺のおそらくスペイン側に設定されていて(ダイアログはフランス語)、即興的なカメラと編集は一定のスタイルを保ってはいるが、相当な低予算なので、馬にまたがった少人数がもっぱら山の中をうろついている。ドイツ的な「現状」から引き離されたことで素材ややや正体不明になり、ルターの代わりに登場する聖職者はなんとなくルターが言いそうなことを言うものの、言うだけでなにもしないのでうざいだけだと言えなくもない。マッツ・ミケルセンのコールハースはさすがに見栄えがするし、出てくる馬はどれもこれも立派だし、それがいかにも標高の高そうな場所を移動する場面もなかなかの絵にはなっている。ただ、では面白いかと言えばやや微妙だと言わざるを得ないし、カメラがなにかというと娘役のメリュジーヌ・マヤンスに向きたがるのは意図があってというよりは、おそらく監督の雑念であろう。
Tetsuya Sato
2014年11月1日土曜日
ハマー・オブ・ゴッド
ハマー・オブ・ゴッド
Hammer of the Gods
2013年 イギリス 99分
監督:ファレン・ブラックバーン
9世紀末のイングランド中部でバイキングのバグセッグ王はサクソンへの反攻をたくらんで国外に援軍を求め、末息子のスタイナーが五百の援軍を率いて到着するが、バグセッグ王は重傷を負って死の床にあり、スタイナーは部族の新たな長として長兄を探す旅に出てサクソンの領土に足を踏み入れ、サクソン人を殺害し、サクソン人の襲撃を跳ね除けながらとある森へ入っていくと、そこでは長兄がケルトに染まったカーツ大佐と化している。
『ヴァルハラ・ライジング』と『アイアンクラッド』を足して3で割ったような感じだろう。バイキング一味の問答無用の殺しっぷりはなかなか堂に入っているし、殺陣もなかなかにきびきびとしているが、暗い。スコットランドの高地のようなさびしい場所をとぼとぼと歩いていくとあれやこれやが起きる、という構成で、脚本家はなにやら警句のようなものを散りばめようと努力しているが、あまり効果は上げていない。
Tetsuya Sato
Hammer of the Gods
2013年 イギリス 99分
監督:ファレン・ブラックバーン
9世紀末のイングランド中部でバイキングのバグセッグ王はサクソンへの反攻をたくらんで国外に援軍を求め、末息子のスタイナーが五百の援軍を率いて到着するが、バグセッグ王は重傷を負って死の床にあり、スタイナーは部族の新たな長として長兄を探す旅に出てサクソンの領土に足を踏み入れ、サクソン人を殺害し、サクソン人の襲撃を跳ね除けながらとある森へ入っていくと、そこでは長兄がケルトに染まったカーツ大佐と化している。
『ヴァルハラ・ライジング』と『アイアンクラッド』を足して3で割ったような感じだろう。バイキング一味の問答無用の殺しっぷりはなかなか堂に入っているし、殺陣もなかなかにきびきびとしているが、暗い。スコットランドの高地のようなさびしい場所をとぼとぼと歩いていくとあれやこれやが起きる、という構成で、脚本家はなにやら警句のようなものを散りばめようと努力しているが、あまり効果は上げていない。
Tetsuya Sato
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