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2017年9月28日木曜日

ウォークラフト

ウォークラフト
Warcraft
2016年 中国/カナダ/日本/アメリカ 123分
監督:ダンカン・ジョーンズ

オークの世界は邪悪なフェルの魔法のせいで滅亡の危機に瀕していて、そのフェルの魔法を使うオークのウォーロック、グルダンはフェルの魔法によって門を開いてオークの全氏族によるアゼロス侵攻を計画、先遣隊が派遣されてアゼロスの民に襲いかかり、同時に残るオークを招き入れるための巨大な門の建設が始まるので、事態を察したアゼロスの騎士ローサ―は国王レインを説得して守護者メディヴを召喚、メディヴは魔法によってオークの先鋒を撃退するがメディヴの行動にはどこか混乱があり、一方、グルダンの強引な手法に疑問を抱いたオークの族長デュロタンは人間との共闘を画策、レイン王と会うことに成功するものの自らは窮地に陥り、メディヴと意見のあわないローサ―はレイン王によって幽閉され、そうこうするうちに巨大な門が完成する。
同名のMMORPGの映画化。MMORPGには近づいたことはないが、草分け時代の『WARCRAFT』『WARCRAFT II』にはけっこう時間を費やしている。監督は『月に囚われた男』のダンカン・ジョーンズで、どちらかといえば雑なプロットを勢いで押し切りながらテンポよくまとめている。つまり、ちょっと見てみるつもりで見始めたら、結局最後まで見てしまった。アゼロス側の造形は例によって例のごとくだが、オークがたいそう愛情深く造形されていて、同じ個体は見当たらないし、デュロタンなどはドレッドヘアをうしろでめとめていたりする。ちなみにアゼロス王がドミニク・クーパーで、その王妃がルース・ネッガ、という取り合わせがamazonで放映中の『プリ―チャー』とかぶるので、あの低劣な番組の主人公がこちらではそれなりに高潔だったりするとなにか微妙な違和感がある。
Tetsuya Sato

2016年3月5日土曜日

コナン・ザ・バーバリアン

コナン・ザ・バーバリアン
Conan the Barbarian
2011年 アメリカ 112分
監督:マーカス・ニスペル

ハイボリア時代、未開の地キンメリアで生まれたコナンは少年時代にアケロン族のカラー・ズィムに村を焼かれて父親を殺され、生まれた土地を離れると冒険の旅をしながら成長して海賊を束ねる無敵の男に成長し、失われた妖術の復活をたくらむカラー・ズィムが儀式に必要な純血の女タマラを追って現われ、コナンはタマラを確保するとタマラをおとりにしてカラー・ズィムに罠をしかけ、コナンの罠を妖術で脱したカラー・ズィムは機会を狙ってタマラを捕らえていよいよ復活の儀式に臨むので、そこへコナンが一人で乗り込んでいく。 
監督はバイキングと北米先住民の戦いを描いた怪作というか珍作というか、あの『レジェンド・オブ・ウォーリアー』のマーカス・ニスペル。ジェイソン・モモアのコナンがそれらしい。二刀流を含む殺陣、騎馬での追撃戦などはかなりの見ごたえで、仕上がり自体はややゆるめではあるものの、素材をまじめに扱う姿勢には好感が持てる。美術やセットなどはありあわせをかき集めて使っている感じで統一感が乏しいが、妊婦用のマタニティ甲冑などという珍しいものも登場するし(家にいたら、と思うけど)、ところどころで使われるマットアートが美しい。 


Tetsuya Sato

2015年3月28日土曜日

イントゥ・ザ・ウッズ

イントゥ・ザ・ウッズ
Into the Woods
2014年 アメリカ/イギリス/カナダ 125分
監督:ロブ・マーシャル

子供ができないことで悩んでいるパン屋の夫婦の前に隣に住んでいる魔女が現われて子供ができない理由を明かし、呪いを解くためには赤いずきんと白い牛と金色の靴と金色の髪を手に入れなければならないということになり、森に出かけて赤ずきんに襲いかかり、ジャックに豆を渡して牛をだまし取り、たまたま見かけたラプンツェルから金色の髪を奪い取り、パン屋が夫婦でそういうことをしているあいだに継母と二人の義姉に虐げられているシンデレラは着々と目的に近づきながら目的の手前で違和感を覚えて舞踏会から遁走し、王子の兄と弟はそれぞれシンデレラとラプンツェルに恋をして苦悶を競う。それで中盤過ぎの「いつまでも幸せに」というところで終わっていれば相当な傑作になっていたような気がしてならないのだが、すでに清算が終わっている話に余計な尾ひれをつけて、まったく無意味な教訓を加えたところで一気に駄作へと傾いていく。歌は悪くないし、赤ずきんちゃんやジャックの泥棒ぶりも悪くないし、アナ・ケンドリック扮するシンデレラのモダンな迷妄ぶりも悪くないし、クリス・パインのふしだらな王子も悪くないのに、なぜそこで失速させなければならないのか、退屈な後半を眺めながら、ただひたすらに首をひねっていた。 

Tetsuya Sato

2014年11月10日月曜日

ドラゴンスレイヤー

ドラゴンスレイヤー
Dragonslayer
1981年 アメリカ 108分
監督:マシュー・ロビンス

高齢の魔法使いウルリクのもとに旅人の一団が現われ、ウルランドの国を訪れてドラゴンを退治してほしいと依頼する。ウルランドの国ではカシオドラス王とドラゴンのあいだに協約があり、王は春分と秋分にくじ引きで一人の処女を選び出し、ドラゴンは処女を受け取るかわりに国を荒らすのを控えていた。このドラゴンはウルリクの記憶にあり、齢を得て意地悪になっていたのであった。すべてを予見していたウルリクは依頼に応じて腰を上げるが、そこへウルランドの騎士ティリアンが現われてウルリクに腕試しを挑み、ウルリクはティリアンに殺される。ウルリクのからだは火葬にされて灰となり、ウルリクの弟子ゲイレンは半人前であったが、ウルランドの一行を追って自分がドラゴンを倒すと宣言する。そして軽率にもドラゴンの巣に近づいて地崩れを起こし、ドラゴンを怒らせるので国は荒廃するのであった。問題を解決するためにはウルリクの従僕ホッジの言葉を思い出さなければならなかったが、ゲイレンは半人前の魔法使いである上に村の鍛冶屋の娘に夢中になっていて、だから解決は遅れるのである。
ドラゴンや魔法使いといった素材を余計な再解釈を抜きに扱い、良くも悪くも一定の世界に構築している。そしてその範囲では雰囲気や美術、衣装などは誉めるべきだが、実際のところくそまじめだという以上の取り柄はない。数少ないゴーモーションの作例ではあるが、ドラゴンの動きに格別感心はしない。メカニカルに頼りすぎであろう。主人公の半人前の魔法使いを演じているのはピーター・マクニコルで、つまり後のジョン・ケイジ(つまり『アリー・マイ・ラブ』でアリーが勤めている弁護士事務所のパートナー)である。知らなければただの面白みのない若者だが、『アリー・マイ・ラブ』を見てからこちらを見るとジョン・ケイジ流の法廷弁護のいかがわしさが半人前の魔法使いのいかがわしさに重なってちょっと面白い。


Tetsuya Sato

2014年6月25日水曜日

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海
Percy Jackson: Sea of Monsters
2013年 アメリカ 106分
監督:トール・フロイデンタール

パーシー・ジャクソンの前にとても感じのいいキュクロプスが現われて異母兄弟だと名乗ったころ、半神の訓練所をバリアーで守る木が毒にあたって枯れ始めるので、パーシー・ジャクソンは金の羊毛を求めて仲間と一緒にバミューダの魔の三角海域を目指し、そこでクロノスを復活させてオリンポスを滅ぼそうとする陰謀と出会い、カリュブデスに飲み込まれて胃袋に落ちるとそこで南軍のゾンビを乗員とする南軍の軍艦(装甲艦ヴァージニアを近代化改装した感じ)と、それを指揮するアレスの娘と出会い、これをまとめて仲間に加えるとカリュブデスの胃袋から脱出してなぜかバミューダ近辺にあるキルケ―の島に上陸し、キュクロプスから金の羊毛を奪い取ることに成功するものの、クロノス復活をたくらむ一味につかまって金の羊毛を奪われ、見ている前でクロノスが復活する。 
監督がとにかく相性の悪いクリス・コロンバスではなくなったからなのか、無駄なオールスター大進撃をやめたからなのか、あるいは単に二作目で余裕が出たからなのか、キャラクターは生き生きとしているし、プロットは集中力があるし、ビジュアルも面白いし、ということで悪くない。ヘルメス役でネイサン・フィリオンが登場して、ばかな役を楽しそうに演じているが、ちょっと見ないあいだにずいぶんと太っていたので驚いた。 


Tetsuya Sato

2014年6月24日火曜日

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
Percy Jackson & the Olympians: The Lightning Thief
2010年 カナダ/アメリカ 121分
監督:クリス・コロンバス

ゼウスの稲妻が盗まれ、ゼウスはポセイドンの息子が犯人であると決めつけ、ポセイドンの息子パーシー・ジャクソンは父親がポセイドンであることを知らないまま、ふつうに高校生として生活していたが、いきなりエリニュスのたぐいに襲われて動転し、神々の子らが学ぶキャンプに送られてポセイドンの声を聞き、世界を破滅から救うためには自分がゼウスに弁解する必要があると考えるが、稲妻を求めるハデスに母をさらわれるので、まず母を救うために冥界を訪れようと決めて仲間と旅に出て、あっちでメドゥーサを倒し、こっちでヒュドラを倒し、ラスベガスにあったロートパゴイの国で道に迷い、ハリウッドの大看板の裏から冥界にもぐる。
ユマ・サーマンのメドゥーサはよかったが、ショーン・ビーンはゼウスに見えなかった。このひとはせいぜいヘルメスというところであろう。原作を読んだひとの話だと、もともとあったアホなディテールがかなり省略されているらしい。だとすれば残念なことではあるが、それでもまだそれなりにアホな内容なので、クリス・コロンバスとしては思っていたほど悪くない。ただ、やはりわたしとしては古代ギリシアの神々が生贄もなしにほったらかしにされてひっそりと上のほうに存在している、というのがいまひとつ信じられなくて、いたらいたで、もっと大騒ぎになっていたであろうと思うのである。 

Tetsuya Sato

2014年5月4日日曜日

ゴースト・エージェント R.I.P.D.

ゴースト・エージェント R.I.P.D.
R.I.P.D.
2013年 アメリカ 96分
監督:ロベルト・シュヴェンケ

ボストン警察に勤めるベテラン刑事ニック・ウォーカーは麻薬捜査中に金塊を手に入れ、相棒のボビー・ヘイズと図ってこれを着服しようと試みるが、気持ちが動いてやはり証拠として提出することに決めて、その決意をボビー・ヘイズに打ち明けるとボビー・ヘイズは犯罪組織との銃撃戦の最中にニック・ウォーカーを射殺、殺されたニック・ウォーカーはあの世に着いたところで神の審判を受けるか、それとも地上に戻って悪霊を逮捕する捜査官になるかという選択を提示され、神の審判を恐れたニック・ウォーカーは相棒のロイシーファス・パルシファーとともに地上に戻って悪霊退治に取りかかるが、愛する妻のことが忘れられないニック・ウォーカーは自宅でボビー・ヘイズの姿を認め、ボビー・ヘイズの行動を追ううちにあの世から亡者を呼び戻す悪霊たちの陰謀の存在を知る。
 ニック・ウォーカーがライアン・レイノルズ、ロイシーファス・パルシファーがジェフ・ブリッジス、悪役のボビー・ヘイズがケヴィン・ベーコン。最初のアイデア自体は決して悪くはないし、ところどころ笑えるところもあるものの、仕上がりは単調で面白みを欠き、ライアン・レイノルズは魅力がないし、ジェフ・ブリッジスは魅力を生かされていない。とりあえず見流す程度には悪くないが、身を入れて見るほどの映画ではない。


Tetsuya Sato

2014年2月16日日曜日

デイ・ウォッチ

デイ・ウォッチ
Dnevnoy Dozor
2006年 ロシア 132分
監督:ティムール・ベクマンベトフ

罠にはまったアントン・ゴロデツキーが殺人の嫌疑を受けて闇の異種の追求を受け、追及をかわすためにオリガと肉体を交換したりしているうちに息子イゴールの誕生日がやって来て、闇の異種のボス、ザヴロンはこれを期にイゴールの覚醒を促して光と闇の均衡を崩し、一気に闇の支配をもたらそうとたくらんでいる。
ロシア的な宿命感に縛られながら男も女も人生を背負い、光と闇の双方が裏通りで微妙に馴れ合っているという雰囲気は一作目から引き継がれているが、予算が大幅に増えた結果、アクションはさらに派手になり、それはそれで見ごたえがある。というか、冒頭、ティモールの騎兵軍団が馬ごと城壁を破るという破天荒な描写ですでに感じ入っていた。冗談でやっているのか本気でやっているのかよくわからない大げさな描写もあいかわらずで、普通にやられたら間違いなく腹が立つような場面がところどころにあるけれど、とにかく勢いがあるので気持ちよく見ていられる、というのは重要なことであろう。 

Tetsuya Sato

2014年2月15日土曜日

ナイト・ウォッチ

ナイト・ウォッチ
Nochnoy Dozor
2004年 ロシア 115分
監督・脚本:ティムール・ベクマンベトフ

その昔、光の種族と闇の種族がとある橋の上の出会って戦闘に入り、戦いの様子を眺めていた光の種族の王が、ああ、実力は互角だ、このままでは共倒れだ、と気がついた。そこで光の種族の王は闇の種族の王に休戦を申し入れ、以来、光の種族はナイト・ウォッチを立て、一方、闇の種族はデイ・ウォッチを立て、相互監視システムの下で均衡を保っている。そうしていると現代のモスクワにとてつもなく呪われた女が出現して均衡を破りかけるので、光の種族の戦士たちは呪いの原因を取り除くために走り回り、一方、闇の種族の王は別口で均衡を破るためにひどく迂遠な画策をしている。
セルゲイ・ルキヤネンコの原作は未読。後半、やや舌足らずになるが、映像表現の面では独特のセンスが発揮されており、その成果はなかなかに魅力的で見る者を飽きさせない。対立構造は『アンダーワールド』に似ていなくもないが、こちらはいずれの陣営も人間に混じって日常生活を送っており、そのせいでわびしい生活感がどこまでも追いかけてくるし、光と闇がアパートのおむかいさん同士だったりして、適当に馴れ合っているような場面がある。特にこの善と悪がいまひとつ割り切れない、というアイデアは非常にうまく生かされていると思うのである。というわけで悪はさしあたり目的を達するものの、悲嘆に暮れる光の戦士にみずからの頬を差し出して殴られるにまかせたりするあたりがロシア的で奥が深い。 

Tetsuya Sato

2014年2月13日木曜日

ガーディアンズ 伝説の勇者たち

ガーディアンズ 伝説の勇者たち
Rise of the Guardians
2012年 アメリカ 97分
監督:ピーター・ラムジー

誕生以来300年、ジャック・フロストがひとりで気ままに霜を降らせていたころ、北極のサンタクロースの根城では闇が世界を覆う予兆が現われてピッチの影が踊るので、子供たちの夢を守るために砂男や歯の妖精、イースターバニーなどが呼び寄せられ、さらに月の光が新たな守り手としてジャック・フロストを指名するのでイースターバニーとサンタクロース配下の一味がジャック・フロストをかどわかして北極へ運び、守り手になれという説得をジャック・フロストが拒んでいるとピッチが現われて挑戦をおこない、歯の妖精が集めた歯を枕の下に戻して子供たちの夢を壊し、空中の戦いで砂男を倒し、イースターバニーの卵を壊して子供たちからイースターの楽しみを奪い、楽しい夢のかわりに悪夢を与えられた子供たちはサンタクロースも歯の妖精もイースターバニーも信じなくなり、力を失った仲間を助けるためにジャック・フロストが立ち上がる。 
ストレートに子供のための作品になっていて、だから大人のゆがんだ欲望にはまったく媚びていないので少々薄味にも感じられるが、あえて物語ることに重きを置いた語り口は言うまでもなく、色彩設計からアクションシーンの演出、音楽や効果までがしかるべき一貫性を帯びているところに媚びないことの勇気を感じた。ジャック・フロストがクリス・パインで、意外なことにいい味を出している。

2014年1月3日金曜日

オズ はじまりの戦い

オズ はじまりの戦い
Oz the Great and Powerful
2013年 アメリカ 130分
監督:サム・ライミ

巡回サーカスで奇術師をしているオスカー・ディグスまたの名をオズは女性に対してまったく抑制がないという生来の体質にたたられて嫉妬に怒り狂う男に襲われ、気球に乗り込んで危機から逃れたところで竜巻に巻き込まれて命を失いかけ、必死に祈って気がつくとオズの国に着いていて、そこに現われた魔女セオドラから自分が予言された魔術師であり、オズの王国の王位を継ぐ地位にあると聞かされてすぐに興奮してセオドラを口説き、エメラルドシティにたどり着くとセオドラの姉のエヴァノラを口説き、エヴァノラから王位を得るためには悪い魔女グリンダを倒さなければならないと言われてその気になって暗い森を訪れると悪い魔女グリンダが見た目に好ましいのを見てにやけ始め、実はグリンダのほうが良い魔女で、悪い魔女はエヴァノラのほうであったことが判明すると奇術のトリックを使ってグリンダを助け、エメラルドシティを解放する。 
ジェームズ・フランコのペテン師ぶりがいい。冒頭、モノクロ・スタンダードのフレームのていねいな使い方が好ましいし、話がオズに移ってからのテクニカラーのような映像は予告編では『アリス・イン・ワンダーランド』の焼き直しのように見えたが、まったく異なる種類の厚みを備えていた。 


Tetsuya Sato

2013年12月31日火曜日

エンジェル ウォーズ

エンジェル ウォーズ
Sucker Punch
2011年 アメリカ/カナダ 110分
監督:ザック・スナイダー

財産を狙う継父によって精神病院へ送られた少女は継父の陰謀によってロボトミー手術を受ける運命となるが、運命から逃れるために四人の少女と協力して脱出を計画し、脱出に必要なアイテムを得るために空想のなかで戦いを演じる。
基底にあるのが精神病院で、その風景を継承した形で売春宿が出現し、脱出を計画する少女たちはそこで患者から踊り子へと変身を遂げ、敵の目をあざむくための踊りがそれぞれ空想的なステージにつながっていく。空想の世界では鎧武者が現われて剣を振り、ミニガンを乱射し、第一次大戦を背景にドイツの航空機が爆撃を加え、死からよみがえった兵士たちがガスマスク姿で塹壕を埋め、あるいはファンタジックな古城が怪物で満たされ、その上空をB-25とドラゴンが飛び、疾走する未来の列車で銀色に輝くロボットが武器を手にして爆弾を守る。そのあたりの描写はおおむねにおいて精緻ではあるものの、文脈を欠いているだけに軽さが目立ち、どれほど精緻であっても記号以上の意味にならない。そこで戦う少女たちの動作はそれなりに洗練されたものとなっているが、これも文脈を欠いているので軽さが目立ち、そのせいで単調にすら見えてくる。とはいえ、最大の難点は空想の世界がいちいち踊りと直結しているところで、そこだけに妙な脈絡がついているせいで、空想が空想として広がらない。基底にある単純さとそこに同居している宿命的な重さと宿命から逃れる行為の軽さとが混然と同居してバランスを得るに至っていない。つまり視覚的にどうこう、という以前に構築の粗が目立つのである。 

Tetsuya Sato

2013年12月8日日曜日

47RONIN

47RONIN
47Ronin
2013年 アメリカ 121分
監督:カール・リンシュ

天狗の里で天狗に育てられたキアヌ・リーヴスは天狗の里から逃れて赤穂に現われ、その赤穂では家臣を率いる浅野内匠頭がなにやら『もののけ姫』な麒麟を狩り、野心を抱く吉良上野介は将軍徳川綱吉とともに赤穂を訪れて菊地凛子の妖術を使って浅野内匠頭の心を乱し、心が乱れた浅野内匠頭は寝床の吉良上野介に襲いかかって取り押さえられるので、浅野内匠頭は切腹、浅野家の家臣団は解散、所領は浅野内匠頭の娘ミカが継ぐが、野心を抱く吉良上野介がミカを嫁に迎えることを宣言し、綱吉から一年間の服喪を許されたミカは吉良上野介の人質になり、野心を抱く吉良上野介の手によって一年間を土牢で過ごした大石内蔵助は解放されると浅野家の家臣団をかき集め、なにやら『パイレーツ・オブ・カリビアン』な出島に渡って『300』な怪物と戦うキアヌ・リーヴスを仲間に加え、キアヌ・リーヴスの手引きによって天狗の里で武器を調え、そうして吉良上野介に襲いかかると菊地凛子の妖術によってあっけなく敗退するので生き残った47人が血判状に名を寄せて、これはほとんどモルドールではあるまいか、という感じでそびえる吉良上野介の城にさながら特殊部隊のように這い上がって野心を抱く吉良上野介に戦いを挑むと妖術を使う菊地凛子が龍に変身する。ちなみに菊地凛子はフェネックにも変身する。
美術と衣装は日本と中国を足して二で割ってから石岡瑛子をちょっと加え、どこかで見たようなファンタジー系のフレームをまったく考えずに手順どおりに展開し、視覚的にはあれやこれやとありもののイメージをつなぎ合わせて『GOEMON』の完成型に流し込んでいる、という雰囲気で、つまり目指したものがごった煮であるという性格からどうしても統一感は乏しいものの結果的には構造的にまとまっている。真田広之はそのまんまジャパンアクションクラブ、浅野忠信は軽い悪役を楽しそうに演じている。キアヌ・リーヴスはたぶん切腹がしてみたかっただけであろう。創意に恵まれた作品ではないが、それでもいろいろといじった結果が見えて、その範囲では面白い。
Tetsuya Sato

2013年12月5日木曜日

ジャックと天空の巨人

ジャックと天空の巨人
Jack the Giant Slayer
2013年 アメリカ 114分
監督:ブライアン・シンガー

小作人のジャックは馬を売るためにお城のある町へ出かけていって馬と引き換えに豆を手に入れるが、王女のイザベルが雨宿りのためにジャックの家に入ったちょうどそのとき、その豆の一つが床下に落ちて水を浴びて猛烈な勢いで成長を始めて王女をジャックの家ごと天空に運び去るのでブラムウェル王はエルモントが率いる騎士団の精鋭、軍司令官のロデリックとその配下のウィック、志願したジャックに王女救出の任務を与え、豆の木をのぼって天上の世界に達した一行は王女の痕跡を追ううちに巨人に襲われ、すでに捕らわれの身のなっていた王女の前には王女の婚約者でもあるロデリックは魔法の冠をかぶって現われていきなり婚約を破棄、魔法の冠の力で巨人の軍団をしたがえると王を名乗って地上世界の征服に乗り出し、王女とエルモントは巨人に食われかけたところをジャックに救われ、ジャックは王女を連れて地上に戻り、巨人の軍団がそのあとを追う。 
騎士エルモントがユアン・マクレガー、巨人の軍団の頭目ファロン将軍の二つある頭の一方がビル・ナイ。シンプルなプロットで展開が素早く、不合理な描写はまったくなくて、悪いやつは悪く死ぬ、というのは全然悪くない。視覚的にもいいところがいっぱいあるし、最後の攻城戦もなかなかに見ごたえのある場面の連続になっているが、不思議なことに妙に薄味、というのがたぶんブライアン・シンガーの持ち味ということになるのだろう。 


Tetsuya Sato

2013年12月3日火曜日

ハプニング

ハプニング
The Happening
2008年 アメリカ/インド 91分
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン

人々がいきなり立ち止まったり言葉を失ったり自殺したりするようになったので高校の科学教師エリオットは妻アルマとともにフィラデルフィアを脱出するが、乗り込んだ列車は途中で立ち往生して見知らぬ田舎に放り出され、安全な場所を求めて野原を進んでいく。
難民化した市民が野原をさまようというきわめて古典的なB級SFのシチュエーションを驚いたことにほぼそのままの形で繰り返している。ところどころに織り込まれるサスペンス演出もきわめて古典的であり、つまり創意を疑いたくなる種類の演出であり、実を言えば、シャマランの映画でこのような粗雑さに遭遇するとはあまり考えていなかった。撮影、音楽にも粗雑さが見え、造形的な面での完成を認めることは難しい。

Tetsuya Sato

2013年12月2日月曜日

レディ・イン・ザ・ウォーター

レディ・イン・ザ・ウォーター
Lady in The Water
2006年 アメリカ 110分
監督:M・ナイト・シャマラン

中庭に小さなプールを備えたアパートがある。そのアパートの管理人クリーヴランド・ヒープは広い心に悲しみをたたえた男であったが、ある日プールで水の精と出会い、この水の精を青の世界に帰すためにおとぎ話を確かめ、アパートの住人から必要な人材を発掘していく。
本来ならばどこかの村が出てくるところがフィラデルフィアのアパートで垂直にかつ多民族的に展開されているだけで、そこを除けばただもうストレートなおとぎ話であり、そのきわめてシャマラン的な再話である。こけおどしのような謎もどんでん返しもあろうはずがない。だからブライス・ダラス・ハワード扮する水の精がどこか水妖記的にちゃぷんとした感じで出現すると、その起源に疑いを入れる間もなくそれはそうだということになり、おばあさんの「昔話」によって登場人物表があきらかにされ、すでにできあがったお話に対してアパートの住人が当てはめられていく。プロットの中心に役割分担の発見があり、そのデザインがやや正直すぎるような気がしたものの、それでも前段で播かれたキャラクターが後段に至って順次刈り取られていく過程は心地よいし、割り当てられたキャラクターが動き始めたときの性急さと奇妙な居心地の悪さ、いったんリセットがかかって再び話が滑り出すあたりの呼吸も抜群にいい。そして最後に登場する光景は『サイン』の比ではないほど、これまたストレートにおとぎ話なのである。好き。徹底してまんまな映画なので、こんなこと現実にあるわけない、といった反応を示す前に、見たまんまを見ることをお勧めしたい。

Tetsuya Sato

2013年12月1日日曜日

ヴィレッジ

ヴィレッジ
The Village
2004年 アメリカ 108分
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン

森に囲まれた小さな村で病気で死んだ子供が墓に葬られようとしている。その墓石には没年が1897年と記されている。村は長老たちによって言葉静かに統治され、教会はなく、壁を飾る絵も飲酒や喫煙の習慣もない。不思議なことに長老たちにはそろって恐ろしい暴力にさらされた記憶があり、記憶は悲しみを引き、村にはいくつもの秘密があり、悪しきことは鍵付きの四角い箱に収められている。そしてその村を囲む森には何か恐ろしい存在が潜んでいて、その何かと村人たちのあいだには協約がある。村人が森を侵さない代わりに森の何かも村の領域を侵さないことになっていた筈が、その何かが怪しい気配を漂わせ、やがて村はずれの監視塔で鐘が激しく打ち鳴らされる。
話を紡いでいくシャマランの手つきがいいし、出演者の演技も素晴らしい。ダイアログはよく出来ているし、透明感のある撮影も美しいし、色彩設計もすごいし、衣装もセットも凝っているし、ということで、見ているあいだにとにかく好きな映画になった。心の痛みがまず先にあり、試練があり、回帰と回復が主要なモチーフとなっていく点で『アンブレイカブル』『サイン』とおおむね同じ風土を背景にしているが、それが共同体として再構築されている点で、異様さはこれまでよりも一歩前進し、危険なまでに内向している。


Tetsuya Sato

2013年11月30日土曜日

サイン

サイン
Signs
2002年 アメリカ 119分
監督:M・ナイト・シャマラン

とある一家がとうもろこし畑に囲まれた古びた家で暮らしている。父親と息子と娘、こどもたちはまだ幼い。同じ敷地にある離れには父親の弟が暮らしている。ある朝、一家は畑に作られたミステリー・サークルを発見する。保安官が呼ばれるが、近所のろくでなしのしわざというわけでもないらしい。屋根には怪しい人影が現われて、追いかけると目にもとまらない速さで姿を隠す。かと思うと飼い犬が突然襲いかかる。ミステリー・サークルはどうやら世界中に出現しているらしい。テレビをつけると、インドからの映像が流れ出す。町の様子も何か変だ。終末への予感に脅えて告解を始める者もいる。一家の父親はかつて牧師をしていたらしい。こどもたちの母親はしばらく前に死んでいるらしい。ベビー・モニターを空に向けると、まるで誰かが会話をしているような雑音が聞こえてくる。UFOの編隊が世界中の空に出現する。ブラジルではホームビデオにエイリアンの姿が写し取られた。人類は侵略を受けようとしているのだ。窓に板を打ちつけて、家族を守らなければならないのだ。父親は信仰を失っている。母親は交通事故で死んだようだ。息子には喘息の発作があり、小さな娘は目の前の水が汚染されていると信じている。独り身の弟はマイナーリーグの元選手で、ホームラン王であり、かつまた三振王でもあり、今はガソリンスタンドで働いている。妻を失った元牧師は反キリスト者のようになって怒りを叫ぶ。そしてついにその夜がやってくるのである。
シャマランの演出は『アンブレイカブル』よりもふてぶてしくなっている。ぎりぎりのきわどさで様々な要素をつなぎあわせ、見た目に危ういバランスを自信に満ちた手つきで時間とともに安定させていく。ジグソーパズルのようなものではまったくない。パズルのピースならば平坦な場所に並ぶだけだが、シャマランの映画は常に起伏に富んでいる。組み合わされた断片が揺らぎもしない物語になる。あまりにもがっちりしているので結末はかなり早い時期から予測できるし、その結末のものものしさはばかばかしくもあるけれど、あまりにもすごいので見ているこちらはついうっかり感動してしまう。筋書きは地球規模だが、あくまでも個人の物語である。大いなる手の中では偶然というものは存在しないのである。つまり神はグラハム・ヘス牧師から信仰を奪い、そしてそれを前よりも一段と輝かしいものとして、再び牧師の胸に返したのであった。やたらと荘重で悲しいという点を除けば話はフレドリック・ブラウンの『火星人ゴーホーム』。

Tetsuya Sato

2013年11月29日金曜日

アンブレイカブル

アンブレイカブル
Unbreakable
2000年 アメリカ 107分
監督:M・ナイト・シャマラン

主人公デイビッド・ダンは大学のフットボール場で警備員をしている。妻子との間には不可解な距離があり、毎朝、悲しみとともに目覚めている。一方、コミック原画を商う画廊の経営者イライジャ・プライスは生まれつき骨が脆く、常に骨折の恐怖に脅えている。転職のためにニューヨークへ面接に赴いたデイビッド・ダンは、フィラデルフィアへの帰路で鉄道事故に遭遇するが、まったくの無傷で生還する。ただ一人の生存者である。だが、それで生活が変わるわけではない。そこへイライジャ・プライスがガラスの杖をついて姿を現わしてデイビッド・ダンに奇怪とも思える質問を加え、淡々とした日常の中に埋没した記憶の底から次第に意外な事実を掘り起こしていく。イライジャ・プライスが提示した突拍子もない結論に息子は父親に尊敬の目を向け、父親は狼狽しながらも秘められていた使命に目覚めていく。壊れかけていた家庭には愛が戻り、恐るべき事件は解決へと導かれ、最後の握手が驚天動地の結末を出現させる。
早い話、アメコミのヒーロー物なのである。その第1話なのである。そしてヒーロー物としてのあるべきフレームに対していかなる破綻も与えずに、痛みと悲しみに満ちた日常生活が描かれているのである。この筆力には恐れ入った。

Tetsuya Sato

2013年7月22日月曜日

ヘンゼル&グレーテル

ヘンゼル&グレーテル
Hansel & Gretel: Witch Hunters
2013年 ドイツ/アメリカ 88分
監督:トミー・ウィルコラ

ヘンゼルとグレーテルは父親に森に捨てられてさまよった末にお菓子の家にたどり着いて、そこで魔女につかまってヘンゼルが食べられそうになったところでグレーテルが反撃を加え、兄と妹で魔女を倒すと家には帰らずにそのまま魔女ハンターになってあちらこちらの魔女を片端から倒して有名になり、そうしているとアウグスブルクで子供が次々と魔女にさらわれるという事件が起こり、市長に雇われたヘンゼルとグレーテルが解決のために乗り出していって、そこへ白い魔女が加わり、トロールのエドワードも加わり、最後はサバトに集まった魔女を大虐殺。
ヘンゼルがジェレミー・レナー、グレーテルがジェマ・アータートン、悪い魔女の頭目がファムケ・ヤンセン、アウグスブルクの保安官がピーター・ストーメア。
ヘンゼルは魔女にお菓子を大量に食べさせられたせいで糖尿病で、だからアラーム付きの腕時計を持っていて、定期的にどうやらインスリンの注射をしているようだし、アウグスブルクの町ではさらわれた子供たちの似顔絵が牛乳瓶のボトルに貼ってあるし、という具合に妙なアイデアがいろいろと盛り込まれていて、ヘンゼルとグレーテルの魔女狩り装備も左右にも同時に発射できる連射式のボウガン、銃身折り畳み式のショットガン、ガトリングガンと珍装備が満載で、とにかく細部が面白い。
語り口もおおむねにおいて好調で、オープニングはなかなかの傑作ぶりだし、余計なことはしないでてきぱきと話を進めていく。アクションシーンの演出がやや単調だが、ジェレミー・レナーがうまく使われていて、ジェマ・アータートンも魅力的で、ファムケ・ヤンセンがなんだかとても楽しそう、ということになると悪いところもそれほど気にならない。 


Tetsuya Sato