2010年 06月 13日
裏切られた革命?:菅直人は革命を裏切ったのか?ないしは革命を裏切りつつあるのか?
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普天間移設問題で迷走し,沖縄全島住民の願い,日本国民の期待に背いて自民党原案に舞い戻った鳩山連立内閣は,国民の信頼を失ってもろくも座屈した.その背景には改選期を迎え「これでは選挙を戦えない」という危機感を抱いた民主党参院側からの突き上げがあった.これを引き継ぎ2010年6月4日民主党両院議員総会で党代表に選出された菅直人は衆参両院で首班指名され第94代内閣総理大臣に就任する.これにより20%まで落ち込んだ民主党支持率は著しい改善を示し,V字を描いて急上昇した.首班指名から組閣まで土日を挟んでもわずか4日間と迅速にことは運んだ.しかし,内閣の顔ぶれを見た支持者は一様に首を傾げた.
その特長を一言で言えば,「反小沢親小泉ネオコン内閣」とでも呼ぶべき布陣であった.菅直人自身はこれを自分の郷里長州出身の高杉晋作にあやかって「奇兵隊内閣」と呼んでいるが,どう見ても「便衣隊内閣」と呼ぶしかないような顔ぶれである.実際,米国の指示通り鳩山総理を袋小路に追い込んだ張本人である前内閣の閣僚たちがすべて温存されている.これはどうしたことか?菅直人は革命を裏切ったのか?ないしは裏切りつつあるのか?それを検証したい.
2005年8月にわたしは阿修羅雑談版に『菅直人四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機』と題する1文を書いた.
「結論を言ってしまおう.彼が朝未暁に起き出して日が暮れるまで,全行程240キロ1日平均22キロの道程を汗を滴らせながら同行一人テクテクと歩く[延べ]11日間の長い旅の終わりに再発見したのは彼の空海上人に他ならない.四国お遍路は事実,若き空海の修行の地でもある.彼は旅から帰った後も司馬遼太郎の『空海の風景』を再読している.もっと端的に言ってしまえば,ここにおいて菅直人は自ら「空海上人」たらんことを発願したのである.彼はつまり,完全に我欲を捨て,真に民衆とともに生きることを決意したのである.」
「菅氏のお遍路は3回に分けて実行されている.初回ではマスコミが後をつけ回しほとんどパレードの様相を呈していたものが,回が増すごとに沿道の人垣も減り,孤独な一人旅を味わうことになったようだ.四国お遍路は山道である.空海が歩いた同じその道を歩きながら菅が考えたことは民衆の救済であり,民族の蘇生であったとして間違いなかろう.」
「空海とモーゼに共通する点はどちらも無数の奇跡と呼ばれる不思議を行ったことである.モーゼが岩を杖で打つと水がそこから溢れ出たように,日本の各地には空海上人の錫杖から湧き出た水として知られるものが無数にある※.もはや読者はこの論考の最初の問い「四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機」が何であったかを悟られたに違いない.」
※空海(弘法大師)は民衆に束の間の慰謝を与え高邁な教えを垂れる口先だけの宗教者・説教者ではなく,優れて工学者であり偉大なアーキテクトであった.彼は日本全土を遍く歩き,各地で民衆を指導して井戸を掘り,橋梁を掛け,道路を切り開いた.
「彼は華氏911を見ることを小泉首相に勧めている※.日本国首相はこの映画を見て楽しんだろうか?もちろん見るはずもなかったのである.なぜなら彼(※小泉)はむしろそれをまんま演じていたのであるから.できれば明日私は国会議事堂前で法案否決の瞬間に立会い,鬼神石井こうきの霊前にご報告したいと考えている.」
※『華氏911』はマイケル・ムーアが2004年に発表したアメリカ映画.2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件を口実にアフガンに侵攻しアルカイダとイラクを結びつけてイラク戦争を始めたブッシュ大統領とビン・ラディン家の密接な関係を暴露したもので,ドキュメンタリー映画としては過去最高の興行収益を上げた.911は複数国の諜報機関・軍部・政治グループが関係する計画された謀略事件であり,それを口実に行われたアフガン侵攻,イラク戦争は大義のない主権国家への紛れもない侵略である.それに加担した日本政府も同罪である.
この1文は以下の1行で結ばれる.
「いよいよここに我々のエクソダス:脱米自立の道が始まるのである.」
それから,早5年が経過した.2007年8月の参議院選挙で自民党は始めて歴史的な敗北に晒され,さらに2年後の2009年8月の総選挙では与党が過半の選挙区で全滅するという壊滅的大敗を喫して戦後半世紀余にわたる対米従属の自民党一党支配体制は瓦解した.鳩山前首相の言を俟つまでもなく,今や日本が紛れもなく「脱米自立」の道を歩み始めたことは万人の認めるところである.しかし,この道はわたしがあらかじめ指摘しておいたように苦難の「エクソダス」であり,決して容易な道程ではない.鳩山3党連立内閣がかくも短命で終わったことの苦渋をわたしたちはいま噛み締めている.
ごく大雑把に言えば,アメリカから自立する志向を持った過去のすべての政権は短命に終わり※,アメリカに追随する姿勢を示した内閣のみ長期政権たり得たと言ってよいだろう.実際,田中角栄を除けば,岸,佐藤,中曽根,小泉など長期に安定して政権を維持した内閣はすべてアメリカの傀儡だったと言っても言い過ぎには当たらない.そもそも1955年の保守合同で自由民主党が誕生するときの政治資金はCIA(米中央情報局)から出ていたことが公開された米国政府機密文書からも明らかである.アメリカから離反して独自路線を進もうとした田中角栄を潰し,細川政権を道半ばで倒したのは検察とメディアであり,それらを背後から操るアメリカである.
※小泉(通算1980日)を除き,自公政権末期の内閣は多かれ少なかれアメリカからの「自立志向」を持っていた.安倍(366日),福田(365日),麻生(358日)・・・鳩山(266日).
しかし,今回検察とメディアは国民派政治家小沢一郎を潰すことはできなかった.それは国民が小沢という政治家を必要とし,小沢を擁護したためである.検察審査会の「起訴相当」という結論は工作されたものだが,検察庁は最初の「不起訴」という処分を覆すことはできなかった.小沢一郎の大業は成った.鳩山・菅・小沢のトロイカ体制は一旦崩れたかに見えるが,崩壊した訳ではない.誰しも人間である以上多少の感情の起伏はあるに違いないが,政治は好き嫌いで行うものではない.小沢一郎は依然として議員150人を擁する党内最大グループの統率者であり,民主党を分裂させようとするいかなる策謀も反革命である.亀井静香とともに唯一無二の国民派政治リーダーである.ことここに及んではもはや小沢は党を割るしかない[のではないか].(2010/06/17 菅首相2010年度内に消費税率10%を明言の報[共同通信]に接して補筆・修正)(2010/06/25 末尾に6文字追加.参院与党過半割れ⇒衆参ねじれ現象⇒大連立の成立,は考えられる限り最悪のシナリオだ.)
菅政権の最大のウィークポイントは「経済政策」である.菅内閣の経済ブレーンと目されている大阪大学社会経済研究所所長O教授の学説は以下のような珍妙なものである.
「デフレは国民がものを消費するよりも貨幣を偏愛(貨幣愛)することによって起こる現象であるから,不況期には増税して民間に退蔵されている貨幣を徴収して政府事業を行ない,新規雇用を創出することで消費や資金の流れを活発化する好循環を作り出すべきである.逆に好況期には減税して政府事業を減らすことを約束することで消費は活性化しデフレから脱却できる.」
「不況期には増税する」@@.これはすごい.すご過ぎる!「お金を愛する人たち=お金持ち」であると考えれば,確かにこの理論がまったくのでたらめでないことだけは分かる(高額所得者はもともと消費性向が低い.人はどんなに食べても1日10キロも20キロも食べることはできないから,使われないお金は退蔵されるしかない.)つまり,超累進所得課税を行うというのなら整合する※.それができるのなら立派だ.しかし,この「増税」が愛したくても愛する対象(貨幣)を持たない人たち(貧民)に向けられるとしたらどういうことが起こるか?実際,「消費税増税」というのはそれ以外の何ものも意味しない.
※もしこの理論が累進課税と抱き合わせに考えられているものなら検討に値する.60年安保で退陣した岸信介の後を継いだ元大蔵官僚の池田隼人は10年間で国民所得を倍増させるという所得倍増計画を提唱し,それを文字通り実現した.その「奇跡」の秘密は最高税率75%という累進課税制度にある.レーガノミックス(レーガン大統領の減税によるサプライサイド経済政策)の置き土産である200%にまで膨張した財政赤字と1000万人の失業者をわずか8年の任期で解消したクリントン大統領の政策も最高所得税率を高める富裕層への増税である.
O教授は「財政政策」を重視するという点においてある種のケインジアンであり,「金融政策」は不要であると考える.一方これを批判するマネタリストはむしろ貨幣循環を重視してデフレはマネーサプライ(貨幣供給量)の問題であると考える.いずれも間違っている.経済学者たちは「経済」が「生活」であり,「国民経済」が「国民経済共同体」であることが分かっていない.彼らの「貨幣循環」はだから,人工透析装置を通過する凍った水のように冷たい.O教授の経済理論は「国民生活が第一」の民主党政権のスローガンと整合しない.
わたしは日本が現在の苦境を乗り越えて新世紀に脱出するまでの期間をエクソダス50年と呼んだ.この50年は大雑把に言ってインフレのない50年(デフレの50年=低成長時代)であり,その起点をバブル崩壊のきっかけとなった1989年の公定歩合引き上げ[これこそアメリカの指令によって実行された第3弾目の原爆投下である]に求めるとすれば,すでに20年が経過していることになるから後残すところ30年ということになる.順当に行けばこの30年間は民主連立政府が政権を担当することになるだろう.この30年の間に中国はアメリカに伍する超大国になっていると考えられる.もし,「元」の為替レート引き上げの時期が早まれば中国がアメリカに並ぶのに30年かからないかもしれない.
翻って日本では,至るところ中学生の少女売春が蔓延し,70歳を過ぎた老婆が包丁を持ってコンビニ強盗を計り,あるいは都内で毎日のように起きている電車への飛び込み(人身事故)がついに地方にも拡散し始めるという有様で,まさに「羅生門」の時代が出現しつつある.人身事故は単なる「事故=他人の不幸」ではなく,かつてアメリカがベトナムで非対称な戦争を行っていたときに焼身自殺を遂げたベトナムの僧侶や,イラクなどアメリカの占領地で多発する「自爆テロ」と同じ「抗議の自死」であり,それも「(無言の)政治的抗議」であることに思い致すべきである.(・・・今日も筑波山で練炭自殺している若い男女4人が発見された・・・6/13)
【続く】
その特長を一言で言えば,「反小沢親小泉ネオコン内閣」とでも呼ぶべき布陣であった.菅直人自身はこれを自分の郷里長州出身の高杉晋作にあやかって「奇兵隊内閣」と呼んでいるが,どう見ても「便衣隊内閣」と呼ぶしかないような顔ぶれである.実際,米国の指示通り鳩山総理を袋小路に追い込んだ張本人である前内閣の閣僚たちがすべて温存されている.これはどうしたことか?菅直人は革命を裏切ったのか?ないしは裏切りつつあるのか?それを検証したい.
「結論を言ってしまおう.彼が朝未暁に起き出して日が暮れるまで,全行程240キロ1日平均22キロの道程を汗を滴らせながら同行一人テクテクと歩く[延べ]11日間の長い旅の終わりに再発見したのは彼の空海上人に他ならない.四国お遍路は事実,若き空海の修行の地でもある.彼は旅から帰った後も司馬遼太郎の『空海の風景』を再読している.もっと端的に言ってしまえば,ここにおいて菅直人は自ら「空海上人」たらんことを発願したのである.彼はつまり,完全に我欲を捨て,真に民衆とともに生きることを決意したのである.」
「菅氏のお遍路は3回に分けて実行されている.初回ではマスコミが後をつけ回しほとんどパレードの様相を呈していたものが,回が増すごとに沿道の人垣も減り,孤独な一人旅を味わうことになったようだ.四国お遍路は山道である.空海が歩いた同じその道を歩きながら菅が考えたことは民衆の救済であり,民族の蘇生であったとして間違いなかろう.」
「空海とモーゼに共通する点はどちらも無数の奇跡と呼ばれる不思議を行ったことである.モーゼが岩を杖で打つと水がそこから溢れ出たように,日本の各地には空海上人の錫杖から湧き出た水として知られるものが無数にある※.もはや読者はこの論考の最初の問い「四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機」が何であったかを悟られたに違いない.」
※空海(弘法大師)は民衆に束の間の慰謝を与え高邁な教えを垂れる口先だけの宗教者・説教者ではなく,優れて工学者であり偉大なアーキテクトであった.彼は日本全土を遍く歩き,各地で民衆を指導して井戸を掘り,橋梁を掛け,道路を切り開いた.
「彼は華氏911を見ることを小泉首相に勧めている※.日本国首相はこの映画を見て楽しんだろうか?もちろん見るはずもなかったのである.なぜなら彼(※小泉)はむしろそれをまんま演じていたのであるから.できれば明日私は国会議事堂前で法案否決の瞬間に立会い,鬼神石井こうきの霊前にご報告したいと考えている.」
※『華氏911』はマイケル・ムーアが2004年に発表したアメリカ映画.2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件を口実にアフガンに侵攻しアルカイダとイラクを結びつけてイラク戦争を始めたブッシュ大統領とビン・ラディン家の密接な関係を暴露したもので,ドキュメンタリー映画としては過去最高の興行収益を上げた.911は複数国の諜報機関・軍部・政治グループが関係する計画された謀略事件であり,それを口実に行われたアフガン侵攻,イラク戦争は大義のない主権国家への紛れもない侵略である.それに加担した日本政府も同罪である.
この1文は以下の1行で結ばれる.
「いよいよここに我々のエクソダス:脱米自立の道が始まるのである.」
それから,早5年が経過した.2007年8月の参議院選挙で自民党は始めて歴史的な敗北に晒され,さらに2年後の2009年8月の総選挙では与党が過半の選挙区で全滅するという壊滅的大敗を喫して戦後半世紀余にわたる対米従属の自民党一党支配体制は瓦解した.鳩山前首相の言を俟つまでもなく,今や日本が紛れもなく「脱米自立」の道を歩み始めたことは万人の認めるところである.しかし,この道はわたしがあらかじめ指摘しておいたように苦難の「エクソダス」であり,決して容易な道程ではない.鳩山3党連立内閣がかくも短命で終わったことの苦渋をわたしたちはいま噛み締めている.
ごく大雑把に言えば,アメリカから自立する志向を持った過去のすべての政権は短命に終わり※,アメリカに追随する姿勢を示した内閣のみ長期政権たり得たと言ってよいだろう.実際,田中角栄を除けば,岸,佐藤,中曽根,小泉など長期に安定して政権を維持した内閣はすべてアメリカの傀儡だったと言っても言い過ぎには当たらない.そもそも1955年の保守合同で自由民主党が誕生するときの政治資金はCIA(米中央情報局)から出ていたことが公開された米国政府機密文書からも明らかである.アメリカから離反して独自路線を進もうとした田中角栄を潰し,細川政権を道半ばで倒したのは検察とメディアであり,それらを背後から操るアメリカである.
※小泉(通算1980日)を除き,自公政権末期の内閣は多かれ少なかれアメリカからの「自立志向」を持っていた.安倍(366日),福田(365日),麻生(358日)・・・鳩山(266日).
しかし,今回検察とメディアは国民派政治家小沢一郎を潰すことはできなかった.それは国民が小沢という政治家を必要とし,小沢を擁護したためである.検察審査会の「起訴相当」という結論は工作されたものだが,検察庁は最初の「不起訴」という処分を覆すことはできなかった.小沢一郎の大業は成った.
菅政権の最大のウィークポイントは「経済政策」である.菅内閣の経済ブレーンと目されている大阪大学社会経済研究所所長O教授の学説は以下のような珍妙なものである.
「デフレは国民がものを消費するよりも貨幣を偏愛(貨幣愛)することによって起こる現象であるから,不況期には増税して民間に退蔵されている貨幣を徴収して政府事業を行ない,新規雇用を創出することで消費や資金の流れを活発化する好循環を作り出すべきである.逆に好況期には減税して政府事業を減らすことを約束することで消費は活性化しデフレから脱却できる.」
「不況期には増税する」@@.これはすごい.すご過ぎる!「お金を愛する人たち=お金持ち」であると考えれば,確かにこの理論がまったくのでたらめでないことだけは分かる(高額所得者はもともと消費性向が低い.人はどんなに食べても1日10キロも20キロも食べることはできないから,使われないお金は退蔵されるしかない.)つまり,超累進所得課税を行うというのなら整合する※.それができるのなら立派だ.しかし,この「増税」が愛したくても愛する対象(貨幣)を持たない人たち(貧民)に向けられるとしたらどういうことが起こるか?実際,「消費税増税」というのはそれ以外の何ものも意味しない.
※もしこの理論が累進課税と抱き合わせに考えられているものなら検討に値する.60年安保で退陣した岸信介の後を継いだ元大蔵官僚の池田隼人は10年間で国民所得を倍増させるという所得倍増計画を提唱し,それを文字通り実現した.その「奇跡」の秘密は最高税率75%という累進課税制度にある.レーガノミックス(レーガン大統領の減税によるサプライサイド経済政策)の置き土産である200%にまで膨張した財政赤字と1000万人の失業者をわずか8年の任期で解消したクリントン大統領の政策も最高所得税率を高める富裕層への増税である.
O教授は「財政政策」を重視するという点においてある種のケインジアンであり,「金融政策」は不要であると考える.一方これを批判するマネタリストはむしろ貨幣循環を重視してデフレはマネーサプライ(貨幣供給量)の問題であると考える.いずれも間違っている.経済学者たちは「経済」が「生活」であり,「国民経済」が「国民経済共同体」であることが分かっていない.彼らの「貨幣循環」はだから,人工透析装置を通過する凍った水のように冷たい.O教授の経済理論は「国民生活が第一」の民主党政権のスローガンと整合しない.
わたしは日本が現在の苦境を乗り越えて新世紀に脱出するまでの期間をエクソダス50年と呼んだ.この50年は大雑把に言ってインフレのない50年(デフレの50年=低成長時代)であり,その起点をバブル崩壊のきっかけとなった1989年の公定歩合引き上げ[これこそアメリカの指令によって実行された第3弾目の原爆投下である]に求めるとすれば,すでに20年が経過していることになるから後残すところ30年ということになる.順当に行けばこの30年間は民主連立政府が政権を担当することになるだろう.この30年の間に中国はアメリカに伍する超大国になっていると考えられる.もし,「元」の為替レート引き上げの時期が早まれば中国がアメリカに並ぶのに30年かからないかもしれない.
翻って日本では,至るところ中学生の少女売春が蔓延し,70歳を過ぎた老婆が包丁を持ってコンビニ強盗を計り,あるいは都内で毎日のように起きている電車への飛び込み(人身事故)がついに地方にも拡散し始めるという有様で,まさに「羅生門」の時代が出現しつつある.人身事故は単なる「事故=他人の不幸」ではなく,かつてアメリカがベトナムで非対称な戦争を行っていたときに焼身自殺を遂げたベトナムの僧侶や,イラクなどアメリカの占領地で多発する「自爆テロ」と同じ「抗議の自死」であり,それも「(無言の)政治的抗議」であることに思い致すべきである.(・・・今日も筑波山で練炭自殺している若い男女4人が発見された・・・6/13)
【続く】
by exod-US
| 2010-06-13 00:27
| 静かなる革命2009