2005年 08月 07日
菅直人四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機
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RE: 【ぷち姉さん,こちらに移りました.】 by 馬場英治
前便末尾は,
> 菅の四国巡礼行脚の動機についてもう少し掘り下げて考てみたいと思います.
> もっともっと深いわけがあったのではないか?という気がしてきました.
で結んでいる.前便で書いたように菅の国民年金未納疑惑は晴れた.
もう少し迅速に調査していれば,事務的な手違いであったことに気付くことは難しくなかったに違いない.つまり,菅の民主党党首辞任という決断は拙速に過ぎたのである.しかし,すべては天の配剤である.なぜ彼は四国お遍路という政治家にはあまり似つかわしくない旅に出たのだろう.年金未納問題について彼が内心に何のやましさも感じる必要がなかったことは今や明らかである.家族の入院のようなことはあったかもしれないが,動機としてはやや弱過ぎる.何かもっと大きな動機付けが必要である.彼はその旅で何を探し,何を見つけて帰ったのか?
結論を言ってしまおう.彼が朝未暁に起き出して日が暮れるまで,全行程240キロ1日平均22キロの道程を汗を滴らせながら同行一人テクテクと歩く11日間の長い旅の終わりに再発見したのはかの空海上人に他ならない※.四国お遍路は事実,若き空海の修行の地でもある.彼は旅から帰った後も司馬遼太郎の『空海の風景』を再読している.もっと端的に言ってしまえば,ここにおいて菅直人は自ら「空海上人」たらんとすることを発願したのである.彼はつまり,完全に我欲を捨て,真に民衆とともに生きることを決意したのである.もちろん,彼の公式ウェブサイトにはそんなおおげさなことは書かれていない.「菅直人の今日の一言」のページに記されているのは彼の政敵が読んでも腹を立てない程度のモデラートな消息のみであり,彼にほとばしるものがあるとすればその行間に読むしかないのである.
※菅氏のお遍路は公務の間を縫って,四国88箇所霊場巡りの1番霊山寺から
38番足摺岬金剛福寺までの全行程530キロを3回に分けて実施された.
初回: 7月15日1番霊山寺~7月26日24番最御崎寺,240キロ
2回目: 9月8日24番最御崎寺~9月11日30番善楽寺),110キロ
3回目: 12月10日30番善楽寺~16日38番金剛福寺の180キロ
さて,アカシックレコード佐々木敏氏は郵政民営化に関し「可決・総辞職」という予測を打ち出されている.佐々木敏氏は情報を氏独自の論理的な手法によって緻密に分析し,高い精度の予測を行うことで知られている.アカシックレコードでこれまで的中させた予測には次のようなものがある.
97年05月21日:インドネシアのスハルト体制の崩壊を半年前に予言
01年04月26日:総裁選への出馬表明に先立ち小泉内閣誕生を1ヶ月前に予言
02年06月14日:W杯サッカー韓国対ポ戦で審判の不正判定を前日に予言
佐々木氏はかつて,小泉内閣の誕生を予告し,今またその命運が尽きるときが来たと告げているのである.私はこれに対抗して7月31日付けの管理運営8板のあっしら氏へのレスの中で,「否決解散」を予測した.
参照: Re: そんな気の利いた理由でチャチャを入れたわけではありません。
今事態はまさに私が予言した方向への力動を開始した.これはほとんど地殻変動に近い大きなムーブメントであり,核分裂の破壊力を持ってしても止めることのできない巨大なプレートテクトニクスの移動である.私はこの運動を仮に「脱米自立」と呼ぶ.竹中半兵衛氏はこれを解析してブルジョア支配層の内部分裂と捉えておられる.確かにそのような説明も可能だろう.しかし,それはまだ事態のほんの一面に過ぎない.根底にはもっともっと大きな歴史の不可逆がある.無数の名も無き民の個々バラバラのベクトルが今ある方向に位相をそろえつつあるのだ.つまり無力な民が集合的にあるコヒーレンシーを獲得しつつあると言えるだろう.
このような巨大な運動の中にあっては,ベクトルの向きだけが主要なモメントであり,個々のポジションは問題にならないということを私は再三申し上げてきた.
「グローバリズム」という理念は美しい.しかし,その実像は醜悪なものである.それはエゴイズムの塊りとなった覇権国の専横でしかない.それはあるときは国際機関を使嗾し,またあるときは蹂躙して憚らない.アメリカから独立したいという我々の願望,民族の悲願は単なるプライドの問題であろうか?もし,そうならグローバリズムの波に乗って我々自身が国際人として成長すればそれで済むのではないだろうか?多分そのうち,我々にも常任安全保障理事国の席が回ってくるに違いない.
我々はファルージャの市街で犬に食われるファルージャ市民の遺骸を見た.彼らが身を捨てても守ろうとしたものは何であったのだろう.彼らは彼らの宗教的信念ゆえに己を捧げたのだろうか?いや違う.彼らは泥棒から彼らの家,つまり彼らの家族と財産を守ろうとしているに過ぎない.泥棒はこっそり忍び込んできたのだろうか.いやそうではなかった.泥棒は完全武装した警察部隊としてこの家に入ってきたのである.警官は家の主人に告げた.この家の内部にWMDという凶器が隠されているという証拠があるので,家宅捜索を行う.家宅捜索令状を見せてくれと言ったその家の主人はその場で射殺された.我々もこの犯罪に加担している.
我々の母親は高名な大学病院という触れ込みの施設に送り込まれた.母親の身体はカラフルなチューブから間断なく注入される過剰な点滴液のため,すでに膨張して象のように膨れ上がっていたが,高密度の抗生物質の夥しい注入によって腎機能は直ちに破壊され,代わって人工透析装置の長く冷たい循環システムが繋ぎこまれた.強制人工呼吸を施すために喉は切開されて声帯は確実に取り除かれなくてはならなかった.なぜなら患者が発声することは許されるべきではなかったからである.ナトリウムとカリウムの代謝バランスは完全に破壊され,心電図にはジギタリスの過剰投与を示す特徴的な波動が目撃された.医師たちは集まった親族らに臓器のすべてが機能不全であること,中でも心・肺・肝・腎の四大臓器不全は致命的であると厳かに告げた後,親族代表にすべての臓器の無条件移植承諾書への署名を求めた.我々の中央銀行が我々の母親に対して行ったことはこれである.
これらのことがすべて一つのこと,グローバリズムないし新世界秩序という美名のもとに行われていることを我々は知っている.そして,そのことはもはや水辺に生える青草にさえも隠すことができないほどに知れ渡ってしまったのである.伝えたのは水面を渡る涼やかな風であったのか,あるいはその水面に落ちる月の影であったのか,ないしは岸辺を洗う水の絶え間ないさざめきであったのか…
私は政局にはもとより関心がない.なぜなら私は現在母国日本の抱えている困難は元寇以来の国難であると考えているからである.どこに外国軍軍司令部の本土常駐を許す国が存在するだろうか?私は最近聖書を少し読み直していくつかの新しい発見をした.読み直しといっても,旧約はモーゼ五書まで,新約は最後の黙示録だけである.出エジプト記は生々しい事変を克明に記録したドキュメントだった.
かつてない大飢饉に見舞われた際,縁故を頼ってエジプトに移住したイスラエルの子孫はその地に寄留する2等国民として虐げられていた.イスラエルの民はこれに忍従してきたが,ついに暴動が発生する.この暴動のきっかけはふとしたことで,モーゼが同胞をいたぶるエジプト人を殺(あや)めてしまったことに端を発する.暴動は瞬く間にエジプト全地に拡大した.暴動の扇動者であり,民衆の指導者となったモーセはエジプト王と交渉してイスラエルの民がエジプトから離脱することの許可を求めた.交渉は決裂し,暴動はさらに深刻化して血で血を洗う凄惨なものに転化してゆく.過ぎ越しというユダヤの祭りはその極を記念するものである.
最後にエジプトはイスラエルの離脱を認め,60万と言われるイスラエルの民は身の回りのものを取りまとめて砂漠への旅に出立するのである.言わばリヤカーを引いた夜逃げの旅と言っていい.この旅団は紅海のほとりにたどり着いたところであっけなく立ち往生し,海岸線を当てもなくさまようことになる.後ろからはエジプト軍の戦車600台が迫っている.このとき海が割れ,イスラエルの民はその水の壁の間を通過して全員彼岸に脱出することができた.奇跡が起こったのである.参照:パーフェクトゲーム
モーゼは政治指導者であり,立法者であり,同時に宗教的指導者でもある.しかし,必ずしも独裁者タイプの「強い指導者」ではない.王になることもなろうとしたこともなかった.民衆はつねにモーゼの指導に不満を鳴らし,反乱が起きそうになったことも一度や二度ではない.最初のころモーセは部族内の揉めごとをすべて一人で裁こうとしていた.見兼ねた妻チッポラの父でエジプト人リウエルの助言で初めてもっとも原始的な司法システムが導入された.モーゼの右腕となったアロンは彼の広報担当スポークスマンであり,内閣官房長官である.アロンの子孫はレビ人と呼ばれて嗣業(領地)を持たず,幕屋を守る祭司となった.出エジプトの史実を記憶し,後に文書化する作業はおそらくアロンとその子孫が行ったのだろう.
私は前にこれからの50年間をインフレの無い50年と規定した.つまりデフレの50年である.参照: http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/265.html これはイスラエルの民が砂漠で経験したのとほとんど同じことが我々の身の上に起こることを意味している.彼らは天から供給されるマナによって生き延びたとされている.マナは聖書の記録によれば,朝霧が晴れるころ葉の上に薄く積もったうろこのようなものである.これはざっくばらんに言って,現に私自身の日々のメニューのようなものと考えてよい.つまり,かれらは乏しい小麦個を薄く溶いてセンベイを作り,それを煮るなり焼くなりして日常の糧としていたのである.
私は最初このストーリイを隣国朝鮮からの寄留者いわゆる在日朝鮮人の上に仮託してみた.確かに日本国籍を取得できる条件を備えながら,それを拒み続けている人たちのこだわりは存在する※.風説では韓国の政治指導者たちが進めている南北統一プランの一部には北方ロシア領域内に開拓地を見つけ集団移住するという案も含まれていると聞く.つまり,ある種の民族移動のようなことが起こり得る可能性はあるように思われた.しかし,私はここでもう一つ別の解釈が許されることに気付いたのである.すなわち日本自身のエクソダスである.※私はむしろそのこだわりにシンパシーを抱いている.
実は,すでに村上龍氏の『希望の国のエクソダス』という小説がある.(文春文庫,
2002)明らかに2002年に村上龍氏は今日のあることを読み切っておられた.
> 2002年、失業率は7%を超え、円が150円まで下落した日本経済を背景に、パキ
> スタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」の存在を引き金にして、日本
> の中学生80万人がいっせいに不登校を始める。彼らのネットワーク「ASUNARO」は、
> ベルギーのニュース配信会社と組んで巨額の資金を手にし、国際金融資本と闘い、
> やがて北海道で地域通貨を発行するまでに成長していく。
2004年のゴールデンウィークに菅直人氏は外遊の旅に出ておられる.HAARP氏は,これを事前にキャッチして菅直人のアヤシイ黄金週間という表題で紹介された.
歴訪地はニューヨーク,ローマ,スエーデン,ノールウエイ,スペインである.予定では2004年4月29日に出発し,5月9日帰国ということになっていたが,菅氏自身の年金未納問題がマスコミの知るところとなったため,日程を打ち切って5月6日に帰国された.この外遊で,彼はアナン国連事務総長,ブラヒミ特別顧問,スウェーデンのパーション首相などと会談した.29日にはすでに菅氏の年金未納が問題化していたので,日程の再調整は早い時期に行われたと推定されるが,どの訪問地がキャンセルされたのかは同定できない.ローマではバチカンを訪問することになっていた.
この外遊は菅氏にとってはある意味で世界支配者の執事たちとの初顔合わせであり,逆に言えば,この日程がアレンジされたときすでに菅直人氏が次ないしその次の次の総理になることが内定していたと推量することはそれほど突飛な飛躍ではない.私はこの論考の冒頭に「すべては天の配剤である」と記した.彼はある意味でこの第一次審査に間の悪い偶発事のため失敗したと言ってよいかもしれない.もしそうであるとすれば,それは我々にとってはまことに間一髪の僥倖であったと言えよう.
私が35年も前に四国を歩いたときでさえお遍路さんは完全に観光化して,車で次の札所に移動するようなイージーなものになっていた.それゆえ読者はそんな観光地巡りなんか唯のパフォーマンスに決まっていると思われたかもしれない.上記のように菅氏のお遍路は3回に分けて実行されている.初回ではマスコミが後をつけ回しほとんどパレードの様相を呈していたものが,回が増すごとに沿道の人垣も減り,孤独な一人旅を味わうことになったようだ.「野に放たれた虎」と評する人もある.四国お遍路は山道である.空海が歩いた同じその道を歩きながら菅が考えたことは民衆の救済であり,民族の蘇生であったとして間違いなかろう.
空海とモーゼに共通する点はどちらも無数の奇跡と呼ばれる不思議を行ったことである.モーゼが岩を杖で打つと水がそこから溢れ出たように,日本の各地には空海上人の錫杖から湧き出た水として知られるものが無数にある.もはや読者はこの論考の最初の問い「四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機」が何であったかを悟られたに違いない.
彼は華氏911を見ることを小泉首相に勧めている.日本国首相はこの映画を見て楽しんだだろうか?もちろん見るはずもなかったのである.なぜなら彼はむしろそれをまんま演じていたのであるから.できれば明日私は国会議事堂前で法案否決の瞬間に立会い,鬼神石井こうきの霊前にご報告したいと考えている.
いよいよここに我々のエクソダス:脱米自立の道が始まるのである.
初出:http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/454.html
投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 07 日 21:38:09: dcAX/x0KhXeNE
(回答先: ぷち姉さん,こちらに移りました. 投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 06 日)
←脱米自立まで,ワンクリック!
前便末尾は,
> 菅の四国巡礼行脚の動機についてもう少し掘り下げて考てみたいと思います.
> もっともっと深いわけがあったのではないか?という気がしてきました.
で結んでいる.前便で書いたように菅の国民年金未納疑惑は晴れた.
もう少し迅速に調査していれば,事務的な手違いであったことに気付くことは難しくなかったに違いない.つまり,菅の民主党党首辞任という決断は拙速に過ぎたのである.しかし,すべては天の配剤である.なぜ彼は四国お遍路という政治家にはあまり似つかわしくない旅に出たのだろう.年金未納問題について彼が内心に何のやましさも感じる必要がなかったことは今や明らかである.家族の入院のようなことはあったかもしれないが,動機としてはやや弱過ぎる.何かもっと大きな動機付けが必要である.彼はその旅で何を探し,何を見つけて帰ったのか?
結論を言ってしまおう.彼が朝未暁に起き出して日が暮れるまで,全行程240キロ1日平均22キロの道程を汗を滴らせながら同行一人テクテクと歩く11日間の長い旅の終わりに再発見したのはかの空海上人に他ならない※.四国お遍路は事実,若き空海の修行の地でもある.彼は旅から帰った後も司馬遼太郎の『空海の風景』を再読している.もっと端的に言ってしまえば,ここにおいて菅直人は自ら「空海上人」たらんとすることを発願したのである.彼はつまり,完全に我欲を捨て,真に民衆とともに生きることを決意したのである.もちろん,彼の公式ウェブサイトにはそんなおおげさなことは書かれていない.「菅直人の今日の一言」のページに記されているのは彼の政敵が読んでも腹を立てない程度のモデラートな消息のみであり,彼にほとばしるものがあるとすればその行間に読むしかないのである.
※菅氏のお遍路は公務の間を縫って,四国88箇所霊場巡りの1番霊山寺から
38番足摺岬金剛福寺までの全行程530キロを3回に分けて実施された.
初回: 7月15日1番霊山寺~7月26日24番最御崎寺,240キロ
2回目: 9月8日24番最御崎寺~9月11日30番善楽寺),110キロ
3回目: 12月10日30番善楽寺~16日38番金剛福寺の180キロ
さて,アカシックレコード佐々木敏氏は郵政民営化に関し「可決・総辞職」という予測を打ち出されている.佐々木敏氏は情報を氏独自の論理的な手法によって緻密に分析し,高い精度の予測を行うことで知られている.アカシックレコードでこれまで的中させた予測には次のようなものがある.
97年05月21日:インドネシアのスハルト体制の崩壊を半年前に予言
01年04月26日:総裁選への出馬表明に先立ち小泉内閣誕生を1ヶ月前に予言
02年06月14日:W杯サッカー韓国対ポ戦で審判の不正判定を前日に予言
佐々木氏はかつて,小泉内閣の誕生を予告し,今またその命運が尽きるときが来たと告げているのである.私はこれに対抗して7月31日付けの管理運営8板のあっしら氏へのレスの中で,「否決解散」を予測した.
参照: Re: そんな気の利いた理由でチャチャを入れたわけではありません。
今事態はまさに私が予言した方向への力動を開始した.これはほとんど地殻変動に近い大きなムーブメントであり,核分裂の破壊力を持ってしても止めることのできない巨大なプレートテクトニクスの移動である.私はこの運動を仮に「脱米自立」と呼ぶ.竹中半兵衛氏はこれを解析してブルジョア支配層の内部分裂と捉えておられる.確かにそのような説明も可能だろう.しかし,それはまだ事態のほんの一面に過ぎない.根底にはもっともっと大きな歴史の不可逆がある.無数の名も無き民の個々バラバラのベクトルが今ある方向に位相をそろえつつあるのだ.つまり無力な民が集合的にあるコヒーレンシーを獲得しつつあると言えるだろう.
このような巨大な運動の中にあっては,ベクトルの向きだけが主要なモメントであり,個々のポジションは問題にならないということを私は再三申し上げてきた.
「グローバリズム」という理念は美しい.しかし,その実像は醜悪なものである.それはエゴイズムの塊りとなった覇権国の専横でしかない.それはあるときは国際機関を使嗾し,またあるときは蹂躙して憚らない.アメリカから独立したいという我々の願望,民族の悲願は単なるプライドの問題であろうか?もし,そうならグローバリズムの波に乗って我々自身が国際人として成長すればそれで済むのではないだろうか?多分そのうち,我々にも常任安全保障理事国の席が回ってくるに違いない.
我々はファルージャの市街で犬に食われるファルージャ市民の遺骸を見た.彼らが身を捨てても守ろうとしたものは何であったのだろう.彼らは彼らの宗教的信念ゆえに己を捧げたのだろうか?いや違う.彼らは泥棒から彼らの家,つまり彼らの家族と財産を守ろうとしているに過ぎない.泥棒はこっそり忍び込んできたのだろうか.いやそうではなかった.泥棒は完全武装した警察部隊としてこの家に入ってきたのである.警官は家の主人に告げた.この家の内部にWMDという凶器が隠されているという証拠があるので,家宅捜索を行う.家宅捜索令状を見せてくれと言ったその家の主人はその場で射殺された.我々もこの犯罪に加担している.
我々の母親は高名な大学病院という触れ込みの施設に送り込まれた.母親の身体はカラフルなチューブから間断なく注入される過剰な点滴液のため,すでに膨張して象のように膨れ上がっていたが,高密度の抗生物質の夥しい注入によって腎機能は直ちに破壊され,代わって人工透析装置の長く冷たい循環システムが繋ぎこまれた.強制人工呼吸を施すために喉は切開されて声帯は確実に取り除かれなくてはならなかった.なぜなら患者が発声することは許されるべきではなかったからである.ナトリウムとカリウムの代謝バランスは完全に破壊され,心電図にはジギタリスの過剰投与を示す特徴的な波動が目撃された.医師たちは集まった親族らに臓器のすべてが機能不全であること,中でも心・肺・肝・腎の四大臓器不全は致命的であると厳かに告げた後,親族代表にすべての臓器の無条件移植承諾書への署名を求めた.我々の中央銀行が我々の母親に対して行ったことはこれである.
これらのことがすべて一つのこと,グローバリズムないし新世界秩序という美名のもとに行われていることを我々は知っている.そして,そのことはもはや水辺に生える青草にさえも隠すことができないほどに知れ渡ってしまったのである.伝えたのは水面を渡る涼やかな風であったのか,あるいはその水面に落ちる月の影であったのか,ないしは岸辺を洗う水の絶え間ないさざめきであったのか…
私は政局にはもとより関心がない.なぜなら私は現在母国日本の抱えている困難は元寇以来の国難であると考えているからである.どこに外国軍軍司令部の本土常駐を許す国が存在するだろうか?私は最近聖書を少し読み直していくつかの新しい発見をした.読み直しといっても,旧約はモーゼ五書まで,新約は最後の黙示録だけである.出エジプト記は生々しい事変を克明に記録したドキュメントだった.
かつてない大飢饉に見舞われた際,縁故を頼ってエジプトに移住したイスラエルの子孫はその地に寄留する2等国民として虐げられていた.イスラエルの民はこれに忍従してきたが,ついに暴動が発生する.この暴動のきっかけはふとしたことで,モーゼが同胞をいたぶるエジプト人を殺(あや)めてしまったことに端を発する.暴動は瞬く間にエジプト全地に拡大した.暴動の扇動者であり,民衆の指導者となったモーセはエジプト王と交渉してイスラエルの民がエジプトから離脱することの許可を求めた.交渉は決裂し,暴動はさらに深刻化して血で血を洗う凄惨なものに転化してゆく.過ぎ越しというユダヤの祭りはその極を記念するものである.
最後にエジプトはイスラエルの離脱を認め,60万と言われるイスラエルの民は身の回りのものを取りまとめて砂漠への旅に出立するのである.言わばリヤカーを引いた夜逃げの旅と言っていい.この旅団は紅海のほとりにたどり着いたところであっけなく立ち往生し,海岸線を当てもなくさまようことになる.後ろからはエジプト軍の戦車600台が迫っている.このとき海が割れ,イスラエルの民はその水の壁の間を通過して全員彼岸に脱出することができた.奇跡が起こったのである.参照:パーフェクトゲーム
モーゼは政治指導者であり,立法者であり,同時に宗教的指導者でもある.しかし,必ずしも独裁者タイプの「強い指導者」ではない.王になることもなろうとしたこともなかった.民衆はつねにモーゼの指導に不満を鳴らし,反乱が起きそうになったことも一度や二度ではない.最初のころモーセは部族内の揉めごとをすべて一人で裁こうとしていた.見兼ねた妻チッポラの父でエジプト人リウエルの助言で初めてもっとも原始的な司法システムが導入された.モーゼの右腕となったアロンは彼の広報担当スポークスマンであり,内閣官房長官である.アロンの子孫はレビ人と呼ばれて嗣業(領地)を持たず,幕屋を守る祭司となった.出エジプトの史実を記憶し,後に文書化する作業はおそらくアロンとその子孫が行ったのだろう.
私は前にこれからの50年間をインフレの無い50年と規定した.つまりデフレの50年である.参照: http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/265.html これはイスラエルの民が砂漠で経験したのとほとんど同じことが我々の身の上に起こることを意味している.彼らは天から供給されるマナによって生き延びたとされている.マナは聖書の記録によれば,朝霧が晴れるころ葉の上に薄く積もったうろこのようなものである.これはざっくばらんに言って,現に私自身の日々のメニューのようなものと考えてよい.つまり,かれらは乏しい小麦個を薄く溶いてセンベイを作り,それを煮るなり焼くなりして日常の糧としていたのである.
私は最初このストーリイを隣国朝鮮からの寄留者いわゆる在日朝鮮人の上に仮託してみた.確かに日本国籍を取得できる条件を備えながら,それを拒み続けている人たちのこだわりは存在する※.風説では韓国の政治指導者たちが進めている南北統一プランの一部には北方ロシア領域内に開拓地を見つけ集団移住するという案も含まれていると聞く.つまり,ある種の民族移動のようなことが起こり得る可能性はあるように思われた.しかし,私はここでもう一つ別の解釈が許されることに気付いたのである.すなわち日本自身のエクソダスである.※私はむしろそのこだわりにシンパシーを抱いている.
実は,すでに村上龍氏の『希望の国のエクソダス』という小説がある.(文春文庫,
2002)明らかに2002年に村上龍氏は今日のあることを読み切っておられた.
> 2002年、失業率は7%を超え、円が150円まで下落した日本経済を背景に、パキ
> スタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」の存在を引き金にして、日本
> の中学生80万人がいっせいに不登校を始める。彼らのネットワーク「ASUNARO」は、
> ベルギーのニュース配信会社と組んで巨額の資金を手にし、国際金融資本と闘い、
> やがて北海道で地域通貨を発行するまでに成長していく。
2004年のゴールデンウィークに菅直人氏は外遊の旅に出ておられる.HAARP氏は,これを事前にキャッチして菅直人のアヤシイ黄金週間という表題で紹介された.
歴訪地はニューヨーク,ローマ,スエーデン,ノールウエイ,スペインである.予定では2004年4月29日に出発し,5月9日帰国ということになっていたが,菅氏自身の年金未納問題がマスコミの知るところとなったため,日程を打ち切って5月6日に帰国された.この外遊で,彼はアナン国連事務総長,ブラヒミ特別顧問,スウェーデンのパーション首相などと会談した.29日にはすでに菅氏の年金未納が問題化していたので,日程の再調整は早い時期に行われたと推定されるが,どの訪問地がキャンセルされたのかは同定できない.ローマではバチカンを訪問することになっていた.
この外遊は菅氏にとってはある意味で世界支配者の執事たちとの初顔合わせであり,逆に言えば,この日程がアレンジされたときすでに菅直人氏が次ないしその次の次の総理になることが内定していたと推量することはそれほど突飛な飛躍ではない.私はこの論考の冒頭に「すべては天の配剤である」と記した.彼はある意味でこの第一次審査に間の悪い偶発事のため失敗したと言ってよいかもしれない.もしそうであるとすれば,それは我々にとってはまことに間一髪の僥倖であったと言えよう.
私が35年も前に四国を歩いたときでさえお遍路さんは完全に観光化して,車で次の札所に移動するようなイージーなものになっていた.それゆえ読者はそんな観光地巡りなんか唯のパフォーマンスに決まっていると思われたかもしれない.上記のように菅氏のお遍路は3回に分けて実行されている.初回ではマスコミが後をつけ回しほとんどパレードの様相を呈していたものが,回が増すごとに沿道の人垣も減り,孤独な一人旅を味わうことになったようだ.「野に放たれた虎」と評する人もある.四国お遍路は山道である.空海が歩いた同じその道を歩きながら菅が考えたことは民衆の救済であり,民族の蘇生であったとして間違いなかろう.
空海とモーゼに共通する点はどちらも無数の奇跡と呼ばれる不思議を行ったことである.モーゼが岩を杖で打つと水がそこから溢れ出たように,日本の各地には空海上人の錫杖から湧き出た水として知られるものが無数にある.もはや読者はこの論考の最初の問い「四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機」が何であったかを悟られたに違いない.
彼は華氏911を見ることを小泉首相に勧めている.日本国首相はこの映画を見て楽しんだだろうか?もちろん見るはずもなかったのである.なぜなら彼はむしろそれをまんま演じていたのであるから.できれば明日私は国会議事堂前で法案否決の瞬間に立会い,鬼神石井こうきの霊前にご報告したいと考えている.
いよいよここに我々のエクソダス:脱米自立の道が始まるのである.
初出:http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/454.html
投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 07 日 21:38:09: dcAX/x0KhXeNE
(回答先: ぷち姉さん,こちらに移りました. 投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 06 日)
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