弱者なら連帯できるってもんじゃない

東京で日本初のゲイパレード*1が始まった頃、年々パレードの成功が世に知られるにつれて、同性愛とは何の関係もない団体が作り笑顔でビラ撒きにやってくるようになったのがとても気持ち悪かったことを覚えています。変な新興宗教とか、よくわからない政治団体とかが、「同性愛差別は良くないですね。ところで(ここで声が大きくなる)私たちの活動も社会からこんなに誤解されていて大変なんです! さあ、弱者同士で手を取って戦いましょう!」というロジックでニコニコと勧誘してくるのよ。要するに、パレードに集まる同性愛者の人数と勢力を見て「こいつら利用できそう」と思いついたいろんな団体が、「共感」だの「連帯」だのという言葉を振りかざしてハイエナのように群がってきてたんですね。
いっそもっとビジネスライクに「こういう面で力を貸してくれれば、こちらはこのように協力できます」と交渉してくれればいいのに、そうじゃないんですよ。向こうからこちらに提供できるものが何もないからこそ、「自分たちもあなた達と『同じ』立場」という文脈で強引ににじり寄って来るわけでね。でも、そもそも、「ゲイ差別により職場で解雇された」って問題を抱えている人と、「宇宙からやってきた教祖様の教えをもっと広めねばならぬのに世間の人は冷たい」って問題を抱えている人*2とが「同じ」立場にいるわけはないでしょ。そんな拙劣な戦略で人をどうにかできると思っているような頭の悪い団体と手を組もうなんてバカはいないよ、と苦々しく思いました。
だいたい、パレードに参加していた同性愛者の間ですら、立場は「同じ」なんかじゃなかったんですからね。ゲイのレズビアン差別もあったし、障害を持つ同性愛者への差別もあったし、「お祭り」がしたい人と「デモ行進」がしたい人との衝突もあったし、しまいには乱闘だってあったわ。「パレードに賛成している同性愛者」という共通項が一応あってさえ、これよ。なのに、「世間から迫害されている人々」なんていうさらに大雑把なくくりだけでいきなり手に手を取って協力し合うなんて、ありえないってーのよ。
まとめると、「マジョリティから抑圧されている立場だからといって、それだけで簡単に共感したり連帯したりなんてありえない」ってことです。個人と個人が友達として共感し合い助け合う、というのなら充分ありだと思いますが、団体でそれをやるのは難しいでしょう。ましてや何か政治的な行動を起こすなら、共感よりももっと具体的なギブアンドテイクをベースにして、時には火花を散らして真剣に渡り合うぐらいしなければ無理だし、テイクだけでギブはしたくない奴が揉み手して擦り寄ってくるんじゃねえ、ってことですな。

*1:東京レズビアン・ゲイ・パレード(1994-1996)。厳密に言うとこれ以前にも数十人規模のパレード(なのか? デモ行進なのか?)はあったそうなのですが、世間的に「最初のパレード」と認識されているのはこちらの方だと思います。

*2:本当にこういう主張の団体がビラを配ってました。