〔俺の話〕これから産まれる子供達に必ず「イイ時代」がやってくる。草場の陰から応援しているよ

 アフリカで子供が餓死するのを止めたければアフリカ人と他の人類が連帯していけばいい。よその国で餓死する子供も同じ国の子供も同じこどもなのだという世界がいつか来るよ。そう祈願するほうがはるかに意味がありそうだ…
 独身者にとって最後の命綱は取り巻きの信頼だけだ。実は一番愛に飢えている悲惨な滑稽劇を独裁者は象徴する。自分が自分に懐疑的になれば、部屋の隅で孤独に餓死していても誰も弔ってくれる人は居ないと思うものだ。
 要は、如何にしてギリギリまで生き延びて、自分の希望がちゃんと実現するじゃないかなと笑って見ていけるかどうかが、俺にとっての最大の課題なんだ。
 子供達の未来のために今俺達がやるべきことは簡単なことだ。謙遜であること。未来は自分たちの手にはない。未来はこれから生まれてくる彼らの手にある。彼らが成しとげる可能性を私が評価することなどできない。私の絶望を救うのは彼らが私の思いを打ち砕いて実現することだ。
 今はネットに繋げば、youtubeで世界中の歴史を簡単に振り返ることができるし、今が人類の総決算の時期なんだとか思うものだ。第一大戦後、世界が恐慌になったとき、知識人たちも図書館を前にそう思った。ヴォネガットの母は自殺してしまった。多くの人が文明に絶望した。そしてその絶望に見合うような未来もやってきた。
 でも、人が生きるのはいつだってその時代だけだし、人はその人生のなかで時代に超えるものに出会うし、その出会いによって時代を相対化するし、だから、死んでいけるというか、そうか、この時代に生きた意味は、俺がこの世界を愛せるってことかなと納得できることだし、まあ、そうきれいごとではすまないのは、書店員が意味なく刺し殺されたりすることもだけど、でも、これから産まれる子供達に必ず「イイ時代」がやってくる。草場の陰から応援しているよ。
 
 inspired by これから産まれる子供達に「イイ時代」なんて永遠にやってこないさ。ざまあみろ - heartbreaking.
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ノンちゃんの冒険 (1975年): 柴田 翔
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チャンピオンたちの朝食 (1984年) (海外SFノヴェルズ): カート・ヴォネガット・ジュニア, 浅倉 久志