誤解と困ったことだなということ

 id:y_arimさんのぶくまなんだけど⇒そういえば - finalventの日記

[blog][blogger][finalvent][web][communication][comment]
ぼくは逆に、たまには自分のブログも炎上しないとつまらん。ストレスたまるけど、「おお、来たぞバカと気違いが。さあどうやって殴るかな」とゾクゾクするんだよ。そんなバカと気違いを愛しているのでコメント欄存置
: はてなブックマーク - Walk Out to the World Tower / 2008年06月04日

 人がいろんな意見を持つことはいいのだけど。
 まず、私はコメント欄を廃止しなさいというのではないよ。梅田さんが指摘されたようにそれはとても有益なものだ。だが、野放図に使える時代はもう終わったよということ。多少の不便をかけてコメント欄を承認制にしなさい。そうでないなら、「死ね」といったコメントを公衆の目の届くところに放置するのはやめるようポリシーを持ちなさいということ。
 困ったなというのは、「たまには自分のブログも炎上しないとつまらん」ということ。
 匿名掲示板にはいろいろ問題がある。ここではそれは突っ込まないけど、個人ブログに匿名掲示板をくっつけるようなことはもうやめましょうというのが私の提言。
 そうすれば少なくとも「炎上」は終わりになる。
 「炎上」なんてものがないネットの世界を作りましょうというのが私の提言。
 もちろん、受け入れない人もいる。
 「炎上」のように見える多数コメントや議論というのがあるのもわかる。
 でも、「おお、来たぞバカと気違いが。さあどうやって殴るかな」というのをやめたほうがいい。
 それは、「共謀の図式」を作り、自分自身を自分の敵にすることになるから。
 詳細は以下に書いた。
 ⇒極東ブログ: [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)
 ⇒極東ブログ: [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート) その2
 世の中には対立というのもはあるし、対立を可視にしておくことが必要であることもある。問題を隠蔽してはいけないということがある。
 しかし、共謀の図式を作り上げて対立することがそれに役立つことだとは思えない。
 共謀の図式から対立構造を作るのではなく、対話の可能性の条件を見つけていくこと、最低の線で合意できる社会の綱領のようなものを探っていくこと。それは妥協しなからこそ大切なことだ。