増田30歳さん

 ⇒30歳になって気づいたこと
 ふーんという感じ。
 私はちょうど30歳になったとき、その思いを短編小説に書いたことがある。あれがどっかにあるのかあったらネットに公開してみたいなとか最近ときたま思う。
 現実にはそのあと、以前にもちらと書いたけど、自分を巻き込む諸事件に巻き込まれて、自分の人生を生きるのは当分お預け状態。気が付くとぼろぼろで32歳になっていた。結果的に脈絡のない仕事をしつつ、友情はネットでごたごたとして34歳になり、あれ?と思った。孤独というのともすこし違う、ああ、自分はもう自分勝手に生きたいよ、みたいな。そして人生はまた変わっていった。
 私は社会的には成功しなかった。論語にもあるが40歳になっても世に出てこないような人間はどうでもよい。というか、世の中は私を必要としていない。
 「告子章句下15」

孟子曰、舜發於畎畝之中、傅說舉於版築之輭、膠鬲舉於魚鹽之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉於海、百里奚舉於市。說、音悦。○舜耕歴山、三十登庸。說築傅嚴、武丁舉之。膠鬲遭亂、鬻販魚鹽、文王舉之。管仲囚於士官、桓公舉以相國。孫叔敖隱處海濱、楚莊王舉之爲令尹。百里奚事、見前篇。
 
孟子曰く、舜は畎畝の中より發り、傅說は版築の輭より舉げられ、膠鬲は魚鹽の中より舉げられ、管夷吾は士より舉げられ、孫叔敖は海より舉げられ、百里奚は市より舉げらる。
 
故天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所爲。所以動心忍性、曾﨟其所不能。曾、與筯同。
 
故に天將に大任を是の人に降さんとすれば、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を勞し、其の體膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行わるること其のする所を拂亂す。心を動かし性を忍えて、其の能わざる所を曾﨟する所以なり。

 大任なきも、また、天命なり、と。恩恵なり、と。
 獄のなかで佐久間象山とこれを読んでいた吉田松陰は30歳を超えた人生はなかった。