日本の仏教史はざっと見ているかぎり全滅かと思う

 のは、教義史と区別ができてないからだ。
 仏教史と限らないとも言えないこともないが。
 で。
 例えば、実際の寺院と見て回るとやたらと薬師如来とか観音菩薩が多い。なぜか。地蔵とかも多いなぜか。こういうべたな質問に仏教史が答えない。で、民俗学が答えようとするのだがメタになってとんちんかん。
 薬師如来については単純に病気平癒祈願というのはわかりやすい。
 では、観音菩薩はというと、これは呪法返し(つうかバリヤー))ではないかと私は思う。私が知らないだけかもしれないがあまりよい研究がない。ま、江戸以降というか近代では壷坂霊験記のようになるのだが。
 観音菩薩と観音経を一緒くたにしてはいけないが、後者の経典、実際には法華経の一部で、しかもその詩文の部分だが、これは古代においては呪法返しがかなりの用途っぽい。ということは、それに対応する呪法が存在したのであり、仏教というのは、この側面では呪法のエキスパート養成学だった。
 まあ、そういうのは仏教ではないとか偉そうな議論で隠れてしまって、現実の「仏教」の社会での働きの歴史が見えない。
 親鸞でもそうだが、善鸞事件は案外簡単な問題ではないのかもしれないと思う。また親鸞の関東教団の動きも現在は事実上継承されていないがあの教団がなんであったかはよくわかってないと思う。
 こうした問題の核心というのはあまり関心もたれていない。案外現代的な問題なのかもしれないのに。
 
追記
 ⇒薬師如来 - Wikipedia

東方浄瑠璃世界の教主であり、12の大願を発し、瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として信仰を集める。顕教系の如来であって、密教の曼荼羅類には一切登場しない。しかし伝統的に天皇家と結びつきが強かった天台宗での密教では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の王たる天皇と結び付けられもした。また密教では、胎蔵大日如来と同体とする説があるが、これには天台密教において、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。

 仏教教義からは薬師如来信仰が出てこない。では、こうした実態の仏教史がどうなっているかは、よくわかっていない。
 ここで薬師如来と天皇との関係が興味深い。

徳川時代、初代将軍徳川家康が神格化され、神君と呼ばれるようになった。僧天海などの働きもあり、朝廷より、「東照大権現」の名が下され、東照宮に祭祀された。ここで、東照権現信仰が始まる。この場合、徳川家康を薬師如来が日本の仮に姿を現したものとし、神仏習合の形をとり神社神道形式で祭祀を行う。

 つまり、そのポジションを家康が取り込む。
 天皇=神格化、とか、近代になって言われるが、こうした神格化の歴史の背景はそう単純ではない。