ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる

 最初から議論ではなく旗幟のみが問われる問題――それこそが疑似問題なのだが――に関わるのはうんざりした気持ちになるのだが、やはり少しばかり言及しておこうと思う。何について? その前にそう思うに至ったきっかけから語りたい。
 「日本人とユダヤ人」(参照)にこういう指摘がある。


 「朝鮮戦争は、日本の資本家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。
 ここでのトピックは朝鮮戦争についてだが、関東大震災における朝鮮人虐殺についても同じ枠組みがあるかと私は思う。
 映画ホテル・ルワンダのパンフレットに町山智浩が「彼でなければダメだった テリー・ジョージ監督の賭けに見事に応えたドン・チードル」(参照)という文章を掲載したらしい。その締めがこうなっている。特に最後の一文に注目してほしい。

 ルワンダの虐殺は現実なので、ハリウッド映画のようにわかりやすい悪役はいない。戦って敵をやっつければOKというわけではない。チードル演じるポールの敵は自分の内側にある「自分だけ助かればいい」という弱さだ。ポールを観客に近い人物として描くことで、『ホテル・ルワンダ』は「彼だって戦えたのだからあなたにもできるはず」と、観客を励ますと共に、逃げ場をなくす厳しい映画になった。ポール・ルセサバギナ氏は『ホテル・ルワンダ』の米版DVD収録のコメントでこう問いかけている。
 「ルワンダと同じような状況になったとき、あなたは隣人を守れますか?」
 日本でも関東大震災の朝鮮人虐殺からまだ百年経っていないのだ。
 私はこうした言及を安易に聞き流していいのだろうかと自問した。
 よくないと思う。
 そうでなくても旗幟のみが問われる問題になりそうなので、結論を先に書いておこう。それは、ルワンダの虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺はとても異なるものであり、その差異をどう理解するかが日本人に問われるということだ。「あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう」という懸念を、もし可能なら、薄めておきたいのだ。
 ルワンダの虐殺とはどのようなものであったか。この虐殺には前史がある。簡単にウィキペディアをひく(参照)。

第一次世界大戦終結までドイツ植民地、以後はベルギー支配となり、1962年に独立する。ドイツやベルギーが少数派ツチ族を重用したため、しばらくツチ族による政権であったが、ツチ族支配に反抗した勢力が1973年にクーデターを起こして、多数派のフツ族が政権を握り、ツチ族を支配する。1990年にツチ族はルワンダ愛国戦線を組織して内戦が起こった(ルワンダ内戦)。1993年に和平合意に至るが、1994年にフツ族の大統領が暗殺されたため再燃した。国際連合が介入して停戦。政府軍と暴徒化したフツ族によって80万人から100万人のツチ族と穏健派フツ族が殺害されたと見られている。
 ここには民族間の争いと憎悪の歴史背景がある。
 そのようなものが、関東大震災の朝鮮人虐殺にあっただろうか。
 ない。それがとても重要なことだ。
 この点について、先の「日本人とユダヤ人」を引用したい。

 前にのべた迫害のパターンからすると、少なくとも当時は、朝鮮人が迫害されなければならぬ理由は全くないといって良い。当時の日本が実質的には欧米の資本家に支配され、その資本家と日本人大衆の間に朝鮮人が介在して暴利を独占していたわけではもちろんない。逆であり、その多くは、むしろ最下層にあって最低の労働条件で、最低とみなされる労働に従事していたのは事実である。またおそらくは、もし関東大震災という突発的大天災が起こらなかったならば、あの悲しむべき虐殺事件も起こらなかったであろうことも事実である。絶対に、うっせきした民衆の不満が天災を契機にして朝鮮人に向かって爆発したわけではない。ということは、その後、現在に至るまでの約半世紀、こうした事件、もしくはそれと同じ性格をもつと思われる事件は、なんら発生していないからである。
 日本人は朝鮮人に憎悪の感情を向けていたわけではなかったし、そう思われるような事件もなく、その後もない。引用を続ける。

 従ってこの事件の原因となると、どんな解説書を読んでもはっきりとわからない。いわゆる進歩的な人々や知識人の解説は、むしろある主のイデオロギーの枠にこの事件をはめこうもうとしているように見える。だがユダヤ人の目から見ると、どう再構成してもうまく枠にはめこめない事件なのである。一方、朝鮮人の側から発言は、当然のことだが、それへの抗議・非難・憤激が先にたつから、やはり何が真の原因かを明らかにしていないが、この明らかでないということ自体が、一つの事実を物語っている――すなわち、どこからどう見ても、迫害されるべき理由は全くない、という事実である。もちろん迫害されるべき「理由」などは、いかなる迫害にも建前としてはありうべきはずはない。だが今までのべて来たように、迫害されやすい社会的位置というものは確かにあったし、迫害された者は、その位置にあるか、その位置にある者と連なっているか、あるいはそのいずれかと誤認された者であるのが常であった。だが、関東大震災当時の朝鮮人は、どう考えてもその位置とは関係ないし、その位置にあると誤認されたわけでもない。従ってゲットー略奪のように、朝鮮人部落を襲撃して財物をかすめた、などという記録はあるはずもないし、私の調べた範囲内では全くない。
 特に重要なのは、関東大震災の朝鮮人虐殺といっても、その部落襲撃もなければ、その所有物の盗み出しなどもないという点だ。
 たぶん、現代の日本人でも、そういう襲撃や略奪のことは想定もできないことではないだろうか。しかし、他国の歴史に見られる虐殺には普通につきまとうことなのだ。
 この日本人のズレた内的な史的感覚――それは他国の歴史を知ればお人好しすぎる甘えちゃんとしか見えないような感覚――が、歴史の意識を無化し、人類の普遍的善意みたいな仮説をおびき出させ、誘導に頷かせようとする。

 「ルワンダと同じような状況になったとき、あなたは隣人を守れますか?」
 日本でも関東大震災の朝鮮人虐殺からまだ百年経っていないのだ。
 だが、日本はルワンダと同じような状況になったことはない。それはルワンダの歴史を知れば日本がどれほどの幸運であったかも示している。
 関東大震災の朝鮮人虐殺はルワンダ虐殺とは異なったものだ。それが同じように痛ましいできごとであるとしても。
 それがどのように異なっているかを日本人が内的に問うことが日本人に課せられた課題であり、その考察と日本人同士の対話が果実を結び得るなら、日本人の未来に類似の悪夢を消し去ることが可能になるだろう。
 そうではなく、普遍的な、歴史から切り離された、あたかも宗教的戒律のように問われたとき、それにただ頷くことは盲信と異なることはない。