なぜ日本だけがデフレになったかを少し考察してみる

なぜ日本だけがデフレになったかという問題については本ブログでもこれまで断片的に書いてきたが、整理も兼ねて筆者の考えを一度まとめて書いておく。


カンタンにまとめるなら、なぜ日本だけがデフレになったかといえば

1.  米国を中心に先進国全体として経済の低インフレ化が進んだこと
2. 日本のインフレ率が米国より2%程度低くなる傾向が継続したこと

という大きな潮流のもとで、

3. 上記の潮流に逆らうべく実施した金融緩和が結果としてバブルの生成・崩壊を引き起こしてデットデフレーションを招いたこと

が大きな要素として上乗せされたというのが筆者の理解ということになるが、これだけでは分かりにくいと思うので、各々の要因について少し考察を加えてみる。


1.  米国を中心として先進国全体として経済の低インフレ化が進んだこと

これは下図を見れば一目瞭然であり、1970年代中盤以降、先進国では総じてインフレ率は大きく下がってきた。


この要因については、中国を始めとする低コスト国からの安い輸入品(特に耐久消費財)の増加や労働組合の弱体化といった実体的なものに加え、高インフレ国で金融政策を通じたインフレ退治が行われた事のような貨幣的なものもあげられるだろうが、どれが主たる要因になったかはともかくこれらは先進国全体のトレンドに影響を与えたと見ることができるだろう。 

尚、こういった要因を日本がデフレになった要因の一つとしてあげると、「それなら他の先進国もデフレになっているはずだ!」みたいな反論がお約束のように寄せられるが、現実には他の先進国もインフレ率がマイナスにならなかっただけでインフレ率の水準自体は大きく下がっているわけである。 又、他国との比較で見れば長期的に見た日本におけるインフレ率下落の大部分はこういった共通要因によるものと推測できる。


2. 日本のインフレ率は米国より2%程度低くなる傾向が継続したこと

で、先進国におけるインフレ率の下落が世界的に進んできたとしても他の国が2%程度のマイルドインフレを維持できているのに日本だけがデフレになったのはやはり日銀の間違った政策のせいだ、という意見もありうるが筆者はそうは考えない。

かりに1-3%程度のマイルドインフレが経済にとってもっとも好ましい水準だとして、80年代のある時期は日銀だけが合格点を取れていたのに90年代以降は日銀だけが落第点を取るようになった、みたいな見方は筆者には無理があるように見える。 やはり米国を中心とする先進国全体の水準が下がってきた事により結果として日本が下に押し下げられたと考える方が自然ではないだろうか。


ではなぜ日本が米国より2%程低いインフレ率になっているかと言えば、直接的には円高トレンドの影響だと筆者は考えている。

以下は円-ドル為替レートと1984年を基準とした対ドルの相対的な購買力、及び過去数年分のEIU社による東京の生活費指数(ニューヨークを100とした場合の東京の相対的生活費)をプロットしたもので、1985年のプラザ合意以降、1987年までに円ドル相場は250円から130円付近まで一気に円高が進み、1984年を100とした場合の相対的な購買力も一気に180まで増加していることがわかる。
要は円の価値が一気に上がったのに日本国内での円建ての物価は短期的には大して変わらなかったので非常に大きな内外価格差が生まれたという話で、それがデフレ・低インフレ期には徐々に解消されたが、未だに日本は全体で見れば物価の高い国であり、内外価格差はまだまだ残っているということになる。


以前のエントリー(参照)からの引用になるがこのデータにストーリーをつけるならば、「プラザ合意で円が急騰したことによって日本の(ドル建てでの)名目GDPは急成長したが、国内の物価や賃金に対してすぐに影響を及ぼしたわけではなかった。しかし国際的に見れば、円の急騰によって一部の商品や産業は価格・コストに大きな内外価格差を抱えることとなり、中長期的には価格・賃金の調整やその結果としての一部産業の淘汰は避けられなくなった。そのマイルドデフレを伴う調整はゆっくりと進行し、2006年頃にはかなり解消されたが、調整の過程ではバブルの発生・崩壊やデフレ不況と呼ばれる長期不況を経験することとなった、」という感じだろうか。


為替に関してもう一つ重要な点をあげるなら、中長期的トレンドとしてはプラザ合意後も円高が進み続けたことである。 プラザ合意後に生じた大きな内外価格差が解消されるには円安になるのが近道な訳だがそうはならなかった。 その原因はおそらく日米両国間の長期金利差が「米国>日本」であったことであり、中長期で見れば「金利平価説」で導かれるであろう円高トレンドが実現したわけである。 

下図は1950年代以降の日本、米国、イギリス、ドイツの長期金利の推移を示したものであるが、日本の長期金利が米国の長期金利より低い水準となったのが80年頃であり、その後、両者はバブルの頃を除いて日本が実質的なゼロ金利状態に突入するまでその差を概ね維持したまま共に下がり続けていることがわかる。

引用元:http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2013042100002.html


政策金利の引き下げは通常短期的には通貨安を招き、一方で金利平価説的には通貨高トレンドに繋がるわけであるが日米が歩を合わせるように政策金利を引き下げたことで短期的な円安効果は薄まり、一方で金利平価説的な円高圧力は維持されたとみることができるだろう。(ちなみに筆者はグリーンスパンが市場の欲望に迎合して(或いは金融政策の総需要管理能力を過信して?)不要不急の金融緩和を大安売りしたことが結果として日本のデフレ不況を含む世界経済の混乱を招いたと考えているが、話題が拡散しすぎるので今回はその件には触れない)


つまりプラザ合意で生じた内外価格差の調整は物価・賃金の硬直性に直面しながらも「米国のインフレ率>日本のインフレ率」という状態が続くことで徐々に解消されてきたが、一方でこの期間にも「米国の長期金利>日本の長期金利」の状態が続いたことで円高トレンドは継続し、解消すべき内外価格差が生み出し続けられたということになる。 一言でいえば「プラザ合意後の為替の急変とその後に金利平価説的に進んだ円高トレンドが生み出した内外価格差が、日本のインフレ率を米国のインフレ率より低く抑え続けてきた」というストーリーということになるだろうか。


一方、黒田総理が主張するようにデフレの要因がなんであったとしても日銀にはそれを回避する義務と能力があったはずだ、という考え方もあるが、日銀は何をやっていたのだろうか? それが3.に繋がるわけである。


3. 上記の潮流に逆らうべく実施した金融緩和が結果としてバブルの生成・崩壊を引き起こしてデットデフレーションを招いたこと

政府・日銀はプラザ合意後の1980年代には円高不況対策として(当時としては)超低金利の金融緩和政策をとって景気刺激を続けた。その結果、資産価格は暴騰し、ピーク時には山手線内の土地の値段で全米の土地が買えたとまで言われた馬鹿馬鹿しい不動産バブルを発生させ、それは当然のごとく大崩壊して銀行と家計に膨大な不良債権・負債という景気回復への足かせを残すことになった。

この後始末は最終的に銀行への公的資本の注入や量的緩和による流動性の供給といったリーマンショック後の金融危機時に当事国の政府・中央銀行にも採用された手段を用いて行われたわけだが、日銀が危機に直面した当時はこういった手段に対してコンセンサスがあったわけではなく、先頭ランナーだった日銀は様々な試行錯誤の末にやっとたどり着いたのである。


細かな考察はかなり省いたが、以上が日本型デフレと称されている複合的な要因に起因する一連の事象に対する筆者の理解になる。


幾つか追記しておくと、いわゆる貨幣数量論的なインフレ率の理解が上記のストーリーと完全に矛盾している訳ではない。 但し資本の移動が極限まで自由化された世界では恐らくそれは世界全体(先進国全体?)でしか安定的には成り立たず、国単位でそれをどうこうしようとすればバブル期の日本のように却って経済の安定性を損ねてしまうのではないかというのが筆者の理解である。(ただし基軸通貨を握り、かつ世界一の経済大国であり需要大国である米国だけは唯一この例外になりうるかもしれない。)


次になぜ日本の長期金利が米国や他の先進国より低かったかという点については今回は敢えて深入りしなかったが、80年代から急増した経常収支黒字や同時期に本格的に進み始めた少子高齢化の影響があるのではないかと筆者は考えているが、いずれにしろこの金利差は80年代からあるわけで、デフレの直接的要因というわけではない。


最後に、日本のインフレ・デフレをめぐる経済環境が今後どうなるかについて少し考察してみると、幸か不幸か欧米の長期金利が日本と同水準にまで下がってきたことによりこの問題は新たな局面に入ることになった可能性が高い。また、金融危機後に先進国が刷りまくったマネーが長期的にどのような影響を世界経済全体でみたインフレ率に与えるかという事も大きな問題となる。日本だけを見ても、その膨大な国債残高は恐らくは(ハイパーインフレまではいかなくても)かなり高めのインフレでないと解消されないであろう水準に達してしまっている。つまり日本が低インフレを「享受」できるタイムリミットは既に目先まで迫っているのかもしれない。 一方で幸いにも日本は全体で見れば膨大な純資産を有しており、又高い国際競争力を有する製造業もまだ多数存在するわけで、それほど酷い事にはならないかもしれない。 結局の所、よく分からない訳だが、少なくとも分かっているのは当面はこれまで以上に神経質な展開が続くことになるだろうという事である。グレートモデレーションの時代に共有されていた金融政策で総需要をコントロールできるというような幻想は消し飛び、更にヨーロッパでは通貨同盟が加盟国に安定と繁栄を与えてくれるという幻想が吹き飛んだ。 幻想であっても「何か」が経済を長期的に安定させてくれるというコンセンサスがあれば、それが自己実現的に経済を安定させる役割を果たすことは可能だが、今の所その「何か」にあたるものはどこにもないように見える。日本が「失われた10年」を懐かしむような事にならなければよいのだが、そうならない保証もどこにもないだろう。