「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その8

橋下徹・大阪市長のせいでネットもマスメディアも「他の国の軍隊にも慰安所はあった」的な言説であふれています。しかし興味深いことに、実証的な史料的根拠(それも、「慰安婦」問題に関して右派が要求してやまない公文書クラスの史料)を挙げてそのような主張がなされているケースというのは見かけないんですよね。まあもちろん、私が気づいていないところで誰かがやってる可能性はありますけど。そもそも「史料的根拠を挙げる必要がある」という意識すらないように思えます。あたかも「ほら、いちいち根拠なんて挙げなくたってみんな信じるよな?」と言われている気分です。裏を返せば、「慰安婦」問題否認論者の「証拠を出せ」が、単に否認のための口実にすぎないということでもあるのですが。


さて、いろいろ回り道をしましたが、「資料構成 戦争体験記・部隊史にみる日本軍「慰安婦」」シリーズの紹介に戻ります。

  • 「資料構成 戦争体験記・部隊史にみる日本軍「慰安婦」(2)」、日本の戦争責任資料センター、『季刊 戦争責任研究』第67号、2010年春、35-43ページ
  • 「資料構成 戦争体験記・部隊史にみる日本軍「慰安婦」(3)」、日本の戦争責任資料センター、『季刊 戦争責任研究』第68号、2010年夏、80-91ページ

第66号での「一、日本軍人による性暴力」、「二、日本人「慰安婦」…人身売買・誘拐等」「三、朝鮮人女性の誘拐と人身売買」に続き、67号では「四、中国人女性・インドネシア人女性・オランダ人女性の誘拐・略取または移送」、「五、慰安所の様相 1.旧軍人が描いた「慰安婦」・慰安所」」として分類された資料群、68号では「五、慰安所の様相 2.慰安所の実態」として分類された資料群が照会されています。
「四の(2) 整理番号186」は日本軍将兵相手に売春することを承知のうえで応募した女性(2名)のケースですが、アンボンから約450キロ離れた西部ニューギニアに連れてこられ、その後米軍に制空権・制海権を奪われてアンボンとの船便は途絶、日本軍の撤退後は「彼女達がどうなったのかは不明」という次第で、「強制連行でなければよい」「騙して募集したのでなければよい」というものではない、ということを示唆する事例の一つと言えるでしょう。
また「四の(3) 整理番号392」は、直接女性を騙して集めたのは現地人(インドネシア人)であるものの、部隊長が性的供応を受けて癒着していたというケースです。もちろん、悪辣な募集方法についても目こぼしないし勧奨していた可能性は高いです(軍医である著者の検査の結果「やはり娘であった」ところの「P子はIM部隊長によって水揚げされてしまった」とされています)。また引用されている図表によれば、このインドネシア人「御用商人」は憲兵とも「協力」関係にあったとされています。(以上67号)
「五、2.A.の(4) 整理番号321」では、大隊本部がつくった慰安所をその後著者の所属する中隊が「継続使用」し、「使用料は無料」だったというケースが回想されています(地域は華中)。解説では「軍直営慰安所だろう」と推定されています。
「五、2.B.の(5) 整理番号380」では1945年3月19日付けの日記が引用されていますが(地域は中国戦線)、「慰安所の経営」について「極端に低く抑えられた公定料金、貨幣価値の暴落を考えただけでも決して割に合う商売ではない」と観察されているのが興味深いです。大戦末期には経営者側にとってすらうまみが無くなっていたのだとすれば、「慰安婦」の処遇の実態がどうであったかは推して知るべしというものでしょう。