否定論のインチキのサンプル

先ほどの西岡昌紀の南京事件否定論者宣言のレス元に東中野修道、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』の書評が転載されているので、いい機会ですから否定論者の手法が(結論が、ではなく)いかにインチキかの例証としておきましょう。
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/140.html


まずは『南京事件「証拠写真」を検証する』のレビュー部分から。

「南京事件」には「虐殺派」と呼ばれる人々がいる。旧日本軍が南京で殺戮、強姦、放火、略奪など悪虐非道の限りを尽くし30万人の中国人を虐殺した、という説をとるジャーナリストや学者である。

はい。最初の段落からインチキです。「30万人説」をとる人間がいまの日本に皆無であるなどといった保証などもちろんできませんが、笠原十九司、吉田裕、本多勝一など南京事件の研究や報道で有名な学者、ジャーナリストの中に30万人説の支持者はいません。

一方に、東京裁判、中国共産党、大新聞の「大虐殺」説に疑問を抱く人々もいる。阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫、2001年)は、その疑念を晴らすために、当時南京にいた日本軍人、外交官、ジャーナリストから直接証言を求めたものである。ジャーナリストの櫻井よしこは、同書に寄せた「推薦のことば」で「関係者の体験談を集めた第一級の資料」と評している。

秦郁彦はこの本について次のように評しています。

(…)
その精力的な東奔西走ぶりには敬服するが、「数千人の生存者がいると思われる」兵士たちの証言は「すべてを集めることは不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」という釈明には仰天した。
 筆者の経験では、将校は概して口が固く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの情況を語ったり、日記やメモを提供するのは、応召の兵士が大多数である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。
(…)
 その結果、阿羅の本は「虐殺というようなことはなかったと思います」、「見たことはない。聞いたこともなかった」「聞いたことがないので答えようもない」式の証言ばかりがずらりと並ぶ奇観を呈している*1。ここまで徹底すると、クロを証言する人は避け、シロを主張する人だけをまわって、「全体としてシロ」と結論づける戦術がまる見えで喜劇じみてくる。

(『昭和史の謎を追う』、文春文庫、上巻、181-182頁)

あれ? 関係ないはなしですが、いま自分のブログで過去に引用していたこの秦郁彦の一文をサイト内検索して見つけた際に、デジャヴが…
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070519/p2
「アンチ・ジェンダーフリー」を標榜しながら、男装の罪で処刑されたジャンヌ・ダルクに自らをなぞらえる不思議な…ということはなくて右派の女性の屈折した心理をわかりやすく示してくれている地方議員のブログなのですが…。
http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/50999481.html
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/140.html
そっくりですね。これが元ネタだったのか。
閑話休題

ひるがえって『中国の旅』『ザ・レイプ・オブ・南京』などが証拠としている写真は、はたして「第一級の資料」であったかどうか。

もちろん『中国の旅』や『ザ・レイプ・オブ・南京』には写真が掲載されていますが、それと両書が写真を「証拠」として扱っているかどうかは別の問題です。本文中に「写真2がその証拠である」などと書いてあるんでしょうか?

著者たちが見た写真は3万枚を超える。この中から南京事件の証拠とされている約140枚を選び出し、撮影者、撮影場所と時期、キャプション、出所・提供者など写真の特性を洗い出しているが、科学的とさえいえる検証作業の結果、南京大虐殺の「証拠写真」として通用するものは1枚もないことがわかった。

科学的「とさえいえる」というのがちょっと笑えます。科学的じゃないとまずいんじゃないですか? 実際、この「検証」なるものはネットですでに再検証の対象になっています。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/#syashin
結論だけを言うと、東中野らの主張が全部間違ってるわけじゃないんですね。確かに、南京ではない場所で撮影された写真が、南京大虐殺の模様を伝えるものとして宣伝に使われていた…といったケースはあるのです*2。しかしながら、全部の写真がそうだというわけではない。例えば
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/ichiran_2.htm#143
の写真138をごらんください。東中野はこれについて「対岸に逃亡しようとした中国兵の戦死体か、上流の激戦地から流れ着いた戦死体」に決まっている*3と言っているのですが、東中野本に収録されたサイズではわからないことが、この写真の撮影者本人による写真集(『私の従軍中国戦線 新版 村瀬守保写真集』)ではわかります。
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/murase.htm
そう。写っているのは後ろ手にしばられた死体なのです。戦死体なら後ろ手にしばられているのはおかしいですよね? ですから、これは敗残兵の掃討によって捕らえられ、武装解除され、縛られて連行された後殺害された中国軍兵士、あるいは民間人の死体と考えるのが「科学的」です。
もう一つの問題は、「「証拠写真」として通用するものは1枚もない」としても南京事件の証明はほとんど揺るがない、ということです。笠原十九司と秦郁彦の新書の入門書、『南京事件』(岩波新書、中公新書)を立ち読みしてもらうだけでわかることですが、口絵や肖像などの写真は確かに使われているものの、別になくたって論旨はまったく揺るがないのです。ウソだと思ったら、写真は一切見ずに両書を通読してみてください。

著者は「私たちは『虐殺があったか、なかったか』を検証しようとしたのではない」と言っているが、写真は必ずしも第一級の歴史資料たりえないことを証明した意義は大きい。

だれも「第一級の歴史資料」として利用しようとしていないものが「第一級の歴史資料たりえない」ことを証明したって大した意味はないのですが、興味深いのは次の点です。引用文にあるように、この本で著者たちは「『虐殺があったか、なかったか』を検証しようとしたのではない」と言っているのですね。ところが、この本に言及する者の多くは、本書によって南京大虐殺が捏造であったことが明らかになった、と主張するのです。ウソだと思いますか? 先ほどの伊勢崎ジャンヌの文章をもう一度読んでみてください。
http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/50999481.html

東中野教授ら研究メンバーの渾身の力を振り絞って刊行したこの本を読んで、「虐殺があった」と100歩譲っても私には言えません。

否定派は否定派の親玉の本さえまじめに読んでないのでしょうか? 学者である東中野は(もっとも、昨年末に裁判所から「学問研究の成果に値しない」と評されてしまったのですが)慎重なもの言いをしてなるべく揚げ足を取られないようにしています。それをその読者たちが「咀嚼」して虐殺否定の根拠に変えてしまうというわけです。同様な手法——私たちはこれを論拠ロンダリングと呼んでいます——は櫻井よしこによっても使われています。


先に進みましょう。

「南京大虐殺」とは、昭和12年12月の南京戦のさいに、6週間にわたって日本軍による虐殺、暴行、略奪、放火が生じたとの主張だ。近年の研究によってその根拠は揺らいできた観があるが、先日、南京市にある「南京大虐殺記念館」をユネスコの世界文化遺産に登録申請しようという構想が報道されたように国際社会では史実として定着しつつある。これについては今日まで「大虐殺の証拠写真」として世に出た写真の果たした役割が小さくない。

たしかに中国国内での南京大虐殺についての教育において写真が果たした役割は小さくないかもしれません。しかし中国が南京事件を「史実」とする最大の拠り所は、写真よりもまず東京裁判と南京軍事裁判(いずれも共産党政府は関与してません)でしょう。では、両裁判において、一体どれほどの写真が「証拠」として提出され、採用されたというのでしょうか? 否定派がそのことについて言及しているのを読んだことがありますか?

次は『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』のレビューです。

昭和48年に、南京の日本軍の暴行を目撃したという欧米人の匿名の記録を載せた『戦争とは何か』が発掘されて、これが大虐殺の根拠として提示されることとなりました。今回の検証での大きな発見の一つは、『戦争とは何か』が「対敵宣伝本」であると極秘文書に明記されていることでした(19頁および第六章)。

まあこれがこの本のミソということになります。「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」という文書に、『戦争とは何か』に関して「本処編印」とあったことを根拠に、この本を中央宣伝部が企画、編集、印刷、出版したのだと主張しました。しかしながら、「中央宣伝部国際宣伝処工作二十七年度工作報告」という文書(「二十七年」というのは国民政府の暦で、西暦では1938年にあたります)には、「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」という記述があります。「工作概要」より「工作報告」の方が資料価値の高いことは誰もが納得することでしょう。実はこの事実は、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』が刊行されるちょっと前に出た『現代歴史学と南京事件』(柏書房)所収の論文、「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」(井上久士)において指摘されているのです。しかし、これに対して否定派からのまともな反論はいまだありません。

また、記事中の「南京における大規模な虐殺と蛮行により」等々の表現は、南京在住の欧米人が組織した国際委員会が、南京の日本軍の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容(陥落から三日間の全事件のうち、目撃された殺人はゼロ)や、同じときに南京にいた欧米ジャーナリストの証言とはかけ離れていることから虚報であると見て間違いないこと、

ここはいろいろあって全部指摘するのは面倒なので一つに絞ります。『戦争とは何か』は難民を保護するために南京に残留した欧米人がつくった国際安全区委員会を情報ソースの一つにしているのですが、「市民重大被害報告」は国際委員会の耳に入った事例すべてをあげているわけではないんですね。彼らは被害報告を受けると可能な範囲で自ら調査を行い、裏をとれたものだけを選んで日本大使館への抗議文書に載せたわけです。網羅的な被害報告書ではなく、事態の改善を日本に依頼するための文書なのです。一握りの外国人が素人調査で裏をとれなかったからといって、被害の訴えに根拠がないと言えないことは明白でしょう。したがって、両者の間に違いがあるのは当然なのです。詳しくは
http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html
http://www.geocities.jp/yu77799/kokusaiiinkai.html
をごらんください。

このような大方針のもと、「首都(南京)陥落後は、敵の暴行を暴」くことを工作活動の主眼としていたことに鑑みれば、二つの史料が果たした役割が自ずと浮かび上がってきます。すなわち日本軍の残虐さを世界に喧伝し、日本を貶めることを狙った戦争プロパガンダであったということです。

これ自体はまあ間違ってないんですね。そういうことでしょう。戦争になればどの国だってやることです。問題は、プロパガンダであるからといって直ちに事実無根とは言えない、という当たり前のことを否定派は無視するという点です*4。上述の、櫻井よしこの論拠ロンダリングを参照してください。


なおここでは触れられていませんが、ティンパリー(ティンパーリ)*5と国際安全区委員会のメンバーだったベイツ*6が国民党の顧問だった、という主張も「プロパガンダ」説の論拠になっています。しかしながら、これらもまたすでに反論がなされ、それに対するまともな再反論がないという状態です。


そうそう、まさか石井英夫(元・産経新聞論説委員)、堤堯(元・文芸春秋常務)、櫻井よしこを「10人の否定派の中の、頭の悪い1人」扱いしたりはしませんよね?

*1:引用者注:しかし実をいうと、この本にも虐殺の目撃談は出てくるのです。松井司令官付きの軍属だったひとは女性を含む「千人から二千人」の中国兵を刺殺しようとする現場に行き当たってます。これを「虐殺じゃない」と言い張るわけです。

*2:その場合でも、南京の写真じゃないことを知っていたことまで証明できなければ、「捏造」というのはプロパガンダにすぎません。

*3:もちろん本人は「可能性が濃い」といった言い方をするわけですが、伝言ゲームの2人目か3人目で「全部捏造」になってしまうわけです。ちょっと応用させてもらいました。

*4:もちろん捏造かもしれない。大幅な誇張かもしれない。ちょっとした脚色かもしれない。掛け値なしの事実かもしれない。結局、本の記述と事実をつきあわせなければなんとも言えないわけです。

*5:http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%A5ƥ%A3%A5%F3%A5ѥ꡼%A4%CE%C1%C7%C0%AD%A4˲%F8%A4%B7%A4%A4%C5%C0%A4ϲ%BF%A4%E2%A4ʤ%A4

*6:http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%a5Ù¥%a4%a5ĤϹ%f1̱%c5ޤθ%dc%cc%e4%a4Ǥ%e2%bc%ea%c0%e8%a4Ǥ%e2%a4ʤ%a4