ユーロ圏第3位の経済規模であるイタリアで政治混迷が収まらない。いったんポピュリスト(大衆迎合主義)政党の「五つ星運動」と極右「同盟」による連立で合意した。しかし首相に指名されたジュゼッペ・コンテ氏の閣僚名簿のなかでユーロ離脱派の財務相候補に、マッタレッラ大統領が拒否権を発動した。
このためコンテ氏は組閣を断念、イタリアは実務者内閣への組み換えか再選挙に追い込まれることになった。イタリア政治の混迷は英国のEU離脱(BREXIT)や旧東欧圏のEU批判など難題を抱えるEUにとって、新たな火種である。しかし、2019年3月の離脱期限を前に、BREXITをめぐる混乱はEU諸国の反面教師になっている。どんなイタリア政権であれ、EU離脱は選択できないだろう。
政治混迷の戦後史
戦後のイタリア政治といえば、混迷と短期政権が付き物だった。長期の安定政権は到底、期待できず、アングラ経済がはびこる要因とされてきた。今回の政治混乱もそんな「イタリア式狂騒曲」の一形態といえるだろう。
もともと、ポピュリストの五つ星と極右の同盟は水と油で、連立はありえないとみられてきた。五つ星はコメディアンのグリッロ氏が立ち上げた草の根の政治運動で、初の女性ローマ市長を誕生させて注目された。環境保護を掲げるとともに、EU統合に懐疑的だ。
一方で、同盟は北部同盟として出発した。フランスの「国民戦線」と組む極右政党である。ユーロ圏からの離脱や反移民、難民を掲げてきた。互いに批判し合ってきたが、中道の既成政党がいっせいに没落するなかで、極右・ポピュリスト連立が浮上した。
極右ポピュリズムといえば、その元祖はイタリアが生んだ独裁者、ムッソリーニがあげられる。ヒトラーがその政治手法をお手本にした。戦後のイタリア政治は、独裁者・ムッソリーニの轍を踏まないよう、元老院や地方政府に権力を分散する政治制度を採用した。それが政治の「イタリア式狂騒曲」を生む結果になったのは歴史の皮肉である。
そうしたイタリア政治の混迷を打開しようと、若きレンツィ首相は2016年12月、憲法改正の国民投票に打って出た。しかしそれは裏目に出る。国民投票は否決され、改革派のレンツィ首相は退陣に追い込まれる。それがいまのイタリア政治の混迷につながっている。「イタリア式狂騒曲」はなお続くと考えておかなければならないだろう。
「学者首相」の組閣断念
極右・ポピュリスト連立政権構想で首相に指名されたのは、五つ星のディ・マイオ党首でも同盟のサルビーニ党首でもなかった。政治経験のまったくない民法学者のコンテ氏だった。もちろん混迷のイタリア政治では、学者が首相になるのは珍しくない。最近では2011年、財政危機打開のため、経済学者のマリオ・モンティ氏が首相に担ぎ出されている。モンティ氏はブリュッセルのシンクタンク、ブリューゲルの所長をつとめるなど、熱心な欧州統合論者として知られていた。イタリア再生とEU再生にとって期待の星だったのである。
モンティ首相の経済政策は改革と成長の両立をめざすもので、ユーロ危機後のEU改革のモデルになったほどだ。事実、メルケル独首相は、影の薄かったオランド仏大統領よりもモンティ首相を頼みにしていた。EU首脳会議の取材でこんな光景を見たことがある。メルケル首相が会議場の片隅で最も長く話し込んでいたのはモンティ首相だった。まるでモンティ教授に教えを乞うように見えた。
これに対して、無名のコンテ氏は組閣断念に追い込まれる。ユーロ離脱を主張してきたエコノミストのサボナ氏を財務相に起用することに、EUの原加盟国でユーロの創設メンバーであるイタリアの将来を揺るがすとマッタレッラ大統領が強い危機感を示し、拒否したからだ。コンテ氏の挫折が最初にあったことは、イタリアの将来にとっては不幸中の幸いというべきかもしれない。
財政バラマキなら危機増幅の恐れ
なにしろ極右・ポピュリスト連合が打ち出したのは、最低所得保障制度の導入や大幅減税など、無責任な財政バラマキ策である。失業者一人当たり月780ユーロ(約10万円)の最低所得保障を実施する。合わせて、法人・所得税を20%、15%の2段階に簡素化し、減税する。これらの財政負担は少なくとも年650億ユーロかかる計算だ。
いったんは、欧州中央銀行(ECB)が保有するイタリア国債の債務免除(2500億ユーロ)まで検討したが、批判が集中すると、今度は、このイタリア国債を財政赤字とみなさないよう求める構えだった。イタリア財務省出身のドラギECB総裁のメンツをつぶすような無理難題だといえる。
極右・ポピュリスト連立合意では、EUの基本である財政基準の緩和も求めていた。財政赤字の国内総生産(GDP)比を3%以内にする基準である。イタリアの財政赤字のGDP比は2017年に2・3%と基準内にあるが、財政バラマキが実施されば、基準を突破しかねない状況だ。政府債務残高のGDP比は130%とギリシャの180%に次ぐ高水準にある。ユーロ基準の60%の倍以上にあたる。
イタリアの放漫財政懸念からイタリア国債は売られ、30年物国債の利回りは3%台に上昇している。EU内では、フランスのメール財務相が連立政権の放漫財政に警告を発している。マクロン仏大統領が主導しようとしているユーロ改革に冷水を浴びせる恐れがあるからだ。
このまま、放漫路線を突き進めば、イタリアがEU内で孤立する可能性が強い。それどころか、イタリア国債の利回り急騰など市場の反乱から、ただでさえ停滞するイタリア経済が危機に逆戻りする危険がある。
英国との類似点と相違点
政治混迷を経てイタリアは、EU離脱で英国の後を追うことになるのか。世界の市場はそこを注視している。たしかに英国とイタリアには、類似点がある。その一方で相違点も多い。
1992年、欧州通貨危機で英ポンドとイタリア・リラはともにユーロの前身である欧州通貨制度(EMS)の為替相場メカニズム(ERM)から離脱を余儀なくされる。ヘッジ・ファンドの帝王であるジョージ・ソロス氏から売り投機を浴びせられたからだった。ERM離脱は同じだったが、その後が違った。英国はそのままERMには復帰せず、ユーロにも加盟しないまま現在に至っている。そしてBREXITである。その一方で、イタリアは1996年にはERMに復帰する。そしてユーロの創設メンバーになる。
EUの原加盟国のなかで「イタリアはずし」を進めようという構想である。これに怒ったイタリア政府はドイツが求める国連安全保障理事会の常任理事国入りに反対する方針を示したほどだ。そんな経緯を経て、イタリアはやっとユーロの創設メンバーになれたのである。
そのイタリアが、ギリシャに端を発するユーロ危機ではPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)と呼ばれる弱い輪の一角になってしまう。さらに、イタリアが放漫財政に傾斜する事態になれば、イタリアの危機がユーロ圏の危機、さらにはEUの危機に連鎖する危険も出かねない。
EUの新たな波乱要因に
EUはただでさえ難題に直面している。英国のEU離脱だけではない。EU主要国のなかでもフランスの「国民戦線」、ドイツの「ドイツ人のための選択肢」、オランダの自由党など極右勢力が政権を脅かす存在になり、オーストリアでは2017年12月に右派連立政権が発足している。
さらにポーランド、ハンガリーなど旧東欧圏には、EU批判が公然化している。EU離脱論は聞かれないが、難民受け入れなどをめぐって、ドイツなど主要国との食い違いは大きくなっている。
それだけに、ユーロ圏経済第3位のイタリアの政治混乱の衝撃は大きい。ドイツのメルケル首相とフランスのマクロン大統領の独仏連携がEU再生にどこまで指導力を発揮できるかが試されることになる。
BREXITの混乱で離脱ドミノ起きず
しかし、どんなイタリア政権であれ、EU批判の声を高めても、EU離脱やユーロ離脱に動く可能性はないだろう。五つ星運動が3月の総選挙で第1党になったのは、当初主張していたユーロ離脱を引っ込めて有権者に安心感が広がったことも大きかった。EUからイタリアが受ける大きな恩恵を考えれば、EU批判とEU離脱は別物であるのはすぐわかる。
なにより、BREXITをめぐる混乱が反面教師になるだろう。2019年3月の離脱期限に向けてBREXITは難交渉が続く。北アイルランドとアイルランドの国境問題はまだ解決していない。離脱後のEUとの自由貿易協定(FTA)も金融を含めるかどうかなど不透明な要素が大きい。
イタリアの極右・ポピュリズム政権の誕生で、EUは英国に対してますます「いいとこ取りは許さない」(メルケル独首相)という強い態度を取るしかなくなる。離脱交渉はこれまで以上に難航すると考えておかなければならない。
すでに、金融機関を中心に英国から欧州大陸への機能分散が相次いでいる。このままでは金融センターとしてのロンドン・シティーの座も危うくなりかねない。EUと外資に依存してきた英国にとって、離脱に伴う外資流出は致命的である。ポンド安を超えてポンド危機に陥り、新「英国病」を招きかねない。
EUのなかでインサイダーとして生きてきたイタリアにとって、EU離脱・ユーロ離脱への道はない。もし、誤った道を歩もうとすれば、その政権は崩壊するしかないだろう。
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