(前回から読む)
今年25周年を迎えるサッカー「Jリーグ」は、2017年8月にスタジアム観戦の価値向上を図る目的でスマホアプリ「Club J.LEAGUE」を公開した。今回は、その取り組みについて関係者に聞くインタビューの後編。公式パートナーとして、実際にアプリの活用を始めた明治安田生命保険の西山英之氏の話をお届けする。
今回のアプリは、ポイントプログラムの提供や、スタジアムWiFiで「DAZN(ダ・ゾーン)」の無料視聴ができるなど、スタジアム観戦をより楽しくすることを目指す。大きな特徴は、サポーターだけではなく、リーグのパートナー企業がマーケティング活動に活用できることだ。導入してからの期間こそまだ短いが、アプリの活用で手応えを感じられる出来事が起き始めているという。
(聞き手は、石井 宏司=SPOLABo)
パートナーシップを組むだけでは具体的にならない
企業がプロスポーツにスポンサーする理由や背景については、これまであまり表に出てこなかった部分です。明治安田生命ではどんな環境変化や背景があって、Jリーグのパートナーになったのでしょうか。
西山:Jリーグのパートナーになったのは、2014年です。近年、生命保険業界は市場が飽和状態で、新規のお客様の獲得というよりは、既存のパイの取り合いという状況に陥っていました。そういう中で、何らかの形で競合他社にはない優位点やブランドを構築しないといけない。そういう経営課題に直面していました。
差異化したブランドを構築するには、本業とは違う切り口が必要となります。また、全国に多くのアドバイザーを抱え、対面販売をするというビジネスモデルを生かす必要もあります。そういう観点でいろいろと検討をしているうちに、Jリーグに行き当たりました。
全都道府県でクラブを展開していること、スポーツ普及を通じて地域社会に活力を与えようとしていること、地域経済の活性化についても考えていることなど、自社の目指すものと親和性があると感じました。また、偶然にもJリーグで生命保険カテゴリーのスポンサーがいないということでしたので、手を挙げさせてもらったというのがこれまでの流れです。
2014年からサポートを開始して、すぐに変化が見られた、うまくいき始めたという感じだったのですか。
西山:リーグと自社がパートナーシップを組むことだけで何か生まれるかというと、実はなかなか具体的にはならない。これが最初の発見でした。というのも、我々は様々なことに地域単位で取り組みたいと思っていましたが、リーグとパートナーを結んだだけでは、そういう環境になりにくいのです。
そこで2015年にはJリーグのタイトルパートナーになるとともに、J1からJ3の全クラブとスポンサー契約を結びました。そうすることによって初めて私たちがやりたいことを各クラブと取り組める環境が整いました。
具体的に各クラブとはどんな活動をスタートしたのですか。
西山:最初に始めたのは、小学生向けのサッカー教室です。地元のトッププロに触れる機会をつくるということを全都道府県で実施しました。これは今も続けています。
実際にやってみて、通常のサッカー教室と違い、Jリーグのクラブが非常にクオリティーの高い指導と会場を提供してくれるのが価値だと感じました。先ほどまでプロサッカー選手が練習をしていたピッチで教室があるとなると、やはり雰囲気が違います。そういう環境で小さいお子さんが目を輝かせてサッカーボールを楽しそうに追い掛けているのを見て、連れてきた保護者の方には本当にいい経験ができたと喜んでいただいています。
顧客にとって距離の近い保険会社
やった結果、企業としてどんな発見があったのですか。
西山:今、サッカーをやっている小学生の率が非常に高いということに驚きました。「サッカーやっている人は?」と尋ねると半分以上の手が上がる。地域で非常にメジャーなスポーツ競技になっているということを実感しました。
ビジネス面で見て、スポーツへの投資は短期的なビジネス成果につながるのでしょうか。それとも、中長期的なブランド形成につながるのでしょうか。どちらですか?
西山:もちろん、Jリーグとの活動の中で触れ合ったお客様がたまたま保険を検討していて、成約につながったということがないわけではありません。
しかし、やはり本命は中長期的なブランド形成であって、将来「頼りになる保険会社」「自分にとって距離の近い保険会社」、そういう存在に地域の中でなっておくことが大事だと私たちは考えています。それが最終的にマーケティングの効果にもつながってくると思います。
従来の保険会社は、テレビCMなどのマスメディアを活用したブランディングがメインだったと思います。サッカーというスポーツを活用してのブランディングをやってみて、何か違いを感じますか。
西山:これまで、マスメディアを使った広告や、スポーツのスポンサーシップは、自社がアピールしたいことを広く露出する権利を購入して、企業の名前を売り出していくというやり方でした。
私たちが今回こだわったのは、競技や団体と一緒の目線で同じように取り組んでいくという点です。一緒に参加して応援をすることでコミュニティーの中に入り込んでいく。その一連の活動を通じて、企業のブランド価値を高めていくということです。そこにスポーツのスポンサーシップの新しい価値があると考えています。
明治安田生命は全国に89の支社があり、3万人を超える従業員がいます。その一人ひとりがそれぞれの土地に住み、生活し、仕事をしています。普段からお世話になっている自分の地域にJリーグを通じて従業員が入っていくことで、じわじわと「明治安田生命って、地元のクラブに貢献してくれている。地元の目線で地元経済に貢献してくれている」という認知を生み出せるように考えています。
これは、テレビCMや新聞広告、インターネット広告では伝わらないブランディングです。「明治安田生命は、本当に地元目線で向き合ってくれる会社なのだ」という信頼は、マスメディアでは浸透していかないのです。
パートナーとしての取り組みと並行して、自社ブランドの調査などは行っているのですか。
西山:Jリーグとの取り組みとは別に、自社のブランドに関する調査で定期的に経年のスコアを追っています。会社がお客様からどう見られているのかを定義し直し、従業員が自社の価値をしっかり理解するためです。本年からスタートしている中期経営計画では会社の経営理念などを刷新しました。ビジョンとして「人に一番やさしい生命保険会社」を掲げて全従業員が共有しています。
「Jリーグの取り組みを通じて効果が出た」とまではまだ言えませんが、もっともっと時間と労力をかけてやっていかないといけないと考えています。
一緒に地元民として、我が町のクラブを応援しましょう
明治安田生命で従業員に占める割合が一番多いのは、実際にお客様と接する現場のアドバイザーだと思います。現場の方は、Jリーグの取り組みをどう感じているのでしょうか。
西山:アドバイザーは地元採用です。その地域で生まれ育った、または転居してきて長く住んでいるという方が多く、地元に対する愛着、愛情を持ち、「地域で生きている」という意識が強いのです。
これまでアドバイザーたちがそれを表現する手法が、生命保険という本業ではあまりありませんでした。新たに、それを表現する手法を提供したのがJリーグとの取り組みです。
本業の保険やサービスを提供する以外に、一緒に地元民として、我が町のクラブを応援しましょう、そういう共感軸を持つことができます。そういう風にコミュニケーションできるということを、仕事としてやってもいいんだよ、となったことは、新しい武器をアドバイザーたちに持たせることができているのではないかと思います。
実際にアドバイザーの方からどんな声がありますか。
西山:「地元の方に声を掛けやすくなった」という声があります。毎週のように行われる試合が共通の話題になり、ここまで地元のチームが頑張っているから、一緒に応援しましょうという声を掛けやすくなった、というわけです。
実は、我々が1つ心配していたことがありました。Jリーグのファン・サポーターの方々は長きにわたってクラブを愛してきた人たちが多い。その人たちに対して我々がいきなり「タイトルパートナーになったから、一緒に応援しましょう」とずけずけ入っていったら、ネガティブな反応が起きやしないかという緊張感がありました。
そこで従業員に徹底したのが、常に謙虚に、新参者として教えてくださいというスタンスでファンの方やコアなサポーターの方に関わるように、ということでした。
例えば、J2の「ロアッソ熊本」の公式戦でイベントを手がけた時のことです。ロアッソ熊本のコアなサポーターの方々が来てくれて、クラブについてあまり知らない私たちや、イベントに来て初めて観戦するという人たちに、「ロアッソのチャントはこういうもの、こういう時にコールはこのようにしています、身振り手振りはこうやります」ということを全部教えてくれました。試合の後に当社の熊本の支社長が挨拶した時に、ゴール裏のコアサポーターの方々が明治安田生命コールをしてくれて、感動して従業員が涙をするということもありました。
これは昔から地元のクラブを応援してきた人たちに認めてもらえたという意味で、我々のやり方やアプローチが間違いではなかったと確認できた瞬間でした。
その後も、いくつかの会場でそういうことがあって、福岡でも「明治安田生命ありがとう」という横断幕をサポーターの方に掲げていただきました。これはお金だけでは生まれてこなかったことで、一緒に同じ目線で、ともに応援するというアクションがあったからこそだと思っています。
そういった地域に根ざした活動に加え、今回デジタルの「Club J.LEAGUE」というスマートフォンアプリでの挑戦がスタートしました。これにはどんな背景があったのですか。
西山:保険業界には「年々、お客様と対面による接点を取りにくくなってきている」という現実があります。昔と違って職場もセキュリティーがあって簡単には入れないですし、自宅もお昼時にいけば昔は誰かがいて、ピンポンすれば出てくる、お話ができるという時代ではなくなってきています。
でも、やはり対面によるコンサルティングは商売の基本なので、対面のきっかけはもっと増やさなければなりません。その中の1つに、従来のマスメディアで一方的に広告宣伝を送りつけるだけではなくて、双方向でお客様との接点をつくり得る方法が、デジタルメディアだろうと考えていました。そのタイミングでアプリの話が出てきて、デジタルとJリーグの組み合わせで新たな接点を作れそうだということで始めました。
デジタルを、新たな武器にしたい
具体的には、どんなことを手掛けているのですか。
西山:明治安田生命チャレンジという冠プログラムを、アプリの中で展開しています。具体的には、ユーザーが様々なアクションをすると、メダルが増えて、「がちゃがちゃ」を回せるという仕掛けです。例えば、ペアチケットが当選したりします。その観戦チケットを我々が権利として提供する。ペアチケットでお友達や知人を誘ってJリーグの試合に行く、というプログラムです。
自社の課題に即して工夫したポイントはありますか。
西山:我々のアドバイザーがお客様にアプリを案内しやすいように、Jリーグに専用のプロモーションコードを用意してもらいました。これをアドバイザーがご案内し、お客様がアプリで入力すると、特別にバッジが2つもらえるという仕掛けになっています。
実際にやってみると、デジタル領域でファーストコンタクトした方が、ストレスを感じない接点になりやすいということも分かってきました。
これからそういう営業手法に変えていきたいし、新たな武器にしたいと考えています。現実はまだまだ「アプリ…よく分かりません」という古株のアドバイザーもいます。しかし、世の中はどんどん変わっていくので、我々はこういうものを活用してアドバイザーの意識や顧客接点のスタイルも変えていきたいのです。
始まったばかりだと思いますが、具体的な効果や成果はありましたか。
西山:まだまだですが、積極的に活用し始めたアドバイザーが出てきています。例えば、あるアドバイザーが何十人ものお客様にコードを渡せているというケースも出てきています。彼女は、「このアプリはお客様を増やせる」という実感があってやっているのだと思います。
実際にそういった特典をどのアドバイザーがいくつ配布しているのか、渡した結果、ユーザーに実際使っていただけたのかということまで把握できます。これもデジタルマーケティングのメリットです。
また、Jリーグに「どこに行ったら、明治安田生命のアドバイザーに会えますか」という問い合わせが入ったそうです。これは驚きでした。お客様の方からアドバイザーに「会いたい」という動きが出たということは、従来の保険セールスの世界では画期的なことだと感じています。
これからについても、聞かせてください。今や、多くの世代にスマホが普及し、スマホの画面を覗いている時間が非常に長くなっているというトレンドがあります。今後、そういった環境変化にどう対応していこうと考えていますか。
西山:確かに、スマホは今や生活インフラになっています。このことは、当社でもきちんと捉えて、そこでの接点を増やしていかなければならないでしょう。
正直なところ、まだ実験段階ですが、Jリーグの今回の取り組みがいい実験やトライアルになっています。知見を蓄積するには、自分たちだけでやるよりも、今回のようにパートナーシップを組んでやっていった方が手っ取り早いと思います。
Jリーグにこれから期待することは。
西山:まず、もっともっとファンやサポーターを増やしてほしい。Jリーグのことを好きになる人が増えれば増えるほど、我々が接点を持てる方が増えていくわけですから。そういう意味では新たなサポートツールを開発し、我々がそれを活用させていただくというパートナーシップを深められればいいと思っています。
そして、Jリーグがハブになって、Jリーグのプラットフォームの上で同じような考えのパートナー企業が集まり、それぞれのパートナー企業が持っている資産や顧客基盤を持寄るようなことが起きるといいですね。今回のアプリのようなプラットフォームを活用するパートナーが3社、4社と増えてくれば、各社が連携したスポーツを中心とするビジネスのエコシステムが形成されていくことになるでしょう。そういう環境をJリーグと創っていきたいと思っています。
我々もそうしたエコシステムづくりのために積極的に他の企業に声を掛けていき、タイアップなどを相談している段階です。(了)
[スポーツイノベイターズ オンライン 2017年10月25日付の記事を転載]
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