3月31日、中国・北京にある政府に認可された教会で賛美歌を歌う合唱団 (写真:AP/アフロ)
3月31日、中国・北京にある政府に認可された教会で賛美歌を歌う合唱団 (写真:AP/アフロ)

 イースターを前にした3月下旬、中国の代表団がバチカンを訪れローマ法王庁サイドと司教任命権をめぐる歴史的合意に署名するのではないかという報道が、バチカン地元紙はじめ宗教紙、英米紙に駆け巡っていた。だが、その後、一週間たっても、その“歴史的合意”がなった、という報道はなかった。おそらく中国とバチカンの話し合いは物別れになったと思われる。その証拠に、中国のインターネットサイトで、聖書の販売が全面禁止になったり、バチカンに承認されているが中国共産党には承認されていない福建省の司教が嫌がらせのように一時拘束されたりした。そして4月早々、中国当局は1997年以来、二度目となる中国“宗教白書”を発表した。習近平政権はこの白書で、初めて“宗教の中国化”なる概念を強く打ち出した。“宗教の中国化”とは何なのか。その延長線上に、中国とバチカンの国交正常化はありうるのだろうか。習近平政権の宗教政策について整理してみたい。

両者妥協しがたい司教任命権問題

 バチカンと中国は国交正常化を目指して、一昨年当たりから本格的な交渉が進められていた。今年3月からバチカンと中国がそれぞれの国宝級美術品を交換して相互に芸術巡回展を開催するのも、こうした“芸術外交”を通じて、国交正常化に向けた政治的空気を醸成するのが狙いだと見られていた。

 中国は1951年以来、バチカンと断交状態にある。バチカンが台湾(中華民国)との国交を維持していること、そして宗教の自由が守られていない中国と宗教国家であるバチカンが国交を結ぶにあたってはいくつかの譲れない対立点があることが、両国の国交正常化交渉の妨げとなっていた。

 だが、中国にしてみれば、台湾の国際社会における孤立化を進めるには、台湾との国交を維持している唯一のヨーロッパ国家であるバチカンとの断交工作が一番効果的だ。対台湾外交包囲網を完成させ、台湾統一に向けた重要な布石という意味で、中国側は習近平政権になってからにわかにバチカンとの国交正常化に意欲を見せるようになっていた。

 一方、バチカンにしてみれば、中国は潜在的にもっとも多くのキリスト教信者が存在する最後の宗教フロンティアだ。公式のカトリック信者は600万人ということだが、非公認キリスト教徒となるとすでに1億人を超えるともいわれている。

 だが、この両者の間には、双方にとってなかなか妥協できない問題があった。その筆頭問題が司教任命権である。世界中、カトリック教会の司教の任命権はバチカンにあるが、それを認めていないのが中国である。中国ではすべての宗教は共産党の指導に従うことになっており、党の頭越しにバチカンが司教を任命することなど容認できるわけがないのだ。具体的に言えば、中国には現在カトリック司教が77人おり、うち53人についてはバチカンと中国共産党、ともに承認している。だが17人についてはバチカンが承認するも、共産党は認めていない。一方、7人の共産党が承認した司教は、バチカンによって破門された。この7人は先月、バチカンに対して寛恕を請い、破門撤回請求中という。

 かねてからこの問題は、双方が妥協案を探っており、手続き上のテクニックによって問題が解決できうる、ともいわれていた。たとえば、司教候補を共産党が絞った上で、バチカンに最終任命権を認めるといったふうに。形式上、バチカンが任命するが事実上の人選は中国共産党が行う、というわけだ。このセンで、この3月末にも双方が妥協案を承認すると思われていた。

 だが、どうやら、合意には至らなかった。その背景について、興味深い報道があった。

 RFI(フランスの華語メディア)によれば、4月早々にローマカトリック・グレゴリアン大学で中国とバチカンの学者・識者が参加する国交正常化のためのシンポジウムが開かれた。このシンポジウムで、四川大学に所属するある学者がこう発言したそうだ。「中国においては、カトリック教はいまだ外来宗教であり、社会に溶け込んでいない。中国当局はカトリック教が中国の社会安定を脅かす外部要因として恐れている」。

 これは言外に、カトリック教が中国にとって脅威であり、中国社会に受け入れられるためには、カトリック教そのものが変わらねばならない、つまり中国化しなければならない、ということを言っている。この発言を受けて、フランス宗教紙ラクロワは、「カトリック教が“中国化”することでその魂を失うことを懸念するならば、実際、中国のカトリック教がすでに変質していることは争いがたい事実だ」と論評したとか。

白書発表会見に見る“宗教の中国化”

 ここで登場する“宗教の中国化”とはどういうことなのか。例えば聖書の言葉や讃美歌が中国語に翻訳されていたり、洗礼の儀式が中国風に変更されている、というようなことなのか。

 4月3日に行われた国務院新聞弁公室による「中国の宗教信仰の自由を保障する政策と実践白書」発表記者会見をみると、宗教の中国化が何を意味するのか比較的詳しく説明されている。これは、1997年に発表された「中国の宗教信仰の自由状況白書」に続く二冊目の宗教白書となる。中国はすでに五大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥ教)人口が2億人をこえる宗教大国となり、それに伴い、共産党による宗教管理の強化が進められることになった。

 例えば国家宗教事務局は4月から党中央統一戦線部傘下に組み入れられることになり、党中央が直接、宗教工作を指導するかっこうとなった。元国家宗教事務局副局長の陳宗栄はこの機構改革について「我が国の宗教の中国化方向を堅持し、統一戦線と宗教資源のパワーを統率して宗教と社会主義社会が相互に適応するように積極的に指導することを党の宗教基本工作方針として全面的に貫徹する」と説明した。

 党中央統一戦線部とは共産党と非共産党員との連携、チベットや台湾に対する反党勢力への工作を含めた祖国統一工作を担う部署だ。宗教事務を祖国統一工作と一本化するということは、台湾統一問題とカトリック教、チベット問題とチベット仏教、ウイグル問題とイスラム教をセットで考えるという発想でよいだろう。つまり、それぞれ宗教へのコントロール強化によって、その信者たちの思想を祖国統一へのパワーに結びつけるのが中国共産党の任務、ということだ。逆にいえば、それらの宗教をきっちりコントロールできなければ、中国は“祖国分裂”の危機に瀕する、ということである。
 “宗教の中国化”とは“宗教の中国共産党化”あるいは宗教の“社会主義化”といえるかもしれない。だが、宗教の社会主義化など、本来ありえない。宗教を否定しているのがマルクス・レーニン主義なのである。共産党の党規約によれば、共産党員は信仰をもってはいけないことになっている。宗教が社会主義化するということは、つまり宗教が宗教でなくなる、ということだ。そもそもキリスト教の人道主義と、中国の一党独裁体制の実情は相反している。この矛盾点を香港の記者が問いただすと、陳宗栄は次のように答えていた。

「宗教の中国化方針は、2015年に習近平総書記が中央統一戦線工作会議上で提案したものだが、それ以前から、キリスト教などはすでに中国化方向を堅持するためのシンポジウムなどを開き、時代の発展要求に適応しようと努力していた。…我が国の宗教が中国化することは、宗教の基本教義を変更することではなく、中国化と宗教の教義が衝突することもあり得ない。それは宗教の核心的教義・礼儀・制度には抵触せず、その核心部分の変更がないという前提のもとで、政治的社会的文化的に適応するように指導するということなのだ。……具体的に言えば、政治の上から宗教界を指導して、中国共産党の指導を擁護し、社会主義制度を擁護する。これが一つの大前提である。そうして、広大な信仰を持たない群衆と一緒に我が国を建設し、中華民族の偉大なる復興を実現することができる。」

 中国共産党が宗教を指導して、中華民族の偉大なる復興を実現するパワーに変える、という。ちなみに、この会見では、中国当局から迫害をうけている非公認キリスト教である「家庭教会」「地下教会」の存在については、「そんなものは存在しない」としていた。さらに陳宗栄は「中国の宗教団体と宗教事務は外国勢力の支配を受けないし、いかなる方法でも絶対干渉は受けない。中国の宗教は自立し自主的原則を堅持するのである」。中国に言わせればバチカンの司教任命権は外国の中国のカトリック教への干渉であり、自主的原則堅持は宗教の自由を阻害するものでもない、ということである。

 こうした中国の考え方は、国際社会におけるほとんどの宗教学者から見れば、異常である。RFIによれば、スウェーデンのヨーテボリ大学の宗教学者・フレデリック・フォールマンは中国政府が信者に愛国と社会への貢献を求めることは、宗教の世俗化である、と警告。また上海の復旦大学の宗教学者、つまり体制内宗教学者である魏明徳ですら、「キリスト教の中国化は可能だとしても、それは中国社会がより人間性を重視し、さらに調和的で、開放的でなければならない」と懸念を示している。

国交正常化はまだ遠い道のり

 中国のより徹底した宗教管理方針をみれば、中国とバチカンの国交正常化は、まだまだ遠い道のりだということが判明した。バチカンサイドが多少の妥協をしても、中国との国交正常化を急いできたのは、中国の膨大な潜在的信者を獲得したいという狙いと同時に、中国国内で虐げられている非公認信者に救いの手をのべたい、ということもあっただろう。今年イースター前に、中国が承認していない福建省の郭希錦司教が身柄拘束されたように、中国では宗教関係者、信者の不当拘束が頻繁におきている。在米華人キリスト教支援組織の「対華援助教会」の調べによれば、2017年の一年間で、中国国内で宗教的迫害を受けた人数は22万人、これは2016年の3倍半増で、文革以来最も宗教弾圧の厳しい時代であるという。

 バチカンとの国交正常化は、こうした宗教弾圧を緩和させ、ひょっとすると中国人民に民主化への希求をもたらすのでは、という見方もあった。80年代の東欧の民主化運動におけるバチカンの影響力を、21世紀の中国でもう一度、ということだ。だが、中国も当然、そこの部分を非常に警戒しており、けっして、バチカン側の思い通りにさせないぞ、という牽制もふくめて、この白書をこのタイミングで発表したのかもしれない。

 そう考えると、やはりバチカンサイドは簡単に中国側への安易な妥協をしてはならない、と思う。国交正常化を実現してローマ教皇が中国を訪問して民主化への希求を呼びさますよりも、バチカンですら、“中国市場”に屈し、カトリック教の中国化を容認した、というメッセージを中国国内の弾圧を受けている非公認信者や国際社会に送ってしまう可能性の方が大きそうだ。

 ただ、中華の歴史を振り返れば、王朝の最期には、宗教秘密結社の反乱が必ず伴ってきた。目下、2億人の宗教人口を抱える中国は、いまだかつてない不安要素を内包しているとも言える。宗教が中国を変えるのか、宗教が中国化するのか。そのせめぎあいに決着がつくときこそ、共産党王朝が終焉を迎えるのか、赤い帝国として世界を支配するのかが、見えてくるということだろうか。

 2017年10月に行われた中国共産党大会。政治局常務委員の7人“チャイナセブン”が発表されたが、新指導部入りが噂された陳敏爾、胡春華の名前はなかった。期待の若手ホープたちはなぜ漏れたのか。また、反腐敗キャンペーンで習近平の右腕として辣腕をふるった王岐山が外れたのはなぜか。ますます独裁の色を強める習近平の、日本と世界にとって危険な野望を明らかにする。
さくら舎 2018年1月18日刊

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