安倍晋三政権は、日本企業のガバナンス(企業統治)を強化すべく、企業に独立性の高い社外取締役を複数確保するよう求める政策を推進している。だが、日本の経済界では「企業統治に正解はない。各社の選択に委ねるべきだ」として社外取締役導入の義務化については反対の立場を取る企業も少なくない。
しかし、経営コンサルタントのラム・チャラン氏らと、社外取締役が重要な役割を果たした先進的な米国企業などの事例を著書『取締役会の仕事』に取りまとめた米ペンシルベニア大学経営大学院(ウォートンスクール)教授のマイケル・ユシーム氏は、「社外取締役や取締役会の役割は変化している。かつてのように経営を監視するだけではなく、経営幹部とともに会社を戦略的に導くケースは増えており、多くの企業において重要かつ強力な存在となり得る」と強調する。その意味するところと背景について聞いた。
(聞き手 石黒 千賀子)
恥ずかしながらこの本を読んで初めて知ったのですが、アップルにあの創業者スティーブ・ジョブズを呼び戻したのは、社外取締役でした。
ユシーム:そうです。アップルの社外取締役を務めていたエド・ウィラードが1997年、ジョブズをアップルのCEO(最高経営責任者)に復帰させるべく、アップルの取締役会を説得し、合意を取り付けたのです。ウィラードがアップルの社外取締役に就任したのは1996年、以前は米デュポンの会長兼CEOを務めていた人物です*。
*エドガー・S・ウィラード、1989年4月~1995年12月までデュポンのCEOを務めた。彼をアップルの社外取締役に招いたのは、ジョブズがCEOに復帰する直前までアップルのCEOを務めていたギルバート・アメリオ氏だった。
当時のアップルにどんなCEOが必要かを理解していた
アップルは当時、ジョブズを解任してからCEOが3人も変わり、経営は混乱の極みに陥っていました。ジョブズが去って12年の歳月が経っていましたが、社内の状況をつぶさに分析したウィラードは、ジョブズ氏を戻すしかないとの結論に至ります。そして、まず取締役会からジョブズの完全復帰を本人に打診する権限を得て、ジョブズを説得、これによってジョブズの復帰が実現したのです。
私たちは『取締役会の仕事』を書くに当たって、ウィラードにインタビューしましたが、彼は元陸軍将校で、まさにオールドスクールの紳士そのもの。非常にきっちりしていて、誰からも尊敬される人物です。強烈な個性の持ち主であるジョブズとはまったく異なる。それだけ違うタイプの人間であるにもかかわらず、ウィラードはジョブズを呼び戻すことを決断し、かつ実際に呼び戻した後も、社外取締役としてジョブズがアップルを再建していく過程で彼を様々な形で支援していったわけです。だからこそ、私たちは本の冒頭の章でこのケースを紹介しました。
つまり、社外取締役が、経験豊富な本当のプロの経営者ならば、これだけのすごい力を発揮することができる、ということでしょうか。
ユシーム:はい。米経済誌「フォーチュン」の編集者たちが、2年ほど前に『過去における最も素晴らしい経営判断トップ10(The greatest business decisions of all time)』という本と記事を出しています。そこには、トヨタ自動車の絶えざるカイゼンや、韓国のサムスン電子が20年前に導入した幹部候補生を海外の国に送り込む研修制度、米ジョンソン・アンド・ジョンソンが消費者を第一に考える社是(credo)を導入したことと並べて、ウィラードがジョブズをアップルに経営者として呼び戻した経営判断が入っています。
つまり、ジョブズの復帰とその後のアップル再建のケースは、社外取締役と取締役会というものが、ただ「経営を監視する」という従来の枠組みを超えて、実際にその企業の経営幹部と一緒になってその会社をよりよい方向へと導いていくことができるということを説得力をもって証明した代表的な実例だということです。
ウィラードは自らのCEOとしての経験などから、あの時点のアップルがどのような経営者が必要としていたかをよく理解し、ジョブズを呼び戻すべきだと判断し、しかも、その後、自らの経験を生かしてジョブズ氏による再建も支援した。つまり、ウィラードは単なる「引退した経営者」などではなかった、ということです。
経営者としての豊富な経験を活用しない手はない
ウィラード氏がCEO を務めていたデュポンという企業自体、火薬製造から事業を始め、その後、火薬で培った化学のノウハウを生かして樹脂や染料などの化学企業に転換、さらに最近はバイオに経営の重心をシフトさせるなど、時代に合わせて業容を戦略的に転換させていく企業として有名です。やはりそれだけの優良企業を経営した経験がものをいう…。
ユシーム:確かにデュポンは素晴らしい企業です。ウィラードは、デュポンのCEOだけでなく、米金融大手のシティグループ、IBM、ニューヨーク証券取引所の取締役なども歴任、幅広い経験の持ち主でした。
そういえば、本にも書きましたが、米コングロマリット(複合企業)のタイコ・インターナショナルの再建で、社外取締役としてタイコの新CEOを支援し、大きな力を発揮した社外取締役のジャック・クロールも、デュポンのCEO経験者*でした。
* 1995年1月~97年9月にCEOを務めた
タイコは、経営幹部が巨額の資金を着服、粉飾会計などで経営破綻の危機に陥り、2002年には巨額の損害賠償を求める株主による集団訴訟に直面しました。これを機に、モトローラのCOO(最高執行責任者)だったエドワード・ブリーンが新CEOに就任、タイコの新たな筆頭社外取締役に就任したのがジョン・クロールでした。以来、数年間、ブリーンとクロールは二人三脚でタイコの再建に取り組み、見事に同社を復活させました。
クロールの筆頭取締役としての報酬は、今の日本の基準に比べれば高額だったと言えますが、当時の米国の水準からすると大した額ではなかった。それでもクロールは、タイコを再生させるべく、自分が働く時間の半分以上をタイコ再建に投じました。本を書くにあたって私たちは何度もクロールを取材をしましたが、実に心打つ内容でした。
私が強調したいのは、さっきも言いましたが、CEOを退いた人たちは単なる引退者などではない、ということです。特に大企業のCEO経験者は、どのように戦略を建てて、どう実行するか、実績を上げた者にはいかに報酬で応えるか、不必要な事業はどう切り離すのか、あるいはいかにして必要な買収を手がけるか――こうした点について実によく知っているし、経験も豊富なわけです。
だからこそ、社外取締役としてその経験を大いに活用すべきだ、と。企業にとっては極めて有益だから、企業経営者側もそうした社外取締役を積極活用する発想が必要だと…
ユシーム:そう、活用しない手はない。例えば、こんな感じです。あるCEOが取締役会を開いて、こう切り出したとします。「みなさん、私はいろいろ考えて当社のXXXという事業を売却しようと思います」――。もし社外取締役のメンバーが皆、受け身だったり、経験が浅かったりすれば、彼らは「よさそうな話しですね」と反応して終わるでしょう。
【初割・2カ月無料】お申し込みで…
- 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
- 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
- 日経ビジネス最新号12年分のバックナンバーが読み放題