なんでも「民」のため

 今回は東征軍参謀となった西郷が江戸に乗り込んだ明治元年(慶応4年・1868)3月から、江戸開城を経て、彰義隊が上野に立て籠もる5月くらいまでが描かれる。


 ずばり、酷いドラマだ。まず、主人公である西郷のキャラクターがブレまくっており、何が何だか分からない。


 江戸城に乗り込んだ西郷は、再会した篤姫から「慶喜公の首ひとつで、この戦を終わらせてくれ」と頼まれるが、断る(史実ではない)。あれほど「慶喜の首、首」と言っていたのに、これはどうやら戦争の方が目的だったようである。史実の西郷は、確かに戦好きなのだが、ドラマの西郷は平和主義者だったはずだ。


 つづいて江戸城総攻撃直前、西郷は薩摩藩邸で勝海舟と会う。海舟は「江戸百万の民」のため、攻撃はやめてくれと頼む。すると西郷は「わかりもうした」と、応じる。

 とにかくこのドラマの西郷は、「民のため」と言われたら、何でも受け入れてしまう。ならば篤姫も、「民のため」とひと言添えれば良かったのだ。


 だが、戦争を起こせば民が苦しむなど、最初から分かりきっている。民の暮らしを犠牲にしても、「戦の鬼」と化して慶喜を殺さねばならない理由とは、何だったのか。この西郷は、ポリシーが無いとしか思えない。


 妙に軽い海舟と、あまり頭が良さそうではない西郷の会談の場面も、当然ながら緊張感は皆無である。ここは、西郷・海舟を描くドラマならば「見せ場」のひとつであるはずだが、作り手たちの意気込みも、いまひとつ感じられない。


 西郷が江戸無血開城を受け入れた理由として、横浜のイギリス公使パークスが総攻撃を許さなかったとの説がある。「民」を救うためではない。江戸が戦火に見舞われては、横浜の居留地にも被害が及び、貿易に支障が出ることを恐れたという、合理的なものだ。もっとも、パークスの意向が西郷に伝えられたのは、海舟との会談後だったとも言われる。

 

慶喜が逃げた理由


 それから西郷は、上野の寛永寺で謹慎中の徳川慶喜を訪ねる(フィクションである)。

 慶喜は大坂城から逃げた真意を、西郷に語り始める。前回書いたが、史実では薩長軍が天皇権威の象徴「錦旗」を掲げたため、慶喜は「朝敵」になるのを恐れて逃げたのだ。

 ところが、ドラマの慶喜は「錦旗」には触れず、フランス・イギリスが内政干渉を始めようとしたから、逃げるしか無かったのだと語る。要するに、外圧を突っぱねられるのは、西郷しか居ないと言いたいのだろう。この部分などは「明治維新」の本質を変えてしまうほどの、かなり重要な改変である。


 僕はドラマが基本的には、フィクションとして楽しめれば良いと考えている。しかし、それにしても明治150年のNHK大河ドラマで、ここまで変えて良いものかと、首を傾げざるをえない。


 ともかく納得した西郷は、慶喜を許す。その後、長州の木戸孝允が慶喜征討を主張するが、西郷と大久保一蔵が反対し、斥ける。


 こうなると、これから東北地方へと拡大してゆく戦火には、どのような大義名分があるのだろうか。注目していたところ、なんと一方的に「東北諸藩が徹底抗戦」して来たと説明されていた。平和裡に解決したつもりの西郷は、予想外だったと困惑する。あくまでドラマなのだが、このままでは戊辰戦争の本質そのものも、違ってしまう。あまりにも西郷中心に都合良く、ドラマが展開する。


 史実では朝敵となった会津藩を討つよう新政府から命じられた仙台藩・米沢藩が、その大義名分を問うたものの、納得出来る回答が得られなかった。そのため仙台藩などは、薩長の私怨による戦争ではないかとの疑いを、強める。東北諸藩は天皇の権威を振りかざすだけでは、動かなかったのだ。こうして話がこじれにこじれ、ついには奥羽越列藩同盟が結成され、戦争へと突入するのである。

 

護衛がいない国の要人


 勅使に従った西郷が、江戸城に乗り込んだのは4月4日のこと。わずか50名ほどの一団だった。そして、西ノ丸大広間において勅使から、徳川家処分と城明け渡しの勅旨が徳川方に伝えられた。
 つづいて同月11日、薩摩・長州などの軍勢が入り、江戸城はあっけなく新政府に明け渡される。その式典の途中から、連日の疲れが出たのか、西郷は居眠りを始めたという。


 ドラマでは、幕府が二百数十年かけて集めたという書籍を、篤姫が西郷に差し出す。その数、和本が200冊、巻物が数十本くらいか。これらを西郷は、「お宝」だと言う。そして和本の中から二宮尊徳の農政関係の著作を見つけ、「民のため」になると喜ぶ。だが、将軍家の蔵書にしては、装丁がえらくお粗末で小汚く見える。徳川にはこれだけの蔵書しか無かったというのも、笑ってしまう。


 作り手が、将軍家の蔵書にふさわしい和本を集める努力を怠ったことが丸見えである。黒澤明監督が映画『赤ひげ』の撮影時、開けることのない小石川療養所の薬箪笥の引き出しの中に、すべて本物の薬を入れたという話など、思い出す。


 勅使一行が50人で江戸城に乗り込んだのは、江戸っ子に好意を抱かせようとした新政府側のパフォーマンスだった。

 ところがこのドラマでは50人どころか、西郷の周囲には中村半次郎と川路利良ら、書生みたいなのが数人いればよい方である。護衛皆無の時も多く、江戸城の広間で東征軍参謀の西郷が、ひとりで昼寝するシーンまである。これでは、暗殺するのも簡単だ。まして、この頃の江戸は新旧政権が入り交じった無法地帯であった。


 西郷の地位が上昇してゆくのを視覚的に説明するには、せめて護衛の人数を少しずつ増やすべきであろう。国の要人である西郷が江戸開城後、庶民的な居酒屋で海舟とサシで飲むシーンもあった。しかも隣席では、町人たちが彰義隊の噂話をしている。あまりにも馬鹿げていて、何も言う気になれない。


 エキストラもここまで出し惜しみすると、西郷のポジションすら理解出来なくなってしまう。独断で、江戸城総攻撃を中止させられるほどの実力の持ち主には、到底見えないのである。

<了>


洋泉社歴史総合サイト


歴史REALWEBはこちらから!

yosensha_banner_20130607