敵の無い争い

 今回は将軍家の御家騒動の一端として、篤姫が将軍徳川家定の御台所に決まるまでの、安政2年(1855)の物語。はじまりは春で、終わりは同年10月に起こった「安政の大地震」。一シーンだけ藩邸の中庭に桜を咲かせたりして、季節感を出したつもりだろうが、服装はいつも同じような感じで、こだわりはあまり感じられない。

 季節感はともかくとしても、特に今回は「ドラマ」になっていないという印象を強く受けた。

 西郷吉之助が藩主斉彬の密命を受け、篤姫お輿入れの裏工作を行うという肝心の部分の描き方が、あまりにも雑で酷い。


 西郷は斉彬の側近から密書の束と共に、小判を渡される。これで篤姫が御台所になれるよう、水面下で政治工作を行えとの密命だ。

 そこまではよい。大量の小判を見せられた視聴者は、西郷がこれをどのように使うのか、当然注目するわけだ。


 ところが西郷が、妓楼でアホっぽいお偉いさんらしき人を接待して、ドンチャン騒ぎをするというコミカルなシーンで終わり(高度経済成長期のサラリーマン喜劇のようなイメージ)。

 このドンチャン騒ぎが、篤姫の輿入れ実現になんの関係があったのか、さっぱり分からない。輿入れが決まり、篤姫は西郷に労いの言葉をかけるのだが、一体どんな努力をしたのだろうか。謎のままである。


 もう、作り手がドラマ作りを放棄しているように思えてならない。3年前の「花燃ゆ」も主人公が難題に直面すると、権力者(強い者)に裏で擦り寄り、ひっくり返して解決というパターンばかりが続きうんざりした。作り手が、日ごろからそのようなことばかり行っているのではないかと疑いたくなるような展開だった。


 ここは大金を携え、政治のドロドロした裏側に潜り込んだ西郷が知恵を絞り、陰謀をめぐらせ、時に対立候補を陥れたりしながら、藩主から与えられた困難なミッションを進めてゆく様を具体的に描くべきであろう。そこで初めて「ドラマ」が生まれるのだ。


 当然ながら敵がいなければ、御家騒動ドラマは成立しない。その敵は強ければ、強い程、ドラマは面白くなる可能性が高い。たとえば深作欣二監督「柳生一族の陰謀」(昭和53年)は、家光を将軍の座に据えるべく柳生但馬が暗躍する物語だが、敵は強大であり、しかも多方面にわたっている。それら敵のため、但馬は二人の子を殺され、長男の十兵衛は片目を失う。それでも異常なまでの執念で戦い抜き、勝利するからドラマとして面白い。


 今回の「西郷どん」では斉彬が最初の方で、篤姫お輿入れを阻む「敵」は、彦根藩主井伊直弼だと言っていた。

 では一体、西郷は井伊側とどのように戦い、勝利を得たのだろうか。幾島が家定の生母本寿院に接近するのは良いとしても、敵も当然同じことを考えるだろう(この程度のことにも頭がまわらないようなら、しょうもない敵である)。


 井伊側が本寿院を抱き込めなかったのは、なぜなのか。ドラマでは本寿院が篤姫を家定に推薦したのは、「運が強い」という理由からだった。では、井伊側は誰をどんな理由で推していたのか。そしてなぜ「運が強い」という情緒的な理由だけで、敗れてしまったのか。すべて一方的で、納得出来る説明がまったく無い。これでも「ドラマ」のつもりだろうか。

 

大久保一蔵の嫉妬


 最後は「安政の大地震」で薩摩藩邸が倒壊。救助しに来た西郷に、篤姫は思わず自分を連れて遠くに逃げて欲しいと、口にする。西郷は承知するが、篤姫は再び我にかえる。もちろんフィクションである。ドラマの篤姫は西郷に思いを寄せていたから、まあ一度はこんな場面も作っておく必要があったのだろう。何の感慨も沸かない。


 それよりも何回か前から気になっているのは、鹿児島にいる大久保一蔵の感情の動きである。

 斉彬が特赦を出したため、大久保の父はようやく島から城下に帰宅する。そして大久保は斉彬の弟である久光に、父の赦免を感謝する手紙を出し、自分をアピールする。


 ドラマの中の西郷は、斉彬にせっせと意見書を出して、接近を果たした。大久保が西郷に対抗し(あるいは嫉妬心を抱き)、久光への接近を試みているという設定なら、ドラマとして面白い展開になりそうな感じがしなくもない。

<了>

 

 

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