救世主の斉彬
今回は「お由羅騒動」による薩摩藩重臣の赤山靱負の切腹から、島津斉彬が藩主として初めてお国入りするまでが描かれる。赤山の切腹が嘉永3年(1850)6月、斉彬のお国入りが翌4年5月だから、およそ一年間の出来事である。いつも夏(あるいは夏にしか見えない)なのは、ちょっと興ざめ。
シナリオの構成も演出も、しっかりしていたというのが第一印象だ。もし、このうちのどちらかが力不足だったら、正視出来ないような作品になったと思う。ストーリーそのものは、史実と異なる部分も多く(それが悪いというわけではない)、矛盾点も多い。しかし、作り手のエネルギーがかなり強くて、ぐいぐいと引っ張られてしまう。
斉彬は救世主のごとく描かれる。父の斉興が悪政を続け、それを西郷吉之助(隆盛)が、せっせと手紙で江戸の斉彬に訴え続けるというフィクション。覚醒した斉彬は、父を追い詰めて隠居させる。お国入りは沿道の庶民までが狂喜乱舞し、解放軍を迎える占領地といった感じだ。まさに、夢物語である。斉彬は百姓の生活を豊かにする、農業改革のために藩主の座を目指したわけではないからだ。史実通りにやれば、斉彬は裏切り者になってしまう。この点、次回以降の夢物語がどう展開してゆくか注目だ。
ドラマの中で斉彬はローマ字で日記をつけていたが、これは史実を基にしている。「蘭癖」と言われた曾祖父の島津重豪の影響もあり、秘密事項はローマ字を使った。特にお家騒動中の嘉永3年1月から2月までの日記は、ローマ字で書かれている。
赤山が切腹する前、赤山を慕う西郷や大久保正助(利通)ら数人の若い藩士たちと別盃を交わし、お前たちは芋のようだと言う。それぞれ形が違うから、切磋琢磨して立派なサムライになれと諭す。この台詞は、作り手たちの自戒かも知れない。各人の個性を際立たせて、群像劇として見せなければ、大河のような長丁場のドラマは失敗する。間違っても、「みんな同じに見える」ようなドラマにはしてもらいたくない。
ロシアン・ルーレットと薩摩武士
過去の映画へのオマージュを感じさせる場面がいくつかあることも、楽しい。前々回は「七人の侍」、前回は「仁義なき戦い・頂上作戦」の影響を指摘させてもらったが、今回もある。
キャスティングの話になるが、風間杜夫と平田満が相撲をとり、松坂慶子が平田満を応援するなんて「蒲田行進曲」だ。赤山が自刃した後、突然画面がモノクロになるのは「仁義の墓場」だろうか。
極め付けは、斉彬が斉興に退位を求め、ピストルを出して「天の声を聞く」と、ロシアン・ルーレットを強要する場面。どう見てもマイケル・チミノ監督「ディア・ハンター」のパクリだろう。斉彬を演じる渡辺謙なんて、思い切りデ・ニーロを意識して、表情までなりきっている。「俺、デ・ニーロみたいだなあ」という渡辺謙の声が聞こえて来そうだ。あれで作り手が「ディア・ハンター」なんて知りませんと言ったら、笑うしかない。
僕は十代の頃、はじめて「ディア・ハンター」を観た時、ロシアン・ルーレットの場面があまりにも衝撃的で、夜眠れなかった。しかもロシアン・ルーレットの場面は、映画公開まで予告編や宣材などにも一切載せられていなかったから、衝撃の度合いも大きかった。
以後四十年近く経つが、映画の中でロシアン・ルーレットに、あまりお目にかかったことがない(皆無ではない)。ネタ元はすぐバレるから、失敗したら恥をかくのは分かり切っている。しかし「西郷どん」は堂々と、しかも時代劇でパクッてみせた。それが成功したか否かは別として、これも作り手の自信の表れと見ていいだろう。
ただ、以前何かの本で薩摩武士たちの間でロシアン・ルーレットまがいの度胸試しが行われていたと、読んだ記憶がある。武士たちが円座になる。その真ん中に、天井から火縄銃を綱で吊るす。火縄に点火し、銃を回転させるというもの。前回書いた、薩摩人の荒々しい気質にロシアン・ルーレットはマッチしている。
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