はじめに
千葉県市川市の若宮公民館で「徳川家を支えた井伊家と戦国合戦史」と題して、3回目の講演をいたしました(全3回)。参加者は約30名でした。3回目は井伊直政の生涯について話をいたしました。終了後、アンケートを取ったのですが、「大河ドラマと絡めて解説してくれて、わかりやすかった」と大変ありがたいお言葉を頂戴いたしました。これで、年内の大河ドラマ関係の講演会はおしまいです。来年は別のテーマで1月から順次開催予定です。
今回のタイトルは、「決戦は高天神」でした。このタイトルは、平成4年(1992)に発表されたDREAMS COME TRUEのヒット曲『決戦は金曜日』のことでしょう。実は個人的にトラウマがあって、DREAMS COME TRUEはあまり好きではありません。もちろん、DREAMS COME TRUEに罪があるわけではありませんが。
先日、NHKで「ロシア革命100年」の特集番組を拝見しました。1時間という制約のなかで、うまくまとめた優れた作品と思いました。大河ドラマでは激動の戦国時代(あるいは幕末維新期)を舞台にしつつも、どうしてもホームドラマになってしまい、見応えが乏しいものです。テーマも特定の戦国大名を主人公に据えるのではなく、大きな事件を題材にするとか、色々と工夫が必要と思います。何より残酷なシーンなどをごまかしてしまうのは感心しませんね。
さて、今回は徳川信康(役・平埜生成)、瀬名(役・菜々緒)が亡きあと、万千代(役・菅田将暉)がいかに徳川家康(役・阿部サダヲ)のこころの隙間を埋めることができるかが焦点でした。心の隙間を埋めるといえば、藤子不二雄Ⓐ『笑ゥせぇるすまん』を思い出しました。それにしても相変わらず、直虎(役・柴咲コウ)は影が薄かったですね。
家康の言葉
信康と瀬名が謀殺されたので、岡崎衆のモチベーションはすっかり下がり、城を去ろうとする者も少なくありませんでした。主の信康がいなくなったので、仮に家康に仕えることができても、冷や飯を食う可能性が高いと考えたからでしょう。
岡崎城に入った家康は、岡崎衆に対して「わしに愛想が尽きたのか」と語り掛けました。家康自身も自分に愛想が尽きたようです。というのも、信康も瀬名も濡れ衣であり、家康は信長(役・市川海老蔵)を恐れて、二人を助けることができなかったからです。
場はすっかり静まり返りますが、家康は言葉を続けます。それは、どうしても駿河を奪取したいということと、それこそが瀬名の願いでもあったということになりましょう。そこで、家康は力を貸してほしいと力説します。この言葉に感銘を受けた者たちは、「やりましょう! 殿!」と力強く賛同いたしました。何となく、安っぽい青春ドラマのような気がしないわけではないですが。
目指すは高天神城!
家康がまず目を付けたのは、武田方の城の高天神城でした。高天神城は静岡県掛川市に所在した山城で、別名は土方城です。標高は約132メートルほどなので、さほど峻厳な山ではありません。現在は、国指定史跡となっています。
静岡県は大井川をはさんで、東が駿河国、西が遠江国に分かれており、高天神城は遠江の東部にあって、駿河と国境を接していたのです。まさしく「境目」の地にあった城なのです。それゆえ「高天神を制する者は遠州を制する」といわれ、重要な拠点の城郭であると認識されていました。
高天神城は鶴翁山の地形という天然の要害を巧みに利用しており、難攻不落の名城といわれています。また、眼前には遠州灘が広がっており、水軍の拠点となる浜野浦という港がありました。東海道にも面しており、交通の要衝地でもありました。
実は、家康には一つの展望がありました。それは、高天神城を落城に追い込んだあと、武田氏の配下の者をそのまま徳川家中に取り込むことでした。まあ、たしかに合理的な方法ではありますが、それは脚本家が武田氏の滅亡後にその遺臣を家康が迎えたことを知っていたので、家康にそう言わしめたのでしょうね。今回のテーマは、「敵を味方にする力」と言えます。
中野直之の眼力
高天神城は難攻不落なだけに、なかなか落城しません。仕方がないので、付城を周囲に構築し、粘り強く戦うしかありません。城を築くには材木が必要なので、奥山六左衛門(役・田中美央)と中野直之(役・矢本悠馬)が呼び出されました。
六左衛門は人夫と談笑していますが、話題は「竜宮小僧」の話でした。「竜宮小僧」とは人間ではなく、どことなくあらわれて、人の手伝いをさりげなくする伝説上の少年です。ドラマの前半部分では、嫌というほど「竜宮小僧」が登場したので、覚えている方も多いでしょう。その話題のなかで、ある人夫が自分のふるさとでは、「竜宮小僧」のことを「河三郎」と言うと述べていました。
この言葉を聞いた直之は、信濃の武田領からやって来た高瀬(役・朝倉あき)が同じことを言ったのを思い出しました。直之は、人夫が武田氏のスパイであると睨んだのです。直之の報告を受けた万千代は、人夫に自分に仕えないかと問い掛けました。交換条件は、高天神城の水の手の場所を教えることでした。
当時、山城では水の手が生命線でした。水の手を敵に奪われると、籠城する側は窮地に陥りました。人間は、水がないと生きていけませんからね。こうして万千代は、敵から水の手の場所という最高機密を得ることにより、高天神城を落とすきっかけとなる最大の功労者になったわけです。結論を先に申しますと、高天神城が落城したのは、天正9年(1581)3月22日のことです。
ちなみに『寛政重修諸家譜』によると、一連の戦いに出陣していた万千代は、水の手を断つなどの活躍をしたと書かれています。ドラマのなかでは、あたかも万千代一人の大活躍で勝利をものにした印象を受けますが、実際はそうではなかったように思います。あくまで勝利のきっかけの一つでした。
万千代、家臣を召し抱える
こうして家康は大勝利を得たので、万千代は六左衛門と直之を家臣として召し抱えることにしました。『井伊家伝記』によりますと、中野越後守、奥山六郎左衛門以下、井伊家譜代の家臣は山中に逃れていましたが、すべての家臣が山から下りて、直政に仕えたとあります。
なかでも奥山六郎左衛門の弟は、出家して祖閑と名乗っていたが、直政から還俗するよう命じられ、1000石を与えられたと記されています。今回、万千代は2万石まで加増されたことにより、自身の生活にもゆとりが出て、家臣を召し抱えることが可能になったと考えられます。
直虎は、高天神で万千代と面会します。会話の中では、家康が戦好きではないという話になります。嫌な予感がしたのですが、二人の会話は続きます。それは、徳川が強くなれば、戦のない世の中がやって来るという、大河ドラマ独特の歴史観です。これには参ったと思いました・・・。「平清盛」や「軍師官兵衛」のときと同じです・・・。
さきほど天正9年(1581)3月22日に高天神城が落城したと申しましたが、決定的になったのは信長から家康への高天神城攻めの命令でした。信長の使者が徳川のもとを訪れ、「武田の降伏を認めない、力攻めで落とせ」という指示があったのです。
こうして天正10年(1582)3月、武田勝頼は天目山の戦いで敗れ、自刃して滅亡に追い込まれたのでした。そして、上諏訪で論功行賞が行われ、家康は駿河一国を与えられたので、三河、遠江を加えた3ヵ国の大大名になったのでした。
おわりに
ここ何回かは、延々と万千代の出世譚が続きますね。南溪(役・小林薫)も直虎もすっかり影が薄く、今や脇役です。ただ、ここまでの万千代の大活躍は、おおむね『寛政重修諸家譜』などの後世の編纂物に見られるもので、一次史料で裏付けるのは困難なようです。
それにしてもあまりに予定調和的で、本などで予習をしている視聴者にとっては、どのように映っているのでしょうかね。それこそ「想定外のおもしろさ」があってもよいように思うのですが・・・。
今回の視聴率は、11.3%と前回よりもやや下降いたしました。理由はよくわかりませんが、乱高下の傾向は一向に変わりませんね。ちなみに裏番組のテレビ東京の「池の水ぜんぶ抜く」は、大変な人気があるとうかがいました。
>洋泉社歴史総合サイト
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