はじめに
早いもので、1年ももうすぐ終わりです。1年の終わりを告げるのは、やはり大河ドラマということになりましょう。ところで、最終回(50回)の大河ドラマは、あえてサブタイトルを付けず、「無題」ということになっておりました。それはなぜでしょうか?
インターネットのニュースサイト(スポニチアネックス)によりますと、NHKの屋敷陽太郎チーフプロデューサーが「台本を作り上げる段階では、ある二字熟語を想定していました。しかし、実際に撮影がすべて終わり、編集室で試写をした際、真田信繁(幸村)を演じた堺雅人さんの演技を拝見して、われわれスタッフ全員が、その二字熟語では収まり切らない熱くて深い思いが最終回には詰まっていると強く感じました。ほかの二字熟語も色々と思い浮かべてみましたが、いずれもしっくりきませんでした。そこで、最終回の副題は無題とすることにしました」と説明されています。
それだけではなく、「最終回を観終えられた視聴者の方々が、それぞれどのような感想を抱かれ、それぞれに各自の心の中で副題を付けていただければ、われわれとしてはうれしいです。また、皆さんが付けられた副題をツイッター上などで拝見することを楽しみにしたいです」とのことです。
「題名のない音楽会」ではないですが、あえて題名を付けないことで、話題を呼ぼうとしたのでしょう。何もせずに手をこまねくことはなく、工夫をされているようで結構なことと存じます。「真田丸」のファンの皆さんは大興奮して、夜も眠れなかったようです。
いよいよ「真田丸」も最終回を迎えました。さて、最終回の「真田丸」はどうだったのでしょうか。
最後の決戦へ
いよいよ最後の決戦ということに相成りました。大坂城内で酒を酌み交わす雑兵は顔が汚れており、いささか戦場の雰囲気を醸し出していましたが、幸村(信繁。役・堺雅人)は相変わらず風呂に入ったのか、きれいな顔をしています。これはほかの武将も同じで、何やら臨場感が足りません。
心なしか雑兵たちもカラ元気を見せるだけで、本当はあまり自信がないようですね。戦国武将が戦場に出るときは、「死ぬ覚悟」という言葉で麗しく語られますが、実際は命が惜しかった人も多かったことでしょう。幸村は自ら命が惜しいと正直に述べて、雑兵たちに「命を大切にせよ」と声を掛けます。
もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」では、主人公の官兵衛が盛んに命の大切さを説きます。ちょうどその延長線上にある説明で、いささかゲンナリですが、何度も耳にしたセリフで脳裏をフラッシュバックします。
ここで大角与左衛門が徳川方に内通していたことが露見し、幸村は見過ごすわけにはいかんと殺害しようとしますが、先に与左衛門が「自害」します。しかし、幸村のツメは誠に甘く、与左衛門の死を確認しませんでした。これがのちの禍根となります。
場面が変わって、もういい加減にうんざりするのですが、相変わらず秀頼(役・中川大志)は、出馬をするしないでずっと揉めています。あまりにこうした場面がしつこく出ると、嫌になりますね。もう毎回ですよ。
こうした状況下において、徳川方は作戦を練るわけですが、本多正純(役・伊東孝明)が「幸村が徳川方に通じている」との調略戦を仕掛けようと提案します。この作戦も馬鹿の一つ覚えで、「またかよ!」という失望感が個人的に広がりました・・・。
先述のとおり、豊臣家内部では秀頼が出馬するしないで大騒ぎですが、そこへ怪我で死にかけているはずの大角与左衛門が登場します。そもそも台所を預かっている身分の低い者が、秀頼の面前にあらわれることができたのかが疑問ですよね。
「どうしたのか?」と問い掛けられた与左衛門は、「サナダ・・・」と一言発しますが、その言葉は幸村が徳川と内通しているという噂と相まって、「与左衛門を襲ったのは幸村だ!」という極めて短絡的な発想につながっていきます。苦笑ですね。と申しますか、現在でもそうですが、高度な判断を下す場合は、よくよく事態を確認してからということになりましょう。豊臣方も甘いですな。
死にかけた与左衛門は意外と元気があったようで、わざわざ台所まで戻って火を掛けます。何で死にかけた人があそこまで元気なのか疑問が残りますが、それをいうとドラマが成り立ちません。これにより、不幸にも大坂城は炎上するわけです。これも史実か否かは判然としません。
不幸な結末
一方、豊臣方は絶好調で、徳川方の軍勢を打ち破り、勢いに乗っています。大野治長(役・今井朋彦)はいったん秀頼の出馬を乞うべく、「千成瓢箪」の旗印を掲げて大坂城に戻ります。ところが、それを見た豊臣方の軍勢は、「秀頼が引き上げていく!」と勘違いし、浮足立つのです。秀頼が引き上げていくので、情勢が悪いと判断したのでしょう。やがて、豊臣方の軍勢は続々と退却します。
ところで、これまでさんざん申し上げてきましたが、秀頼は自分の意志とはかかわらず、大蔵卿(役・峯村エリ)や淀殿(役・竹内結子)らの反対により、出馬できませんでした。秀頼が出馬していなかったことは、出陣した兵たちの共通認識になっていたはずではないでしょうか?
たしかに「千成瓢箪」の旗印は持参したのかもしれませんが、旗印だけで秀頼が出馬すると勘違いしたのでしょうか? ちなみに「千成瓢箪」の旗印を掲げたまま帰陣を命じたのは、治長その人でした。帰陣した治長は、自らの指示により情勢が変わり、豊臣方の不利に傾いたことに唖然とします。部下に八つ当たりをいたしますが、すでに時遅し。またまた豊臣家内部では、秀頼が出馬するしないで大揉めになるのですが、「またか・・・」という悲しい心境になりました。
もはや情勢が厳しくなった豊臣方は、総崩れの様相を呈します。ここで非常に目立ったのは作兵衛(役・藤本隆宏)の活躍です。最初は華々しい活躍をしておりましたが、途中から旗色が悪くなると、たちまち徳川方の一斉射撃で体中に銃弾を受けます。ところが、不死身なのか死にません・・・。
満身創痍(というか死んでいるはずでは・・・)の作兵衛は、最期はわざわざ大坂城内まで戻り、自分が城内に作った畑で息絶えてしまいます。おそらく畑が戦争のなかのつかの間の安らぎの場だったのでしょうが、それを強調したかったのでしょうか???
幸村は単騎で徳川家康(役・内野聖陽)の陣にやってきますが、いくらなんでも徳川方は非常に「しょぼい」陣営で、番組の資金不足だったのか護衛の兵士も少ないです。しかも、幸村は単騎なのですが、むざむざと本陣への突撃を許すという大失態。ほとんどあり得ません。
しかも、誰も幸村に攻撃を仕掛けないので、幸村は余裕綽々で銃を構え、家康に狙いを定めます。そこで、家康が言葉を発します。それは「わしを殺しても何も変わらん」というもの。要するに家康を殺しても徳川の世は安泰なので、何も変わらんということでしょう。しかし、それはまったく違うと思います。ここで家康が生きるか死ぬかで、情勢は大きく変わるはずです。
幸村は家康に対して、「それは百も承知」としたうえで、「愛する者のため」などのまったく意味不明で頓珍漢な回答をいたします。これには、「うーん」と唸ってしまいました。結局、幸村は至近距離にも関わらず、徳川方の援軍(秀忠)がやって来たこともあり、本懐を遂げることができませんでした。それを見ていた、伊達政宗、上杉景勝、直江兼続が「さすが真田!」とべた褒めするのは、ちょっと取って付けたような感じがしますね・・・。
幸村は佐助(役・藤井隆)の助力(忍術?)を得て、なんとかその場を脱出します。最期の場面は明確ではなかったですが、どうやら切腹して果てたのでしょうか? いささか消化不良気味で、尻切れトンボ的な感じがしたのは、私だけでしょうか?
おわりに
最終回だったので、幸村と西尾久作(越前藩士)との死闘を大変期待しておりましたが、それは出てきませんでした。福井県のお茶の間の皆様は、すっかり落胆されたと思います。また、その後の逸話、たとえば秀頼と幸村が薩摩に逃れたとか、そういう話題も期待しておりましたが、省略されておりました(最後の「真田丸紀行」で触れましたが)。自分のアテが外れると、妙にがっかりして虚しいものです・・・。
これまで2012年の「平清盛」、2014年の「軍師官兵衛」と2回の「大河ドラマ批評」を担当させていただきましたが、3回目の今回は「熱烈な真田丸ファン(あるいは三谷ファンと申しましょうか)」が非常に多く、私の「大河ドラマ批評」は大変不評でございました。一部、私の批評を支持してくださったファンの方もおられましたが、巻き添えを食った形で申し訳ございませんでした(泣)。
ところで、かつては家族全員でテレビを見るのが当たり前で、年末の「紅白歌合戦」をはじめとして、大河ドラマもその一つだったように思います。しかし、時代の流れとともにテレビ離れが進み(娯楽の多様化でしょうか)、1年間50回も放映する大河ドラマの意義も考え直す必要があるように思います。半分くらいで十分ではないかと思います。
また、昔のドラマはいつ終わるのか(最終回を迎えるのか)が明確になっておらず、長寿番組が多かったのですが、今のドラマはおおむね3ヵ月12回が一つのサイクルです。長いと途中で飽きるのか、大河ドラマの場合も、初回はそこそこの視聴率ですが、少しずつ低下していく傾向にあるようです。
この批評でも「時代劇の危機」ということを何度か申しました。ご年配の方(60代以上の方)にうかがうと、今の時代劇はいささか物足りないといいます。若い人が見る時代劇は、なかばSFのようなものか、ギャグでごまかした内容のようなもので、完全に「本格的時代劇」は消滅したような感じがします。人材(俳優だけでなく)も枯渇しています。
私自身は正直に申しますと、今回の「真田丸」は非常に物足りないものでした。時代劇は娯楽作品です。別に史実の正しさを競うわけでもなく、学界の最新研究を取り込んだらよいというものではありません。単純に言えば、時代劇だけに限らず、見る人をいかに作品世界に引きずり込むか、あるいは共感させるかということになりましょう。それが難しいのですが。
その点、かなり前から大河ドラマには原作がなく、脚本1本で成り立っています。そうなると、みんなが知っている逸話を無秩序に盛り込んだり、ご都合主義で物語が進展したり、あまり一貫性が感じられません。特に、毎回のことですが、戦国という気風が漂ってこないのが非常に残念です。現代的なホームドラマ調は、お止めいただきたいものです・・・。
私自身も時代劇は好きですし、今後も発展を強く願っています。来年放映される「おんな城主 直虎」には大いに期待したいところです。
今回の視聴率は14.7%と少し下がりました。BSのほうは前回より少し上がり、5.6%の視聴率となりました。最終回だったのに、やや物足りない数字でしょうかね。
最後まで本連載をご覧になっていただきました皆様、1年間誠にありがとうございました。そして、最後に、お世話になった洋泉社歴史REALWEB編集部の皆様に厚くお礼を申し上げます。
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