あおいです。
急に忙しくなってしまったので、これが年内最後の更新になりそう。時間ができたらまた何か書くかもしれませんが・・・ということで、若干振り返りなどを。

まず、咲―saki―まとめアンテナさま、そしてここを見てくださる皆様に深い感謝を。
意見や感想表出の機会、同じ作品を享受しているひとと交流する機会がもてたことは本当にありがたいです。来年もよろしくお願いいたします。

さて、『咲―saki―』の元ネタ考察をいくつか書いてみましたが、まったくもってこういうのは難しい。
前回の記事でもそうですが、「元ネタの可能性」はいくらでも出せる。でも、作者がこのネタを作品に織り込んだんだ!と証明することは・・・。
こじつけようと思えばいくらだってこじつけられてしまいます。

たとえば、前からちょくちょく話に出している『伊勢物語』23段奈良の幼馴染カップルの話ですが、その女性の名前を「あこ」とし、お姉さんがいると記述する鎌倉期の資料があります。
幼馴染の男女が大きくなってから歌を交わし、お互いの気持ちを確かめる際に、女が「振り分け髪も肩すぎぬ」と、伸びた髪の毛に言及しているところもなんだか憧ちゃんっぽい。憧ちゃんって、髪の毛に触れる描写がかなり多いですしね。
 
また、南北朝時代に書かれた『秋夜長物語』という作品には「園城寺の美しい稚児(寺院に仕える少年。坊さんの慰みものになることが多いです)が天狗にさらわれるが、竜神に助けられる」という場面があります。その稚児は最終的に命を絶ってしまうんですけども、怜と儚いところが似ている、と言われればそんな感じも(しないか)。

うーむ。
口ではなんとでも言えてしまうんだよなあ。

現時点では、「実はこのキャラの元ネタは○○だったんだよ!」「な、なんだってェー?!」みたいなスタンスではなく、 ゆるく可能性を提示して、皆様の会話や議論の足しにできるようなブログでありたいと思っています。
というわけで、来年もよろしくお願いします。新年一個目の更新はYG感想と有珠山の能力考察になる予定。


そうだ、秘本衆道会様の『魔法少女まどか☆マギカ』同人誌『読本 魔法少女 惑乎紛乎』(冬コミ三日目に東パ-37bで頒布されるそうですので、興味のあるかたはぜひ!)が私の中ではすごいインパクトで。ええ。
で、『咲―saki―』でこういうの書けないかどうなのか、と考えながら東京堂出版の『お伽草子事典』をめくっておりましたら、『京太郎物語』という室町時代の作品を発見。よりによって!何このド直球なタイトル!
皇太子が自分の身分を隠して『京太郎」と名乗り、美女をもとめて九州、大宰府にいくというお話。人々「キャー!京太郎さんステキー!」京太郎「俺、実は王子だったんだ☆」人々「王子ステキー!」って展開らしいです。これは二次創作の枠組みとして使えるかもしれん。舞台は交易の拠点である大宰府ですから、中国から麻雀めいたものが齎されていたとしてしまうことも可能でしょう。知らんけど。

しかし、闘牌描写を古語で綴るのって難しそう!挫折!

・・・だ、誰か余力のある方、いかがですか?