こんにちは。あおいです。

 先日、阿知賀編の実写版を見てきました。
 公開日に2回見て、先週末にもう1回見てきました。
 そして気になる今週末ですが、名鉄百貨店のバレンタインフェアに『咲』第170局でおなじみのパティスリーであるエスプリ・ドゥ・パリが出店するため、照菫の思い出のお菓子を持って白糸台の応援に行こうと思っています。映画館に!


 この前置きからわかるように、個人的には大満足です。

 大好きな天木じゅんさん(小走やえ役)とRaMuちゃん(渋谷堯深役)が共演されていたこと。キャストひとりひとりが、原作への敬意と愛情が伝わる良い演技をされていたこと。Twitterやブログなどの発言から伝わる、制作陣の原作・役柄への思い入れ。原作のエッセンスを活かしつつリアルな女子高生に寄せた人物造型。ドラマ4回、映画1本に収めるべく行われた原作の解体と再構築、その秀逸さとわかりやすさ。オリジナル要素の最高さ。阿知賀かわいい。シズアコちゃんかわいい。千里山カッコいい。新道寺すごい。白糸台マジ白糸台。主題歌も超いい。(だんだん語彙力が低下する)
 小沼監督、脚本の森さんをはじめスタッフの皆さま、キャストの皆さま、ほんとうにありがとうございました。憧ちゃん役の方がTwitterにあげてくださったシズアコポッキーゲーム動画も楽しく拝見しました。ちょーかわいいので未見の方はぜひ!なんか、キャストさんが二次創作界の最大手になってませんか?(個人的にはとてもすばらなことだとおもいます)

 なお、作中で照が食べていたお菓子を全部特定したかったんですが、スナック菓子をふだん食べないため全然わからずに作業が難航しております…。とりあえず、机の真ん中あたりに置いてあったゼリー(本当はプリンらしい)はこれです。宮永姉妹の仲たがいの原因について「咲が照のプリンを食べてしまったから」という説がまことしやかに出回っていますが、一口サイズのプリンが複数個あれば喧嘩にならず安心ですね!

 さて、これで終わるのもなんなのでちょっと真面目な感想を書きます。私は阿知賀編の中ではシズアコの組み合わせが大好きなので、このふたり――ことにシズを中心に、思ったことや考えたことを記してみたいと思います。

 実写・阿知賀編においては、シズの「山を駆け回る少女」としての側面が強調されていました。
 そのいっぽう、シズの能力に関わる修験道関係の用語・モチーフについては、直接に言及されないか、ぼかしたかたちで表現されています。しかし、それは単なる「省略」や「朧化」ではありませんでした。どういうことなのか、以下で詳しく見ていきます。

 原作6巻、大将戦後半の南一局。穏乃は以下のように述懐します。

「あの頃 山の中でひとりでいることが多かった――
 だからこそ 自分自身というものをハッキリと感じ取ることができたし
 色々と考える時間ができた気がする
 いつか意識は自然の中に溶け込んで――
 深い山のすべてと一体化しているような
 そんな気分にもなったんだ
 今――
 牌の山も対戦相手も
 あの頃の山のように感じる――!」(P152~155)

 そしてこの後、蔵王権現の光背をまとって和了り、トップに立つこととなります。
 いっぽうそのころ、衣ちゃんは咲さんにこう語っていました。

「(シズは)修験者は修行のために歩いた深山路――
 そこを修行ではなく庭のように駆け回っていたという」
「その幽邃の地でひとり――
 しずのは何を感じ取ったのか――」(P136)

「現実の修行の山路も 
 有為の奥山も越え 
 その先にいる 
 深山幽谷の化身――」(P164~165)

 衣ちゃんは実写映画に登場しないため、当然ながら修験者とシズを重ね合わせた台詞はすべて省略されています。「深山幽谷の化身」という表現が淡ちゃんの心内語の中で用いられてはいますが…(よく四字熟語なんて知ってたな…)。しかし衣ちゃんの台詞はシズの心内語やハルエのシズ評の中に、よりわかりやすい形で反映されているように思います。

 修験道において、修験者たちが「現実の修行の山路」を「越」えようと試みるのは、山を征服するためではありません。彼らの目的は、深山という鍛錬の道場で修行を行い、力を獲得することにあります。山は自らを鍛え、高める場所なのです。そして衣ちゃんが「現実の修行の山路」と並列させていた「有為の奥山」とは、『日本国語大辞典』によれば「無常なこの世の中を、越えにくい深山にたとえたもの」でした。よって衣ちゃんの台詞は、シズが「山と同じ」と感じた「牌の山」や「対戦相手」との関わりの中において成長し、力を得てゆく存在である…と言っていることになります。

 そうしたことをより平易に表現したのが、以下の映画オリジナルの台詞でしょう。

1、ハルエが大将戦で健闘するシズに対して、「目の前にいるのは敵じゃないんだね」と語りかける。
2、シズがP152~155の心内語につづけて「今まで出会った人たち、今目の前にいる人たち」が「山」と同じく、「ふれるほどに私の力になる」と述べる。


 これらの台詞によって、高鴨穏乃という少女の輪郭、人物像がより明確になりました。映画ではじめて阿知賀編にふれる人が、修験道云々を知らなくても、戦いの中で成長するといういかにも主人公らしい資質を有した存在として理解することができるようになったのです。原作におけるシズ像から逸脱することなく、初見の人にもわかりやすいシズを描き出した、秀逸な構成・脚本だったと思います。

 ところで。シズの誕生日(4月8日)は、旧暦では修験者が吉野の大峰山に登って修行する「大峯入」の日でもあります。映画を見てふと思ったことですが、彼女がこの世に生を受けたことそのものが、「有為の奥山」への入峰修行といえるのかもしれません。
 映画は、憧とシズがハルエの「こども麻雀教室」に足を踏み入れた場面によって結ばれます。そのとき、憧は積極的に行動し、自分から元気に自己紹介します。しかしシズは憧の後をついて歩き、憧に促されてようやく自己紹介を行うのでした。人付き合いが苦手そうな、ちょっと陰気で冴えない少女――それが麻雀を始める前のシズなのです。
 シズがその後、明るく元気な山ガールへと成長し、皆を引っ張ってゆく存在にまで変化を遂げていったのは、こども麻雀教室や阿知賀女子麻雀部の影響でしょう。「有為の奥山」における出会いや別れ、再会などが、シズの能力や雀力のみならず人格をも大きく成長させていることが伺えます。それはED「春〜Spring〜」の歌詞内容にも通じるものだったりして。
  
 そして、いまからすごく大事なことをいいます。そんなシズと一度は袂を分かったものの、阿知賀女子麻雀部創設の際に戻ってきてずっとシズの側に寄り添っている憧ちゃん。彼女の誕生日である5月17日は、阿知賀編の漫画が完結した2013年においては旧暦4月8日(大峯入の日)でした。

IMG_7253

 旧暦(太陰暦)と新暦(太陽暦)にはおよそ1ヶ月から1ヶ月半くらいの差があり、常に同じ日に対応しているわけではありません。今年の5月17日は旧暦に換算すると4月3日になります。しかしこの誕生日の対応は、ふたりが表裏一体の存在であることを示唆します。あるいは、それぞれの暦が拠っている月と太陽のような、相互に補い合う存在であることを。詩的な表現を用いるなら「半身」とか「魂の片割れ」ということになるでしょうか。
 
 そんな二人だからこそ服だって交換するし、ドラマ3話でシズは憧をおぶって山路を越えるけど、大将戦という「山」を越えたシズは今度は憧に抱き上げられるわけで…
 なお、次に新暦5月17日が旧暦4月8日に対応するのは2051年だそうです。
IMG_7252

そのときまでずっと仲良く、「有為の奥山」を背負い背負われしながら進んでいってほしいですね…。


 以上です。