小説を読まなくなってからもう10年以上がたつ。少年時代、私は絵に描いたような本の虫だった。小学生のころは休憩時間になるたびに図書室へ行き、10分だけ本を読んではチャイムが鳴ったら教室へもどる。それが日課だった。
もちろん寝る前には、毎晩、枕元に電気スタンドを置き、眠くなるまで読んでいた。気がつくと朝になってることもしょっちゅうだった。朝がくるとまた学校へ行かなきゃならない。まったくうんざりだぜ。不良読書少年である。
小学3年生のときに読んだガストン・ルルーの「黄色い部屋の秘密」はショッキングだった。こいつのおかげでしばらくミステリにハマった。
そのほかエポックメイキングだったのは、小学6年のときに出会った「夏草冬濤」(井上靖)か。あっというまに井上靖の作品は読みつくし、ついでに安岡章太郎とか遠藤周作あたりの私小説の世界をさまようきっかけになった(それまで私はずっと洋モノ派だった)。
第三の波はSFだ。中学に入ったころから小松左京や星新一は読んでいたが、決定的だったのは中学3年のとき、悪友に無理やり読まされた筒井康隆だった。
あれだけ1人の作家に入れあげたのは、後にも先にも初めてだ。のちに沢木耕太郎にも浮気はしたけど、私の人生に白黒つけさせたのは(なんだそりゃ)まちがいなく筒井康隆だ。寝ても筒井、覚めても筒井。
よしおれも書くぞ。このおれがSFで最初の直木賞を取ったろうじゃないか。ここから人生の歯車が大きく狂って行った。筒井のせいだ。
あとはレイモンド・カーヴァーと邂逅するまで、もうひたすらSFの時代だ。フィリップ・K・ディックのパンチは強烈だった。J・G・バラードの右フックもキレがあったし、イタロ・カルヴィーノの回し蹴り、カート・ヴォネガット・ジュニアのはたきこみにも連続KOされた。
筒井の影響でチャンドラーとダシール・ハメットにも逝った。翻訳されてる作品はかたっぱしから読んだ。「こいつらのユーモアは日本の小説ではまだ未開拓だ。ぜひパクろう」。本に出てくるフレーズを、断片的に写経したのはあれが初めてだ。こんなふうに10代も20代も本といっしょにあけくれた。
ところが30の声を聞くあたりから、読んだ文章がさっぱり頭に入らない怪現象に見舞われ始めた。いったん読んだはずのセンテンスがまったく頭に残ってないのだ。
これじゃあすぐに話の辻褄が合わなくなる。だからまた5行前にもどって読み直す。何度も何度も同じ5行をくり返し読む。そのうちにバカらしくなってやめてしまった。それ以来、小説とは縁がない。
ノンフィクションや評論のたぐいならそんなことはない。だけどなぜか小説だけはカラダが受け付けない。したがって私はある意味、昔の貯金を食いつぶしながらいま文章を書いている。
そんなかつての本の虫が、気まぐれに選んだ「洋モノ・BEST 5」がこれだ。本当はコルタサルとかラテンアメリカな人たちも入れたかったが、別の機会にゆずろう。
この5冊はだれが読んでも絶対におもしろい(と私が勝手に思っている)5冊である。なんだか、ありし日の筒井康隆の影響が見えるが、そこはご愛嬌だ。
どうでもいいけど私が好きだった人はみんな、いまは「ありし日」状態になっちゃってるなあ。
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◆「バビロンを夢見て」(リチャード・ブローティガン)
こいつは冒頭にある扉の3行を紹介するだけで昇天できる。
おれがどうしても一流の私立探偵になれない
理由のひとつは、年がら年じゅうバビロンの
夢ばかり見ているからではないかな。
ブローティガンが傑出したストーリーテリングに
ユーモアとペイソスを織り交ぜて贈る擬似ハードボイルドの一級品だ。
読むまで死ねない。
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◆「夜になると鮭は…」(レイモンド・カーヴァー)
さりげない日常の横っぱらにぽっかり開いた異空間。カーヴァーである。
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◆「われらのギャング」(フィリップ・ロス)
ロスは「素晴らしいアメリカ野球」とどっちをあげるか迷ったが、クジ引きでこっちにした。いずれ劣らぬ傑作であることは疑う余地はない。
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◆「ワールズ・エンド」(ポール・セロー)
世界の果てにいる人間たちが、それぞれに出くわす日常の歪み。最後は決まって読者はあっけなく突き放されたまま終わる。こんなの、いやあああ。どうしてくれるのよっ。M的快感漂う1冊。
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◆「ソロモンの指輪」(コンラート・ローレンツ)
いわずと知れた自然科学分野の名著。カラスがとってもかわいい。一気に読んで夜明けがくることまちがいなし。
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