夜、ふと気になってパソコンを開いた・・・そしてヴェルディ「レニャーノの戦い」を聴き、Kenさまのコメントが気になっていてブログを拝見した。
Kenさまがコメントによくダヌンツィオのことを書いていらっしゃる。
くわしくはコメントを見ればわかるのだが、Kenさまのダヌンツィオへの思いを受け止めることができなかった私であった。
どうも私は繊細さに欠ける。
今は日常生活そのもので精一杯、芸術的な思考が落ちてきている。
介護は体力的にも精神的にも小さくはない。
「詩人は私のところを訪れたようです」というところ、Kenさまのエントリーをこの時、拝見していればもっとマシな別のコメントを書いていたに違いない、と思う。
【Kenさまのコメント】
維持の問題は依然として残りますが、最重要なのは我々が領土を奪還する行為そのものだと思うのです。
サラーディーンはエルサレムを「無でありしかしすべてである」と言いました。十字軍にとってもそうであったでしょう。
尖閣も日本人にとっては無であり、しかし【すべて】であるのでしょう。
だから十字軍とサラディンはあれほどの苛烈な戦いをし、我々も立ち上がらねばならない、、、。
それにしてもわたしがダヌンツィオを巡る旅を計画し終えた後、この寄付の話がまわってくるとは、どう考えても詩人はわたしのところを訪れたようです。(以上)
私はリコメを書きなおした。ダヌンツィオについてここまでお考えになっているとは、気付かない鈍感さだった。
私は最近ワーグナーの特集を書いていた。
それは最近を思う別の意味があったのだ。私はワグネリアンではない。
どちらかと言えばワーグナーの音楽に魅了されながらも、背を向けてきたのであった。
その私がワーグナーを特集し「マイスタージンガー」や「ローエングリン」を繰り返し聴くことで、その最初の目的以上の精神的な音楽経験を感じた。
それは「マイスタージンガー」のハンス・ザックスの最終演説であり、また「ローエングリン」のエルザの≪人間の業≫であった。そして私はワーグナーの持つ「奈落の底へ落ちる」とか「死へのあこがれ」というのを怖れていた。
それはまだエントリーしていない「トリスタンとイゾルデ」だった。
そして、さきほどKenさまのエントリーを拝見し、その精緻な文と表現に雷でうたれたような衝撃を受けた。
暁は光りからL'alba separa dalla luce l'ombra
(これをクリックしてご覧下さい)
バリオーニというテノーレはこのブログにもその歌をUpしたことがあるが、それはオペラのアリアだった。
トスティ作曲、ダヌンツィオ作詞のこの歌、そしてKenさまはワーグナー「トリスタンとイゾルデ」をベースに感じながらも、閉鎖的な男女の愛ではなく「憂国」の感情であることを書かれている。
それはまさしくイタリアへの「憂国」の想いであり栄光でもあった。
そして、ダヌンツィオの詩の和訳をなさっているが、これは素晴らしい訳である。
ここではバリオーニではなく、現代のテノーレ、フィリアノーティのライヴ録音、メトロポリタンの副指揮者コーンのピアノ伴奏、そして詩情あふれるKenさまの和訳をご紹介する。
くわしくは上をクリックなさってエントリー全部をお読み頂きたい。
Giuseppe Filianoti, Eugene Kohn - L'alba separa dalla luce l'ombra (Tosti)
''L'alba separa dalla luce l'ombra'' Gabriere D'Annunzio
''暁は光から'' ガブリエーレ・ダヌンツィオ
暁は光から闇を分かち、
わが欲求から快楽を分かつ。
おお、愛しき星たちよ、滅び行く時は来た。
さらに崇高な愛が 夜空からお前たちを退かせるのだ。
燃ゆる瞳よ、おお、もはや戻らぬお前たち、
哀しみの星たちよ、けがれなきまま輝きを消すがいい!
わたしも死ねばよい、昼など見たくはないのだから、
わが愛の夢、愛の夜がために。
わたしを包んでほしい、おお夜よ、お前の母なる胸に、
青白い大地が露に濡れるあいだに。
ねがわくば、わが血からは暁が、
わが儚き夢からは生まれてほしい。
永遠の太陽が!
訳 Ken WATANABE
☆ そしてやはりヴェルディ「ドン・カルロ」のロドリーゴを聴きたくなった。
バスティアニーニの名唱である。
Ettore Bastianini: Per me giunto ( Don Carlo)