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TOP CAR EVの車両火災は火葬場よりも温度が高い1200℃…万が一のためにドイツでは「レスキューカード」を車内に積むことを推奨しています【みどり独乙通信】 EVによるショッキングな事故が… ドイツを起点に取材活動を続ける池ノ内みどりさんは、ある日ドイツの警察のプレスリリースを読んでいて電気自動車による車両火災を知りました。電気自動車(EV)の火災は猛烈な勢いで燃え広がるため、ガソリン車やディーゼル車よりもはるかに消火が困難といわれています。実際に起きた事故は、どのような状況だったのでしょうか。 EVの火災は1200℃まで温度が上昇 ドイツの警察のプレスリリースを読むのが日課のようになっていますが、先日はかなりショッキングな車両火災のニュースを目にしました。ニーダーザクセン州のバート・ネンドルフという小さな村で起きた単独事故。それはドイツではどこにでもある道路サイドに並木のある田舎道で
TOP CUSTOM 実走リッター37キロ! スズキ「アルト」で目指すはリッター40キロ…燃費ジャンキーのチューニングの技は「あらゆる抵抗をなくすこと」 「加速しない、減速しない、曲がらない」異次元発想の低燃費チューン スズキの誇る軽自動車の大看板「アルト」が200台以上も集まった2024年5月の「あると祭」には、新旧さまざま、スタイルもイジりかたも多彩なアルトが並びました。なかでも独自すぎるコンセプトでカスタムされていたのが、「燃費ジャンキーアルト」とオーナー自ら称する1台のマシン。そのチューニングメニューは驚きの連続でした。 抵抗という抵抗を軽減し燃費リッター37キロを達成 「燃費ジャンキーアルト、実走37km/L&満タン1000km達成、車重800kg切り40km/L目指して進化中」と記された自作のフロントナンバーカバーを装着していた2015年式スズキ「アルトX」のオーナーは“黒鉄”
投稿日:2024.03.23 TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi) PHOTO: AMW/WEB CARTOP 根拠がわかりにくい製品 根拠がわかりにくい製品は巷ではオカルトグッズと呼ばれ、そとのひとつに挙げられるものにアルミテープチューニングがあります。数年前に話題となりましたが、実際に効果はあるのでしょうか。業界随一のオカルトグッズ評論家が解説します。 トヨタのアルミテープは理屈に基づいたもの 巷には貼ると燃費がアップしたり、静かになったりするというアイテムがある。いわゆるオカルトグッズの類だが、毎度議論されるのが、効くか効かないか。なにを隠そう、ワタクシ、業界随一のオカルトグッズ評論家としても活動しているだけに言わせてもらうと、効くものあるけど、効かないものもある。信じないなら付けなくてもいいというのがスタンス。付けない状態がデフォルトなわけだし。ちなみに一時、指導が入
TOP CLASSIC 鳥山 明デザインの直筆サイン入り「QVOLT」が現存していた!「原寸大チョロQ」を実現した「Qカー」シリーズとは 20年ほど前に短期間だけ存在したEVメーカー、チョロQモーターズ 漫画『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』やゲーム『ドラゴンクエスト』のキャラクターデザインなどで知られる鳥山 明氏が2024年3月1日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りいたします。クルマや航空機などの乗り物マニアでもあった氏は作品内でも魅力的なマシンを多数登場させていますが、じつは現実世界でも小さな1人乗り電気自動車「QVOLT(キューボルト)」のデザインを手がけていました。そのQVOLTと、「チョロQモーターズ」のマイクロEVたちを振り返ります。 実際に人が乗れるチョロQを作りたい! EVがまだまだ限られた存在だった21世紀初頭に日本で生まれた小さなEVメーカーがチョロQモーター
TOP CLASSIC 鳥山 明デザインのEVが復活!「週刊少年ジャンプ」で紹介された「QVOLT」第1号車とはどんなクルマ?【マイクロカー図鑑】 わずか9台だけ生産された最後の「Qカー」 人気漫画『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』、そしてゲームのキャラクターデザインなどでも知られる漫画家にしてデザイナーの鳥山 明氏。模型やクルマ好きでも知られる氏がデザインを手がけた1人乗りの電気自動車が「QVOLT(キューボルト)」だ。今から20年近く前にわずか9台のみ生産されたという、小さなEVを紹介しよう。 実際に人が乗れるチョロQ! 今でこそ国産や欧米勢はもちろん、中国や韓国メーカーの新型モデルまで多くが日本の路上を走り始めており、もはや特別なクルマではなくなりつつあるBEV(内燃機関を持たず、バッテリーとモーターのみで走る電気自動車)だが、今世紀初頭の時点ではその運用はまだまだごく限られた用
TOP CLASSIC 【R32「GT-R」開発秘話】今だからテストドライバーのトップが明かす「最初のテスト車はニュルブルクリンクで通用しませんでした」 第2世代3兄弟の長男「R32」はどのように開発されたのか 日本のみならず、世界中のクルマ好きに愛されている日産「スカイラインGT-R」。電子制御4WDなど、その開発は相当な苦労があった。その運動性能を取りまとめたのが、日産自動車 車両実験部の加藤博義氏である。当時の開発秘話を語っていただいた。 (初出:GT-R Magazine 171号) アテーサETSの走りを極め世界レベルの性能を目指した! テストドライバーとして唯一、現代の名工と称される加藤博義氏は、第2世代となるGT‒Rの走りを築き上げてきた。短命に終わった2代目GT‒R(KPGC110=ケンメリGT‒R)から、16年ぶりに復活したR32GT‒Rと、加藤氏の出会いはどうであったの
2万円オーバーでも格安だと感じるオイルフィルターの正体 クルマに乗る人なら誰もが避けて通ることのできないメンテナンスのひとつがオイル交換。なかでも、オイル交換と合わせて大切なのが、エレメントとも呼ばれるオイルフィルターの交換だ。このオイルフィルターは、エンジンの潤滑を行う際にオイルの中にどうしても含まれてしまう金属粉などの不純物をフィルターでキャッチして、エンジンを保護する役割を持つ。基本的にはフィルターはろ紙と呼ばれるペーパータイプが内蔵されており、交換ごとに使い捨てとなるものが一般的だ。 しかし、最近ではこのフィルターを洗浄して繰り返し使えるものがクルママニアの間で話題を呼んでいる。海外を中心に販売しているメーカーは数社あり、国内ではアメリカのK&Pエンジニアリング製が正規輸入され、オートバックスなどの大型カー用品店でも取り扱われている(※A PITオートバックス東雲では在庫している)
TOP 未分類 【ランボルギーニ「イオタ」の今だから話せる本当の話】シーサイドモーターが仕入れた「ミウラ改」は激速だった! それまでに乗ったミウラとは全く別のクルマだった ヴィンテージスポーツカーの総合ディーラーとして知られる「キャステルオート」代表の鞍 和彦さん。鞍さんは、1974年にシーサイドモーター(かつて横浜市に存在したランボルギーニやマセラティの日本総代理店)に入社したレジェンドだ。 痛快な逸話をたくさん持っていることでも知られているが、今回は数あるエピソードの中から第三京浜の往復を12分でやってのけたランボルギーニ・イオタレプリカ(※正確にはミウラ改だが、今回はイオタレプリカで統一)の話を語ってもらった。 入庫して初め知った“イオタ”の存在 「1976年、イオタ仕様になったネイビーブルーのミウラSVがシーサイドモーターに入ってきたころ、そもそもミウラの入庫数自体が少なかったです
投稿日:2022.07.23 TEXT: Auto Messe Web編集部 竹内耕太 PHOTO: モリタエコノス/タナカヒデヒロ バキュームカーが「くさい」のは過去のお話!? ある程度以上の年齢の人であれば、汲み取り式トイレとバキュームカーの記憶が目と鼻に刻みこまれているだろう。1980年代以降、下水道の普及とともに激減したと言われるバキュームカーだが、2010年のデータでは全国で約1.5万台が活躍しており、今も「し尿処理」に限らずさまざまなジャンルで使われている。そのわりに、昔ほど見かけたり、そのニオイをかぐことも少なくなった気がするのはなぜなのか? バキュームカーのトップ企業「モリタエコノス」に聞いてみた 日本における「し尿」汲み取り用バキュームカーの歴史は、1951年に神奈川県川崎市が開発・導入したのが始まりとなる。それまで柄杓と桶で回収していたのと比べると衛生面で格段の進歩であ
投稿日:2022.05.22 TEXT: 小鮒康一(KOBUNA Koichi) PHOTO: Auto Messe Web編集部 2代目の日産キューブをベースにピックアップ化したモデル 台数限定の希少なモデルと言えば、多くが発表とともに注文が殺到し、瞬く間に完売となるイメージが強い。だが、その一方で話題にはなったもののフタを開けてみればほとんど売れなかったという、不遇な限定車も存在している。そんな不遇の限定車の1台が、2006年4月に200台限定で販売された「ムエット(muetto)」だろう。 このモデルは横浜市内の製造業者を中心に、デザイナー、商業者など20あまりの市内企業、団体が参加・協力して構成された官主導型グループの「ハマワザ(hamawaza)」が、横浜発の新しい商品を開発しようとする企画の第1弾としてリリースされたものだった。 ムエットという車名はカモメのフランス語が由来とな
TOP CLASSIC 「ジウジアーロ」「ピニンファリーナ」「ベルトーネ」は自動車メーカーじゃない! 数々の名車を生み出した「カロッツェリア」とは カロッツェリア=クルマのボディ架装を請け負う会社 カロッツェリアという言葉は最近あまり耳にしないが、クルマ好きにとっては別格の存在というか響きだろう。もともとは馬車の時代にあった架装のための工房がルーツで、コーチビルダーと呼ばれることもあるのはこの時代の名残だ。その後、馬車が廃れるとクルマのボディ架装を行うようになっていく。 戦前はT型フォードが登場するまで、シャーシを仕入れて、予算や好みに合わせてボディを架装するというのは当たり前に行われていた。大量生産ではなく手作りするため別途架装しても同じなわけで、多くの工房が出現して、それがカロッツェリアへと発展していく。 その後、デザイン会社としてのイメージが強くなっていくが、実際はボディまわり全般を
ホンモノは存在しない幻の1台 数あるランボルギーニのなかで、もっともミステリアスな存在となっているのが「イオタ」だ。往時にアウトモビリ・ランボルギーニ S.p.Aのメカニック兼テストドライバーとして活躍していたボブ・ウォレスが、FIA付則J項のツーリングカー/GTカー・カテゴリーに参戦するべくミウラをレース仕様にモディファイ。そのマシンこそ「J=イオタ」なのだが、1971年生まれの筆者がそのような概要を知ったのは中学生になってからだった。 幼稚園児や小学校低学年ぐらいの子どもには、その魅力を理解するのが難しいクルマだったといっていい。 イオタが誕生した経緯には諸説あるが、ここでは筆者が知っている知識を書かせていただく。 通常業務以外の時間で製作されていたイオタ ランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニはレースに興味がなかった(資金的な問題から断念していたともいわれる)。ボブ
夏に向けて現在鋭意レストア中 先ごろ、旧いレーシングカーが発掘されました。それはマーチ832/MCS5・BMW。1983年に全日本F2選手権を戦ったあと、翌1984年には富士グランチャン(GC)シリーズを戦った歴戦の兵です。シャシープレートには832-8と刻印されたそのマシンは、EPSONのロゴからも分かるように、F1GPにフル出場する直前だった中嶋 悟選手が84年の富士GCでドライブしたマシンです。 さらにその前年、1983年シーズンには期待の新人として全日本F2にステップアップした高橋 徹選手が、デビュー戦の鈴鹿で2位入賞を果たし、シリーズ4戦目の鈴鹿ではコースレコードを更新する驚速タイムでポールポジションを奪った、栄光のマシンです。 マーチとBMWがタッグを組み誕生した最強マシン マーチ832は、英国のコンストラクターMarch社が、1983年シーズンのF2レースに向けて開発した市販
大ヒットしたプレリュードの3代目モデルを振り返る! 初代プレリュード(SN型)は、ホンダ念願の多チャンネル展開を担うフラッグシップクーペとして登場した。ホンダらしい先進性のあるスポーツモデルの同モデルは、ベルノ店のスポーティ路線というポジションを確立。しかし本当の意味でホンダの先進性&スポーティ性は2代目でさらに強化され、プレリュードの真骨頂はここから始まることとなった。 初代モデルから先進性を誇ったバブル時代のプレリュードの変遷 1978年に登場した初代は、1982年にフルモデルチェンジが行われ2代目モデル(AB型)に切り替わる。クルマのフルモデルチェンジは現在でも大きな話題となるが、この2代目が登場した際は、驚きをもって迎えられた。それは4輪参入後に短期間で一大自動車メーカーとなったホンダが、シビックやアコード、そしてプレリュードといったモデルを立て続けにヒットさせ、さらにこの2代目が
TOP CLASSIC 「1号車は、野ざらしで保税倉庫に置かれていましたね」伝説の生き証人が語る「ランボルギーニ・カウンタックLP400」日本上陸秘話 カウンタック日本1号車を知る生き証人 どの分野にも、この人を抜きにしては語れないという伝説的人物がいる。クルマの世界にも多数のレジェンドが存在しているが、ヴィンテージスポーツカーの総合ディーラーとして知られる「キャステルオート」代表の鞍 和彦さんもそのひとりだ。 鞍さんといえば、1974年にシーサイドモーター(かつて横浜市に存在したランボルギーニやマセラティの日本総代理店)に入社したリビングレジェンドである。1951年生まれなので、現在70歳。人もクルマもイベントも栄枯盛衰であることを自身の経験から熟知している、人生および自動車趣味生活の大先輩だ。 鞍さんはスーパーカー好きであれば、誰もがその名を見たり聞いたりしたことがある御大だ。令和の今
投稿日:2021.10.11 TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi) PHOTO: 近藤暁史/Auto Messe Web ひと昔前までは当たり前のようにやっていた! クルマが進化する目的のひとつが、イージードライブだろう。誰でも簡単に運転できるようにするため、さまざまな努力が重ねられ、新しい装備や機能が登場。その結果、われわれは苦労することなく、エンジンをかけ、運転をすることが可能になった。逆を言えば、それまでは儀式的なコツが必要だったりして、始動することすら難しかった時代もあった。今回は旧車ならではの運転にまつわる儀式を紹介しよう。 チョークを引く チョークとは運転席に付いているノブで、冬場はこれを引いて始動した。なぜなら寒くて、かからないから。引くと燃料が濃くなって始動することができ、しばらく暖機して水温が上がると、元に戻して走り出すのが当たり前だった。逆に戻さないで走る
若者をターゲットに攻めた車中泊仕様として登場! ホンダ・オデッセイやステップワゴンといった名車を世に送り出した、「クリエイティブムーバー」シリーズの第4弾として1996年に登場したS-MX。 明らかに若者にターゲットを絞ったキャラクターや、完全フルフラットになる室内、そしてボックスティッシュがふたつ収納できる右リヤに備わるシステムトレイなども相まって、「走るラブホ」と揶揄されるまでになってしまった(とはいえ、当時のカタログには「恋愛仕様」というコピーもあるのだが)。どんなクルマだったのか振り返ってみよう。 いま風にいえばステップワゴンベースのバンライフ仕様 RH1/RH2という車両型式からも察しがつくように、S-MXは初代ステップワゴンがベースとなっており、2Lエンジンやコラム式4速ATといったパワートレインは共通。フロントストラット、リヤダブルウィッシュボーンのサスペンション形状も同様と
この記事をまとめると ■再始動の際に動きが不自然になる ■スムースな運転の妨げになる場合も ■新車では非搭載車も登場し始めた 夏場、ドライバーを苦しめる「ありがた迷惑」のアイドリングストップ 信号待ちなどの停止中はエンジンを止めて燃費の悪化を防いだり、排出ガスを抑えて環境負荷低減にも貢献するアイドリングストップ。普及し始めてすでに10年ほど経つなかで、アイドリングストップ機能が装備されていると燃費の向上に貢献する反面、運転しにくいことがあるほか、決定的なデメリットも実証されている。 【デメリット:その1】夏場の信号待ちなどが暑い エアコン(クーラー)を使う夏場はアイドリングストップでエンジンが止まってしまうと、エアコンは効かなくなる(電動コンプレッサー式エアコンを持つハイブリッド車は除く)。当然車内は暑くなり、エアコンを優先させるために結局エンジンが再始動する。 この点はスズキのエコクール
ドンドン減っていく「車中泊エリア」その原因は? 車中泊で人気の道の駅。今、次々と「車中泊禁止」に!? 一部の馬鹿者のせいで皆が大迷惑!! 思い返せば、2009~11年の間、高速料金が一律1000円になった頃から高速道路を降りずにSA/PAに、また下道では道の駅に車中泊するのが大流行しました。 なかには道の空いている夜間に移動、駐車料金が無料、チェックイン/アウトもない道の駅で、好きな時に停めて好きな時に出発という自由気ままなクルマ旅を楽しむ工夫もされていました。 道の駅も現在は、1187駅(2021年3月30日時点)と増え続け、この自由気ままなクルマ旅は、コロナ禍で海外に行けず、公共交通機関が心配な状況下ではさらに広まる傾向にあったとも言えます。 しかし何事にも普及に伴う光と影があるもので、自由気ままなクルマ旅を楽しむのが「光」なら、その一方でそれの度が過ぎてお馬鹿になる人々が増えてしまっ
投稿日:2021.05.11 TEXT: 井元貴幸(IMOTO Takayuki) PHOTO: プロドライブ,SUBARU GT-Rも真っ青!?だったスバル軽自動車ベースのプロドライブ「P2」 イギリスの名門レーシングチームであるプロドライブは、レースやラリーで得たノウハウを活かし、コンプリートカーを製造しているメーカーでも知られる。初代インプレッサをベースとしたプロドライブP1はまさにそれにあたる。スバルとタッグを組み、スバル・レガシィを皮切りにインプレッサでのタイトル連覇を遂行したWRCでの大活躍の経緯もあり、プロドライブとスバルの関係は深い。そのプロドライブからなんと恐るべき市販スポーツカーの動きがあった。もちろんスバル車をベースにしていた「あのマシン」を振り返る。 スバル孤高の軽自動車「R1」がベース 2006年のことである。構想からわずか9カ月で完成させたというユニークな二人乗
軽自動車のキャンピングカーは「車中泊」ベストなのか 新型コロナウイルス禍が始まって以来、キャンピングカーの販売は宿の予約などに縛られない自由な旅ができるのに加え、プライベートな空間を持てることなどを理由に絶好調となっている。筆者は3年ほど前に雑誌「CARトップ」の企画で軽1BOXバンベースのキャンピングカーを約2カ月間お預かりしアウトドアなどに使った後、そのまとめとして東京から有料道路を使わず北海道をほぼ1周するという約2週間の旅をしたことがある。ここでは北海道ほぼ1周の旅の様子を振り返りながら、キャンピングカーの魅力を改めて考えてみた。 苦楽を共にした相棒の「給電くん」 このときお預かりした軽キャンピングカーはオートワン(神奈川県藤沢市)が制作した、スズキ・エブリイのターボ+4WDをベースにサブバッテリーとソーラーパネルの装着により電気が使える点が大きな特徴となっている「給電くん」だ。現
ランボルギーニ公認のスーパーカー消しゴム モデルカーやR/C(ラジコン)カーをラインアップする模型メーカーの京商から少し変わったアイテムが販売されているのをご存じだろうか。1970年代後半に巻き起こった「スーパーカーブーム」の到来とともに、駄菓子屋や文房具店で小学生を夢中にさせた“カー消し”が復刻しているのだから驚きだ。 これは、絵本の企画・制作やスーパーカーの展示を通じて、子どもたちに夢見ることの素晴らしさを伝える事業を展開している会社「GGF-T」のオリジナルグッズで、ランボルギーニ公認アイテムとしてこのグッズを復刻。2021年3月中旬から京商で販売を開始している。 ボールペンではじき飛ばして遊んだスーパーカー消しゴム リアル世代の方には懐かしいかもしれないが、知らない方のために説明をしておこう。1975年から週刊少年ジャンプで連載が始まった「サーキットの狼」をきっかけに、一世を風靡し
TOP 未分類 「2年待ち」「300万円越え」でオーナー悲鳴! GT-Rの名エンジン「RB26DETT」のシビア過ぎるオーバーホール事情 ベース車だけでなくメンテナンスも高額!? 「スカイラインGT-Rが欲しい」と思っても、いまや中古車市場では目玉が飛び出るほどの高額になってしまった。それでも頑張って憧れを手にした結果、その先にはいずれメンテナンスへ資金を費やす必要があることも知っておきたい。心臓部であるRB26DETTエンジンの今どきのオーバーホール事情について改めて考えてみよう。 20万km超乗り続けるオーナーも多い 「一度はR32スカイラインGT-Rに乗っていみたい」と思いを募らせているクルマ好きはとても多い。人々を惹きつける理由はRB26DETTというエンジンに拠るところも非常に大きいだろう。 まわりのクルマを見渡してほしい。国産車で走行距離が20万km、30万kmになって、わざわ
投稿日:2021.04.06 TEXT: GT-Rマガジン編集部(GT-R Magazine) PHOTO: Alexander Qureitem ドイツ人写真家が出会った世界のGT-R乗り 自らもGT-Rオーナーであるドイツ人写真家、アレキサンダー・キューレテム氏が世界中を旅して出会った各国のGT-Rオーナーたち。彼らは日本の名車に対する想いが強い。写真集「GT-R THE JOURNEY」にも登場するアラブ首長国連邦のRマニア、スルタン・アル・マンスーリさんのR34GT-R VスペックIIも海を渡り、大切にされているクルマの1台である。 UAEでもGT-Rの知名度は高い アラブ首長国連邦(以下UAE)やサウジアラビアなど湾岸アラブ諸国では、スカイラインはよく知られた存在。左ハンドルモデルが正規に販売されていたためだ。が、GT-Rとなると話は別。右ハンドル車両の走行が原則的に禁じられてお
国産スーパーカーの先駆けとなったマツダらしい先鋭的構想 1970年10月末〜11月上旬にかけて開催された、第17回東京モーターショー。会場内のマツダブースに華々しく展示されたコンセプトカーが今回の主役、RX500でした。数年後に始まる空前絶後のスーパーカーブーム夜明け前に登場した「夢の塊」の実車を、幸運にも先日取材することに成功。ということで、気になるその仕様とそれにまつわる物語をご紹介していきます。 夢あふれる昭和のモーターショーでお披露目されたRX500 国産のスーパーカーといえば、当時京都に本拠を構えていた我が国屈指のコンストラクター「童夢」が、1978年のジュネーブショーで発表した「童夢-零」がその嚆矢とされています。2シーターでガルウイングドア(正確にはシザースドア)を持つミッドシップ・クーペは、ランボルギーニ・カウンタックから大きな流れを生んだ“スーパーカー”にカテゴライズされ
投稿日:2021.03.22 TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi) PHOTO: HONDA、Auto Messe Web編集部 ユニークなデザインをもつホンダ車を紹介! エンジン屋としてホンダは名を馳せるが、デザインもじつは秀逸だったり、ユニークなモデルが多い。そもそも本田宗一郎自体がデザインが大好きで、「見るのではなく、観るのだ」という名言を残しているほど。 N360の初期デザインに激怒して、自ら直したというエピソードがあるし、そもそもC70などのバイクは自身のデザインだ。C70のデザインは角ばっているのが特徴なのだが「神社仏閣スタイル」と呼ばれ、実際に京都・奈良を旅行して発想したもの。たとえば、タンクサイドのエッヂは仏像の顔がモチーフにしている。他メーカーも真似をするほどで、世界のバイクデザインに影響を与えた。 本田宗一郎は造形係長のニックネームが付けられ、当時一緒に仕
投稿日:2021.03.19 TEXT: 土田康弘 PHOTO: ホンダアクセス、Honda、Auto Messe Web編集部 N-VANの魅力がより高まる豊富なアクセサリー群 今年の2月に一部改良されて発売されたホンダ・N-VAN。アクティバンの後継としてNシリーズに加わった軽バンは、はたらく人々の生活を見つめ、様々な仕事での使いやすさや優れた走行性能、安全性能を追求し、軽バンの新基準となることを目指して開発された。 登場から2年半が過ぎても安定したセールスを記録しているが、その要因のひとつに商用ユーザー以外、なかでもホビー用途のユーザーから好評が挙げられる。 それもそのはず、とにかく純正アクセサリーのラインナップは非常にきめ細やか。メインとなる仕事に役立つものは当然ながら、アウトドアライフをより豊かにしてくれるアイテムが充実。中でも純正アクセサリーとして膨大なアイテムをラインアップす
投稿日:2021.03.14 TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi) PHOTO: 日産自動車、Auto Messe Web編集部 令和の国産スポーツカーバブルをけん引する超人気車両 1990年代に登場した国産スポーツカーの人気が急上昇し、マーケットで高額取引されているのはクルマ好きならばご存知のことだろう。その筆頭が1999年〜2002年まで販売された34(サンヨン)GT-Rこと直列6気筒エンジンを搭載する最後の「BNR34型スカイラインGT-R」だ。その中古車相場の異常高騰が止まらない理由について探ってみたい。 3000万円強の個体が複数台流通する異常相場 中古車情報サイトでBNR34スカイラインGT-Rを検索すると、1000万円以下の個体はほぼマーケットから消え、初期型の“走行距離不明”、“修復歴あり”というひと昔前なら敬遠された個体でも新車価格(ベースグレードで
投稿日:2021.03.14 TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta) PHOTO: 藤田竜太、Auto Messe Web編集部 DIYオールペイントは1日あればできる! 「クルマのボディカラーって、定番色ばかりでつまらない」「もっとオリジナリティのある色が選べたら楽しいのに」と思ったことはないだろうか。また気に入っていたボディカラーでも、10年もすると退色がはじまり、クリアが剥がれて表面がカピカピになってくることも避けられない……。 こうしたとき、業者にオールペンを頼むとコンパクトカーや軽自動車でも20万円ぐらいはかかってしまう。また色の塗り替えや再塗装には心理的な壁があるかもしれないが、もっと気軽にオールペンが楽しめれば、カーライフはさらに楽しみが広がるはずだ。 そう思って調べてみると、スプレーやエアブラシではなく、ローラーと刷毛(ハケ)を使ったオールペンなら簡単・安価にでき
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