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一般的には、フーコーの権力論というのは、権力を国家にのみ依拠させるのではなく、社会全体に網の目の... 一般的には、フーコーの権力論というのは、権力を国家にのみ依拠させるのではなく、社会全体に網の目のように張られたものとして理解され、いわば、国家権力論と対置されたように理解されている。 これがね、そういう一般的な理解と違うんじゃないかと思う。これを議論するには、きちんとフーコーの原典が必要なんだけど、けどにためらうのは、フーコーって史学的には実はトンデモさん。 一般的には、フーコーが同性愛に関心をもったこともあり、人と人の直接的な差別や権力の関係をアトムとして社会というシステムでどう働くかというボトムアップ的なモデルとして理解されていると思う。 違うと思うのだよね。 フーコーはヘーゲルを継いでいて、社会と国家の差異を前提にしているはずで、国家の成立は市民の成立と同時。ということは、この網の目の権力というのは、社団的な社会と個人の間、と、国家=市民対社団的な社会の間という、二つの軸があると思う
2009/05/02 リンク