記事の書き方は「賛成」「反対」だけじゃない
また見逃されがちなのは、賛成や反対以外の意見のしかたもあるってことだ。
それは「客観的な見方」である。
相手に賛成するわけでもなく、反対する立場でもない。あくまで第三者的なスタンスを取り、「相手の論理や思考・行動の背景にあるものは何か?」のような分析をする。あるいは相手が述べている事実関係などを自分なりに解説するのだ。
共感や反論を書いたブログ・エントリーはよく見かける。だけど客観的なものの見方をした記事は案外少ない。
例えば「フリーター」をテーマに取り上げたとしよう。
今は正規雇用されるのがむずかしい時代だ。就職したいのにできない人もいる。彼らの人権は守られるべきだし、だから自分はフリーターの気持ちがよく分かる──。
これが「共感の記事」である。
一方、フリーターという生き方に反対する書き方はどうか?
フリーターってカタカナ言葉でもっともらしいけど、要は「結論先送り人間」じゃないか。正規雇用されるのが難しいといっても、仕事を選ばなきゃ採用の口はある。世の中とか人生とかいうものは、ときには自分の望まないことをガマンしてやらなきゃならないものだ。彼らはフリーターという肩書きを、逃げ口上にしているだけではないか──。
こんなふうである。
自分で調べたデータを入れながら分析的に書く
では本題だ。このお題を「客観的に書く」とどうなるだろう?
フリーターという言葉はもともと、1987年にリクルートの「フロムエー」編集長、道下裕史が作った言葉だ。当時はバブルの時期で経済がよく、非正規雇用でも条件のいい仕事はあった。将来に対する世の中の展望も明るかった。
そんな楽観的な時代の気分もあり、80年代後半にはこんな若い人たちが続々と出てきた。
「オレはミュージシャン(や絵描き、俳優など)になるんだ。人生の目的のためにアルバイトで生計を立てるぞ」
当時のフリーターとは、それまで一般的だった企業の終身雇用制に頼らない新しい生き方であり、「自分らしい人生をマジメに考え、行動する人」を意味していた。
ところがバブルの崩壊で状況が一変する。企業は人件費を抑えるため、リストラを進める一方で正社員の採用を控える戦略を取った。フリーターという自発的な生き方が、逆に企業に利用されるようになったのだ。
以後、フリーターという存在は「自分から望んでそうなる」という要素だけでなく、企業の論理で生み出されるアウトソーシング要員の色彩が濃くなっていく──。
ちょっと長いが、こんな感じだ。
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