悪意はないのに曲解される2つの要素
ネットを使ったコミュニケーションを快適に行なうためには、情報の受け手と送り手の双方がリテラシーを備えている必要がある。両方にそれがない場合はもちろん、片方だけにリテラシーがある場合にも悲劇は起こる。
例えばあなたにはこんな覚えがないだろうか?
自分のブログやSBM(ソーシャルブックマーク)であなたはAさんの記事を取り上げ、反対意見を書いた。あなたは単に異論を述べただけで、悪意はない。ところが当のAさんは「そんな解釈のしかたもあるのか?」と思えるほどあなたの意見を曲解し、ヒステリックな反応が返ってきた……。
理由はケースバイケースだが、ネットを使ったコミュニケーションでは、他人に否定的な言及をされた側が過剰なマイナス反応をすることがしょっちゅうある。
もちろんAさんが、単に反対意見をぶつけられるのがとにかくイヤな人なのだとしたら話は別だ。情報の送り手の側がどんな書き方をし、どう表現しようがAさんは不快になるだけだろう。それなら文字通り「議論」の余地はない。
だがAさんがそのテの人じゃないのに拒否反応を示してるとしたらどうだろう?
理由は大きく2つに分けられる。ひとつはAさんの認知がネットによって歪められている可能性(受け手の問題)。もうひとつはあなたの書き方の問題である。
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