いい天気だ。最近はなぜか朝5時と9時に一旦起きてしまう。9時となったら起きてしまうのだけれど、寒い中起きてパソコンに向かう。労働に追われつつ何かを進められる気配は感じてきた。本当にここ2ヶ月ぐらい労働ばかりなので仕事をしないといけない気がしている。会社からヤバ目な匂いはしてきていないので、キングと忘年会の計画を立てている。昨日から立て始めた。あやふじくんも到来してきていよいよ完全体となったシーズン2の様相を呈してきているので、ここで一度会社のリソースをしっかり把握しておくタイムかもしれないので、忘年会で彩藤の持っている技術をあたらめて脳内に入れておく。
アートにエールをや、文化庁の助成も無事進んでいる。のかな。戻しが二回会った以降、審査中なので無事に進んでいると願いたい。ビザ取得の行動もとっていきたい。過去のデータっていったいどこにあるんだろう。一度まとめてクラウドにまとめたいものだ。それはきっとサイトの更新にも役立つ気がする。今はサイトの更新がしたい。展示についてもふと浅草の例のホテルいいなぁと思い始めている。なにかしら人と会う行為がしたい。渋家が名前変わる件についてもドキュメントしたい。あのコミュニティがどうなっていくのか、本人たちはこの歴史性をどう思っているのか意識的に残さないとなくなってしまうのでやるならやらねば、という感じ。福原拓海はなにをしている。(今調べたらFacebookもTwitterも出てこなかった)職を得てからそういえばSNSやっているイメージないや。
昨日はFBにも文章を投稿した。増田捺冶が仕事が欲しいそうなので、FBでも効果があるのかどうか。きっと文章はじわじわとしか効果ないのだろうな。潜在意識に語りかけている。ここからはビジュアルと動画の世界。作品を作りづつけた者が見えるようになる。踊りだ。踊りを考えよう。渋谷の偽物中華、アメリカンチャイニーズについて思いを巡らせよう。身体の動かす先に何かがある。
この前、花崎草さんの新大久保UGOでのパフォーマンスを撮影した。カメラを回すのは楽しい。そしてYouTubeの更新も2週間近く泊まっている。素材ばかりが溜まっていくエネルギーを堰き止めねば。いまも編集画面は開いているが労働に追われてSlackばかり開いてしまう。これならバイトしているほうが時間に区切りがあってよい。労働は無限。インフィニティーだ。この危険についても考えなくてはいけない。そろそろ〇円ハウスの坂口恭平さんの本を読む段階なのだろうか。きっとそうに違いない。まずは田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』を読むところから。
歌も歌いたいのによしぼから連絡がこない。待ってるだけじゃすすまねぇぜ。こっちから連絡とってみるか。たまには茶を構えていく気概が必要だ。寒いと、関東にいるとそれぞれ距離が遠くていやになるぜ。会うことの価値が下がっていき、いずれみんな地方に移住するにせよ政府はポイントで人々の行動がどれだけコントロールできるか試してる。デスノートを見よ、人はかならずテストをしてから本番に向かう。ポケモンGO、Go to トラベル、Go to Eat。どれもコンピュータで数字をいじるだけで人の移動がコントロールできる。Facebookと同じことが起きてる。
まずは年末に向けzineを売るところに標準を合わせる。ホテルでの展示も気になるところだが予算がかかる。今の空気じゃ赤字だろう。形だけでもいいかもな。2020の項目が空のままじゃあれだしな。さぁ、仕事だ。
- 2020/10/29(木) 10:11:27
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朝、鬼のように眠い。
1週間ほど前から年末を意識している。誰よりも早い「あけましておめでとう」はとうの1ヶ月前に済ませた。五十音や古事記についても調べたいが書籍が高い。コバケンも記憶ではこのあたりから入ってきたような気がする。3年前の台湾の記憶。仕事がなかなか終わらず、焦ったクライアントに付き添うばかり。もっとゆっくり並走すればいいものが出てくるのにな。今井桃子から画面右上に通知、きっと飲み会の相談をしているに違いない。
年末。年末といえば新年であり、新年とえばサイトの更新である。昨日はフィルムの現像を10本出した。どうせ出すならまとめて多い方が楽でいいと思い思い切った決断を。これで見現像は3本+モノクロ8本ぐらいとなってしまった。楽しみは延長戦へ。増田捺冶は「火タイプ」特有のスイッチが入って制作に入った。「翌日は普通に動ける前提で」といいながら高熱を出していたので、こうなったら遠隔の僕は手を出せない。落ち着くまでタスクや創作の話はしないほうがいいだろうなと思ったので黙っている。増田捺冶の会社はいわゆるミッションやビジョンを設計するような起業タイプではないので、むしろ家族経営の手法が合うんじゃないかと思って調べたけどまともなノウハウを書いている人がいなかった。「家族以外のスタッフに平等に接しましょう」ってそんなことはわかってるわ。
身体を動かしたい。台湾を出発してからランニングをしておらず、身体を動かしたい欲があるが家の近くは走る気にならない。意外と同じ場所を回るトラックが大事だったのだろうな。あそこ気持ちいいしな。距離も測れるし時間も測れる。水も置いておけるのも強い。日本だとジムにいくしかないようだ。そのかわりサウナがあるからいーもん。あれは身体を冷やすのがいいらしいね。
藤田直希が免停になってからそろそろ1ヶ月半がたつ。あと2週間ぐらいで復活か。車があると心持ちも変わってくるんだろうな。どうも車は好きになれない。運転したことはないが、運転するのだるそうだし、狭い空間と椅子に縛り付けられるのも苦しい。トヨタのウーブンシティについては調べている。車という概念は滅んで欲しい。車のための舗装、車のために整備された法、車のために整備されたシステム。ここは人間様が歩く道だ。どけ。
年齢とともに「やる気」の価値がぐんぐん上昇している。技術とかテクニックに見飽きたからなのかもしれないし、だんだん「やる気」のある人が減っている気がする。もちろん自分の年齢での観測範囲だけど。18歳とかはやる気があるのかもしれないけど自分が接している範囲は19歳〜35歳ぐらいだなぁ。たしかワクミちゃんが18歳だっけか。技術あってもやる気ない人は疲れるというか、結局頑張ってるの自分一人だけになるのがさみしい。だから最近は自分でプロジェクトは起こさず、他人のプロジェクトでモーレツにがんばっている。増田捺冶はもう雑誌を作らないのだろうな。YouTubeチャンネルを更新しなくなったのと同様に。雑誌については1ヶ月ぐらい前までは僕がどうしてもやりたかったので急かしていたが、最近の様子をみていたらやることがないのだと見ていて分かる。社会課題みたいなのが分散化しすぎて「社会ごと」と「自分ごと」の交わる交点や切実さが見出せないのだと思う。こんなときは歌うしかないよね。
フィルム写真についての情念が最近ヤバい。文化庁の助成金でカメラを買おうと思って調べていたらマジで魅力的なカメラがない。こまいっちんぐ。フィルムならどんなカメラでも奇跡の呼び水なのに、デジタルはXとYに素子が並んでいるからだめなのだろうな。素材自体に偶然性が織り込まれてる強さがある。無くなりはしないが、延々と値段が上がっていく道楽になるだろう。ここに革命は起こせないものか。若者に流行ってもここまでが限界だ。また198円に戻してくれないと盛り上がりもない。鶏も卵も死んでる。ほんとうのミイラになっちまった。いまや現像+データ代の方がフィルムよりやすい時代。いっそのことモノクロフィルムがくるか?まだ生産してるし。いやいや、もう終わりなのだ。終わりを受け入れて終わりからの始まりに手をかけているのにカメラはまだ決まらない。ニコンのAFも直さねばな。
- 2020/10/28(水) 10:50:37
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