台湾にきて2ヶ月が経った。けっこう情報量的に寂しくなるかと思ったけど意外とバランスが取れている。ネット世界だからかもしれない。6月9日から禁煙している。ついでに今日からtwtterもつぶやくのをやめてみる。
軽やかに見えるらしいという発見があった。あれもこれも自由に軽やかに楽しめたのは齋藤恵汰や中島晴矢がロジックで家を作ってくれていたからなので、それらの庇護無しだとどこまでいけるか不安でもある。しかし我々には増田捺冶がいる。もういまや誰も書かないブログを書き、youtubeを更新し、instagramで呼吸する。いろんな手段が増えたものだ。2008年からは想像が付かない世界だ。それほど2008年というのは自分にとって大事な年だった。ブログを始めたのが2006年だったのに、始まりは2008年のように感じる。まだまだCDやDVDが生きていて、Netflixはビデオレンタルの補助的なものとして「ネット配信」を開始した。
[給水大臣ゆうき]
https://www.youtube.com/channel/UCsCAyRcMOTEOYWfsohlW4BQ
令和も始まったので、ね。2019年にyoutubeを始めるということに照れもある不思議なSNS.山本悠と会ったときにyoutuberの話をされて乗っていない自分を自覚してから気になっていたのかもしれない。瀬戸内寂聴がケータイ小説を書いたときのことも思い出した。(調べたらこれも2008年の出来事だった)
というわけでチャンネル登録よろしくねっと。それから山本悠がYoutubeの理念に「世界には色んな人がいる、ということが分かるため」という話が普通に感銘を受けている。海外の言葉も分からない子供が料理しているチャンネルや、ただ座っているだけのチャンネル。それぞれみんな統一性をもたせつつも共存している。そのワールドワイドな世界に乗ってみたかった。(それはブログやTwitterがなし得なかった、instagramも惜しいところまで行った)世界線だと思う。
そしてこれはニコニコ動画が歩めた道なのかもしれないと思いを馳せる。カルチャーを維持しつつ収益構造をユーザーに開放すると何が起こるのか2008年は知る由もなかった。あれから劇的な変化は無くなったと思う。プラットフォーマーは固定され続けてて、未だ2019年にまだTwitterをやっているとは思わなかった。
小林健太・稲葉あみ・秋山遼と久々に(いや、初めてか)湘南で焚き火をした。海は意外と寒くなく、火にあたるとちょうどよかった。こういう時間が人生において何回作れるのだろうか。増田捺冶は高橋修と誰かが考えないといけないことを考えてくれる。とてもありがたいと同時に、こういう議論がどんどん世界から見えない場所で行われる寂しさも感じる。生きづらいことを生きづらいと議論できない寂しさ。それらすべてが政治や社会福祉の問題に回収されるやるせなさ。問題は「役割」と「職業」と「ぬくもり」が足りないだけなのに。
今住んでいる場所は叁朝屋。サイトはまだない。
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