早くやめよう、裁判員制度
- 2008/09/26
- 20:00
いやもう、本音はこうでしょう。思わずうなずいてしまいましたf^^;
(引用終)表に出ない反対の声 裁判員制度 司法関係者の本音(福岡県民新聞)
「心配せんでも、早晩破たんするよ」。数年前、裁判員制度について話を聞くと、ある法務省関係者はこう答えた。この人物は当時、制度を推進する部署にいたにもかかわらず、である。
以来、多くの司法関係者にこの制度について率直な感想を聞いてきた。だがそのほとんどが反対・否定派で、本気でうまくいくと考えている者はいなかった。
この法務省関係者の「早晩破たん」発言は、大方の司法関係者の本音だと思う。私もそう思っている。これも本当だ。刑事事件の弁護 受けなければいい
「検事もしょせんは役人。国や役所がやろうとする方針には、最終的に従うでしょうね」。
こう話すのはある弁護士だ。
「ですが、弁護士の9割は制度に反対しているか関心がないか。賛成派は日弁連幹部をはじめとするごく一部の人たちです」。
現在、国選弁護人の登録数が減り続けており、弁護士会でも大きな問題となっている。裁判員制度は殺人、放火など重大な事件にのみ適用されるため
「多くの弁護士が『面倒に巻き込まれたくない』と、刑事事件を敬遠している」(同)のだという。
「どうせ自分は関わらない、だから関心がないという人が多いのです」。
日弁連が制度の旗振り役を務めているため、表立って反対を唱える弁護士は少ない。だが明確に反対する弁護士は口をそろえて「被告の権利を守るという視点が欠落している」と話す。
私は今回の愛知県弁護士会会員を対象とした裁判員制度についてのアンケートに回答しなかった弁護士は、少なくとも裁判員制度に「賛成」ではないと思っている。この記事にあるように「どうせ自分は関わらないから関心がない」という人が多いだろう。日弁連が旗振りをしているので「反対しても仕方がない」とあきらめている人も多いだろう。
アンケートでは裁判員制度に反対の理由として「連日開廷など短い審理期間では十分な審理を期待できず、被告人の防御権を侵害する。」「弁護人が短期間に集中的に仕事をしなければならなくなり、弁護活動が十分に行えない。」を選択するものが多かった。
裁判員制度に「被告(正しくは被告人)の権利を守るという視点が欠落している」と考えている弁護士が多いことは明らかだ。これも納得。中堅弁護士と検察関係者の発言に同感。「そんなバカなことは止めろ」
多くの関係者が疑問視している新制度。それでは一体誰が、なぜ、推進しているのか?
「新制度が始まるという前提でやってきたから、根本的な問題について考えたことがない」(若手弁護士)
「ある年齢層の弁護士は『市民』という言葉に特別な感情を持っている。市民が参加すればとにかく良くなる、と。そんな連中が推進している」(中堅弁護士)
「現場を知らない学者の発想。間違いなく制度は破たんする」(検察関係者)
この中堅弁護士の「ある年齢層」というのは違うかもしれないが、一部の弁護士が「市民が参加すればとにかく良くなる」という幻想を頂いていることは確かだ。
私は、あの光市母子殺害事件のあとで、とてもそのような幻想を抱くことはできない。
今回の愛知県弁護士会会員を対象とした裁判員制度についてのアンケートでも、裁判員制度に反対の理由に「裁判員の判断にメディアによる世論操作が影響を与える危険がある。」を選択したものが多かった。(本文中の太字、下線は私が付したもの)本当に司法が良くなるのか分からないまま走り出そうとしている裁判員制度。一度やると決めたら問題があると分かっていても最後まで止められない―「日本のお役所仕事の典型例」となる可能性は、否定できない。
最後にある法務省関係者の言葉を紹介したい。
「アメリカに研修に行った時、『日本でも陪審員制度のような新制度を導入する』と話すと1人の例外もなく全員が『どうしてそんなバカなことを』と驚いた。『すでに陪審員制度の限界は明らかになっている。それがこちらの常識。今からでも遅くない、止めた方がいい』と」。
アメリカでは既に限界が明らかという陪審員制度を中途半端に見習った裁判員制度。
莫大な税金をつぎ込み、国民からも司法関係者の大半からも総スカンを食いつつも、一部の狂信的な信奉者の方々や引くに引けない方々の力でこのまま実施されてしまうのか。
情けない限りである。
職業裁判官は、世間から隔絶され純粋培養されたエリートだから、世間一般的な、常識的な事実認定ができないのだ。ある事実が有ったのかなかったのかという判断には専門的法知識はいらない、必要なのは、偏見を持たず常識的な判断をくだすこと。それならむしろ、我々一般人のほうが純粋培養の職業裁判官よりむいているのではないか。
そんな幻想が、死刑再審があいついだ80年代にはあったのではないでしょうか。
確かに裁判官は疑わしきは被告人の‘不利益に’判断するのが圧倒的に多いのが現在の刑事裁判の現実です。そうなると陪審員制度が希望の光のように見えてしまうものです。
これは単なる推測なのですが、“『市民』という言葉に特別な感情を持っているある年齢層の弁護士”とは、この頃までの世代なのかもしれません。
しかし平均的‘一般市民’の事実認定の能力が職業裁判官より公正公平で信頼できるという期待は、光市事件に対する世論で見て取れるように、現実には残念ながら幻想にすぎないと思い知らされます。
御殿場事件や高知白バイ事件だって、冤罪ではないかというスタンスでマスコミが報道しなければ、はたして世間は少年達を無実と見たかどうか…一般市民が被告人を有罪と推定するか無罪と推定するかは、マスコミ報道やあるいは裁判時における裁判官の誘導の仕方いかんで簡単に左右されてしまうでしょう。
世の中のほとんどの人は刑事訴訟法に触れたことがないまま来ています。そもそも“疑わしきは被告人の利益に”という言葉さえ知らないのではないでしょうか。
もちろん裁判員に選出される段階でその原則についての説明は受けるでしょうが、一度や二度説明を受けたくらいでその重要性が骨身にしみるなどということは、とても期待できません。
日本では、密室の取調による自白強要(何故自白が重宝されるかと言えば、裁判官が自白を偏重するから)が冤罪の温床になっていますが、その構造をそのまま据え置いたままでで裁判員制度をとりいれれば、冤罪はさらに増えるのではないかと心配です。
誰もやりたいと望んでおらず、やる利点もないこの制度、開始されるまでに、そして開始されてからも、一体どれだけのムダな税金と労力が使われることになるのか…
今からでも取りやめにしませんか?
一旦始めてから中止するより、今やめる方が遙かに簡単でムダなお金もつかわずに済みますから。
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