先月また一つ、明白な冤罪が生まれたのはまだ記憶にあたらしい出来事です。
高知白バイ事件の被告、片岡晴彦さん
http://s03.megalodon.jp/2008-0922-1348-57/www.news.janjan.jp/living/0808/0808235335/1.php携帯からは
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彼が無実なことはわかっているのに、彼が収監され、これから1年4ヶ月の禁固刑に服さなければならないのを、誰も、どうすることもできません。悔しいです。
しかしもしこれから片岡さんが再審を戦う道を選ぶとしても、日弁連支援事件としてはどうやら認められないかしれません。
なぜなら、刑が比較的軽いからです。
こういうと非情に聞こえますが、実は日弁連の中でも再審冤罪に取り組んでいる弁護士の数は全体から見るとわずかな数。再審事件のような人権事件にたずさわる弁護士はかぎられています。同じ弁護士がいくつか再審事件を掛け持ちしているのも珍しくなく、依頼をうけるのも限界があり、どうしても死刑や無期などの重い冤罪事件を優先せざるをえません。
司法改革の一つとして、弁護士の増員があります。弁護士の数を増やせば人権活動に携わる人数も増えるだろうという単純な計算をしたわけです。
しかし実際はこの逆の結果が懸念されています。
都会ではすでに弁護士が飽和状態を超え、仕事がなくて食べていけない弁護士も出ています。以前はイソ弁(居候弁護士の略。事務所からの給料制)だったのが今はノキ弁(軒下弁護士。場所だけを借り、事務所からの給料はない)がふえています。
たとえ人権活動を行いたいと考える新人弁護士がいても、人権活動は儲からないため経済的な理由からあきらめるケースが実際あるらしいです。
人権活動はお金がかかります。弁護士も稼いで食べて行かなくてはなりませんから、ある程度豊かな収入がないと人権活動に時間を割くことが難しくなります。弁護士が過剰になり生存競争が激しくなって安定した収入が確保できなくなると、かえって人権活動はおろそかになりやすいのです。
しかしこの主張は、弁護士は自分の高収入確保という利己的な動機で増員に反対しているとマスコミにたたかれました。
愛知県弁護士会の意見書から引用
http://www.aiben.jp/page/frombars/topics2/272zinkou.html
弁護士法第1条は、弁護士の使命を基本的人権の擁護と社会正義の実現であるとし、弁護士を営業とは異なる公共的な業務と位置付けている。弁護士会への加入を強制し、弁護士会の懲戒に服させ、複数事務所を禁止し(現在法人は例外)、係争物の譲り受けを禁止する等さまざまな制限を加える一方、自治権を付与し、法律事務の独占、刑事手続上の権限、訴訟手続等の代理人資格の付与、弁護士会照会制度などの特典を与えている。これらは、弁護士が上記使命に則って、国民の基本的人権を守るために、国家権力をはじめ各種の社会的な権力から独立して業務を行えるための制度的保証として弁護士制度が不可欠であるという認識に基づいている。
政府の増員計画の根拠となった規制改革民間開放推進会議の意見は、弁護士業務を単なる営業と同視し、大量に生み出された弁護士を自由競争させ、競争に破れた弁護士が自然淘汰される結果、国民にとって望ましい弁護士が生き残ることになるという考え方に基づいている。
しかしながら、大量の弁護士が生み出され、激しい生存競争に晒されることとなれば、自由競争原理の下生存競争に勝ち抜くために、一般の営利事業と同様の利益追求型の業務となり、弁護士の果すべき使命がないがしろにされ、むしろ生存競争の中で弁護士自身が国民の利益を侵害する存在となる虞が十分にある。
そこにおいて、弁護士法1条の職業的使命が忘れ去られ、業務の自主性・独立性が失われることとなり、国民の権利・利益が国家権力やその他の社会的権力から侵害された場合にも、弁護士が利益を度外視してでも決然としてこれに立ち向かうことができなくなってしまう。
弁護士の大量増員は、国民特に弱者から、その権利利益の擁護者を奪い去る結果となりかねない。
(下線は私)
弁護士の人数を必要以上に増やせば、生き残るために儲かる仕事しかしなくなり、儲からない人権活動はやらなくなる、ということです。
また、改革の一環で修習期間を2年から1年に減らしたことで能力の低い弁護士が増えたのを実感する旧司法試験時代の弁護士も多いです。
加えて弁護士の意識や質も社会を反映して昔とは様変わりしていることも影響していると思います。たとえば人権問題に熱心な
青法協(青年法律家協会)に入る新人弁護士の数は激減してると聞きました。弁護士の数が増えても、儲からない人権問題はやらない弁護士が増えたのでは意味がありません。これは急にどうこうできるものではありませんけれど。
片岡さんがこれから再審請求をするのに新証拠を提出しなければなりませんが、そのための実験にはお金がかかります。日弁連の正式支援が受けられなければそれは自己負担になり、経済的に圧迫されます。
無実を晴らすという自己の尊厳の回復にはお金がいるのです。
自分の人権を守るにはお金がなくてはできないのです。
今は法律扶助制度もできましたが、人権救済にお金がかからないシステムを充実させる必要があると思います。少なくとも、真に救済を必要とする人が、金銭面の理由で泣く泣く諦める事態は防がなくてはいけません。
司法改革は国民の弁護士に対する真のニーズに応えられる方向で行われるべきです。
今の安易な弁護士増員策では、真のニーズに逆行するんじゃないでしょうか。
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